死せる翁長知事が安倍政権を走らせた今回の沖縄県知事選挙。
だが、その先に何が待っているのか・・・?
9月30日に沖縄県知事選挙が行われた。結果は、オール沖縄の玉城デニーが自民・公明などの推薦する前宜野湾市長・佐喜眞淳(さきまあつし)に8万票近くの大差をつけて大勝。8月8日に急逝した翁長雄志(おながたけし)知事の後を玉城が継ぐことになった。
仲井眞政治に後戻りしなくてよかった
個人的には、玉城が知事になってよかったと手放しで喜ぶ気持ちにはなれない。その理由はあとで述べる。だが、佐喜眞が知事になるのはもっと嫌だった。佐喜眞が知事になっていれば、選挙の時は基地問題に口を閉ざしていたくせに、官邸と結託して辺野古埋め立てに協力し、補助金や公共事業を増やしたと誇るに違いなかった。それは、仲井眞県政の復活を意味していた。
仲井眞弘多(なかいまひろかず)は2006年から2014年まで沖縄県知事を2期務めた。常に中央政局と県民感情を天秤にかけながら、基地建設の見返りに沖縄振興を進めてきた人物だ。本音は辺野古移設に賛成で、麻生内閣の時には埋め立て承認の寸前まで行った。民主党政権の間は埋め立て承認の言を左右にし、沖縄一括交付金の創設を含め、中央政府からの補助金増額に努めた。2010年の選挙では、辺野古移設をめぐる鳩山内閣の混乱を受けて県民世論が硬化したため、普天間の県外移設を公約に掲げて再選を果たした。しかし、自民党政権が復活して安倍一強が続くと見るや、2013年12月には一転(二転)して辺野古の埋め立てを承認。翌2014年度の沖縄振興費は前年比445億円増えて3,500億円を超えた。言うまでもなく、仲井真に対する安倍内閣の論功行賞であった。
永田町あたりには、仲井眞のような政治家を「政治家として立派」と褒める者がワンサカいる。でも、俺は大嫌いだ。狡猾、陰険、胡散臭さが同居する沖縄政治はもう終わりにした方がいい。
玉城知事への不安
佐喜眞が負けたことは、ひとまずよかったが、俺の心は晴れない。確かに、死せる翁長氏は玉城デニーを勝たせ、安倍政権や仲井眞たちに一矢を報いた。しかし、玉城やオール沖縄がこれからも続く中央政府との戦いに勝利できるのか――? 正直、暗澹たる気持ちになる。諸葛孔明は死して司馬仲達を走らせたが、孔明を失った蜀はその後、魏に滅ぼされたではないか。
胆力や気概において、玉城新知事は翁長前知事に遠く及ぶまい。県庁という組織を運営する能力も疑問視される。元来が保守系の翁長と異なり、玉城にはリベラルのイメージがつきまとい、(大衆迎合という意味で)ポピュリスト的なところがある。県政与党の社民・社大・共産党に引っ張られてバランスや安定感に欠ける言動に走れば、県民の期待は失望と不安に変わるだろう。
辺野古建設をストップさせる戦いは、トップに対して想像を絶するプレッシャーを容赦なくかけてくる。鳩山内閣はわずか9か月余りで自壊し、翁長前知事は文字通り命を削った。鳩山由紀夫がとったような言動を沖縄県民に二度と見せてはならない。玉城はプレッシャーに押しつぶされないだけの覚悟を持っているのか?
この間、早くも不安を感じさせる光景があった。8月19日に県政与党や関係団体から出馬要請され、小沢一郎(自由党党首)に相談して決める、と玉城が答えた時だ。玉城は当時、自由党に所属する現職の国会議員で党の幹事長であり、立場上、小沢に相談するのは当然のことと言えなくはなかった。しかし、俺は「こいつ、大丈夫か?」と直感的に思った。玉城を含め、小沢と行動を共にする国会議員は皆、小沢の顔色を窺う「小沢依存」が習い性になっている。小沢が「やめておけ」と言っていれば、玉城は立候補しなかったのか? 今後間違いなく訪れる難局で見せる玉城の言動が、彼の覚悟のほどを明らかにするだろう。
ところで、玉城知事が誕生した今、小沢一郎の「剛腕」は新知事の武器になるのか? ならない、と断言できる。小沢という男は、選挙や政局で戦う局面においては、時に恐ろしいほどの能力を発揮することがある。しかし、新進党や民主党時代の実績を検証してみると、統治する側に立った時の能力はパッとしない。本人もそれを自覚しているのか、選挙や大きな政局が終われば裏側に引き、総理や閣僚として矢面に立たないという妙な癖が、小沢にはある。鳩山が沖縄で躓いたときも、民主党幹事長だった小沢が鳩山に手を差し伸べることはなかった。玉城が県知事として行き詰まったとしても、他人事のように傍観するに違いない。しかも、小沢はウチナンチューではない。玉城が小沢に頼れば頼るほど、沖縄県民の心は玉城から離れていくと思う。
辺野古埋め立て阻止は茨の道
玉城新知事は当選後、「埋め立て承認の撤回を支持し、名護市辺野古への移設反対をぶれずにやっていく」と抱負を述べた。だが、現実に玉城知事が辺野古埋め立てを阻止できる目途はまったく立っていない。
安倍政権の強硬姿勢に対して、玉城は来春までに辺野古基地建設の是非を問う県民投票を実施する構えだと言う。実現すれば、県民の多くが「ノー」を突きつけることとなろう。しかし、県民投票自体に中央政府を拘束する力はない。知事選や県民投票の結果を受け、県知事の承認や認可など、今後必要になる行政手続きを沖縄県が拒否することはできる。それでも、安倍政権は裁判に訴えることを含め、様々な手を打つだろう。極論すれば、政府が特措法を制定し、沖縄県知事の行為を代執行することができるようにすれば、沖縄県には為す術がなくなる。
民主党政権はもちろん、2009年以前の自民党政権は、沖縄県と決定的に対決することを避け、何とか沖縄県を「取り込もう」としてきた。安倍晋三は違う。「戦後レジームからの脱却」をめざし、戦前の日本に右翼的な郷愁を抱く安倍の思想を単純化して言えば、軍事優先と中央集権だ。官房長官の菅義偉も、師である梶山静六の遺志を継ぎ、辺野古埋め立ての実現に執念を燃やす。この二人が組んでいる限り、安倍政権は沖縄県と対決することに躊躇しない――。そう思っておいた方がよい。
では、沖縄は米国を説得できるか? 知事になる前、玉城は「米国の血が私には2分の1流れている。だから私の言うことは(米国に)半分は聞いて頂く」と語っていた。だが、知事になった今、玉城は結果を問われる。
確かに一時期、米議会で「辺野古は政治的に実現不可能だから、日米両政府は別の選択肢(プランB)を考えるべき」という意見が、先日亡くなったマケイン上院議員を含め、じわりと広がったことはある。ただし、それは辺野古基地建設をめぐる沖縄の世論が硬化、沖縄県は埋め立てを承認せず、中央政府も地元の反対を押し切ってまでは建設を強行できない膠着状況にあった時の話だ。
その後、仲井眞知事が埋め立てを承認すると、翁長知事の抵抗にもかかわらず、日本政府は裁判に訴えてまで辺野古建設を強行してきた。工事の進展を受け、辺野古見直しを唱える声は米国でも小さくなっている。「日本政府がやると言い、実際に埋め立てが進んでいる以上、プランBの必要性はなくなった」というわけだ。プランBを策定するとなれば、海兵隊や軍部との利害調整にはじまり、グアムとの関係など、政治的に莫大なエネルギーを費やさなければならない。沖縄県知事が訪米して何を言っても、日本政府が辺野古の基地建設を進めている以上、米国政府の方から辺野古の見直しに同意する可能性は限りなくゼロに近い。
新知事への助言
安倍政権あるいは日米の外務防衛官僚たちが狙うのは、民主党政権が八ッ場ダム建設を止められなかったのと同じ構図を再現することだろう。自民党政権が続く限り、工事は進んで既成事実が積みあがる。そして、工事が進めば進むほど、いかなる政権も辺野古の基地建設をやめにくくなる。これに対し、有効な対抗策は現段階で見えてこない。だが、道が開けるとすれば、翁長雄志の流れを汲む知事が安倍政権よりも長くその座に居続けることが最低限、必要になる。
では、玉城県政が長続きするために必要なことは何か? 言うまでもなく、県民の信頼を得ることだ。では、県民の信頼は何を以って得られるのか? 統治に対する安心感を大前提に言えば、やっぱり実績になる。もちろん、辺野古の埋め立てを止めることができれば、大成果と言ってよい。しかし、その可能性が極めて低いことは既に述べた。翁長知事が存命で再選を果たしていたとしても、それは同じことだったろう。
だからこそ、玉城は辺野古以外で実績を示さなければならない。具体的には、県内の好調な経済状況を維持し、さらに活性化することだ。沖縄の経済発展モデルと言えば、仲井眞知事の頃までは「基地受け入れを材料にして振興予算を増やす」という考え方が根強かった。しかし、最近はインバウンドや人口増加による自立的発展モデルの可能性が出てきている。翁長前知事も「基地建設とリンクしない沖縄経済の発展」を目指した。
実際、2017年度の沖縄の経済成長率は+2.2%を達成し、18年度は+2.6%という予想だ。全国ベース(それぞれ、+1.5%と+1.4%)に比べて格段に良い。国内外から観光客が増え、建設関連も公共工事(基地建設を含む)に支えられて堅調だ。雇用情勢は本土復帰後最高の状態にある。百貨店・スーパーの売上高、自動車販売、住宅着工なども軒並み前年比プラスが続く。
今回の選挙では、佐喜眞陣営や本土から応援に来た自民党の政治家たちが「翁長県政で弱った中央とのパイプを太くし、振興予算を増やしてもらう」と叫んだが、思ったほど県民にアピールしなかった。沖縄経済の好調ぶりを見れば、それも頷ける。沖縄経済が振興予算に頼らずに発展できるようになれば、沖縄県民が基地問題で中央政府に異議申し立てを行う力も大きくなる。玉城はこの流れを絶やしてはならない。
無事これ名馬――。玉城さんよ、基地問題に逸る気持ちはわかるが、あなたには敢えてこの言葉を贈りたい。