プーチンの平和条約発言――    もう、夢からさめよう

まず平和条約を締結しよう。今すぐにとは言わないが、ことしの年末までに。いかなる前提条件も付けずに」「その後、この平和条約をもとに、友人として、すべての係争中の問題について話し合いを続けよう

9月7日、ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムでの一コマ。ウラジーミル・プーチン大統領はこう語り、同席していた安倍晋三総理を驚かせた。

 

北方領土返還をめぐる建前と現実

プーチン発言が伝わるや、メディアや国会議員は「ロシア側は北方領土問題の解決を棚上げし、平和条約の締結という『良いとこどり』をするつもりだ」と大騒ぎ。しかし、少なからぬ日本国民は、「ロシアに領土を返す気なんかない」と見切っていると思う。それを口にすれば「非国民」呼ばわりする輩がいて面倒くさいため、黙っているにすぎない。

せっかくプーチンが本音を漏らしてくれたんだ。これを機に、「4島がすべて返ってくることはない。2島ですらもきびしい」という不都合な真実を口にすることがタブーだなんて風潮は、もう終わりにした方がいい。

 

戦争もダメ、裁判もダメ

領土問題を解決する方法は、大きく分けて3つしかない。

第1は、武力行使。2014年のロシアによるクリミア併合も、形式的には住民投票を受けた措置だったが、プーチンが武装部隊を派遣した結果と見るのが常識。では、日本が北方領土を武力で奪い取れるのか? 戦前ならいざ知らず、今日の国際情勢と日露の軍事力格差を考えれば、その可能性はない。

第2は、裁判。国際司法裁判所で争うためには、日露双方が裁判に同意しなければならない。今現在、4島を実効支配しており、現状に何の不都合もないロシアが応じる可能性はほとんどない。万一裁判になれば、色丹島と歯舞群島に関しては、日本が勝てる可能性はそれなりにある。国後島と択捉島は・・・、ちょっと厳しい。

 

交渉もダメ~ロシアが首を縦に振らない理由

第3は、交渉。ソ連崩壊の直後、日本政府は経済支援と引き換えに北方領土を取り戻せると踏み、エリツィン大統領に攻勢をかけた。しかし、当初は前向きな感触を示したと言われるエリツィンも民族派の反発を抑えることができず、交渉は最終的に頓挫した。今も、将来も、交渉で4島が返ってくることは期待できない。

 

領土交渉がまとまるためには、当事国同士が様々な利害得失計算を行い、何らかの妥協に達することが必要だ。利害得失計算を行う際には、①領土問題を解決しないことのコスト、②領土問題の解決に伴って甘受すべきコスト、③領土問題の解決によって得られるメリット、が問題になる。①と③の合計よりも②の方が大きいと感じられてはじめて、ディールの芽が出てくる。

強面のロシアにも、領土問題を交渉によって解決した事例はある。例えば、1990年代から2000年代にかけて、中国との領土(国境)問題をすべて解決している。中露にとって国境問題は安全保障や国家運営に直結していた。1969年のダマンスキー島(珍宝島)事件では中国側に91人、ソ連側には2百人の死傷者を出し、長い国境線沿いに多数の軍隊を貼りつけておく財政的負担も膨張する。冷戦末期以降のロシア(ソ連)はこうした負担に耐えられなくなり、中国の要求に相当な譲歩を重ねてまで交渉を妥結させた。中露の場合、冷戦末期から上記の①と③が非常に大きくなり、②を凌駕するに至ったと考えてよい。

では、北方領土返還交渉においてロシア側の利害得失計算はどうなっているのか? 以下に検討してみる。

<全面的に実効支配>

日露の場合、ロシアのみが70年以上にわたって4島の全域を実効支配しており、日本が実効支配する土地は1ミリもない。しかも、自衛隊が北方領土に軍事侵攻してくるという心配はまったくない。万一攻めてきても、簡単に撃退できる。ロシアにとって、居座るコスト(①)は基本的にゼロだ。

<手放せない戦略的価値>

ロシアは現在、択捉島と国後島に機関銃・歩兵師団3千5百人を駐留させ、地対艦ミサイルも配備している。その目的は何か? ロシアの対米核戦略上、ウラジオストクに配備された艦艇(特にSLBMを搭載した戦略原子力潜水艦)の行動の自由を確保するため、オホーツク海を要塞化することが至上命題。そして、オホーツク海の要塞化には択捉・国後が必要不可欠だ。

日ソ共同宣言(1956年)に向けて日ソが交渉を行っていた時、ダレス米国務長官は「日本政府が2島返還で手を打ち、残余の千島列島のソ連領有を認めるようなことがあれば、米国は将来にわたって琉球(沖縄)に居座る」と重光葵外相を脅した。その前にダレスは、米軍統合参謀本部議長から「択捉島と国後島はソ連にとって戦略的に重要」という書簡を受け取っている。ソ連が軍事的に重要な択捉・国後を手放すことはないとわかっていたからこそ、ダレスは日本政府に4島返還を要求させ、日ソ関係の改善に歯止めをかけたのだ。

米露の戦略的緊張は冷戦が終わっても完全に消えることはなかったし、今日また高まっている。択捉・国後を日本に渡せば、軍事戦略上の不利益(②)は致命的なものだ。色丹・歯舞についても、「隣接する区域を相手に渡せば、本丸も危うくなる」と危惧する軍人思考が働かないとは限らない。

少し脱線する。今年6月に行われた党首討論で、国民民主党の玉木代表が安倍総理に対し、「島が返ってきた時、『安保条約6条に基づく施設、基地は置かない』とトランプ大統領から確約を取れば、日ロの交渉は一気に進むと思うが、いかがか」と提案した。しかし、ロシアにとっては、返還後の両島に米軍基地が置かれるかどうか以前に、択捉や国後からロシア軍を撤退させることによって「オホーツクの要塞」に穴があくこと自体が大問題なのだ。素人が付け焼刃で専門家を気取っても、滑稽にしか見えないんだよな・・・。

<相当数のロシア人が居住>

北方領土には約1万7千人(国後島8千人、択捉島6千人、色丹島3千人)のロシア人が居住している。日本人居住者は半世紀以上も前に追放され、いない。領土問題は、無人島をめぐるものでさえ、ナショナリズムを掻き立てる。自国民が住んでいれば、さらに増幅されることは言うまでもない。

しかも、生身の人間がこれだけ住んでいれば、ロシア政府が「島は日本に譲り渡すことになった」と言って住民を強制移住させることなど、政治的に不可能だ。日本で言えば、大島と八丈島の全住民に強制退去を命じるような話。いくら補償金を積んだところで、応じてもらえるわけがない。無理に実行しようとすれば、島民のみならず、全国民から総スカンを食らって指導者は退陣を余儀なくされるだろう。国内政治上のコストという意味でも、②は膨らむ。

<見返りは経済援助>

昔も今も、日本政府の思い描くディールの基本構図は「日本が経済援助という飴をロシア側に提供し、ロシアはその見返りとして島を譲り渡す」というもの。ロシアが北方領土を返還することによって得られるメリット(③)は、「お金」だ。

①と③の合計が②を超えそうもないことは誰の目にも明らかだろう。しかも、ロシアがどうしようもない苦境にあった――すなわち、経済協力が最も魅力的だった――時代においてさえ、「領土を買う」ことはできなかった。エリツィンの時代よりも国力が回復した現在、ロシアとの北方領土交渉が日本側の満足する線で解決することは、なおさらありえない。それは、安倍がプーチンと何十回会ったとしても同じことだ。

 

「プーチンの指導力に期待」って何を?

安倍総理や外務省は「日露両首脳が築き上げてきた個人的関係を以ってすれば、領土問題の困難も必ずや解決できる」みたいなことを言っているようだ。

しかし、トランプがアメリカ・ファーストである以上に、プーチンはロシア第一主義者だ。安倍とプーチンの間に友情が芽生えたのかどうか、俺は知らない。仮に芽生えたとしても、プーチンは、友情をロシアのために利用することはあっても、友情の前にロシアを売り渡すようなことは絶対にしない人間だ。

二百歩譲って、プーチンに(一部の)島を譲り渡してもよいという気持ちがあったとしても、彼は内政上身動きがとれない。今やロシアの指導者は選挙で選ばれている。統治の正当性は、突き詰めれば国民の支持にしかない。「皇帝」と呼ばれるプーチンにも、領土の譲り渡し――それは島民の強制移住を伴う――という国民に不人気な政策の実行はハードルが高い。ましてや、今のプーチンに領土譲り渡しを決断するよう望むことはまったく問題外だ。ロシア政府は今年、年金の受給年齢を引き上げると発表した。途端に8割を超えていたプーチン大統領の支持率は3割台に急落、デモも多発した。慌てたプーチンは妥協案の発表に追い込まれたが、支持率は戻っていない。

 

いくつの島を取り戻そうと言うのか?

以上を踏まえたとき、日本は北方領土問題にどう取り組むべきか?

俺は、2島(色丹島と歯舞群島)返還が実現できれば、もうそれで日露間の領土問題には終止符を打つべきだと思う。国後島と択捉島は、継続協議に回したりせず、すっぱり諦める。三島とか面積折半(歯舞・色丹・国後+択捉の一部)という、未練たらしい選択肢も持ち出すべきではない。

2島返還の場合、陸地面積では4島合計の7%に過ぎない。しかし、岩下明裕先生によれば、排他的経済水域(EEZ)に着目すれば、4島の場合の20~50%が手に入ると言う。このまま1島も返ってこないことを思えば、2割でも「御の字」だ。

安倍総理も本音では「2島返還が実現すれば、平和条約を結んでもいい」と考えているという説がある。プーチンが「平和条約の発効と相前後して2島の主権と施政権を譲り渡す」と約束するのであれば、安倍は国会なんか放り出してモスクワに飛び、条約に署名すべき。ただし、批准は2島が返還される目途が立つまで待った方がよい。

断っておくが、「2島返還なら問題なく実現する」という見通しがあるわけではない。かつてプーチンは「引き分け」を狙うべきだと話したが、ウラジオストクでは「(北方領土問題は)われわれの国民にとって非常に敏感な問題であり、解決に当たっては慎重に対応する必要がある」と防御線を張った。「2島返還でもきびしい」というのが俺の正直な予想だ。

では、2島返還での決着を打診しても色よい返事が返ってこない時はどうするか?

歯舞群島だけでも返ってくるのなら、とりあえず受け取っておく。この場合、平和条約の締結までは応じざるをえないが、他の3島の返還問題は継続協議にする。(実際に他の3島が返還される可能性はほとんどないが、それは仕方ない。)

歯舞群島には居住者が基本的にはいないので、返還される可能性は他の3島よりも高いはずだ。少なくとも6つの小島から成る歯舞群島は、合計面積でわずか100㎢しかない。屈辱的な譲歩だと思う人もいるだろう。しかし、歯舞群島の戦前の漁獲高(主に昆布)は4島中最大規模を誇り、北海道全体の14.4%だったと言う。

歯舞すら駄目、という完全なゼロ回答であれば、早期の平和条約の締結には応じない。4島の返還要求も取り下げない。

 

平和条約締結は道具として使え

プーチンが提案した平和条約の締結は「前提条件なし」。これはふざけた話だ。乗り必要なんかない。

4島は戻ってこないにしても、1島~2島なら叶うのか? 平和条約締結というカードはその見極めのために使う、というのが俺の考え。ロシアが1島も返す気がない、ということがわかった場合には、条約は締結すべきではない。

ロシアにとっては、日本と平和条約を締結できれば、米国や中国を牽制するうえで一定の意味がある。しかし、日本にとっては、平和条約を締結しても格段のメリットはない。ソ連との戦争は法的にも1956年の日ソ共同宣言で既に終結している。経済面でも、日本企業にとって問題となるのはカントリー・リスクと収益性の方だ。かくして、平和条約の締結は日本がロシアに対して持つ、数少ない外交カードの一つとなりえる。

将来、世界や西太平洋地域の地政学的状況が大変化するなど、このカードを切るべき真のタイミングがやって来るかもしれない。その時は、領土返還要求を放棄しても構わないくらいの覚悟で、断固としてこのカードを切るべきだ。今は焦らず、時が来るのを待つのがよい。

 

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