ワイドショー化した領土交渉~北方領土をめぐる日露協議の非常識

こんなにオープンな領土交渉も珍しい。北方領土について、日露双方の指導者・政権幹部がマスコミの前で自らの考えを公言し、それを両国のテレビ番組が面白おかしく囃し立てている。

9月12日   プーチン大統領=前提条件なしでの平和条約締結を提案。
11月15日 安倍総理=日ソ共同宣言を基礎に領土交渉を加速することでプーチン大統領と合意した、と発表。
11月15日 プーチン大統領=日ソ共同宣言は二島の主権には言及していない、と主張。
11月16日 菅官房長官=(色丹・歯舞の)二島が返還されれば、日本の主権も確認される、と反論。
11月19日 ペスコフ ロシア大統領報道官=(色丹・歯舞の)二島が自動的に引き渡されるものではない、と発言。

こうしたやり取りを見る限り、日露双方が交渉を巧みに管理すべく意思合わせを行っている様子は窺えない。これでは駄目だ。うまくいくわけがない。

10月23日11月17日のポストで、ロシア側のメリット・デメリットなどを考慮すれば、二島返還を含め、北方領土交渉は日本にとって非常にきびしいものになると指摘した。だが、交渉のあり方からしても、待っているのは失敗だけだと予感せざるを得ない。

領土問題を解決するならば秘密交渉が常識~中露国境交渉の教訓

領土問題を交渉によって成功裏に解決するためには、少なくとも交渉の峠を越えるまでの間は事を秘密裏に運ぶことが鉄則だ。

1991年、中国とソ連は珍宝島(ダマンスキー島)を含む国境交渉で合意に達した。中国の領土問題を研究したテイラー・フレーヴェルは、この交渉がうまくいった理由の一つとして、交渉が妥結するまでの間、秘密が保たれ、両国政府とも国内に存在する反対グループへの根回しを静かに行えたことがある、と指摘している。
もちろん、当時の中国とソ連は今日に比べてはるかに閉鎖的な社会だったし、権威主義的な政治体制下にあった。それでも、秘密外交でなければ、国内の説得は困難だったのである。

交渉事には大なり小なり、ギブ・アンド・テークがつきもの。領土問題も例外ではない。交渉が粗方まとまった後であれば、譲る部分と得る部分をセットにして国民や関係団体に示すことが可能だ。その結果、政治指導者が議会、関係団体や国民を説得できる可能性は増大する。
ところが、途中経過が表に出ると、どうしても自国が妥協するポイントだけに焦点が当たってしまう。すぐさま、愛国主義に燃えるグループや利害関係を持つ団体(地元や漁業関係者など)が騒ぎ出し、メディアやネットを通して政府批判が燃え上がる。野党や政府与党内の反主流派(指導者の政敵など)などから、指導者の足を引っ張る動きが出てきても不思議ではない。

しかも、どちらかの国(A国)で情報が漏れれば、そのことは瞬く間に相手方(B国)にも伝わる。B国の世論はA国が得る部分、すなわちB国政府が譲ろうとしている部分に反発する可能性が高い。勢い、B国は交渉の席でA国に厳しく当たらなければならなくなる。そのことが表沙汰になれば、今度はA国の中で反発が高まる。
この作用・反作用の結果、ギブ・アンド・テークは困難となり、領土交渉が暗礁に乗り上げてしまうのである。

秘密交渉が困難な時代ではあるが・・・

情報化の進んだ今日、領土交渉に限らず、外交交渉を秘密裏に行うことは極めて困難になっている。マスコミの取材合戦は往々にして過熱し、取材される側もブリーフと称してマスコミに何かと解説してやる政治家・官僚が増えた。国内的に根回しを受けた者も皆が皆、口が堅いとは限らない。かくして、交渉の途中経過は(フェイクも含めて)外に漏れ、テレビやネットで瞬く間に拡散しがちである。

「外交の民主化」を求める声があるのも確かだ。なるほど、「国家にとって死活的に重要な領土問題に関する交渉である以上、政府は途中経過を国民に説明すべきである」という主張は理屈の上ではまったく正しい。だが、透明性を高めれば高めるほど、領土問題を交渉によって解決できる余地は失われる。このあたりの事情は、会社の合併交渉に相通じる。株主の立場からは、経過を説明せよと要求するのは当然のことだが、それが中途半端な形で表に出れば合併交渉そのものが頓挫し、株主の利益も失われることが往々にしてある。

現代社会は、日本もロシアも秘密外交が困難な時代になっている。しかし、だからと言って、外交交渉の途中経過を秘密にすることが今日まったく不可能というわけでもない。例えば、2014年11月、日中首脳会談が3年間も途絶えていた状況を打開するため、日中両国は4項目の合意文書を発表したが、これなどは途中経過があまり漏れなかった。領土交渉をまとめる気が本当にあるなら、「外交の民主化」という建前も封印するのが当然だ。

逆に言えば、今のように両国の指導者や外交当局が好き勝手なことを言い合っている間は、北方領土交渉が着地することはないと考えてよい。本当に何かが動く時は、その前に日本とロシアが不気味に沈黙を保つ時期があるはずだ。

領土交渉を人気取りに使えば、悲惨な結果が待っている

FNNの世論調査によれば、日露首脳会談を「評価する」と答えた人が64.9%だったのに対して、「評価しない」は27.3%に過ぎなかったと言う。内心諦めていた二島返還に向けて交渉が動き出した、という漠然とした期待が日本国民の中に生じたのであろう。

北方領土交渉の進展にかけらも幻想を抱いていない私にとって、上記の世論調査結果は驚きだった。だが同時に、なるほどね、とも思った。国内的な人気取りが目的なら、交渉の入り口で日露双方が自国民向けに都合のよいことを言い合うのは、安倍にとってもプーチンにとっても決して悪い話ではない。
安倍にとっては、日本国民の間で二島返還に対する期待が高まれば、安倍政権が外交的に頑張っている、という評価につながる。プーチンにとっては、日本が勝手に盛り上がっているのに冷や水を浴びせ、「毅然たる国家指導者」を演出できる。

北方領土問題で前向きなニュースが出たとたん、永田町からは「来年夏は北方領土交渉の成果を掲げて衆参同日選挙だ」などという声が聞こえてきた。一昨年の夏、安倍がプーチンを下関に招くと言った時も、北方領土で劇的な進展が見られ、安倍が解散を打つ、という見方がまことしやかに語られた。日本の政局ではなぜか、北方領土と選挙を結びつけたがる人が後を絶たない。
だが現実には、外交的な成果を利用して選挙をやるには、よほどの偶然と幸運に恵まれていなければならない。(もっと言えば、外交で成果を出しても、経済など内政が芳しくなければ、選挙に勝てるとは限らない。ブッシュ(父)大統領は冷戦に勝利したにもかかわらず、米経済の低迷を批判されて再選を逃した。)

仮に日露交渉が進展するとすれば、良くて二島返還、より現実的には二島返還マイナス・アルファという答になる。(まったく進展しない可能性も十分にある。)四島返還を求める人たちや、現段階で二島返還が実現すると期待値を高めてしまった人たちが、それを評価するとは限らない。かと言って、日本側が二島プラス・アルファの着地にこだわれば、ロシア側から色よい返事は望めない。安倍自身が高めた日本国民の期待は失望に変わってしまいかねない。

逆にプーチンの方は、安倍に付き合って、ロシア国内で批判されるような線で決着する必要性を微塵も感じていないだろう。何せ、ロシアは四島を完全に実効支配しているのだから、来夏までに合意できなくても不都合は何もない。一島でも二島でも譲り渡してもよい、と思える十分なメリットを日本側が示してきたときにのみ、交渉を具体的に前進させればよい。さもなければ、可能な限り領土部分の答は出さず、平和条約の締結のみをかすめ取ることができたら最高、と考えているに違いない。

このように醒めた目で見ると、日露交渉の構図は日本側に不利、ロシア側に有利なものになっている。それは必ずしも安倍のせいではなく、ロシアが四島のすべてを実効支配している、という「立場の違い」によるところが大きい。

オープンに交渉する不利と、立場の違いからくる不利。加えて、安倍が来夏の参議院選挙までに何らかの成果を出そうと焦れば、最悪の結果が待っているだろう。

「二島返還」狂想曲を嗤う~日露首脳会談を受けて

11月14日、シンガポールで安倍総理とプーチン大統領が会談し、安倍は「1956年共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる。本日そのことで、プーチン大統領と合意いたしました」と述べた。国内(というか永田町)では「すわ、二島先行返還か」と興奮が走る。ところが翌日、今度は「日ソ共同宣言には平和条約の締結のあとに2つの島を引き渡すと書かれているが、引き渡す根拠やどちらの主権のもとに島が残るのかは書かれていない。これは本格的な検討を必要とする」というプーチン発言が伝えられ、少し冷や水を浴びせられた形となった。

北方領土と平和条約に関する私の考え方は、10月23日付のポスト「プーチンの平和条約発言――もう、夢からさめよう」に書いたとおり。今回の首脳会談の後も変わっていない。だが、ここ数日の報道ぶりを見ていると、日本人はまだ夢からさめていない、とつくづく思った。水をかけるようで申し訳ないが、日露首脳会談後の喧騒について少しばかり感想を書いておきたい。

2島返還は既定の事実でもなんでもない

今回のマスコミや永田町の興奮ぶりを見て、多くの日本人が(頭ではわかっていても)無意識に勘違いしているなあ、と改めて思ったことがある。

それは、「2島返還なら確実」という思い違い。日本は過去60年以上、四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)返還を求めてきた。日本側が譲歩してハードルを色丹、歯舞の2島返還に下げてやれば、ロシア側は必ず呑む。なぜなら、向こうは日ソ共同宣言(1956年)で色丹島と歯舞群島の返還を約束しているのだから――。という思考のラインである。気持ちはよくわかるが、事実を反映した考え方とは言えない。

まず、日ソ共同宣言の記述をチェックしてみなければならない。北方領土に関する下りを抜粋すると次のとおりだ。

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

この条文、一見すると歯舞と色丹の返還にロシア側(当時はソ連)が同意したように見える。しかし、落とし穴がある。歯舞と色丹は「引き渡す」と書いてあり、「返還する」とは書いてないのだ。1956年当時、ロシア側は「返還」という言葉に強く反対し、こうなったと言われている。

「返還」であれば、暗黙の前提として「二島の主権は日本のものであり、それを日本に返す」と読むことができる。しかし、「引き渡す」であれば、ロシア側は「二島の主権はロシアのものであり、それを日本側に使わせてあげる。でも、主権は別だよ」と主張することができる。

昨日の記者会見で菅官房長官は「返還されることになれば当然、日本の主権も確認される」と述べたそうだ。菅がどういうつもりで言ったのかはわからないが、官房長官発言はとても正確な表現である。二島が返還されるのであれば、日本の主権も認められる、というのは上述のとおり。しかし、二島が「引き渡される」のであれば、二島の主権は今後の交渉事となる。日本の主権が認められる保証はない。もちろん、日露首脳が日ソ共同宣言を基礎とすることに合意したということは、二島は引き渡される前提で交渉される、という意味である。いずれにしても、菅の言い方であれば何も間違っていない。

冒頭に紹介したプーチン発言。こうした背景を理解して聞くと、別にヤクザが因縁をつけているわけではないことがわかる。二島先行返還はもちろん、二島のみ返還であっても、いかに波の高い話かは言うまでもない。

今回、安倍がプーチンに対して1956年の日ソ共同宣言を基礎として交渉することを認めさせたのを、あたかも安倍が一本取ったかのように――つまり、二島返還に向けてポイントを稼いだかのごとく――報じたメディアもあったようだ。それはまったく違う。

ロシアはそんなに平和条約を結びたがっているのか?

今朝のテレビ番組で鈴木宗男元衆議院議員が、いかにもロシアが平和条約を締結したがっているかのように話し、だから二島プラスアルファでの解決が可能だと力説していた。この人、民主党国会議員だった娘を自民党に入党させて比例優遇までしてもらった恩義や自分自身の次の選挙のことを考えた打算から、安倍のヨイショがすごい。北方領土問題に長年取り組んできたことは事実だが、この人の発言は鵜呑みにできない。

北方領土問題の解決を現実的に考えようと思えば、ロシアが四島すべてを実効支配しているという事実を出発点にする必要がある。それを無理やりひっくり返そうとすれば、軍事的手段に訴えるしかない。だが、日本人にそんな根性はないし、戦争を仕掛けても負ける。かくして、北方領土問題の解決は交渉によるしかない、という答になる。

その際、認識すべきもう一つの不愉快な真実がある。交渉上の日露の立場は五分五分ではない、ということだ。もっと正直に言えば、五分五分でないどころか、どんなに贔屓目に見ても八分二分といったところか。ロシアのみが四島を実効支配しているため、日本側がいくら正当な要求を持ち出しても、ロシア側が「ニエット(否)」と言う限り、日本の要求は1%たりとも実現することはない。結果、ロシアは好きなだけ四島の実効支配を続けることができる。

逆に、二島(色丹、歯舞)でも一島(歯舞)でも、主権だろうが施政権だろうが、交渉を通じて日本に譲歩すれば、その分だけロシアにとってはマイナスとなる。当然、プーチンは国内的に批判にさらされる。領土問題だけの文脈で考える限り、ロシアには一島の施政権のみであっても日本に譲る理由などない。

ロシアが北方領土に関して現状対比何らかのマイナスを受け入れることがあるとすれば、領土問題で譲歩するマイナスをしのぐプラスが日露関係の改善や平和条約の締結によって得られる場合だ。果たしてそんなことがあるのか。

ソ連崩壊直後、エリツィン大統領の時代には、ロシアが日本からの経済援助に涎を垂らした時期があった。だが結局、エリツィンは経済援助と引き換えに領土問題で譲歩するという方針を国内的に認めさせることができなかった。ロシアが曲がりなりにも一定の経済発展をとげた今日、プーチンが日本からの経済援助や日本との共同開発に目がくらむとは考えられない。

また、かつての中露国境と違い、北方領土をめぐって日露間に軍事衝突は一切ない。将来も起きないだろう。その意味では、平和条約を締結して国境を確定するメリットはロシアにとって相対的に小さい。日本からの投資拡大など経済関係の促進も、平和条約がなければできないわけではない。

では、ロシアは日本と戦略的な取引ができると考えているだろうか。かつてソ連が日ソ共同宣言に同意し、二島返還にも柔軟な姿勢を示したのは、冷戦下で日米を離間させる思惑があったためだ。今日で言えば、安倍が「日米安保条約を破棄し、日本から米軍基地をなくす」とでも言えば、プーチンは四島の返還をもっと真剣に考慮するかもしれない。しかし、日本政府が中国の台頭に直面して日米同盟の強化に邁進している今日、そんな提案はありえないだろうし、プーチンも期待していないだろう。

以上を勘案した時、プーチンにとって日本との平和条約は、「結んでもよいが、大きな対価を払うつもりはない」という程度の位置づけなのではないか。9月にウラジオストクで「いかなる前提条件もつけずに平和条約を締結しよう」と述べたのは、プーチンの素直な気持ちを述べたものだったと思えてならない。

 

この問題、来年6月にG20が大阪で行われ、7月頃には参議院選挙が行われるという政局カレンダーを睨みながら、永田町もメディアも囃し続けることになるのだろうか。実にバカバカしい。

人手不足は外国人労働者受け入れ拡大法案を通す「錦の御旗」か?

出入国管理法改正案(外国人労働者受け入れ拡大法案)が審議入りして2日目の11月14日、政府は対象となる14業種別に当初5年間の外国人労働者の受け入れ見込み数と5年後の人手不足の見込み数を国会に示した。

145万5千人の人手不足!

この数字がどういう根拠に基づくものかは、まだはっきりしない。しかし、そこで示された14業種の人手不足の現状と近未来像はなかなか衝撃的だ。

現時点で58万6千人不足しているのが、5年後には145万5千人に膨らむ。それを前提にして、当初5年間の外国人労働者の受け入れ数は累計で26万2700人から34万5150人の間になる見込みだと言う。

145万も人手が足りなくなるんだから、30万人くらい外国人を入れてもよいではないか――。そう言われたら、「まあ、仕方ないか」とついつい思ってしまう数字である。

焼け石に水

一方で、日本の労働人口は、女性や高齢者の労働参加が増えるため、2023年頃までは増加基調が続くと言う。だとすれば、14業種で人手不足が深刻化する要因は業種間のミスマッチにあると考えられる。有効なミスマッチ対策を打つことができなければ、外国人労働者を政府の見込みどおりに受け入れたとしても、5年後に110万人以上もの労働力が不足することになる。

145万が110万人程度に改善する、という程度のことを実現するため、外国人労働者という名の実質移民を増やし、社会的にも財政的にもコストを甘受しなければならないのか? どうにも納得できない。

外国人労働者の受け入れを増やすことが必要である、と言いたいがために政府が出してきたこの数字。私には、政府の「過去の無策」と「将来の無能」を示すものにしか見えない。

関連業界は歓迎――政治が本気で抵抗しない理由

当初5年間に14業種で受け入れる外国人の数(見込み)は、介護=6万人、ビル清掃=3.7万人、建設=4万人、飲食料品製造=3.4万人、外食=5.3万人などとなっている。農業=3.65万人、漁業=9千人と、外国人労働者が必要なのは一次産業も同様。農協や漁協が政府に働きかけた結果、14業種に入ったとみられる。

来年の参議院選挙に向け、自民党にとっては幅広い業界を網羅した選挙対策法案になっているというわけだ。野党の方も、政府案を糾弾する一方、外国人労働者の受け入れ拡大そのものについては玉虫色の態度をとっている。農家を含め、業界団体の声を無視できないのであろう。

小さく生んで、大きく育てる? 

安倍総理は、国会に示した外国人労働者の受け入れ見込み数を上限にして出入国管理法を運用する方針だ、と国会で答弁している。

この見込みを前提にしたとき、外国人技能実習生から新資格への転換などを無視した単純な足し算では、在留外国人の数は2017年末の256.2万人(法務省入国管理局発表)から、2023年末には290.7万人に増えることになる。総人口に占める外国人の比率は2%から2.3%に増える。(総人口の減少分は考慮せず、総務省の人口推計や在留外国人統計から計算したもの。11月13日付のポストで示した数字とは若干異なる。)

これで終わるのなら、そこまで目くじらを立てることはないかもしれない。だが、ここで終わるとはとても思えない。

出入国管理法の改正案には、外国人労働者を受け入れる上限数は一切書いてない。そうである以上、安倍が国会答弁で何を言おうと絶対ではなく、将来答弁を修正することもできる。仮に当初5年間は安倍の言ったとおりに運用したとしても、次の5年間の見込み数を示す際に大きな数字を示せば、いくらでも膨らませることができる。

また、14業種に漏れた業界は、追加指定されることを要望していると言う。14業種自体、法律に書かれているわけではないから、追加は簡単だ。もちろん、業種が追加されれば受け入れ見込みも増え、外国人労働者受け入れの上限数も増加することになる。

将来的な人手不足の見込み数が145万人からさらに増えれば、業種ごとの受け入れ見込みも増えると考えるのが普通だ。それどころか、今のままでは5年後も14業種で100万人以上の人手不足が見込まれるため、それをカバーするために外国人受け入れを現在の想定以上に増やす、という選択肢も十分にありえる。

業種間のミスマッチ対策の際たるものは賃金引上げや労働条件の改善だろう。しかし、人手不足であっても日本の企業経営者(第一次産業を含む)は賃金を上げたくない。安い労働者がほしいから、外国人なのだ。その「貧乏企業の論理」で考えれば、日本社会が不安定化しようがどうなろうが、彼らは「外国人をより多く働かせたい」と政治に要求し続けるだろう。

最悪の場合、「経済成長のためなら、人手が不足する分はすべて外国人で補ったらいい」という意見が産業界でも政治の世界でも強まる可能性があるのではないか。

仮に5年後に見込まれる145.5万人の人手不足分をすべて外国人労働者で賄えば、日本に住む外国人は2017年末の256.2万人から401.7万人へと1.57倍も増える。総人口に占める外国人の比率は、現在の2%から3.2%にまで上がる。外国人労働者を受け入れる業種が14からもっと増えたり、各業種の人手不足分が増加したりすれば、この比率はさらに上昇する。

人手不足をいくら言い募ったところで、量的な歯止めを設けないまま外国人労働者の受け入れを増やすことの免罪符にはならない。

外国人労働者の受け入れ拡大~EUの二の舞は御免こうむりたい

企業が頭を悩ませる労働力不足。それを解消する切り札として安倍政権が進めようとしているのが外国人労働者の受け入れ拡大である。今、「経済成長のためなら仕方ない」と切ったカードが将来、日本社会から安定性を奪うことにならないか、甚だ心配だ。

経済偏重の安易な政策の向こうにあるのが、安倍の言う「美しい国」なのか? 冗談じゃない。

安倍政権の出入国管理法改正

11月2日、単純労働者も含め、外国人労働者の受け入れを拡大するための法案(=出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案)が閣議決定された。

法案は二種類の在留資格を新たに設け、比較的高度人材となる2号の方は無制限で更新可能。家族も帯同可能なうえ、10年滞在すれば永住権取得要件の一部を満たすことになる。1号は単純労働も認められ、有効期間は5年間。ただし、期限が切れたからと言って帰国する保証はない。

法案は今日(13日)、衆議院で審議入りした。早ければ来週中にも衆議院を通過し、どんなに遅くとも年内には成立すると見られている。来年4月に運用が始まれば、農業、介護、建設、造船、宿泊などの14業種で新たな在留資格が付与され、初年度は4万7千人程度の外国人労働者が入ってくる。

「日本は世界第4位の移民大国」ってフェィクじゃないか

今回、外国人労働者受け入れ法案について書くためにググってみたら、「日本は世界第4位の移民大国」というフレーズが目についた。しかし、世界第4位の移民大国、というのはいかにも肌感覚と合わない。で、どういうことなのかと思って元ネタ(OECD統計)を調べてみたら、羊頭狗肉であることがわかった。

OECD統計上の「移民」は国によって定義が異なり、我が国で一般にイメージされる「外国から来て永住している人」とは少し違っている。日本の場合、「国内に居住する外国人」をベースにカウントしているため、在日の特別永住者や外国人労働者、留学生などを含んだ数字である。一方で、米国の場合は「外国生まれの人」が移民としてカウントされている。米国市民権を得ていても、移民一世であれば「移民」扱いとなる。

以上を前提に、OECDは毎年、外国人が加盟国(及びロシア)へ流入した数を調査、公表している。2016年に日本へ入った外国人(旅行者と再入国許可者を除く)の数は42万8千人であった。この数字は、米国(232万人)、ドイツ(172万人)、英国(45万人)に次ぐものだ。そこから、日本は世界(正確にはOECD諸国とロシアの中で)第4位、ということになったものと思われる。

ちなみに、OECD統計は外国人の流出数も調べており、2016年には日本から23万4千人の外国人が退去している。つまり、2016年の日本における在留外国人の増加数(ネット)は19万4千人となる。

「日本は世界第4位の移民大国」が二重に誤解を与える表現であることはもう明らかだろう。第一に、外国人数のネットの増減ではなく、流入数だけを取り出して比較している。第二に――こちらの方がより本質的だが――、年次ベースで外国人流入数を並べてみても「今、ストックベースで外国人が何人いるか」を示すことにはならない。

ところで、同じOECD統計の中には、各国に在留している外国人の数と全人口に占める比率を比較した調査もある。在留外国人の社会的なインパクトを推し量るうえでは、後者の比率にこそ、注目すべきだ。

2017年末、日本国内に居住していた外国人数は238万人。10年前に比べて30万人も増えているが、在留外国人が全人口に占める比率は1.9%にとどまる。一方で、ドイツの在留外国人数は1千万人を超え、全人口の12.2%を占めている。オーストリアの場合、在留外国人数は134万人だが、全人口に占める比率は15.4%にのぼる。スイスでは人口の23.9%(203万人)が外国人だ。欧州では在留外国人比率が二桁の国は珍しくない。逆に、OECD加盟国の中でこの比率が日本よりも低いのは、ハンガリー(1.6%)、スロバキア(1.3%)、トルコ(1.0%)の三か国にすぎない。

今の日本が既に在留外国人を比率としても大量に受け入れているのであれば、「これから外国人労働者をもっと増やしても日本社会がそれほど大きな影響を受けることはない」と考えることも可能だろう。しかし、今日本が受け入れている外国人比率が国際的に少ない方なのであれば、今後それが増えることによって日本社会が欧州同様に不安定化するのではないかという懸念は、より深刻なものとなる。

外国人労働者をどこまで受け入れるのか?

とは言え、江戸時代ではあるまいし、鎖国は時代錯誤だ。国際化した現代を生きていくうえで外国人労働者を一切受け入れないという選択肢が現実的でないことくらい、私にもわかる。

問題は、現状から増やすべきか否か。増やすとすればどの程度まで許容するのか。青天井なのか、上限を設けるのか。上限はどれくらいが適切なのか。

従来は、外国人労働者の受け入れに総量規制は設けず、そのかわり、外国労働者の受け入れは高度人材に限る、というのが基本的な建てつけだった。言ってみれば、質で規制することによって数も制限される、という建前。ただし、技能実習生制度等によって事実上、単純労働の外国人も受け入れが進んでいたことは周知の事実である。

今回、新資格の導入によって単純労働の外国人受け入れが堂々と解禁される。しかも、山下法務大臣は「数値として上限を設けることは考えていない」と言っており、法律上は青天井ということになる。報道によれば、「2025年までに50万人以上の受け入れ増を見込む」という話もあるようだ。今日のニュースは、「最大で来年度1年間でおよそ4万7千人、5年間でおよそ34万人」という新たな想定を政府がまとめた、と伝えた。

しかし、何らかの見込み数字を閣僚が国会で答弁したとしても、それが歯止めになるわけではない。見込みは見込みだ。超えそうになれば、いくらでも増やせばよい。

かつて自民党の外国人材交流推進議員連盟は、今後50年間で1000万人の移民を受け入れるという大胆な計画をぶち上げたことがある。これが実現すれば、日本の全人口に占める移民比率は10%を超える。絶対的なレベルとしてはもちろん、増加のペースとしても、日本社会を不安定化させる可能性が非常に高い。

EUの教訓=社会の不安定化を招かないこと

EUを見よ。2010年代に入って中東方面からの移民――1年以上滞在する外国人の意味である――が急増した結果、社会の不安定化と分断を招き、ポピュリズム政党が台頭する土壌を作った。中国やベトナムなど、アジアから来た外国人であれば、増えても影響はないなどと考える理由はどこにもない。

外国人を一定水準以上受け入れれば、同じ国の出身者同士が集まるコミュニティができるのは不可避だ。古今東西、彼らは受け入れ国の社会に同化しようとするよりも、自己のアイデンティティを主張する傾向が強い。そうなれば、外国人に優しい政策は受け入れ国の人々の反感を買い、受け入れ国の人々に優しい政策は外国人の反感を買うという、欧州や米国で見られるようになった光景が日本でも見られるようになるだろう。

2018年1月1日時点で、国内には統計上把握されているだけで6万6,498人の不法残留者がいる。新たな外国人労働者受け入れ制度の下、これが増加することは必至であろう。受け入れ総数が増えれば、法の網の目をくぐり抜けて残留する者の数も増えるのが道理だ。それに伴って、治安の悪化に対する懸念が高まらないわけがない。

また、現行の社会保険制度のまま、今回の出入国管理法改正案が成立すれば、外国人労働者の家族の医療費も我々が支払うことになる。しかも、日本に来ている家族の分だけならまだしも、母国に住む家族が払った医療費も日本の保険制度に請求できる。海外にいる家族の数を考慮した時、外国人労働者が何百万人単位で増えれば、数倍の人数分を日本の社会保険制度で負担しなければならなくなる。介護や年金についても同様のことが起こりえる。日本国民の間で反発が強まり、外国人コミュニティとの間で社会が分断化することは火を見るよりも明らかだ。

さすがにまずいと思ったのか、政府も外国人の社会保険利用については何らかの制限を考える、と言いだした。しかし、この国会に法案は出て来ず、来年4月にももちろん間に合わない。見切り発車もいいところだ。

外国人労働者の受け入れ拡大に対し、本質的な異議を唱える野党がいない

それにつけても、日本の政治は有権者に選択肢を示してくれない。

安倍政権が成立をめざす法案はひどい内容だ。将来問題を生む可能性が極めて高いことを覆い隠し、「とりあえず始めてみましょう」という態度は無責任極まりない。王道である少子化対策はまじめにやらず、外国人受け入れ増という安易かつ副作用の大きい政策を推進しようというのもふざけた話である。与党もこんな法案の提出を認めてしまった。情けない。自民党はもう、保守だの、右だの、言わないでもらいたい。

だが、見渡せば、野党の方も五十歩百歩か。先日のNHK討論で野党各党は安倍政権が提出した法案の批判に終始した。外国人労働者の受け入れ、あるいは移民政策について自らの立場をはっきり表明した政党は(共産党を含めて)ひとつもなかった。

ガッカリだ。政府批判は徹底的にやっても、経済界や農家などが労働力不足を訴えれば慌てて玉虫色の主張にすり替えるのか? インテリ揃いの野党は、「移民=改革」とでも思っているのか? それとも、トランプやEUのポピュリスト政党と同一視されるのが嫌なのか? そんな八方美人だから、今の野党には迫力がないのだ。

少し前、立憲民主党が「外国人労働者の受け入れ人数に上限を設ける一方、外国人労働者と家族に対する配慮を手厚くする」内容の対案を準備中だと報道されていた。しかし、肝心の受け入れ上限数が聞こえてこない。外国人労働者数の増加が数万人程度にとどまるのか、はたまた数百万人規模なのかによって、日本社会へのインパクトはまったく違ってくる。何百万人も受け入れてその家族の社会保険までわが国で面倒見る、というような「慈善家気取り」であれば、とても付き合っていられない。

せめて、在留外国人数(2017年末で256万人=特別永住者を含む)と不法残留者(同6.6万人)の合計が(例えば)300万人を超えないようにすると法律に明記し、それを超えたら新資格に基づく受け入れは停止する、くらいの修正案は出せないものか。あるいは、定住者と不法残留者の合計を制限したり、総人口に対する比率を指標にしたりするなど、バリエーションはあってもよい。

「在留外国人数+不法残留者≦300万人」を上限にした場合、在留外国人数が日本の全人口に占める比率は約2.3%になる。まあ、いい線ではないか。

高齢者や女性にもっと働いてもらうこと、AIを含めた技術革新に本気で取り組むこと、中長期的には少子化対策に資する大胆な財政投入と制度改革を行うことなどの対策をセットでとれば、労働力不足についても何とかなるだろう。いずれにせよ、外国人を増やして社会が不安定化するリスクを冒すくらいなら、ゼロ成長の方がマシだ。

 

私の議論はポピュリズムっぽいか? いや、転ばぬ先の杖だろう。

「徴用工」から「旧朝鮮半島出身労働者」に呼び方を変えたんだそうな

日本の統治下にあった朝鮮半島から日本に渡り、炭鉱や建設現場などで働いた人たちについて、日本政府は「旧民間人徴用工」や「旧民間徴用者」などとしてきた呼称を「旧朝鮮半島出身労働者」に改めたんだそうな。今朝のNHKニュースが言っていた。

安倍総理は今月1日の衆議院の予算委員会で呼称変更について言及した。前日の韓国大法院判決で日本側が敗訴したことを受けた対応とみられる。9日になって日経新聞がそのことを伝えたが、あまり注目されなかった。「それならやっぱりNHKだ」とばかり、官邸か自民党筋からNHKに対して何らかの「要請」があったのか、単に週末で政治絡みの記事がなかったのを埋めただけだったのか。NHKが今日になってこの新しくもないニュースを伝えた理由はわからない。

で、本題の呼称変更について。う~ん、国内的な受けはいいかもしれないが、はっきり言って愚策ではないか。韓国嫌いの人たちの溜飲は下げられても、日本の立場は良くならないか、悪くなりかねないと思う。

呼称変更は国際的に日本の印象を悪くする可能性あり

NHKは、呼称変更の理由を「すべての人が徴用されたわけではないことを明確にする必要がある」ためと伝えた。もちろん、「すべての人が徴用されなかった」のであれば、当然の話だが、そうではない。

「すべての人が徴用されなかったわけではない」という事実がある限り、韓国側は今回の呼称変更を日本政府のイメージダウンを図る国際的なロビイングに利用する可能性がある。曰く、「日本政府は徴用工という言葉を消し去り、『徴用がまったくなかった』と強弁しようとしている」と。

欧米の人権派は日本政府の言い分をよりも、韓国側の主張により賛同するんじゃないだろうか。何しろ、「旧朝鮮半島出身労働者」だけでは、間違ってはいないが、その中に徴用工がいたという含意がすっぽり抜け落ちてしまう。日本側が本来の徴用工についても反省する気がない、と言われれば、説得力のある反論はしにくい。(徴用工を含めて請求権問題は1965年に決着済み、ということと、歴史問題に反省の意を持つことは別次元の問題。「過去に対する反省の気持ちはあるが、請求権問題は決着済み」という主張でなければ国際的には通らないし、日本人の有り様としても正しくない。)

河野外相発言は、韓国の土俵に乗ることになりかねない

今回の呼称変更の理屈は、「日本政府が国民徴用令を朝鮮半島にも適用して現地の人を徴用したのは1944年。それ以前は、民間企業による『募集』や行政による『官斡旋』だった」ということのようだ。ちょっと不安なのは、国民徴用令以前の「募集」や「官斡旋」に実質的に徴用と判断される要素がなかったのか、ということ。これについては誰か詳しい人が教えてくれるだろう。

関連して気になったのは、9日の記者会見で河野太郎外相が大法院判決を受けて発した「原告は募集に応じた方で徴用された方ではない」という発言だ。これだけ聞けば、日本が大法院判決を受け入れられない理由は「原告が徴用工ではなかったから」と言っているように聞こえる。1944年以降の「徴用工」であれば日本政府も賠償に応じるべきだと考えているとか何とか、これも韓国側のキャンペーンに使われかねない。

 

徴用工から旧朝鮮半島出身労働者への今回の呼称変更。国内世論向けの内弁慶なのか、安倍さんや戦前の日本の植民地支配を否定する人たちへのお追従(ついしょう)か。外務省も悪手に乗ってしまった感じがする。

韓国の大法院判決に対する憤りは共有するが、一時の感情に任せて日本の不利になるような「独りよがり」に走るのはやめてもらいたい。

徴用工判決~日韓関係、あと10年は駄目だろう

もう落ちるところまで落ちないと良くなることはない、と思う。日韓関係のことだ。

限界にきた「韓国疲れ」

10月30日、韓国の最高裁判所にあたる大法院は新日鉄住金に対し、かつて徴用工として働かされた韓国人4名へ約4千万円の賠償を命じる判決を下した。元徴用工は21万人以上いると言うから、最悪の場合、韓国に進出している日本企業は5千億円以上の賠償金を支払わなければならない可能性が出てきた。

1965年の日韓関係正常化に伴い、日韓両国政府は請求権協定を締結した。日本が無償3億、有償2億ドルを韓国に供与する一方、両国及び両国民間の請求権問題は解決済みにするという取り決めだった。今回の判決を受け、日本側から「今さら、何なんだよ」という声があがるのは当然だ。

原告敗訴の高裁判決が差し戻された経緯を考えれば、今回の大法院判決の内容は広く予想されていた。だが、判決後に日本国内で沸き起こった反発は、想像以上に強烈なものだった。背景には、日本側に蓄積した「韓国疲れ」がある。2015年12月の慰安婦合意は韓国側によって破棄同然の扱い。2012年6月には、日韓GSOMIA(秘密軍事情報保護協定)の締結を韓国側が署名当日にドタキャン。同年8月には李明博大統領が竹島に上陸し、天皇陛下に謝罪要求まで行った。これらの出来事が積み重なった結果、日本国民の間には「いくら謝っても韓国は日本を許すつもりがない」「いくら歩み寄って和解しても何度でも蒸し返してくる」というウンザリ感が蔓延している。私も例外ではない。

冷静になって一つだけ指摘しておきたいことがある。今回の徴用工判決は韓国政府(文在寅政権)が日本叩きを意図して行わせたものではない、ということだ。韓国も民主主義国家で司法は独立しており、そんなことはやりたくてもできない。だが、最高裁判決が出た以上、韓国政府がこの判決に拘束されることになるのは間違いない。李明博大統領の時代にも、憲法裁判所が慰安婦問題に対する政府の無策を憲法違反と断ずる判決を出し、李が野田佳彦首相(当時)に慰安婦問題での善処を求めた結果、日韓関係は見る見る悪化した。日本側の「韓国疲れ」は、単に韓国政府に向けられたものと言うよりも、韓国社会全体に向けられたものと考えるべきであろう。

河野外相は「徴用工判決は国際社会への挑戦」と批判

今回の徴用工判決はとんでもない。しかし、感情的になるばかりでは韓国と同じだ。特に、河野太郎外相はキャンキャンうるさい。日本の立場を国際社会に示すために国際広報が重要、と言うのはわかる。でも、ロビイングとかもっと地道な努力を継続することの方が大事だろう。第一、河野の興奮した姿を見せつけられてばかりでは、日本も韓国同様に「感情の虜」なんだと思われかねない。

河野は国内向けパフォーマンスとして言っているのかもしれない。だが、「国際社会への挑戦」というのはいかにも言葉が躍っている。私の受け入れるところではないものの、「国家間協定で戦時求償権問題が解決した後も個人請求権は消滅しない」という考え方は韓国だけのものではない。中国もそうだし、ポーランドに至っては、過去に賠償請求を放棄したにもかかわらず、国家としてドイツに6兆円規模の賠償を求める動きが出ている。米国政府も(いつものことではあるが)求償権問題で日韓いずれかの肩を持つことは避けている。外務大臣の発言であればこそ、言葉はよくよく選ぶべきじゃないのか。

日本の対抗手段~国際司法裁判所、調停委員会、トランプ流の可能性?

もちろん、国際広報の強化だけでは話にならない。残念ながら、韓国(社会)は今、話し合いだけで物事を解決できるような状況にないので、何らかの圧力を加えることも避けられない。日本政府に何ができるのか?

<国際司法裁判所(ICJ)>

徴用工判決についてICJで争うには、韓国政府が付託に同意することが必要になる。韓国がそれに応じる可能性はない。だが、提訴だけでも国際世論の喚起にはつながる。見栄を気にする韓国はそれだけでもかなり嫌がる。

報道では「政府が一方的提訴の方針を決めた」みたいな記事を見たが、李明博の竹島上陸の時も結局見送られた。日本政府がどこまで本気かは不明だ。外務省が「裁判になれば必ず勝てる」と言っているという記事も見たが、話半分に聞いておきたい。捕鯨裁判の時も外務省は「絶対に勝てる」と言っていたが、結果は負けだった。

<仲裁委員会>

日韓請求権協定上、揉め事は(二国間の外交協議を経た後に)仲裁委員会で解決することになっている。ただし、第三国の仲裁委員を選定できるか等、実際の委員会設置にはハードルが残る。

<トランプ流>

最近、日本国内で韓国に対するイライラが高じているのを見ていると、従来考えられなかった禁じ手が将来は検討されるようになるんじゃないか、と思い始めている。何のことか? 徴用工問題の仕返しを貿易や金融取引面で行う、ということだ。

日韓の貿易構造は日本側の黒字であるため、トランプが中国に対して仕掛けている貿易戦争が日韓でそのまま再現できるとは思わない。(現代の貿易戦争は、「売らない」よりも「買わない」の方が有効である。)米国の通商拡大法のような立法措置も必要になるなど、簡単な話ではない。だが、国民も「トランプ流」を見慣れてきた。誰かが言い出せば、案外支持されるかもしれない。

もっと現実的なのは、「静かなトランプ流」であろう。表立っては言わずに、韓国を標的に圧力をかけるやり方だ。日本政府は韓国政府に対し、造船業界への補助金をめぐって二国間協議を要請し、韓国が応じなければWTO提訴に至る運びだと言う。徴用工問題を睨んだ圧力であることは明らかだ。今まで見送っていたこの種の措置を日本政府は繰り返すことになるのではないか。

韓国は変わらない――少なくとも短期的には

日本政府は、韓国政府が原告に何らかの補償を行い、新日鉄住金などが賠償金の支払いや財産の差し押さえを免れることを期待している。日本政府が国際司法裁判所への単独提訴などを示唆するのも、韓国政府に何らかの手を打たせるための圧力だ。しかし、そううまく事が運ぶだろうか? 私の見立ては悲観的だ。

中国では2014年、戦時に「強制連行」された元労働者が三菱マテリアルを訴えて賠償を求めた。16年には和解が成立し、今年中にも一人160万円程度の支払いが行われる見込みだ。西松建設や鹿島建設なども同様の決着を見ている。韓国政府が肩代わりをして日本企業の負担をゼロにするというのは、韓国の国内政治上、実現可能性は低いと考えざるをえない。仮に韓国政府が一部肩代わり等で妥協を図ろうとしたり、原告側に差し押さえをやめさせたりしようとしても、原告の背後にいる活動家たちがそれに応じさせるかどうか、疑問だ。政府の都合や国益など、彼らの眼中にはない

日本政府が、上述したような「トランプ流」の圧力をかければ効果はあるのか? 中長期的にはともかく、韓国が直ちに膝を屈することは期待できまい。一般的に韓国人は「情」に身を任せること甚だしく、利害関係や価値観から大局的な政治判断をすることは不得手である。しかも、経済成長を遂げてG20のメンバーとなった今、韓国にとって日本経済――世界経済全体に占める割合(名目)も今や6%まで低下した――が持つパワーは限定的なものにすぎない。南北の緊張緩和も基本的には日本軽視を助長する要因となっている。

先行きは暗いが・・・

悲観的過ぎるかもしれないが、徴用工問題はまだまだ拗れると思っておくべきだ。それ以外の問題を含め、見通し得る将来にわたって日韓関係の改善は期待できない。

しかし、何年か先(あるいは十年以上先)には、日韓両国政府の間で懸案解決に取り組む機運が生まれる時もあるはずだ。問題は、その時に日韓の次の世代が「一緒に仕事のできる」関係を作りあげられるか否か。今どんなに関係が悪化していても、次の世代が憎しみや反感を乗り越えられるための種を蒔いておくことは我々の責務だ。

一つは若手国会議員の交流。冷戦が終わるくらいまで、日韓の議員間には癒着と呼べるくらいの深いパイプがあった。今は見る影もない。

もっと期待したいのは、学生など草の根の若者交流だ。国家・民族の憎しみや反感は世代を超えて受け継がれ、時に増幅される。そのことを我々は日韓関係から学ばなければならない。悪い連鎖を断ち切るためには、柔軟な若者に期待するしかないではないか。

圧力と対話と種まき――。なす術もなく悪化する日韓関係を前にして、思いつくのはこれくらいしかない。

孫正義の「やったふり」~ムハンマド皇太子との投資ファンドは継続

サウジアラビアのカショギ氏が惨殺されたのは10月2日。その後、俺は「孫正義の言葉が聞きたい」という記事をアップした。そして昨日、孫は公の席ではじめて事件について語った。ソフトバンクの決算発表だったので、さすがに逃げきれなかったようだ。

俺の感想は、予想通りだったとは言え、「失望」の一語に尽きる。自分が良心を備えた「正しい人」だとアピールする一方、「悪い人」との金儲けは今後も続けていく、と表明されても拍手はできない。

孫はカショギ事件について「決してあってはならない、大変悲惨な事件だと認識している」と述べ、「真相解明と、責任ある説明がなされることを願う」と弁護士と打ち合わせたのであろう通りに答えた。事件の首謀者とされるムハンマド皇太子に会い、自らの懸念を直接伝えたそうだが、それも会見でのパフォーマンス向けとことは見え見えだ。で、結論はと言うと、サウジの出資を受けた投資会社は継続するというもの。何でも、サウジ経済の多様性をすすめる責務があるんだそうな。裏を返せば、報道の自由や政治面における多様性に対する責務はないという宣言だわな。

ムハンマドの機嫌を損ねて5兆円を引き上げられたら、孫やソフトバンクには再起不能なくらいの大打撃になるだろう。多少の良心なんか犠牲にしたって、ファンドや会社を守るため、孫は経営者として苦渋の決断をくだしたという見方もできるかもしれない。でも俺に言わせれば、儲けに目がくらんで毒饅頭を食った孫に同情の余地はない。

みじめなり、孫正義。あんたのファーストネームが泣いているよ。

枝野代表の「失敗した当事者ともう1回政権交代を」発言

立憲民主党の枝野幸男代表が昨日の講演で、「あのとき、失敗の当事者意識をもっている人間が現役で最前線でやっている間に、もう1回政権交代をする。そして今度は、少なくとも政権運営という意味では成功させる。その責任が私はあると思っています」と語ったそうな。あのとき、というのが民主党政権時代を指すことは言うまでもない。

敗れた戦から教訓をくみ取り、敗軍の将が有能な将軍になる事例があることは否定しない。政治の世界では、安倍晋三がまさにその例だ。第一次安倍内閣(2006年9月~2007年8月)では、お友達内閣で「消えた年金」問題に振り回され、自身の健康管理も思うに任せずに退場。2012年12月に安倍が総理として返り咲いたときも、多くの人が「どうせすぐにボロを出す」と冷笑していた。ところが、第二次安倍内閣では、菅義偉という強面の官房長官を内閣の中心に据える一方、麻生太郎を除けば重量級の閣僚を置かず、官邸による親政を実現する。自民党をも完全に掌握し、自民一強どころか、安倍一強の状況を生み出した。(もちろん、安倍一強が成立したのには、他にも様々な理由がある。)

枝野が、民主党政権時代の失敗を踏まえ、汚名をそそぎたいという気持ちを持っていることは、わからんでもない。2009年から3年3か月の民主党政権誕生は、選挙を通した政権交代という意味では、戦後はじめての出来事だった。東日本大震災と原発事故の同時発生という未曽有の危機もこの政権を襲った。不馴れな民主党の閣僚たちが右往左往としても無理からぬ部分はある。

しかし、だ。国民は「もう一回、当時の民主党政権の経験者にチャンスを与えてみたい」と思っているだろうか? 冗談も休み休み言ってもらいたい。鳩山時代の普天間騒動と「子供手当」問題、菅時代の尖閣騒動と原発事故対応、野田時代の党分裂。国民はこれでもかと言うくらい、見たくもない醜態を繰り返し見せつけられた。今、枝野にそんなことを言われても、しらける国民の方が圧倒的に多いだろう。

枝野が「もう一度やらせてくれ」と言いたいんなら、「今度は政権を運営できる」というところを示してもらわないと困る。それには、枝野自身が野党共闘をまとめあげるか、立憲民主を大きくして枝野自身の力を示すか、いずれかしかない。野党の運営もできなくて、政権運営できます、なんて言ったところで、誰が信じるものか。今の野党議員の顔ぶれを見渡しても、パッとしない。先日亡くなった仙谷由人クラスの議員がただの一人でもいるのか?

昨日、枝野は「立憲民主党の単独政権をめざす」とも述べたらしい。それを額面通りに受け取れば、野党共闘路線は枝野の念頭にはない、ということか。(昨年の「希望の党」騒動の際、枝野が味合わさせられた屈辱を思えば、それも宜なるかな、ではある。)立憲が単独政権を狙いに行くためには、「左を固める」という現在の戦略をどこかで――おそらく次の衆院選で三桁を取った後くらいに――ギアチェンジし、「左を固めたうえでセンターにウィングを広げる」ことが必要になる。それができた後に「もう一度チャンスを与えてください」と言うんであれば、枝野の言葉に聞く耳を持つ国民も出てくるだろう。

敗軍の将は敗軍の将のまま歴史から姿を消すことの方が多い。枝野はどうなんだろうか?

安田純平さんの解放と自己責任論

1025日、シリアで3年以上、武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平氏が帰国した。本人やご家族には申し訳ないが、多くの日本人が「もう駄目だろう」と諦めていただけに、「よかった」というのが素直な気持ちだ。ところが、ネットやメディアでは「自己責任」論争なるものが早くも起きている、と言うのでびっくりだ。

そりゃあ日本政府が退避勧告まで出している国に敢えて行ったんだから、災難が降りかかっても自己責任であることは間違いない。だが、渡航自粛が出ていない国に観光で行って誘拐されても、「日本政府に責任があるわけではない」という意味では自己責任だ。(念のため言っておくが、拉致被害は自己責任とはまったく別次元の話。)

世に言う自己責任論はそれを言っているんじゃないみたい。ポイントは、政府の――ひいては日本国民の――責任論のようだ。安田さんは退避勧告が出ていることを承知でシリアに入ったのみならず、日本政府が安田さんの海外取材にいい顔をしないことを批判していたという。そんな安田さんを政府は助ける必要がある(あった)のか、ということ。

俺の意見を最初に書いておくと、日本政府が海外で自国民保護に全力を尽くすべきことは当然だし、被害にあった日本国民の思想信条や社会的地位によって助けたり、助けたりしないというのは間違いだと思う。今回、日本政府が安田さんの解放に向けてどの程度本気で動いたのか、俺は知らない。カタールが身代金を払ったという情報もあるようだが、事前・事後は別にしても日本政府との間に何らかの取引があったと考えるのが普通だろう。官邸はともかく、外務省の担当部局なり現地の担当者なりが必至で動いていなかったのだとすれば、ガッカリだね。

ところで、巷の自己責任論争を聞いていて、気づいたことがある。それは、自己責任論が「権利を主張するなら義務を果たせ」という議論に似ているということ。一般論として言えば、この議論そのものは正論と言うか、当たり前だと思う人が多いに違いない。俺もそうだ。義務を果たさずに権利ばかり主張する人を見ると不愉快になる。しかし、義務なり、法律なりを作るのは為政者であるという現実と併せて考えると、単純な話ではなくなる。「義務が先」論が濫用されると、弱者を切り捨てたり、思想信条的に為政者側と異なる意見を持つ人たちに服従を強いるロジックとして使われかねない。

自己責任論も同じだ。「政府が『行くな』と言っているのに逆らったんだから、自業自得。政府が国民の税金を使って助ける必要はない」という議論は、ロジックとしては筋が通っている部分もある。これを全否定すると、ジャーナリストは退避勧告や渡航自粛なんか守らなくていい、という暴論に振れかねない。だが、これを全部肯定するとどうなるか? 「政府に助けてほしかったら、政府が行くなと言ったら絶対に行くな」という程度なら、認める人も少なくないか。では、その先に「助けてほしかったら、日頃から政府の批判とかするんじゃないぞ」という風潮が生まれたら、これはもうヤバい。

俺の考えすぎか? でも、戦前はそうだったんだよな。そして安倍晋三は「戦後レジームの解体」を唱えている。安田さんの自己責任論をふりかざす人たちに、右というか、思想的に安倍政権寄りの人が多いような印象があるのも偶然ではないんだろう。

もちろん、「ジャーナリストなら許される」という議論も不快だ。でも、上述の人たちはこの不快感を利用して、右寄りの政府に従うべきという土壌を作っているのも事実。結局、自己責任に関する議論も100かゼロかみたいな話ではなく、どちらの崖にも落ちない道を行くことしかないんだろう。安田さんは近々、会見を開くと言う。その時、彼は自己責任論についてどんな言葉を吐き出すんだろう? 安田さんが過去の自分の言葉にこだわっても、はたまた「転向」しても、俺たちは崖に落ちないようにしないとな。

プーチンの平和条約発言――    もう、夢からさめよう

まず平和条約を締結しよう。今すぐにとは言わないが、ことしの年末までに。いかなる前提条件も付けずに」「その後、この平和条約をもとに、友人として、すべての係争中の問題について話し合いを続けよう

9月7日、ウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムでの一コマ。ウラジーミル・プーチン大統領はこう語り、同席していた安倍晋三総理を驚かせた。

 

北方領土返還をめぐる建前と現実

プーチン発言が伝わるや、メディアや国会議員は「ロシア側は北方領土問題の解決を棚上げし、平和条約の締結という『良いとこどり』をするつもりだ」と大騒ぎ。しかし、少なからぬ日本国民は、「ロシアに領土を返す気なんかない」と見切っていると思う。それを口にすれば「非国民」呼ばわりする輩がいて面倒くさいため、黙っているにすぎない。

せっかくプーチンが本音を漏らしてくれたんだ。これを機に、「4島がすべて返ってくることはない。2島ですらもきびしい」という不都合な真実を口にすることがタブーだなんて風潮は、もう終わりにした方がいい。

 

戦争もダメ、裁判もダメ

領土問題を解決する方法は、大きく分けて3つしかない。

第1は、武力行使。2014年のロシアによるクリミア併合も、形式的には住民投票を受けた措置だったが、プーチンが武装部隊を派遣した結果と見るのが常識。では、日本が北方領土を武力で奪い取れるのか? 戦前ならいざ知らず、今日の国際情勢と日露の軍事力格差を考えれば、その可能性はない。

第2は、裁判。国際司法裁判所で争うためには、日露双方が裁判に同意しなければならない。今現在、4島を実効支配しており、現状に何の不都合もないロシアが応じる可能性はほとんどない。万一裁判になれば、色丹島と歯舞群島に関しては、日本が勝てる可能性はそれなりにある。国後島と択捉島は・・・、ちょっと厳しい。

 

交渉もダメ~ロシアが首を縦に振らない理由

第3は、交渉。ソ連崩壊の直後、日本政府は経済支援と引き換えに北方領土を取り戻せると踏み、エリツィン大統領に攻勢をかけた。しかし、当初は前向きな感触を示したと言われるエリツィンも民族派の反発を抑えることができず、交渉は最終的に頓挫した。今も、将来も、交渉で4島が返ってくることは期待できない。

 

領土交渉がまとまるためには、当事国同士が様々な利害得失計算を行い、何らかの妥協に達することが必要だ。利害得失計算を行う際には、①領土問題を解決しないことのコスト、②領土問題の解決に伴って甘受すべきコスト、③領土問題の解決によって得られるメリット、が問題になる。①と③の合計よりも②の方が大きいと感じられてはじめて、ディールの芽が出てくる。

強面のロシアにも、領土問題を交渉によって解決した事例はある。例えば、1990年代から2000年代にかけて、中国との領土(国境)問題をすべて解決している。中露にとって国境問題は安全保障や国家運営に直結していた。1969年のダマンスキー島(珍宝島)事件では中国側に91人、ソ連側には2百人の死傷者を出し、長い国境線沿いに多数の軍隊を貼りつけておく財政的負担も膨張する。冷戦末期以降のロシア(ソ連)はこうした負担に耐えられなくなり、中国の要求に相当な譲歩を重ねてまで交渉を妥結させた。中露の場合、冷戦末期から上記の①と③が非常に大きくなり、②を凌駕するに至ったと考えてよい。

では、北方領土返還交渉においてロシア側の利害得失計算はどうなっているのか? 以下に検討してみる。

<全面的に実効支配>

日露の場合、ロシアのみが70年以上にわたって4島の全域を実効支配しており、日本が実効支配する土地は1ミリもない。しかも、自衛隊が北方領土に軍事侵攻してくるという心配はまったくない。万一攻めてきても、簡単に撃退できる。ロシアにとって、居座るコスト(①)は基本的にゼロだ。

<手放せない戦略的価値>

ロシアは現在、択捉島と国後島に機関銃・歩兵師団3千5百人を駐留させ、地対艦ミサイルも配備している。その目的は何か? ロシアの対米核戦略上、ウラジオストクに配備された艦艇(特にSLBMを搭載した戦略原子力潜水艦)の行動の自由を確保するため、オホーツク海を要塞化することが至上命題。そして、オホーツク海の要塞化には択捉・国後が必要不可欠だ。

日ソ共同宣言(1956年)に向けて日ソが交渉を行っていた時、ダレス米国務長官は「日本政府が2島返還で手を打ち、残余の千島列島のソ連領有を認めるようなことがあれば、米国は将来にわたって琉球(沖縄)に居座る」と重光葵外相を脅した。その前にダレスは、米軍統合参謀本部議長から「択捉島と国後島はソ連にとって戦略的に重要」という書簡を受け取っている。ソ連が軍事的に重要な択捉・国後を手放すことはないとわかっていたからこそ、ダレスは日本政府に4島返還を要求させ、日ソ関係の改善に歯止めをかけたのだ。

米露の戦略的緊張は冷戦が終わっても完全に消えることはなかったし、今日また高まっている。択捉・国後を日本に渡せば、軍事戦略上の不利益(②)は致命的なものだ。色丹・歯舞についても、「隣接する区域を相手に渡せば、本丸も危うくなる」と危惧する軍人思考が働かないとは限らない。

少し脱線する。今年6月に行われた党首討論で、国民民主党の玉木代表が安倍総理に対し、「島が返ってきた時、『安保条約6条に基づく施設、基地は置かない』とトランプ大統領から確約を取れば、日ロの交渉は一気に進むと思うが、いかがか」と提案した。しかし、ロシアにとっては、返還後の両島に米軍基地が置かれるかどうか以前に、択捉や国後からロシア軍を撤退させることによって「オホーツクの要塞」に穴があくこと自体が大問題なのだ。素人が付け焼刃で専門家を気取っても、滑稽にしか見えないんだよな・・・。

<相当数のロシア人が居住>

北方領土には約1万7千人(国後島8千人、択捉島6千人、色丹島3千人)のロシア人が居住している。日本人居住者は半世紀以上も前に追放され、いない。領土問題は、無人島をめぐるものでさえ、ナショナリズムを掻き立てる。自国民が住んでいれば、さらに増幅されることは言うまでもない。

しかも、生身の人間がこれだけ住んでいれば、ロシア政府が「島は日本に譲り渡すことになった」と言って住民を強制移住させることなど、政治的に不可能だ。日本で言えば、大島と八丈島の全住民に強制退去を命じるような話。いくら補償金を積んだところで、応じてもらえるわけがない。無理に実行しようとすれば、島民のみならず、全国民から総スカンを食らって指導者は退陣を余儀なくされるだろう。国内政治上のコストという意味でも、②は膨らむ。

<見返りは経済援助>

昔も今も、日本政府の思い描くディールの基本構図は「日本が経済援助という飴をロシア側に提供し、ロシアはその見返りとして島を譲り渡す」というもの。ロシアが北方領土を返還することによって得られるメリット(③)は、「お金」だ。

①と③の合計が②を超えそうもないことは誰の目にも明らかだろう。しかも、ロシアがどうしようもない苦境にあった――すなわち、経済協力が最も魅力的だった――時代においてさえ、「領土を買う」ことはできなかった。エリツィンの時代よりも国力が回復した現在、ロシアとの北方領土交渉が日本側の満足する線で解決することは、なおさらありえない。それは、安倍がプーチンと何十回会ったとしても同じことだ。

 

「プーチンの指導力に期待」って何を?

安倍総理や外務省は「日露両首脳が築き上げてきた個人的関係を以ってすれば、領土問題の困難も必ずや解決できる」みたいなことを言っているようだ。

しかし、トランプがアメリカ・ファーストである以上に、プーチンはロシア第一主義者だ。安倍とプーチンの間に友情が芽生えたのかどうか、俺は知らない。仮に芽生えたとしても、プーチンは、友情をロシアのために利用することはあっても、友情の前にロシアを売り渡すようなことは絶対にしない人間だ。

二百歩譲って、プーチンに(一部の)島を譲り渡してもよいという気持ちがあったとしても、彼は内政上身動きがとれない。今やロシアの指導者は選挙で選ばれている。統治の正当性は、突き詰めれば国民の支持にしかない。「皇帝」と呼ばれるプーチンにも、領土の譲り渡し――それは島民の強制移住を伴う――という国民に不人気な政策の実行はハードルが高い。ましてや、今のプーチンに領土譲り渡しを決断するよう望むことはまったく問題外だ。ロシア政府は今年、年金の受給年齢を引き上げると発表した。途端に8割を超えていたプーチン大統領の支持率は3割台に急落、デモも多発した。慌てたプーチンは妥協案の発表に追い込まれたが、支持率は戻っていない。

 

いくつの島を取り戻そうと言うのか?

以上を踏まえたとき、日本は北方領土問題にどう取り組むべきか?

俺は、2島(色丹島と歯舞群島)返還が実現できれば、もうそれで日露間の領土問題には終止符を打つべきだと思う。国後島と択捉島は、継続協議に回したりせず、すっぱり諦める。三島とか面積折半(歯舞・色丹・国後+択捉の一部)という、未練たらしい選択肢も持ち出すべきではない。

2島返還の場合、陸地面積では4島合計の7%に過ぎない。しかし、岩下明裕先生によれば、排他的経済水域(EEZ)に着目すれば、4島の場合の20~50%が手に入ると言う。このまま1島も返ってこないことを思えば、2割でも「御の字」だ。

安倍総理も本音では「2島返還が実現すれば、平和条約を結んでもいい」と考えているという説がある。プーチンが「平和条約の発効と相前後して2島の主権と施政権を譲り渡す」と約束するのであれば、安倍は国会なんか放り出してモスクワに飛び、条約に署名すべき。ただし、批准は2島が返還される目途が立つまで待った方がよい。

断っておくが、「2島返還なら問題なく実現する」という見通しがあるわけではない。かつてプーチンは「引き分け」を狙うべきだと話したが、ウラジオストクでは「(北方領土問題は)われわれの国民にとって非常に敏感な問題であり、解決に当たっては慎重に対応する必要がある」と防御線を張った。「2島返還でもきびしい」というのが俺の正直な予想だ。

では、2島返還での決着を打診しても色よい返事が返ってこない時はどうするか?

歯舞群島だけでも返ってくるのなら、とりあえず受け取っておく。この場合、平和条約の締結までは応じざるをえないが、他の3島の返還問題は継続協議にする。(実際に他の3島が返還される可能性はほとんどないが、それは仕方ない。)

歯舞群島には居住者が基本的にはいないので、返還される可能性は他の3島よりも高いはずだ。少なくとも6つの小島から成る歯舞群島は、合計面積でわずか100㎢しかない。屈辱的な譲歩だと思う人もいるだろう。しかし、歯舞群島の戦前の漁獲高(主に昆布)は4島中最大規模を誇り、北海道全体の14.4%だったと言う。

歯舞すら駄目、という完全なゼロ回答であれば、早期の平和条約の締結には応じない。4島の返還要求も取り下げない。

 

平和条約締結は道具として使え

プーチンが提案した平和条約の締結は「前提条件なし」。これはふざけた話だ。乗り必要なんかない。

4島は戻ってこないにしても、1島~2島なら叶うのか? 平和条約締結というカードはその見極めのために使う、というのが俺の考え。ロシアが1島も返す気がない、ということがわかった場合には、条約は締結すべきではない。

ロシアにとっては、日本と平和条約を締結できれば、米国や中国を牽制するうえで一定の意味がある。しかし、日本にとっては、平和条約を締結しても格段のメリットはない。ソ連との戦争は法的にも1956年の日ソ共同宣言で既に終結している。経済面でも、日本企業にとって問題となるのはカントリー・リスクと収益性の方だ。かくして、平和条約の締結は日本がロシアに対して持つ、数少ない外交カードの一つとなりえる。

将来、世界や西太平洋地域の地政学的状況が大変化するなど、このカードを切るべき真のタイミングがやって来るかもしれない。その時は、領土返還要求を放棄しても構わないくらいの覚悟で、断固としてこのカードを切るべきだ。今は焦らず、時が来るのを待つのがよい。