立憲民主党の枝野幸男代表が昨日の講演で、「あのとき、失敗の当事者意識をもっている人間が現役で最前線でやっている間に、もう1回政権交代をする。そして今度は、少なくとも政権運営という意味では成功させる。その責任が私はあると思っています」と語ったそうな。あのとき、というのが民主党政権時代を指すことは言うまでもない。
敗れた戦から教訓をくみ取り、敗軍の将が有能な将軍になる事例があることは否定しない。政治の世界では、安倍晋三がまさにその例だ。第一次安倍内閣(2006年9月~2007年8月)では、お友達内閣で「消えた年金」問題に振り回され、自身の健康管理も思うに任せずに退場。2012年12月に安倍が総理として返り咲いたときも、多くの人が「どうせすぐにボロを出す」と冷笑していた。ところが、第二次安倍内閣では、菅義偉という強面の官房長官を内閣の中心に据える一方、麻生太郎を除けば重量級の閣僚を置かず、官邸による親政を実現する。自民党をも完全に掌握し、自民一強どころか、安倍一強の状況を生み出した。(もちろん、安倍一強が成立したのには、他にも様々な理由がある。)
枝野が、民主党政権時代の失敗を踏まえ、汚名をそそぎたいという気持ちを持っていることは、わからんでもない。2009年から3年3か月の民主党政権誕生は、選挙を通した政権交代という意味では、戦後はじめての出来事だった。東日本大震災と原発事故の同時発生という未曽有の危機もこの政権を襲った。不馴れな民主党の閣僚たちが右往左往としても無理からぬ部分はある。
しかし、だ。国民は「もう一回、当時の民主党政権の経験者にチャンスを与えてみたい」と思っているだろうか? 冗談も休み休み言ってもらいたい。鳩山時代の普天間騒動と「子供手当」問題、菅時代の尖閣騒動と原発事故対応、野田時代の党分裂。国民はこれでもかと言うくらい、見たくもない醜態を繰り返し見せつけられた。今、枝野にそんなことを言われても、しらける国民の方が圧倒的に多いだろう。
枝野が「もう一度やらせてくれ」と言いたいんなら、「今度は政権を運営できる」というところを示してもらわないと困る。それには、枝野自身が野党共闘をまとめあげるか、立憲民主を大きくして枝野自身の力を示すか、いずれかしかない。野党の運営もできなくて、政権運営できます、なんて言ったところで、誰が信じるものか。今の野党議員の顔ぶれを見渡しても、パッとしない。先日亡くなった仙谷由人クラスの議員がただの一人でもいるのか?
昨日、枝野は「立憲民主党の単独政権をめざす」とも述べたらしい。それを額面通りに受け取れば、野党共闘路線は枝野の念頭にはない、ということか。(昨年の「希望の党」騒動の際、枝野が味合わさせられた屈辱を思えば、それも宜なるかな、ではある。)立憲が単独政権を狙いに行くためには、「左を固める」という現在の戦略をどこかで――おそらく次の衆院選で三桁を取った後くらいに――ギアチェンジし、「左を固めたうえでセンターにウィングを広げる」ことが必要になる。それができた後に「もう一度チャンスを与えてください」と言うんであれば、枝野の言葉に聞く耳を持つ国民も出てくるだろう。
敗軍の将は敗軍の将のまま歴史から姿を消すことの方が多い。枝野はどうなんだろうか?