「二島返還」狂想曲を嗤う~日露首脳会談を受けて

11月14日、シンガポールで安倍総理とプーチン大統領が会談し、安倍は「1956年共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる。本日そのことで、プーチン大統領と合意いたしました」と述べた。国内(というか永田町)では「すわ、二島先行返還か」と興奮が走る。ところが翌日、今度は「日ソ共同宣言には平和条約の締結のあとに2つの島を引き渡すと書かれているが、引き渡す根拠やどちらの主権のもとに島が残るのかは書かれていない。これは本格的な検討を必要とする」というプーチン発言が伝えられ、少し冷や水を浴びせられた形となった。

北方領土と平和条約に関する私の考え方は、10月23日付のポスト「プーチンの平和条約発言――もう、夢からさめよう」に書いたとおり。今回の首脳会談の後も変わっていない。だが、ここ数日の報道ぶりを見ていると、日本人はまだ夢からさめていない、とつくづく思った。水をかけるようで申し訳ないが、日露首脳会談後の喧騒について少しばかり感想を書いておきたい。

2島返還は既定の事実でもなんでもない

今回のマスコミや永田町の興奮ぶりを見て、多くの日本人が(頭ではわかっていても)無意識に勘違いしているなあ、と改めて思ったことがある。

それは、「2島返還なら確実」という思い違い。日本は過去60年以上、四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)返還を求めてきた。日本側が譲歩してハードルを色丹、歯舞の2島返還に下げてやれば、ロシア側は必ず呑む。なぜなら、向こうは日ソ共同宣言(1956年)で色丹島と歯舞群島の返還を約束しているのだから――。という思考のラインである。気持ちはよくわかるが、事実を反映した考え方とは言えない。

まず、日ソ共同宣言の記述をチェックしてみなければならない。北方領土に関する下りを抜粋すると次のとおりだ。

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

この条文、一見すると歯舞と色丹の返還にロシア側(当時はソ連)が同意したように見える。しかし、落とし穴がある。歯舞と色丹は「引き渡す」と書いてあり、「返還する」とは書いてないのだ。1956年当時、ロシア側は「返還」という言葉に強く反対し、こうなったと言われている。

「返還」であれば、暗黙の前提として「二島の主権は日本のものであり、それを日本に返す」と読むことができる。しかし、「引き渡す」であれば、ロシア側は「二島の主権はロシアのものであり、それを日本側に使わせてあげる。でも、主権は別だよ」と主張することができる。

昨日の記者会見で菅官房長官は「返還されることになれば当然、日本の主権も確認される」と述べたそうだ。菅がどういうつもりで言ったのかはわからないが、官房長官発言はとても正確な表現である。二島が返還されるのであれば、日本の主権も認められる、というのは上述のとおり。しかし、二島が「引き渡される」のであれば、二島の主権は今後の交渉事となる。日本の主権が認められる保証はない。もちろん、日露首脳が日ソ共同宣言を基礎とすることに合意したということは、二島は引き渡される前提で交渉される、という意味である。いずれにしても、菅の言い方であれば何も間違っていない。

冒頭に紹介したプーチン発言。こうした背景を理解して聞くと、別にヤクザが因縁をつけているわけではないことがわかる。二島先行返還はもちろん、二島のみ返還であっても、いかに波の高い話かは言うまでもない。

今回、安倍がプーチンに対して1956年の日ソ共同宣言を基礎として交渉することを認めさせたのを、あたかも安倍が一本取ったかのように――つまり、二島返還に向けてポイントを稼いだかのごとく――報じたメディアもあったようだ。それはまったく違う。

ロシアはそんなに平和条約を結びたがっているのか?

今朝のテレビ番組で鈴木宗男元衆議院議員が、いかにもロシアが平和条約を締結したがっているかのように話し、だから二島プラスアルファでの解決が可能だと力説していた。この人、民主党国会議員だった娘を自民党に入党させて比例優遇までしてもらった恩義や自分自身の次の選挙のことを考えた打算から、安倍のヨイショがすごい。北方領土問題に長年取り組んできたことは事実だが、この人の発言は鵜呑みにできない。

北方領土問題の解決を現実的に考えようと思えば、ロシアが四島すべてを実効支配しているという事実を出発点にする必要がある。それを無理やりひっくり返そうとすれば、軍事的手段に訴えるしかない。だが、日本人にそんな根性はないし、戦争を仕掛けても負ける。かくして、北方領土問題の解決は交渉によるしかない、という答になる。

その際、認識すべきもう一つの不愉快な真実がある。交渉上の日露の立場は五分五分ではない、ということだ。もっと正直に言えば、五分五分でないどころか、どんなに贔屓目に見ても八分二分といったところか。ロシアのみが四島を実効支配しているため、日本側がいくら正当な要求を持ち出しても、ロシア側が「ニエット(否)」と言う限り、日本の要求は1%たりとも実現することはない。結果、ロシアは好きなだけ四島の実効支配を続けることができる。

逆に、二島(色丹、歯舞)でも一島(歯舞)でも、主権だろうが施政権だろうが、交渉を通じて日本に譲歩すれば、その分だけロシアにとってはマイナスとなる。当然、プーチンは国内的に批判にさらされる。領土問題だけの文脈で考える限り、ロシアには一島の施政権のみであっても日本に譲る理由などない。

ロシアが北方領土に関して現状対比何らかのマイナスを受け入れることがあるとすれば、領土問題で譲歩するマイナスをしのぐプラスが日露関係の改善や平和条約の締結によって得られる場合だ。果たしてそんなことがあるのか。

ソ連崩壊直後、エリツィン大統領の時代には、ロシアが日本からの経済援助に涎を垂らした時期があった。だが結局、エリツィンは経済援助と引き換えに領土問題で譲歩するという方針を国内的に認めさせることができなかった。ロシアが曲がりなりにも一定の経済発展をとげた今日、プーチンが日本からの経済援助や日本との共同開発に目がくらむとは考えられない。

また、かつての中露国境と違い、北方領土をめぐって日露間に軍事衝突は一切ない。将来も起きないだろう。その意味では、平和条約を締結して国境を確定するメリットはロシアにとって相対的に小さい。日本からの投資拡大など経済関係の促進も、平和条約がなければできないわけではない。

では、ロシアは日本と戦略的な取引ができると考えているだろうか。かつてソ連が日ソ共同宣言に同意し、二島返還にも柔軟な姿勢を示したのは、冷戦下で日米を離間させる思惑があったためだ。今日で言えば、安倍が「日米安保条約を破棄し、日本から米軍基地をなくす」とでも言えば、プーチンは四島の返還をもっと真剣に考慮するかもしれない。しかし、日本政府が中国の台頭に直面して日米同盟の強化に邁進している今日、そんな提案はありえないだろうし、プーチンも期待していないだろう。

以上を勘案した時、プーチンにとって日本との平和条約は、「結んでもよいが、大きな対価を払うつもりはない」という程度の位置づけなのではないか。9月にウラジオストクで「いかなる前提条件もつけずに平和条約を締結しよう」と述べたのは、プーチンの素直な気持ちを述べたものだったと思えてならない。

 

この問題、来年6月にG20が大阪で行われ、7月頃には参議院選挙が行われるという政局カレンダーを睨みながら、永田町もメディアも囃し続けることになるのだろうか。実にバカバカしい。