トランプ大統領が5月下旬に来日することがいよいよ本決まりとなったようだ。6月のG20にも出席すれば、「短期間で二度の訪日となって前例がない(=すごいことだ)」という論調でメディアが伝えている。外務省や官邸のブリーフを鵜呑みにしてのことだろう。
アメリカって日本の宗主国だったのか? アメリカ大統領が来る、来ないで大騒ぎするメンタリティーからは、いい加減もう卒業できないものか、といつもながら思ってしまう。
トランプの来日は私にとって、別にどうでもいいことである。しかし、トランプをわざわざ5月に呼ぶのが、「5月1日に即位される新天皇に『国賓として最初に』会っていただくため」と聞けば、これは黙っていられない。
今上天皇が即位された際、外国要人の引見はどのように行われたのか? 宮内庁のホームページで調べてみた。
今上天皇の即位は1989年(平成元年)1月7日。大喪の礼は2月24日に執り行われた。2月21日にフィンランド大統領夫妻と会見されたのを皮切りに、天皇は27日までの間に大勢の外国元首を引見された。ブッシュ(父)大統領とは25日に会われている。
大喪の礼と切り離したものとしては、4月4日にイタリア首相を、4月13日には中国の李鵬首相を、いずれも公賓(国費で接遇する行政府の長など)として引見された。国賓(国費で接遇する国家元首)として最初に引見されたのは、10月のジンバブエ大統領であった。
公賓としての最初の引見が中国の首相になることは避ける、という配慮はあったかもしれない。だが、平成の代替わりに当たり、天皇が最初に引見する国賓・公賓の選択は、大喪の礼という特殊事情があったとは言え、比較的自然体でなされたように見える。
今回、新天皇が国賓として最初に引見される外国要人をトランプ大統領にしたいと政府が考えているのは、安倍のトランプに対するゴマスリだろう。ネット上では、それで日米貿易交渉などが有利に運ぶのではないか等の思惑が紹介されている。トランプが虚栄心をくすぐられて喜ぶのは間違いない。だが、ディールはディールで実利を重視するのがトランプという男だ。
何よりも、この程度のことに新天皇を利用すれば、天皇の権威や天皇制の意義を政府自らが貶めることになる。頓珍漢にも天皇の謝罪を求めている韓国国会議長などは「日本政府は米国に対しては天皇を外交カードにしているんだから、韓国に対してもそうすべきだ」と言い出しかねない。
もっと率直に言おう。新天皇が最初に引見する外国要人(国賓・公賓)としてトランプを選ぶことに反対する最大の理由は、相手がトランプだからである。米国大統領だから、ということでは必ずしもない。米国はわが国の唯一の同盟国。本来なら、天皇陛下が最初に謁見する外国首脳(国賓)が米国大統領になる、ということに目くじらを立てる必要は特にない。だが、トランプとなると話は違ってくる。
トランプのことだ、自分が新天皇に会った最初の外国要人であることを(ツイッターか、記者会見かはともかく)軽々しく自慢するに違いない。反・地球温暖化(パリ協定離脱)、反・自由貿易(TPP協定離脱、鉄鋼アルミ追加関税)、反・核軍縮(INF条約破棄通告、イラン核合意離脱)など、トランプの考えに対する新天皇の受け止めを私なりに慮った時、トランプが新天皇を使って自らをアピールするのを見ることは何とも忍びない。
少なくとも現時点では、浩宮が自分の気持ちを表に出したりすることはないだろう。しかし、それをいいことに政府が新天皇をここまで露骨に外交カードとしてよいのか? 安倍総理か、安倍総理とトランプ大統領に忖度する官僚かは知らないが、代替わりを迎えられた新天皇の門出に泥を塗るような真似は厳に慎んでもらいたい。
では、新天皇が即位後最初に引見する外国要人(国賓・公賓)は誰がふさわしいのか? 一つの考え方としては、隣国の首脳という選択肢がある。しかし、同盟国である米国に間違ったメッセージを発することになりかねないというだけでなく、トランプが駄目だというのとよく似た思想上の理由から、習近平もNGだ。文在寅に至っては、新天皇が引見することはもちろん、国賓として迎えることにさえ、誰も賛成しない。
結局、注目されるが故に、新天皇が即位後最初に引見する外国要人(国賓・公賓)はあまり目立たない国の首脳とするのがよさそうだ。今回の代替わりとは事情が異なっていたとは言え、平成の代替わりの際に発揮された知恵に学ぶべきことは決して少なくない。