12月14日、政府は辺野古埋め立ての土砂投入を開始した。10月8日のポストで、辺野古の埋め立て阻止は茨の道だと書いたが、事態はまさにその通りに進行している。
ダンプカーが土砂を運び、ブルドーザーがそれを辺野古の海に向けて落とすニュース映像を見てから1週間。この間に思ったことがあるので、今回は政治の視点、次回は軍事戦略の視点で書き留めておきたい。
沖縄の民意を無視しても許される政治
何とあっけないことか――。辺野古土砂投入の報に接して最初に持った感想である。かつては、沖縄の民意が辺野古の埋め立てに反対しているのに土砂投入を強行するなど、政治の常識として考えられないことだった。それがどうだ? 今や、政府が沖縄の民意を無視することは当たり前のように行われる時代となってしまった。
普天間飛行場の代替基地は辺野古を埋め立てて建設する、という現行案は2006年5月の「日米ロードマップ」で決まった。その後、沖縄県が容認しない限り、政府は埋め立て工事を強行することはできない、と長らく考えられていた。
一つは技術的な理由。埋め立てには県知事の承認が必要。仲井眞弘多知事(当時)の本音は埋め立て賛成だったが、県内世論を慮って承認に踏み切れない状態が続いた。
もう一つは政治的な理由。小選挙区制の導入や参議院での与野党逆転により、政権交代の可能性が常に現実のものと考えられていた時代。沖縄の民意を無視して埋め立てを強行すれば、時の政権は沖縄のみならず全国的な世論の批判を受け、立っていられなくなるとほとんどすべての政治家が信じていた。
前者については、2013年12月に仲井眞がついに埋め立てを承認し、一時的にクリアされた。だが、その1年後に翁長雄志(故人)が仲井眞を大差で破って知事になると沖縄県(知事)は辺野古の埋め立て反対に立ち戻った。その姿勢は現在の玉城デニー知事にも受け継がれている。
沖縄の民意を考えれば、仲井眞の退場によって辺野古の基地建設は再び停滞してもおかしくなかった。だが、安倍政権は違った。沖縄防衛局が埋め立て着工に向けて調査や準備を進めたのに対し、翁長は何度も執行停止をかけたが、政府は行政不服審査請求を行って沖縄県による執行停止を次々と無効にした。去る9月、沖縄県がついに埋め立て承認を撤回した際も同様の措置がとられた。先週の土砂流入はこの時点でもう既定路線になっていた。
沖縄の民意を無視できる理由
なぜ、安倍政権はここまで沖縄の民意――すべての沖縄県民が辺野古基地建設に反対しているわけではないが――を無視できるのか? 菅官房長官や安倍総理に言わせれば、普天間飛行場の危険性除去のためには、不退転の覚悟で辺野古基地建設に邁進するしかない、ということになるのだろう。だが、その説明は綺麗ごとにすぎる。
安倍政権の愚民思考
安倍政権の根っこには、「既成事実を作れば、沖縄は諦め、最後は従う」という考えがある。安保法制の時も、「法案を成立させてしまえば、今は反対している国民もやがては受け入れる」と考えていた。長いものに巻かれやすい日本人の国民性を見越した、一種の愚民思考とも言える。
安倍たちの思惑どおり進んでいる部分のあることは、残念ながら否定できない。フランスではマクロン政権による燃料税引き上げへの反発から1か月以上もデモが続き、一部は暴徒化してマクロン大統領も譲歩を余儀なくされた。日本では安保闘争以来、そんな激しい抗議活動は起きていない。
本土の無関心
12月14日の土砂投入は、沖縄県民が何度も示してきた民意を決定的に裏切る行為だ。しかし、本土のメディアは比較的冷静にそのニュースを伝えていたように思う。あれからまだ1週間も経っていないが、新聞やテレビが土砂投入の現状を詳しく報道することは(私が知らないだけかもしれないが)早くもなくなっている。
野党も概して「ぬるい」対応だった。立憲民主党と国民民主党は、記者会見で憤りを表明したが、「来年2月の住民投票の結果を待て」というニュアンスの弱い反対姿勢。共産党は緊急街宣、社民党は党声明で反対を訴えたが、維新の党や希望の党のホームページには何も載っていない。
沖縄の沈黙
辺野古土砂投入に対する沖縄県内の反応でさえ、私個人の印象では比較的穏やかなものに見える。それは沖縄県民の絶望の裏返しかもしれないのだが、本土の人たちが沖縄の基地問題をニンビー(Not In My Backyard)とみなす傾向に拍車をかけていることも事実だ。
安倍一強
国会の政治状況も安倍に味方している。与野党が国会で伯仲状況にあったり、次の選挙で衆議院の過半数割れを危惧せざるをえない状況だったりすれば、政府が行政不服審査請求を行って沖縄県の権限を無効にするという無理筋のやり方を繰り返すことなど論外だったはず。しかし、自民党が国会で圧倒的な多数を占め続け、野党は魅力に乏しいうえにバラバラ、自民党内にも安倍の有望なライバルが見当たらないという状況が続いているため、安倍は沖縄問題で世論の反発に鈍感でいられる。現在、沖縄における自民党の国会議員は3名――衆議院選挙区1名、比例復活2名。参議院議員はいない――のみ。仮にゼロになっても、安倍一強はびくともしない。
全国レベルの世論調査では、辺野古土砂投入について反対が5割弱から6割、賛成が3割前後といったところ。だが、この5割弱から6割の反対意見の持ち主は、フランスのようにデモを行うわけでもなければ、次の選挙で非自公候補に投票するわけでもない。その意味で世論調査が示す数字は、安倍にとって痛くも痒くもないだろう。
政治的タブーのない政治へ向かう
かくして、安倍は沖縄県の意向にお構いなく、埋め立てを強行できる状況が続いている。それが止まる兆候はまったく見られない。
トランプが登場して非常識と思われる公約を打ち上げた時、「そんなこと、できるわけがない」と多くの人が思った。今や、トランプの「変な政策」が実行されても、我々はいちいち驚かなくなっている。だが日本でも、トランプ大統領が登場するよりも前から徐々に同じことが起こりつつあったのだ。12月14日の土砂投入を目の当たりにした国民の多くも、「ついに来たか」という醒めた感覚だったと思う。
政治的に正しいかどうかの常識が日本でも崩れてきた――。辺野古に土砂を流し込んだダンプカーとブルドーザーはそのことを象徴していた。そして、納得のいかない政策は沖縄県民だけに降りかかるわけではない。
安保法制が制定される過程で、憲法改正ではなく、解釈変更で集団的自衛権の行使を容認するという滅茶苦茶がまかり通ったことはまだ記憶に新しい。イージス・アショアの導入をめぐっては、秋田県や山口県の人たちは、今の沖縄県とよく似た立場に追い込まれるだろう。
この政治潮流を我々は押しとどめることができるか? おそらく呑みこまれてしまう可能性の方が高いのだろう。