平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ① ~対立が前面に出始めた米中関係

今月いっぱいで平成が終わり、令和が始まる。

昭和天皇が崩御し、平成が始まったのは1989年1月7日。この年の5月、ハンガリーがオーストリア国境を開放し、11月9日にはベルリンの壁が事実上崩壊した。続く12月2日~3日、ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長がマルタで会談し、冷戦の終結を宣言した。米ソ冷戦の終結と共に始まった平成は「ポスト冷戦」の時代でもあった。

平成も終わりに近づいた昨今、新たに「米中冷戦」という言葉を耳にすることが増えている。この分では、令和は米中冷戦の本格化と共に始まってもおかしくないほどの勢いだ。しかし、米中「冷戦」という言葉自体、我々はその意味を十分に吟味することもなく、雰囲気で使っているにすぎない。

令和は平成の前に米ソが世界を二分して核戦争の恐怖に怯えたような時代に戻るのか? それは違う、と断言できる。では、米中冷戦と言われる状況は米ソ冷戦に比べて「厄介ではない」と片付けられるのか? こちらの問いに単純な答を見出すことはできない。

令和の新時代を正しく舵取りするためには、米中関係の本質を理解することが不可欠となる。本ブログでは今後、「米中冷戦とは何か?」というテーマを継続的に追いかけていきたい。

米中関係の悪化

2010年代に入って以降、特に近年、米中関係が変わってきたことについては、多くの人が同意するだろう。その変化が平和と友好の方向にではなく、緊張と対立の方向に向かっていることに異論を挟む向きも少ないに違いない。ここで米中関係の推移をごく簡単に振り返っておこう。

<ビル・クリントン大統領(1993年1月~2001年1月)の時代>

米国の対中政策の基本は「関与(Engagement)」に重きが置かれた。1996年3月、台湾総統選挙を牽制するために中国が台湾沖にミサイルを発射したのに対し、米国政府が空母2隻を台湾海峡に急派するなど、緊張する場面もないではなかった。しかし、1997年には江沢民国家主席(在任1993年3月~2003年3月)との間で「建設的な戦略的パートナーシップ」の構築で合意したことが示すとおり、米国政府は中国との経済関係を重視する一方で、中国を国際社会に引き込むことによって「手なずける」ことが可能だと考えていた。
中国の側も改革開放路線を堅持し、経済建設を最優先する方針を堅持した。米中間の軍事力格差は甚だ大きく、台湾有事以外で米国と軍事的に事を構えることは問題外であった。

<ジョージ・W・ブッシュ大統領(2001年1月~2009年1月)の時代> 

大統領候補時代のブッシュは中国を「戦略的競争者(strategic competitor)」と呼んだ。大統領就任直後の2001年4月には、海南島付近で米中の軍用機が衝突する事件も起きた。だが、当時の国際環境はブッシュ政権下での米中関係を基本的には緊密化の方向に進めた。同年9月に同時多発テロが起きると、米国が対処すべき「敵」はテロリストや「ならず者国家」となり、中国は対テロ戦争のパートナーとなった。2005年2月から国務副長官を務めたロバート・ゼーリックは中国を「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」と呼び、2006年9月には「米中戦略経済対話(SED)」の設立も決まった。
この時期、米国の相対的国力は冷戦後の頂点に達する。アフガニスタンやイラクで米国が見せた軍事技術の圧倒的優越は「一極主義」という言葉を生んだ。江沢民や胡錦濤(国家主席2003年3月~2013年3月)も基本的には米国と共同歩調を演出し、米国の矛先が自国に向かないように努めるほかなかった。

<バラク・オバマ大統領(2009年1月~2017年1月)の時代>

オバマ政権はブッシュ政権の対中政策を引き継いで始まる。特に、経済面では急成長する中国市場の取り込みを国益と位置付けた。一方で、対テロ戦争が峠を越えたことに加え、中国の軍事近代化が急ピッチで進んだことにより、米国内には軍事面で中国に対する警戒感が徐々に台頭してきた。それを反映し、米国防総省は2012年にリバランス(アジア太平洋への回帰)の方針を打ち出した。
アフガン・イラク戦争の長期化は米国の国力を消耗させ、2008年に発生したリーマン・ショックは冷戦後の米国経済の繁栄に終止符を打った。その結果、米国の「一極」現象は随分と色あせてくる。逆に、国力の急伸に自信をつけた中国はじわりと自己主張を強めるようになった。2009年7月、胡錦涛は鄧小平以来の「韜光養晦(とうこうようかい=才能を隠して内に力を蓄える)」という外交方針を堅持しつつ、「積極的に為すべきことをする(積極有所作為)」外交をめざす、と述べた。習近平(国家主席2013年3月~)も副主席時代の2012年から「新型大国関係」という言葉で米国との対等な関係構築を主張した。軍事面でも、オバマ政権の後期になると中国は南シナ海での基地建設を含め、対外的積極姿勢を強める。それに対し、米国は2015年から南シナ海で「航行の自由」作戦を実施、中国の拡張路線を牽制した。

<ドナルド・トランプ大統領(2017年1月~)>

軍事面で顕在化し始めていた米中関係の緊張は、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権の下で先鋭化していく。不動産王と言われたトランプは貿易を「ゼロ・サム・ゲーム」と捉え、2018年3月には鉄鋼・アルミ製品の輸入に追加関税をかけた。その後、中国が報復すれば米国は対象品目を拡大するなど、所謂「貿易戦争」が始まった。米政府機関が中興通訊(ZTE)や華為技術(HUAWEI)などから製品調達することも禁じる構えだ。中国のハイテク技術力を抑え込むことによって中国の軍事力をも抑え込む狙いが米国側にあることは言うまでもない。
米国内では近年、貿易に限らず、安全保障や政治面でも中国を戦略的なライバルと捉え、本気で抑え込むべきだという考え方が台頭してきた。こうした動きを反映し、2017年12月の『国家安全保障戦略』は「中国(とロシア)は米国の力、影響力、利益に挑戦し、米国の安全保障と繁栄を侵食しようとしている。彼らは、経済をより不自由で不公正なものにし、自分たちの軍隊を強化し、情報やデータを制御することによって社会を抑圧し、自らの影響力を拡大しようと決意している」と述べている。
中国の方は、米国の露骨な方針転換に戸惑いを見せ、事態が全面対決にエスカレートしないよう腐心しているように見える。米国が所謂貿易戦争を仕掛ける以前から、人口のピーク・アウトやバブルの後始末の影響を受けて中国経済は減速し始めていた。経済成長こそが共産党一党支配を正当化する源泉である以上、習近平としても経済への悪影響が拡大することは何としても避けたい。その一方で、近年の中国はトランプに膝を屈するには強くなりすぎた。習もトランプに全面降伏する兆候は見せていない。

以上を見れば、2010年代に入って以降、米中関係が悪化してきたことは明白な事実だ。特に、オバマ政権の後半から今日のトランプ政権に至って米中関係の緊張のレベルが一段と上がった。以前のような良好な関係に戻ることは、予見しうる将来、なさそうに見える。しかし、だからと言って今の米中関係を「冷戦」と形容することが正しいとは言えるわけではない。

「冷戦」とは何か?

冷戦という言葉は何を指すのか? その定義は大きく言って二つある。

第一は、単に「関係が悪化するも、実際の戦争には至らない」ライバル関係のことだ。対義語は熱戦、すなわち、ライバル関係が嵩じて実際の戦争に至ること。この意味であれば、今日の米中関係を「冷戦」と表現することは決して間違いではない。現在の日韓関係を「日韓冷戦」と呼ぶことすら、許されるだろう。

しかし、今日「米中冷戦」という言葉が使われる時、我々は知らず知らずのうちに米ソ冷戦の再来をイメージしている。第二次世界大戦の終結から1990年頃までの半世紀弱、米国とソ連という二つの超大国は、実際の戦争には至らなかったものの、極めて厳しい対立状況にあった。冷戦の第二の定義は、その歴史的事実を踏まえたものである。「米中冷戦」という言葉に違和感を持つとすれば、この文脈においてのことだろう。

次回は、米ソ冷戦の特徴を挙げながら、現在の米中関係と何が同じで何が違うのか、具体的に点検していこうと思う。

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