辺野古土砂投入を受け、前回は主に政治的観点からの感想を書いた。本ポストからは、辺野古を埋め立てて米海兵隊用の海上飛行場をつくることの軍事的合理性について考えてみる。
日米両政府とも、辺野古の埋め立てが唯一の実現可能な解決策だと主張してきた。我々もそれを大枠で受け入れてきた。しかし、ここ数年来の軍事技術の進展と西太平洋地域における安全保障環境の変化はめまぐるしい。
20年以上前に下した決定は、今も唯一の現実的な選択肢なのだろうか?
危険性除去と抑止力維持
まず、辺野古に米海兵隊のための飛行場を作る目的をおさらいしておきたい。
歴代政権が強調してきたのは、米海兵隊が運用する普天間飛行場の危険性を除去することだ。行ってみればわかるし、Googleの航空写真を見ても十分にわかるとおり、小学校を含め、無数の家屋が飛行場を取り囲むように建っている。騒音は言うまでもなく、万一事故が起きれば、大惨事になることは想像にかたくない。2003年にラムズフェルド国防長官(当時)が世界一危険な米軍施設だと言ったのも十分に頷ける。
1995年9月に起きた米兵(海兵隊と海軍)による少女暴行事件を受け、沖縄県民の反基地感情が高揚した。翌年12月、橋本龍太郎政権の時に日米両政府は所謂SACO合意を結び、普天間飛行場を沖縄本島東海岸沖に移設した後、返還することが決まる。言葉は悪いが、日米両政府は沖縄県民を懐柔するために「普天間飛行場の引っ越し」を決めたのだ。
しかし、この「引っ越し」には条件が付いた。「普天間飛行場の重要な軍事的機能及び能力は今後も維持すること」である。これを称して「抑止力の維持」という言葉が頻繁に使われるようになった。
在沖海兵隊は、普天間飛行場に加え、地上戦闘部隊、兵站基地、司令部、演習場が一体となって機能している。飛行場のみを遠くへ持って行っても軍事的に意味をなさない。こうして、「普天間飛行場は引っ越さなければならない」→「でも、抑止力は落とさない」→「新しい飛行場は沖縄県内でなければならない」→「 陸上に適地がない以上、海を埋め立てるしかない」→「辺野古が唯一の実現可能な選択肢」という論理の鎖が出来上がった。
なお、正確を期するために言えば、辺野古への移設によって在沖海兵隊の能力はいくらか低下する、と見るのが本当は正しい。在沖海兵隊の規模縮小もさることながら、辺野古につくる滑走路が普天間よりも短くなり、運用上の制約が加わるためである。
太田昌秀知事(当時)はSACO合意の内容を聞かされた時、「嬉しく思う反面、県内への代替施設が必要と聞いて、喜びが半減せざるを得なかった」と思ったという。沖縄県民のすべてが合意を歓迎したわけではないが、一歩前進という見方もできた。SACO合意を正面から否定することはできない、という雰囲気が沖縄にもあったことは否定できない。
一方、本土の人々は当時、諸手をあげてSACO合意を歓迎した。特に永田町では、「普天間飛行場の危険性の除去」は政治的な意味における「錦の御旗」になった。SACO合意を支持することは日米安保体制を支持することを意味した。代替施設の建設に反対すれば、「海兵隊の普天間居座りを許すつもりか?」と批判されて口ごもらざるをえないという構図も生まれた。県外移設を希求した鳩山由紀夫も、「普天間飛行場の引っ越し」という意味ではSACO合意の延長線上でもがいたにすぎない。この流れは今も続き、安倍政権は言うに及ばず、現在野党第一党の立憲民主党もSACO合意に両足を突っ込みながら洞が峠を決め込んでいるのが実情だ。
2006年5月のいわゆる「日米ロードマップ」によって、普天間の代替飛行場は辺野古を埋め立ててつくることが決まった。それは、「普天間飛行場の危険性の除去」という政治的な錦の御旗と「在沖海兵隊の抑止力維持」という軍事的な錦の御旗を掲げた結果にほかならない。
問題意識=20年前の前提は現在も生きているのか?
人口密集地にある普天間飛行場の危険性は除去しなければならない。中国の軍事的台頭や北朝鮮の度を越した挑発行動を見れば、米軍の抑止力は維持しておきたい――。だから私も長い間、辺野古の埋め立ては「仕方がない」と思ってきた。でも、最近は何かモヤモヤ感が出てきた。
考えてみれば、SACO合意は1996年12月。今から22年も前に決めたものだ。普天間飛行場の代替施設の完成と同飛行場の返還も5年から7年後、つまり、どんなに遅くても2005年までには実現することになっていた。「危険性除去と抑止力維持」のロジックに隙がないと思ったのは、当時の安全保障環境を前提にしていたからにほかならない。
安倍政権になって埋め立て工事に着工したとはいえ、普天間飛行場代替施設の完成は2025年以降になると見込まれている。今日の安全保障環境は22年前に比べて大きく変化している。今後はもっと大きく変わるだろう。絶対に正しいと思われてきた「危険性除去と抑止力維持」のロジックで今も突き進んでいいのか、というのは正当かつ根本的な疑問であるはずだ。
もちろん、20年たったからと言って、普天間飛行場の危険性を放置してもよい、ということにはならない。しかし、在沖海兵隊の抑止力維持はもはや錦の御旗たりえないのではないか――? 私はそう思い始めている。
在沖海兵隊の存在意義
そもそも、在沖海兵隊の存在意義は何なのか? 日本では「抑止力」が独り歩きしているが、米国にとって(在沖海兵隊に限らず)在日米軍基地の軍事的な意義は、大きい順に①グローバルな兵力展開拠点、②抑止、③日本防衛、である。ちなみに米ソ冷戦期は、極東ソ連軍(特に核ミサイル搭載潜水艦)の封じ込めが最重要の任務であった。
米軍は、かつてはベトナム、近年はアフガニスタン、イラクを含む中東など、世界各地で作戦行動に従事している。在日米軍基地は米本土等から作戦対象地域へ派遣される四軍の中継、兵站基地の役割を担ってきた。フィリピンにあった海軍基地と空軍基地から撤退して以降、中東方面とハワイ・米国太平洋岸の間で米軍が信頼を置ける基地は、日本以外には存在しない。(在韓米軍基地の任務は韓国防衛の比重が高い。)単に地理だけの問題ではない。日本が提供する優れた工業技術力は米兵力のメンテナンスにとって極めて有用だ。兵士や家族の生活環境という面でも、日本は申し分がない。さらに、駐留経費の8~9割を日本側が負担しているため、エコノミーでもある。
海兵隊に関しては、米本土を含めたローテーションの中で沖縄に集結し、広大な演習場等を使って訓練を積み、練度をあげてから実戦に投入される。一定期間戦ったら、沖縄(や米本土)に戻って休息をとる。在沖海兵隊は、飛行場(普天間)、地上戦闘部隊等(キャンプ・ハンセン、キャンプ・レスター、)、兵站基地(キャンプ・シュワブ、キャンプ・キンザー)、司令部(キャンプ・コートニー)、演習場(北部演習場等)が比較的狭い区域にまとまっていなければならない、と先に述べた。その最大の目的は米軍のグローバル展開のため、というのが本当は正しい。
では、在沖海兵隊の持つ抑止力とは何か? 抑止とは、潜在的な敵国がこちら(この場合は日本)を攻撃したら、米軍が大規模な報復を加えると思わせることによってその攻撃を未然に防ぐこと。一旦攻撃されてしまえば、抑止とは言わず、防衛の段階に移行する。要するに、在日米軍基地が存在するが故に、日本のみならず西太平洋地域で潜在的な敵国は「わるさ」をすることを思いとどまる、と期待されているのが抑止力だ。
在日米軍基地がなければ、アフガニスタンを含めた中東での作戦行動に大きな支障が生じる。米国にとって、米軍のグローバル展開のためのプラットフォームとしての役割が最も重要だ。米国で識者連中に聞けば、ほぼ全員がこのことに同意する。しかし、そのことを強調すれば、「在日米軍基地は一義的には米国のために存在する」ということになって日米の外交防衛当局にとっては塩梅が悪い。そこで、「在日米軍は日本への攻撃を抑止し、一旦有事になれば日本を防衛するために存在する」ということが強調されてきた。
在沖海兵隊にせよ、嘉手納空軍基地にせよ、兵力展開拠点、抑止、防衛といった役割のうち、どれか一つだけを持っているわけではない。兵力展開が最重要であっても、米軍の存在が抑止力となり、攻撃を受けたら日本防衛の任にあたることになる。在日米軍基地が日本攻撃に対する抑止力となっているという議論そのものは、嘘ではない。
本当の問題は別のところにある。今日、在沖米軍の持つ抑止力の意味付けや効能そのものが大きく変わりつつあり、将来はもっと変わっていくに違いない。それなのに、22年前の計画を惰性で進めてしまってよいのか――? それこそが問われるべきだ。