大阪都構想とは一体、何なのか?

大阪都構想の是非を問う住民投票をめぐり、松井一郎大阪府知事(日本維新の会代表)が吉村洋文大阪市長(大阪維新の会政調会長)と一緒に辞職し、松井が大阪市長選、吉村が大阪府知事選に打って出る可能性が高まったらしい。来月は統一地方選があるため、大阪の人たちにとってはダブルどころか、クアドロプル選挙ということになるかもしれない。

ダブル・スライド選挙に打って出る理由を松井は「大阪都構想を実現するため」だと言う。だが、それはキレイゴトだろう。大阪府知事選と大阪市長選を仕掛ければ、「維新」対「その他」の構図となって大阪では盛り上がる。その結果、最近は失速気味という指摘もある維新の会の候補が大阪府議会選挙と大阪市議会選挙を有利に戦えるようにする、という意図(悪く言えば党利党略)が透けて見える。

日本維新の会という政党に属する二人が、大阪府知事と大阪市長という、別々の選挙で選ばれた公職を交換する、という発想には驚くほかない。彼らにとって、知事や市長の座は政治または選挙の道具でしかない、ということか。

とは言え、松井たちのやり方をどう評価するかは、大阪の有権者が決めればよいこと。何より、結果的に松井や吉村の「炎上商法」に加担することになるのは胸くそが悪い。連中の茶番からは距離を置くのが賢明というものだ。

だが、ここでふと、初歩的な疑問が生じた。

大阪都構想とは何か――? 

橋下徹が大阪市長だったときから、この言葉を幾度も耳にし、何となくわかったつもりでいた。でも、よくよく考えてみると、説明できない・・・!

大阪府の人口は880万人を超え、日本の総人口の約7%にあたる。その自治体のあり方が変わるかもしれない、ということであれば、無関心は無責任だ。そこで、今回のポストでは大阪都構想を私なりにわかりやすく整理してみた。

「大阪都」とは?

大阪都構想は維新の会の看板政策である。だが、維新の会のホームページを見ても「大阪府構想とは何か?」というストレートな説明は見当たらない。(私が見つけられなかっただけかもしれない。大阪都構想に関するQ&Aなどは、橋下徹氏の動画を含めてたくさんあったのだが…。)仕方ないので、いろいろ調べてみたら、こういうことだとわかった。

まず、誤解されやすいので最初に断っておく。「大阪都」構想と言っても、大阪を日本の首都にしようということでは全然ない。そもそも、日本の首都が東京である、と直接規定した法律は存在しておらず、東京が日本の首都なのは、みんながそう思っているからだ。大阪の人たちが「大阪を日本の首都に」と言ったとしても、大阪以外に住む日本人の多くは相手にしないだろう。

都=首都ではない、とすれば、大阪「都」とは何なのか? 答を先に言うと、大阪府が地方自治法281条第1項に言う都、つまり、当該区域内に「特別区」を設置した広域自治体になるということだ。実はこれ、以前はやりたくても法律上、できなかった。しかし、2012年に大都市地域特別区設置法が制定された結果、東京都のみならず、他の道府県の区域内でも特別区の設置が可能になったのである。

特別区とは、千代田区、港区、新宿区など東京23区のレベルの基礎自治体のこと。横浜、名古屋、仙台、福岡などの政令指定都市にも「○○区」というのはある。これらは「行政区」と呼ばれるが、特別な機能は持たず、単なる「区域」に近い。一方で、東京23区のような特別区は市とほぼ同格の制度。公選の区長や区議会を持ち、独自の条例を制定したり徴税したりすることもできる。権限も格も、特別区の方が単なる行政区よりも遥かに上だ。(本当は比べるのがおかしい。)

現在、大阪市は広域自治体である都道府県に準ずる権能を持った政令指定都市だ。都構想が実現すれば、大阪市は廃止され(政令指定都市でなくなり)、5つの特別区となったうえで大阪府の下に置かれる。今の大阪市が持つ広域自治体としての機能は原則として大阪府に移管される。

これまで、特別区を持つ広域自治体は東京都だけだったから、地方自治法281条第1項に言う「都」と首都は同一視できた。だが、大阪都構想が実現すれば、「東京は、東京都という名称で、特別区を持つ地方自治体法上の都であり、首都である。一方、大阪は、大阪府という名称で、特別区を持つ地方自治体法上の都であり、首都ではない」という状況が生まれるわけだ。(新たに法律を作って大阪府の名称を大阪都に変えれば、大阪都という名称も使えるようになる。だが、率直に言って、紛らわしいし、煩わしい。)

大都市行政のあり方に一石を投じたことは認めよう。だが・・・

以上、大阪都構想とは何なのか、まとめてみた。なるべくわかりやすく、と心掛けたつもりだが、やっぱりわかりにくいだろうか? その最大の理由は、「都」という言葉の意味が一般に使われているのと違うことにある。そこで、敢えて「都」という言葉を使わずに説明すれば、以下のように言ってもさしつかえあるまい。 

戦後しばらくの間、広域自治体である大阪府が基礎自治体である大阪市を傘下に収めていた。しかし、大阪市が大きくなると1956年に政令指定都市に指定され、大阪府が持つ広域自治体としての機能を一部奪った。その後、大阪市の方が勢いを増すにつれ、大阪府から大阪市にますます多くの権能が移管されていった。だが、大阪市民は大阪府民でもある。どうしても大阪府と大阪市との間で機能上の重複があったり、お見合いのような非効率が起きたりする。

橋下徹はそこを突いた。キーワードは「二重行政」だ。橋本の提示した解決策(=大阪都構想)の本質は、大阪市から政令指定都市の権能を奪い、再び大阪府の下に置くことである。

これに対し、反対派は「二重行政と言うなら、大阪市と大阪府がうまくコーディネートすれば済むことだ」という論理で対抗する。この論理、あながち間違ってはいない。大阪市長の吉村自身、「府と市が力をあわせることで、大阪がどんどんよくなっていく。今の大阪が、まさに“大阪都構想”です」と大阪維新の会のHP上で認めている。

しかし、ここで維新の側は政治論を持ち込んで再反論する。吉村は「確かに今は、知事と市長が同じ考え方で同じ方向を持っているので、もはや都構想をやっているようなもの」と述べたあと、「このカタチが何時までも続く保証」はないため、大阪都構想という仕組みをつくることが必要だ、と訴えるのである。(ただし、大阪都ができて権限が一元化されても、無駄遣いに無頓着な大阪「都」知事が選ばれれば結局、改革にはならない。)

大阪都構想がいいことなのか、間違っているのか、結論は最後まで出ないだろう。

元来は基礎自治体である市が巨大化し、「広域自治体である道府県に決定権を持たせるよりも、住民により近い市に決定権を委ねた方が住民サービスはよくなる」という考え方が強くなり、政令指定都市が生まれた。そして、道府県との間で役割分担を試行錯誤してきたのが地方行政の歴史である。

だが、それは欠点のない仕組みではない。大阪もそうだが、神奈川、静岡、福岡は政令指定都市を二つも抱え、府県の空洞化が進んでいる一方、行政組織や議会は従前の規模を原則維持している。これは二重行政以上の無駄と言えよう。政令指定都市になるために合併を繰り返した結果、政令指定都市が基礎自治体と言うには広域化しすぎた、という意見もある。

こうした問題に対し、強くなりすぎた政令指定都市を弱め、道府県の権限を再構築するという都構想は、確かに一つの答えではある。だが、特別区を伴うとは言え、逆戻りが唯一の回答とは言い切れない。二重行政を解消するためなら、政令指定都市をもっと強化した方がよい、という考え方もありえる。

無責任なようだが、都構想がいいか悪いかは、実験してみるしかない。大阪府民や大阪市民が「その実験に賭けてみたい」と言うのであれば、興味深く見守りたいと思う。

 

大阪都構想は当初考えていたよりも真面目なチャレンジかもしれない――。そう思うだけに惜しむことがある。それは、大阪都構想を担ぐ松井や吉川からは、政治的打算、大阪人の性格を利用したポピュリズムがプンプン臭うことだ。あのチンピラまがいの言葉遣いを耳にしただけで、大阪都構想そのものが胡散臭く聞こえてきてしまうのは、私だけではあるまい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です