次の代替わりに伴い、「天皇制のあり方」も変わる

 これから天皇家と象徴天皇制が大きな変動の時代に入るのではないか――? 
 前々回前回、ブログの記事を書きながら、そんな予感を抱くようになった。

  半年後に控えた天皇の代替わりは、現在の象徴天皇制になってから二回目。大多数の国民は、来年行われる天皇の代替わりを一種の「儀式」ないしは「行事」と受け止めている。それが終われば、「天皇が明仁陛下から徳仁陛下に替わり、上皇と皇太嗣という新しい呼称ができるものの、その顔ぶれは今と同じであり、現在とあまり変わらない天皇家の日常に戻る」というのが漠然とした感覚であろう。
  確かに、前回の代替わりでは、変化よりも継続の面が目立った。天皇が裕仁陛下から明仁陛下に替わり、元号も昭和から平成になったが、「天皇制のあり方」や「天皇と国民の関係」は前の時代と大きく変わらなかった。だが、次の代替わりでは、変化がもっと前面に出てくるような気がする。先日の秋篠宮発言はそのことをいち早く示唆した鏑矢だったのではないか。

  本ブログは、秋篠宮さまの大嘗祭発言を受けて書き始めたシリーズの三回目にして、とりあえずの最終回となる。テーマは、来る天皇の代替わりを受け、「天皇制のあり方」がどのように変化するか、について考えること。
  新しい元号の時代になれば、天皇陛下が代替わりされ、元号が変わる以外に、何が変わるのか? 国民の側と皇室の側に分け、整理してみよう。

消える「現人神の残滓」

    来年の代替わりに伴い、国民の側で確実に起こることがある。それは、戦前の天皇制に関する記憶がほぼ消滅することだ。
    明治、大正、戦前の昭和にわたり、天皇は「現人神(あらひとがみ)」であった。もちろん、戦前の日本人全員が天皇を神と信じていたわけではない。(私の父も「天皇陛下が本物の神様だとは思っていなかった」と話していたものだ。)しかし、明治憲法上の下で天皇が神聖化され、政治も(実態はともかく)天皇の名において行う建前であったことは紛れもない事実。「天皇陛下万歳」と言って戦死した日本兵が多数いたことの示す通り、天皇は神のごとく、国民(臣民)の思考や行動を深く規定していた。
    その後、終戦(敗戦)によって昭和天皇は「人間宣言」を行い、神の座から降りた。しかし、終戦までの時代を生きた日本人にとって、現人神であった天皇の記憶が一瞬で消え去ることはなかった。戦後も多くの国民は心のどこかで天皇を「ありがたい」存在とみなしてきた。
    平成元年(1989年)に即位した今上天皇に現人神だった時間はない。だが、1933年の誕生から「人間宣言」までの約12年間、明仁殿下は現人神の子であった。平成63年時点において、終戦時に2歳以上だった(=当時45歳以上の)国民は全人口の三分の一以上、36.3%を占めていた。今上天皇も単なる象徴を超えた特別な存在であり続けた、と言ってよかろう。
    これに対し、昭和天皇の孫である浩宮や秋篠宮は、昭和天皇の人間宣言の後に生まれた。二人とも、「神の孫」であった時間はない。しかも、今年11月現在、終戦時に2歳以上だった(75歳以上の)国民の数は全人口の14.3%にまで減少している。終戦時に12歳以上だった国民に至っては、全人口の4.5%にすぎない。天皇が神であった時代の記憶を持った国民は早晩いなくなる。浩宮や秋篠宮は名実ともに人間である最初の天皇となるのだ。
    戦後の昭和天皇と今上天皇は、相当数の国民にとっては一定の神性を残しながら、災害時の慰問や平和式典、文化的行事などへの出席など、国民への献身によって広く尊崇の念を集めてきた。次の代替わりの後、一部の右翼を除けば、日本国民が天皇を現人神の記憶と結び付けて尊崇することは基本的になくなる。神性を失ったとき、天皇の権威は下がると考えるのが自然であろう。
    新天皇と皇族は、災害慰問などの活動のみによって国民から今のような尊崇の念を集め続けることができるのか? 新皇后となられる雅子妃のお務めは健康状態を考慮しながら行わざるをえず、無理はできまいし、されるべきではない。当面は上皇(現在の今上天皇)がいらっしゃるとは言え、その助けを借りられる時間には限りがある。新天皇家がご苦労されるであろうことは想像にかたくない。

情報発信の積極化~吉と出るとは限らない

    新時代における皇室サイドの変化については、前回、前々回のポストでも触れてきたつもりだ。
    昭和(戦後)と平成の天皇は、新憲法と戦後民主主義の流れを汲んで政治向きの発言や自己主張を控え、象徴としての役割に徹した。次の天皇や皇室は、今までよりも自己主張を増やす可能性が高い。特に、皇太嗣となる秋篠宮は、情報発信に積極的に取り組みそうな雰囲気を醸し出している。
    新天皇や皇族の方々が自己主張を増やされることは時代の流れ。否定されるべきことではない。皇族と国民との間のコミュニケーションの手段が、SNSを含め、変わっていくことも避けられまい。望ましいかどうかは様々な意見があると思うが、「開かれた皇室をアピールするため」あるいは「国民と直に繋がるため」に皇室が様々に試行錯誤されるであろうことは十分に予想できる。その際、留意すべきことが二つある。
    一つは、コミュニケーションの手段が変われば、皇族と国民の間のコミュニケーションのあり方も影響を受ける、ということ。 
    報道陣から予め質問を受け付けて文書で答えるのであれば、宮内庁の職員が模範解答を作り、慇懃無礼ながら木で鼻を括ったような答になりがちだ。これが記者会見になれば、先日の秋篠宮発言がそうだったように、宮廷官僚の作った想定問答ラインから外れようと思えば不可能ではない。そこに新しい情報発信の可能性も生まれる。録画会見なら、何か変わったことを言っても、それが表に出るまでの間に対応あるいは釈明を考える余裕はある。生中継なら、その辺のリスクは高まる。
    SNSになると状況はさらに変わる。衆人環視どころか誰にも見られることなく、誰からのチェックも受けずに自分の思ったままを書き込むことができる。それも短いフレーズで、何の遠慮も配慮もなく、ダイレクトに結論だけ書くことになる可能性が高い。あとはワンクリックで発信完了。あっと言う間に世の中に拡散される。うまくいけば好感度が高まる一方で、炎上のリスクも隣り合わせだ。秋篠宮の大嘗祭発言に対しても、ネット上で見られるのは好意的な反応ばかりではない。
    もう一つは、天皇や皇室が政治的な発言を行うことの微妙さ。
    前回のブログで述べたとおり、天皇や皇族の政治的発言が憲法上または法律上、どこまで禁止されているかについては、かなりグレーなところがある。だが、たとえクロでないとしても、天皇や皇族の自己主張が政治的領域にまで及ぶようなことになれば、天皇制を維持するうえではマイナスの方が大きい、と私は危惧する。
    価値観が多様化した現代社会において、すべての国民が支持する政策など、ありはしない。大嘗祭への公費支出についての見解も例外ではない。皇族が政治課題で何かを言えば、それを支持する人もいる一方で、反発する人も必ず出てくる。その結果、天皇は国民統合の象徴ではなく、国民分断の象徴となりかねない。
    もっと大きな懸念は、皇族が政治的と受け取られうる発言を行うになれば、政治の側にそれを利用しよういう動きが出かねないこと。そんなことが起きれば、憲法に抵触する可能性があるのみならず、民主主義はおかしくなってしまう。

浩宮さまを待ち受ける挑戦

    戦後六十数年、天皇は、国民の中に残っていた現人神の記憶に助けられつつ、災害慰問などによる無私の献身、絶妙のバランス感覚と政治的発言の抑制によって国民の支持を繋ぎ止めることに成功してきた。しかし、代替わり後の状況は変わる。
    ほとんどすべての国民が天皇や皇族を自分たちと同じ人間であると捉える状況下で、新天皇は国民統合の象徴としての役割を果たすよう求められる。皇室は国民に対する情報発信を積極化させるだろうが、新天皇や皇太嗣の広い意味における政治的手腕(statecraft)は未知数だ。
    代替わりの後、新天皇の時代は、天皇制にとって試練の時代となるだろう。浩宮さまが思慮深い性格だとしても、苦労は絶えまい。新時代の天皇制をつくる責任を皇室のみに押しつけることは間違いだ。我々もよくよく考えなければならない。

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