参議院選挙の投票日まであと1週間。メディアでは「与党(自公)が優勢」という報道が躍っているようだ。今回の選挙、「争点が何なのか、よくわからない」「与党もパッとしないが、野党も批判ばかり」という声をやたらとよく耳にする。こうなると、自民党と公明党の組織力がものを言う。与党優位という情勢調査も当然かな、と思う。だが、与党有利の理由はそれだけではない。
我々有権者は、各党の政策や政治姿勢、あるいは政治家の人格等を判断して投票先を決めていると思っている。それこそが民主主義と選挙の建前でもある。しかし、正確に言えば、有権者は、各々が認識する「各党の政策や政治姿勢、あるいは政治家の人格等」を判断材料にして投票先を決めている。この部分、すなわち「有権者が各党をいかに認識するか」に大きな影響を与えるのが各党の情報戦略である。
ナチス・ドイツの例を持ち出すまでもなく、徹底的かつ巧妙な情報操作によって特定政党を支持するよう有権者を「洗脳」することは不可能なことではない。日本でそれを最も効果的にやれる立場にあるのは、資金力が豊富で長年権力を独占してきた自民党である。
自民党がこのことを理解し、既に実行に移しているとすれば? 政策をありのままに伝えることに重きを置く野党が、自民党に対抗するのは至難の業だ。それこそが近年の日本で起きていることだと思う。
中吊り広告による選挙応援?
先日電車に乗っていた時、ある中吊り広告を見ながら、「これでは自民党が強いわけだ」と妙に納得した。
私が見た中吊りは、高橋洋一著『安倍政権「徹底査定」』の広告であった。(中吊りそのものではないが、同書の新聞広告はこちら。)そこには、「安倍政権に80点をつける」とか、「若者の雇用が増えた」とか、「長期政権だから外交もよい」といった表現――記憶に基づくものなので正確ではない――が躍っていた。
面白いことに、6月の新聞広告に載っていた「だが、消費増税=景気後退なら大減点だ!」という大きな一行は、私の見た中吊り広告には見当たらなかった。安倍政権が10月の消費増税を掲げたまま選挙戦に入ったため、自民党(安倍政権)にネガとなる表現は避けたのだろう。その代わりに追加されていたのが、野党と(安倍政権に批判的な)メディアに対する批判である。ちなみに、出版元は悟空出版という2014年に設立された会社。ホームページを見る限り、ネトウヨ的な刊行物や安倍政権ヨイショの本が目立つ。
選挙期間中にこの中吊り広告を都内の地下鉄に掲載するのは、安倍政権(自民党)に対する選挙応援と受け取られても仕方ない。自民党がやれば、地下鉄なり、JRなりの自主規制コードにひっかかる可能性が高いだろう。しかし、高橋何某の書いた本の宣伝であれば、よほどのデタラメが書いてない限り、地下鉄会社も掲載を断ることはない。
アベノミクスの定量的な評価は、何の指標をとるかによって分かれる。たとえば、首相官邸の「『日本再興戦略』改訂2014」というホームページ――今は更新されていない――には、スーパーマンみたいなのが助走からホップ・ステップ・ジャンプよろしく空を飛んでいく絵が描いてあり、その先には「国内総生産成長率3%」とある。IMFによれば、日本の経済成長率は、2013年=2%、2014年=0.4%、2015年=1.2%、2016年=0.6%、2017年=1.9%、2018年=0.8%であった。ただの1年でさえ、目標を達成したことがなく、6年間のうち半分は1%を切っている。目標未達は明らかだ。だがそれでも、良い指標だけを取り出してアベノミクスはうまくいっている、と評価することを嘘とまでは言うことはできない。実際、自民党の公約パンフレットには、安倍にとって都合のよい数字だけが、これでもか、とばかりに載っている。
安倍外交についても評価は分かれる。厳しいことを言えば、安倍政権下でも拉致問題は前進せず、北朝鮮の核・ミサイル開発はさらに深刻化。中国公船による尖閣付近の領海及び接続水域への侵犯も減らず、北方領土交渉に至っては期待を振りまくばかりでプーチンから軽くあしらわれている。トランプにも振り回されているようにしか見えない。総理の外遊が増え、G7でも古顔になったのは事実だが、どんな具体的な成果が出たのかと問われると答に窮する。しかし、外交の評価は人それぞれだから、褒めようがこき下ろそうが、著者の自由と言える。民主党政権の時よりは良くなった、と言ってさえおけば、納得する人も少なくない。
書いてある内容の真偽のほどはさておき、この手の広告を通勤・通学の途中などに毎日、繰り返し目にしたら、どうだろう? 安倍政権が事実として十分な成果を出しているか否かにかかわらず、「安倍政権はよくやっている」「安倍政権を悪く言う野党やメディアは間違っている」ということを無意識のうちに刷り込まれる人が出てきてもおかしくはない。自民党が指示してやらせているか否かは不明だが、この手の広告が選挙期間中に打たれることで選挙戦上、自民党に有利に働くことは間違いない。
もちろん、安倍政権を礼賛し、野党を批判する書物ばかりが出版されているわけではない。安倍政権に批判的な人たちも様々な書物を著している。例えば、インターネットを見ていたら『「安倍晋三」大研究』(望月衣塑子&特別取材班 著、KKベストセラーズ)の広告に出くわしたりもする。
しかし、安倍政権礼賛・野党批判の書物(本、雑誌、新聞等)の方が、逆の本よりも遥かに多そうだ。雑誌や新聞、テレビも、安倍政権を攻撃する論調のところよりは安倍政権を擁護する論調のところの方が多い。NHKも安倍総理のお友達が会長(籾井勝人氏)や経営委員(百田尚樹氏など)が任命されていた。この勝負、物量的には安倍政権を批判する側に分が悪い。
ネットの世界でも自民党の一人勝ち
今日、活字の世界は縮小傾向なのに対し、ネットの世界が急速に拡張していることは言うまでもない。しかも、ネットの世界の方がフェイク・ニュースに寛容だ。当然、政治(政党)もネットの世界に注目し、自らの情報戦略に取り入れようと考える。ネット情報戦略の重要性にいち早く気づき、積極的に展開したのが自民党である。
その自民党が参議院選挙を前にネット戦略を刷新したと言う。人気ゲームや女性ファッション誌とコラボし、ネットやSNSを駆使して支持をよびかけるらしい。これなどは、自民党の政策や政治姿勢を対外的にネット配信するもの。ネット戦略の言わば「表の」部分であり、その中でも日の当たる分野だ。
公表されている自民党のネット戦略の中には、あまり目立たないかたちで行われているものもある。例えば、2013年のNHK報道は、自民党が業者に依頼して自民党や同党議員に関する書き込みを常時監視し、自民党にとって問題があれば、反論や削除要請を行っている様子を映像付きで流した。
最近はネット・ニュースの下の方にコメント欄がある場合も多い。自民党にとって都合の良いニュースであれば、自民党を持ち上げたり、野党をけなしたりする書き込みが、自民党にとって都合の悪いニュースであれば、自民党をフォローしたり、野党はもっとひどいと主張したりする書き込みも目に付く。もちろん、逆のケースもあるが、比率としては少ない。こうしたコメントは、純粋に個人の立場から書き込まれたものばかりではあるまい。自民党に依頼された業者によるものもあることは、上述のNHK報道からも明らかだ。
さらに、自民党には「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)」というボランティアを組織した党公認のネット部隊が存在することが知られている。ネトウヨ系が多く、上記の書き込みを行う実働部隊とも目されているようだが、私はその実態をよく知らない。J-NSCは自民党のホームページ上で募集され、国会議員も参加する会議やオフ会も開かれているので相当に組織化されていると見てよかろう。
より攻撃的な情報戦略
刷新されたネット戦略を除けば、ここまで述べてきたネット情報戦略は自民党への他者の批判に対する防衛的な色彩が強いものだ。しかし、「攻撃こそ最大の防御」という言葉ある中で、自民党のネット情報戦略が防衛一色のものとは考えにくい。
ネットを使った攻撃的な情報戦略と言えば、2016年の米大統領の際にロシアが仕掛けたものが有名である。この時、ロシアはプーチン大統領の承認のもと、反ヒラリー・クリントンのフェイク・キャンペーンを大々的に仕掛けた。民主党本部へサイバー攻撃を仕掛けて盗み出した本当の情報を織り交ぜることによってヒラリーに不利となる偽情報の信ぴょう性を高め、自らの手で作ったサイトやウィキリークス、大手新聞に流して全米に拡散させた。多くの米国民がそれを信じた。開票の結果、僅差で大統領に選ばれたのは劣勢と言われたトランプであった。
違法性や悪質性の程度を問わなければ、この手の攻撃的なキャンペーンは昔から行われてきたことだ。共和党も民主党も、昔から多かれ少なかれ、真贋取り混ぜて相手候補に対する中傷合戦を行ってきた。例えば、「○○はユダヤ人だ」という噂を流すとか。日本でも、選挙期間中に候補者をめぐる怪文書が飛び交うと言う話は今日も聞く。だが、ロシアのやったことは、サイバー攻撃を交えたこと、ネットと伝統的メディアを組み合わせたこと、大衆心理把握の巧みさ、そして物量の点で、従来の攻撃的なキャンペーンとは一線を画す、積極的なものであった。
自民党はこの手の攻撃的キャンペーンをやっていないのだろうか? もちろん、やっていても公表するわけはないから、はっきりしたことを知ることはできない。だが、ネットでうかがい知ることのできるJ-NSC会員と自民党議員の会話が本当なら、自民党は当該会員がネットを通して野党などを攻撃することを奨励ないし黙認しているように見える。
報道によれば、参議院選挙公示の直前に自民党本部は、某インターネット・サイトの記事から引用、加筆、修正した内容を掲載した『フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識』という冊子を自民党所属の衆参国会議員事務所に各25冊届けた。自民党所属の石破茂衆議院議員が「怪文書」と呼ぶほどのものだから、内容はフェイク・ニュースの類と言ってよいのだろう。一部の有志議員ならともかく、自民党本部がそんなものを配布したため、メディアでも話題になった。
この「怪文書」配布騒動が示唆することは、自民党がフェイクであろうが構わず、敵対する野党のイメージを貶めるために情報を積極的に流す偽情報キャンペーン(英語で言う「disinformation campaign」)を厭わないということである。
だが、自民党は偽情報キャンペーンをボランティアに任せているだけなのか? ロシアがやったようなサイバー攻撃まで使っているかどうかはわからないが、プロの集団に偽情報キャンペーンを含む攻撃的情報戦略を実行させている可能性は否定できない。偽情報キャンペーンはネット上だけで行われるとは限らず、新聞、雑誌、出版物からテレビまで、あらゆる媒体を通じて実行可能だ。違法なものでない限り、広告代理店が一括して請け負っていたとしても、私は驚かない。
フェイク・ニュースは自民党に有利
我々は、常に真実を受け入れ、嘘を退けるとは限らない。トランプのフェイクを真実だと信じるアメリカ人がたくさんいることからもわかるとおり、信じたいことを受け入れ、信じたくないことを退ける人は少なくない。
安倍政権に心酔する人たちは、安倍政権に批判的な人が安倍政権を批判しても、たいして影響を受けないだろう。逆に、枝野信者の人たちは、いくらネトウヨの人たちから批判されてもそれを信じることなく、立憲民主党を支持し続けるはずだ。
ただし、立憲民主党の支持者の方が中高年の割合が高いと言われている。特にかつて学生運動を経験した旧社民・共産支持者で立憲支持に変わった人たちの中には、いわゆるインテリ、知識人と呼ばれる人も少なくない。この人たちは理屈で考える傾向が強いため、相手方のネガキャンに対して比較的弱い。フェイクによる批判であっても、理屈や事実を示さないとなかなか納得しない傾向がある。「言いがかり」に対して理路整然と反論することは土台無理な注文だ。弱い支持層であれば、相手方のフェイク・ニュースによって切り崩される人も一定数出てこよう。
これに対し、自民党支持の人たちは相手陣営からの攻撃的情報戦略に接してもそれほど大きく動揺することはない。仮に安倍政権批判があっても、「野党や左翼メディアの言うことだから嘘!」と言われれば、それだけで納得し、安倍政権批判を信じないことにできる。フェイク・ニュースを交えた偽情報キャンペーンは、本質的に自民党を利する面の方が多い。
プロ集団を使ってフェイク・ニュースを交えた偽情報キャンペーンを大々的に行うためには、豊富な資金力を持った政党でなければならない。自民党の収入は250億円超え(うち、政党交付金が179億円)。これに対し、野党第一党の立憲民主党は政党交付金が収入の大半を占めると考えられるが、その額は今年で約32億円だった。これまで蓄えた額も考えれば、自民党の資金力は文字通り他党を圧倒しているはず。この点でも、自民党の有利は動かない。
その自民党が他党に先駆けて――遅くとも2009年に下野した時か、おそらくその前から――フェイク・ニュースも交えて攻撃的な選挙情報戦略に取り組んできたとしたら? 資金力的にもノウハウ的にも、他の政党が自民党の持つ先行者利得を切り崩すことは容易なことではないだろう。何よりも、自民党以外の政党は、フェイクを厭わないという仁義なき世界に足を踏み入れることに対する躊躇をなかなか捨てきれないと思われる。
私自身、各政党が偽情報を駆使した情報戦略にしのぎを削るような政治には強い抵抗がある。しかし、我々の生きている世界はすでにそういうものになっているのかもしれない。だとすれば、そんな状況下における民主主義なんて、一体どんな価値を持つのだろうか?