日本郵政は解体すべきだ~③ユニバーサル・サービスの範囲を見直し、郵便局を「小さく」残せないものか?

今年1月17日に行われた記者会見。岩田一政 郵政民営化委員長は次のように述べた。

(かんぽ保険商品の不正営業によって)国民の信頼感を失ったことはこの長い歴史の中でとても悲しい出来事であったと思います。同時に、今回の問題を抜本的に改革することができれば、新しいステップ、本当に民営化してよかったというものにつなげていく可能性も秘めていると思っておりまして、例えば1月末に公表されます業務改善計画の中で抜本的なメスが入って、そのメスの中に(民営化後をにらんだ)新しいビジネスモデルになるようなものが出てくれば大変に望ましいと思っております。

何とも能天気なことだ。「規制緩和(民営化)すれば、経済はよくなる」という時代遅れのエコノミストとして、面目躍如と言ったところか。

日本郵政グループにおける不正営業問題は、全体像すら未だに把握しきれていない。それが収益面へ及ぼす悪影響も計り知れない。
にもかかわらず、不正営業問題がもう峠を越したかのごとく、岩田は「新しいビジネスモデルを!」とグループ各社の新経営陣に求めた。はっぱをかけられた新経営陣たちも鼻白んだに違いない。

日本郵政グループ各社の経営は、郵政民営化法が規定する「郵政民営化」の枠組みの中でしか行えない。法律の制定は2007年の小泉改革に遡り、2012年の改正を経て今日に至っている。

今日、既存の「郵政民営化」の枠組みの下で日本郵政グループが将来にわたって安定的に収益をあげることはできるのか――? 誰もが疑問に思い始めている。

苦境の中で無茶をした結果、かんぽ保険商品の不正営業問題(日本郵便とかんぽ生命)や投資信託の不適切販売(ゆうちょ銀行と日本郵便)が起きたと言えよう。
今、「郵政民営化」の枠組みそのものを見直すべき時が来ている。

だが残念ながら、郵政グループの経営形態を描き切るという大仕事は私の手に余る。
本稿では、現在の「郵政民営化」の枠組みが持つ問題点を明らかにし、見直しの方向性について若干の考えを述べるにとどめたい。

郵政「民営化」の実態

現在、小泉純一郎が企図した「郵政民営化」はその完成形に向かう途上にある。
しかし、「郵政民営化」の行きつく先と一般人が思い描くような民営化は大きく異なっている。

第一に、民営化が完了した時点でも、政府はグループの中核をなす「日本郵政」が発行する全株式の3分の1超を保有し続ける。これは法律に明記されていることだ。

持ち株比率が3分の1を超えていれば、株主総会で特別決議を否決することができる。したがって、「民営化」された日本郵政が定款の変更、解散、合併、事業譲渡などを行おうとしても、日本政府は拒否権を持つ。

現在の日本政府の持ち分(財務大臣名義)は約57%である。政府は昨年5月に主幹事証券会社を決定し、昨秋にも保有比率を(法律上の下限である)3分の1まで下げるつもりだった。しかし、保険商品の不正営業問題によって株価が下落したため、株式の売却も見合わせることになった。

法律上、日本郵政株の政府持ち分を3分の1超まで減らさなければならない期限は2022年度まで。だが、政府は今国会にも関連法律を再び改正し、この期限を2027年度まで延ばす考えだという。

昨年、政府が株式を売り出そうとしたのも、郵政民営化を進めるためというより、東日本大震災の復興財源を捻出するため、という側面が大きかった。今後は「法律上、政府の持ち株比率は3分の1なのだから、現状(57%)のままでよい」という意見が出てきても私は驚かない。

第二に、今も将来も日本郵政は日本郵便の全株式を保有し続ける。当然、日本郵便は非上場だ。そして、日本郵政と日本郵便にはユニバーサル・サービスの義務がかかる。

第三に、日本郵政はゆうちょ銀行とかんぽ生命の全株式を売却することになっており、二社は少なくとも株式保有面ではおそらく完全民営化される。
おそらく、と言うのはどういうことか?

民営化がスタートした時、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は日本郵便と同様、日本郵政(=国が100%出資)の完全子会社であった。
その後、2015年11月に両社株式の11%が売り出され、かんぽ生命については2019年4月にも追加売却が行われた。
今日、日本郵政はゆうちょ銀行の89%、かんぽ生命の64.5%の株式を保有している。

小泉政権下で成立した郵政民営化法によれば、日本郵政はゆうちょとかんぽの全株式を2017年9月までに売却することになっていた。
しかし、2012年に民主党政権下で法改正された結果、2017年9月という時期は削られ、「できるだけ早期に」全株を売却すればよいことになった。努力義務規定のようなものだ。

自民党が政権に復帰して7年以上たつが、法律を再改正して全株売却の時期を明示しようという動きは微塵も見られない。2012年の法改正には、当時野党であった自民党や公明党も賛成したのだから、それも当然だ。小泉進次郎が「父親の改革をやり遂げる」と言っているのも聞いたことがない。
郵政民営化に対する熱狂は、小泉純一郎と共に来たり、小泉純一郎と共に去ったのである。

今や、ゆうちょとかんぽの株式売却に熱心なのは、その売却益を東日本大震災の復興財源にあてたい財務省だけだ。その財務省にも往年の力がないことは周知の事実。

ゆうちょ銀行とかんぽ生命の日本郵政持ち分がゼロになり、資本面で文字どおり民営化が実現する日は果たして来るのだろうか?
仮に形だけ民営化したとしても、旧特定郵便局長会、労働組合、総務(旧郵政)省、そして過疎地にも郵便局を残したい政治家たちが、あの手この手を使って既得権を温存しようと画策するに違いない。

「民は成功する」というカビ臭い信仰

ゆうちょ銀行とかんぽ生命に対する(日本郵政を通じた)国の出資がなくなれば、官であるが故の不自由さがなくなり、経営的にも自立していける――。それがいわゆる民営化論推進論者たちの描くシナリオ(=岩田の言うビジネスモデル)だ。

国営であればもちろん、直接・間接を問わず国の出資が残る限り、ゆうちょ銀行やかんぽ生命は「潰れることはない」と考えられるため、民間金融機関側はハンディを負う。官民の競争条件をそろえるため、ゆうちょやかんぽには他の民間金融機関にはない規制がかけられてきた。

「郵政民営化」のプロセスが動き出すと、国の出資割合が減るにつれてゆうちょ銀行やかんぽ生命にかかる規制も緩められた。最終的に国の出資がゼロになれば、規制は他の民間金融機関並みにまで下げられる。

例えば、民間の銀行であれば、預金保険の適用額は別にして、預金を受け入れる金額に制約はない。だが、郵便貯金への預入については、従来(=1991年以降の場合)1000万円の限度額が設定されていた。

「民営化」が進むと、2016年4月に預入限度額は1300万円まで増やされた。
さらに2019年4月以降、通常預金と定期性預金でそれぞれ1300万円、合計で2600万円となって今日に至っている。

同様に、かんぽ生命への加入限度額は1986年以降、ずっと1300万円だった。2016年4月、限度額は2000万円まで引き上げられた。

日本郵政を通した国の出資割合がゼロになれば、こうした限度額は撤廃される見込みだ。

では、ゆうちょ銀行やかんぽ生命が「完全民営化(=国の出資割合がゼロになる)」し、規制が大幅に緩和すれば、両社にはバラ色のビジネスモデルが待っているのか? そんなことを信じている者がいるとすれば、竹中平蔵や岩田くらいのものだ。

待ち受ける「茨の道」~金融機関 冬の時代

ゆうちょ銀行とかんぽ生命の業界内での位置づけを見ておきたい。

ゆうちょ銀行の貯金残高は昨年12月末時点で約184兆円。三菱UFJ銀行の預金残高が約181兆円(昨年9月末時点)だ。規模の面から見れば、ゆうちょ銀行は国内トップ・クラスの銀行と言えなくもない。
収益面では、2018年度決算で三菱UFJ銀行の当期利益は4,872億円(連結)だったのに対し、ゆうちょ銀行の数字は2,661億円。儲かってこそいるが、規模の割には見劣りしている。

かんぽ生命の2019年3月末時点の総資産は73.9兆円。数字としては十分に大きいが、ピークだった2002年3月末の126兆円に比べれば、何と4割以上も減っている。2018年には日本生命に抜かれ、長年君臨してきた首位の座から陥落した。
収益面でも、第一生命や日本生命が4,000億円超(連結)なのに対し、かんぽ生命は2,651億円と差をつけられている。

ゆうちょ銀行とかんぽ生命の業界内での位置づけは、「筋肉質でない巨人――かんぽ生命の場合、背丈の縮小が著しい――」と言ったところであろう。

ゆうちょ銀行とかんぽ生命が直面する困難には、①我が国の金融機関に共通の問題と、②ゆうちょ銀行とかんぽ生命に独特な問題、という二つの側面がある。

今日の日本の金融機関を取り巻く収益環境は、例外なく非常に悪い。
人口減少の続く日本では資金需要が弱く、預金だけが続く状況が長期間続いている。
加えて、金融とテクノロジーの融合が進み、金融機関はますます装置産業化、それに対応するために甚大なコストがかかる。
金融業で生き残るのは、どの金融機関にとっても大変な時代になった。

2019年3月期、地方銀行――地域においてゆうちょ銀行と地盤が重なっている――約100行のうち4割以上が本業で赤字だった。今年の3月期はもっと厳しいと思われる。大手行ですら、この数年間の収益は頭打ち。(例えば、三菱UFJ銀行はこちら。)
ゆうちょ銀行の低迷傾向はさらに顕著である。

こうした「金融機関・冬の時代」にあって、ゆうちょ銀行には収益の柱がなく、今後も見つかりそうにない。これはちょっと、絶望的と言える。

郵便貯金の時代は、全国津々浦々の店舗網を通して貯金を集め、国債で運用すれば利鞘が稼げた。貯金を多く集めれば集めただけ、収益もあがる、というビジネスモデルだった。
超低金利の続く今日、ゆうちょ銀行は(他の金融機関と同様に)運用難に苦しんでいる。

ゆうちょ銀行はもともと貸出し業務はやっていなかったため、昨年末時点で貸出し残高は4.7兆円(運用資産の構成比で2.2%)にすぎない。企業の資金需要が減る中、ノウハウに乏しいゆうちょ銀行が今後も貸し出しを伸ばすとは期待できない。

投資信託の販売手数料で稼ぐのはどうか? 日本中の銀行や証券会社が同じことをやっている。投信の知識が格別にあるわけでもない ゆうちょ銀行だけがガンガン数字を伸ばせるわけもない。そこで無理をした結果が、昨年表面化したゆうちょ銀行(及び日本郵便)による投信不正販売問題であった。

勢い、運用の中心は株式を含む有価証券投資となる。昨年末の有価証券残高は約137兆円(運用全体の64.4%)。
うち日本国債が53.2兆円を占めるが、10年ものでさえ利回りはマイナスだから、近年は残高の低下が著しい。
代わりに増えているのが外国証券で67.6兆円となっている。ただし、これもリスクと背中合わせだ。リスク・テイクが必ずしも悪いとは思わない。だが、資金運用益に過度に依存する収益構造が危うさを抱えていることは間違いない。

資金粗利鞘は低下を続け、2015年度に0.66%あったものが、2018年度には0.48%となった。
世界経済が順調に伸びていた時でさえ、日本はデフレで異次元の超低金利政策が続いた。今後、米中貿易戦争や新型コロナウイルスの蔓延など、世界経済はきびしい時代を迎える可能性が高い。報道によれば、ゆうちょ銀行が外部からスカウトした資金運用担当者も社外流出している模様だ。利鞘の一層の縮小は今後も避けられまい。

かんぽ生命の収益環境も良くない。

こちらは超低金利が続き、貯蓄性の高い養老保険の残高がはげ落ち、それを補うだけの商品開発力もないため、契約の残高自体が減少している。運用難は生命保険会社にもあてはまる。
こうした状況下で民営化(株式売り出し)を進めるため、日本郵政グループは無理なノルマを立て、郵便局を舞台にした保険商品の不正営業問題を招いた。

2020年3月期、かんぽ生命の当期利益は増える見込みだと言う。でもこれは、営業自粛及び業務停止の影響によって日本郵便(郵便局)へ支払う手数料が減った、というかんぽ生命独特の要因に依るもの。不正営業の代償は今後、(今期のプラス分以上を)間違いなく払わなければならない。「かんぽ生命=安心」というブランド・イメージも大きく傷ついた。

国の(間接)出資がゼロになり、民間金融機関との間で限度額や商品の品ぞろえに関するハンディがなくなれば、ゆうちょ銀行とかんぽ生命にとって経営上の自由度が増すのは確かだ。しかし、それだけで乗り越えられるほど、ゆうちょ銀行とかんぽ生命を取り巻く環境は甘いものではない。

今のまま「郵政民営化」を断行することは、国の関与という安全装置を捨て去り、嵐の中に帆船で漕ぎ出そうとしているようなものだ。ご苦労様、としか言葉が浮かばない。

郵便局との特殊なもたれあい

日本郵政が保有しているゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式をすべて売却すれば、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は、資本面では国との関係が切れる。(下図参照。)

理論上、政府の間接出資から脱したゆうちょ銀行とかんぽ生命は、経営者の判断で他の金融機関と合併することも自由だ。株主が二社を別の金融機化に身売りし、売却益を得たいと考えても、資本の論理からは当然のこととなる。

一方で、2012年に郵政民営化法が改正され、日本郵政と日本郵便(郵便局)は「簡易な貯蓄、送金及び債権債務の決済」と「簡易に利用できる生命保険」をユニバーサル・サービスとして行う責務を負っている。(以下を含め、こちらの資料を適宜参照した。)全国あまねく郵便局において、銀行窓口業務と保険窓口業務を郵便窓口業務と一体で行わなければならない、というわけだ。

現在、郵便局では、ゆうちょ銀行が銀行窓口業務を、かんぽ生命が保険窓口業務を、郵便局(日本郵便)に委託することによってユニバーサル・サービスが維持されている。その際、ゆうちょ銀行とかんぽ生命は日本郵便に委託手数料を支払い、日本郵便にとってはそれが貴重な収入源となっている。

法律上はユニバーサル・サービス義務のかからない ゆうちょ銀行とかんぽ生命にしてみれば、過疎地の郵便局にまで委託手数料を支払うことは採算的に合わず、本来、資本の論理に反した行為である。
今は日本郵政が支配的な親会社だから、それを曲げさせることができる。だが将来、「完全民営化」してしまえば、ゆうちょ銀行やかんぽ生命の株主たちは何と言うだろうか?

採算のとれる郵便局だけに窓口を置くような「いいとこどり」を日本郵便側が認めることはない。
だが、郵便局と絶縁すれば、ゆうちょ銀行やかんぽ生命は広範な店舗網を失う。貯金も保険も残高が大幅に減り、運用難以前の問題として経営は苦しくなるだろう。

郵便局の方も、単独で銀行・保険の窓口業務を行うだけの人的リソースや資金力は持っていない。郵便・銀行・保険の三業務でユニバーサル・サービスを維持するためには、銀行と保険は他社に頼らざるをえない。

都市部で立地条件のよい郵便局であれば、他の銀行や生命保険会社に業務委託することもできようが、それ以外はむずかしいはず。過疎地も含めて銀行・保険の窓口を維持できなければ、ユニバーサル・サービスは維持できない。

このように見ると、資本関係が完全に切れたとしても、日本郵便とゆうちょ銀行、かんぽ生命は「持ちつ、持たれつ」の関係が終わるとは限らない。
だが、その関係が残る以上、「完全民営化」後のゆうちょ銀行やかんぽ生命を買収しようという金融機関は出てこないと思うべきだ。ゆうちょ銀行やかんぽ生命側が大規模な合併を追求する場合も、日本郵便との関係が障害となるのは間違いない。

ゆうちょ銀行やかんぽ生命が民営化されれば、サラリーは青天井で出せるようになるため、他の金融機関から有能な経営者を招聘すればよい、という議論がある。
しかし、本当に有能な経営者なら、いくら高いサラリーを積まれても、経営上の制約がこんなに大きい会社の経営を引き受け、失敗して経歴に傷をつけるような愚は犯さない。

ちょっと脱線する。
小泉純一郎と竹中平蔵がタッグを組んで推し進めた郵政民営化は、資本面の国の関与を弱めるという表面だけを取り繕ったものにすぎない。その奥にあった郵政ファミリーの既得権益との戦いには踏み込めなかった。
小泉は、郵政民営化の道筋をつければ、郵政ファミリーの既得権益構造も時間と共に自壊していく、と思っていたのかもしれない。しかし、そうであれば、小泉はもう少し総理大臣の座にとどまるべきであった。
「法律は往々にして、制定よりも実施の方が肝である」というのが永田町の鉄則。本当に結果を出したければ、政治家は淡白であってはならない。

ユニバーサル・サービスを問い直せ

小泉流の郵政民営化を予定通り断行しても、どでかい図体のゆうちょ銀行やかんぽ生命が生き残ることは中長期的に困難を極めるだろう。身売りするにしても、日本郵便との関係がネックになる。

かと言って、ゆうちょ銀行やかんぽ生命を国営に戻したところで、非効率が温存されるから儲けは減る。日本郵政グループを維持するためには、直接、間接を問わず税金投入を膨らませなければならない。

事ここに至っては、新しい改革と言うのだろうか、日本郵政グループのあり方をもう一度考え直すことが必要だ。

再考する際の出発点は、ユニバーサル・サービスの範囲である。

ユニバーサル・サービス自体は、税を投入してでも守り抜くべきである。
地方や過疎地に住んでいるという理由で都市部に住んでいる人よりも極端な不自由を強いられる、ということはあってはならない。
だが同時に、地方と都市部で同等のサービスが受けられる、というのも現実的ではない。
結局、問われるのは、地方でも保障されるべき「必要最低限のサービス」とは何か、ということ。

今日、郵便、簡易な貯金・決済、簡易な生命保険についてユニバーサル・サービスが義務化されていることは既に述べた。これを郵便と簡易な現金・決済機能のみに縮小すべきだ。

国際的に見ても、郵便はユニバーサル・サービスと位置づけられている国が多い。例えば、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリアでは、郵便のみがユニバーサル・サービスの対象となっている。

民間の宅配便業者などが信書の配達を全国津々浦々まで低額で引き受けてくれるか、ユニバーサル・サービス込みで日本郵便を買収してくれれば、郵便事業をユニバーサル・サービスとして法律で規定する必要はない。
だが、そんな民間企業は現れそうにない。万一現れたとしても、当該民間会社から後になって「やっぱりユニバーサル・サービスは無理」と言われたら、大変なことになる。

ただし、郵便事業を今後もユニバーサル・サービスの対象とすることと、今の日本郵便のような会社形態をとって事業の多角化や拡大をめざすのがよいかは別問題だ。
狭義の郵便業務に特化し、事実上国営として当面存続させるという選択肢もある。

通信技術がさらに進み、同時に人口減少と過疎化が進行すれば、郵便事業が先細りになることは避けられない。手を広げない(むしろ、縮小する)かわりに赤字は(実質的に)税金で補填する、と発想を切り替えるのだ。

郵便料金の値上げや配達頻度の低下――「郵政民営化」の実施後に顕在化した合理化の一種である――など、税金投入を最小限にする手立ては引き続き講じるべきであろう。

銀行機能のうち、貯蓄(投信等を含む)については、自分の町に金融機関がなくなっても、近隣の市町村にある金融機関へ行ける。もちろん、不便にはなるが、生活できないとまでは言えない。申し訳ないとは思うが、我慢してもらうしかない。
今後、ネット取引がますます便利になれば、わざわざ金融機関の窓口へ行くことは、都会でも地方でもどんどん減っていく。

保険機能についても同様だ。自分の住む町に保険会社(窓口)がなくても、近隣から外交員が訪問することは今も行われている。

仮にゆうちょ銀行やかんぽ生命が過疎地や不採算地域での業務を縮小・廃止しても、(不便にはなっても)生活できなくなる、とまでは言えない。貯蓄や保険のような「享受する時間に比較的猶予のあるサービス」については、全国あまねく保証されるべき必要最小限のサービスとみなさなくてよい。

悩ましいのは、ゆうちょ銀行が担っている現金引き出し・決済機能である。

日本では、カード決済に対応できない住民や店舗がまだまだ多い。都会に住んでいる人でも、現金なしで生活できる人はほとんどいないはず。
キャッシュレス化社会になるまで、相当な長期間にわたって現金の引き出しや送金機能は必要であり続ける。

ゆうちょ銀行が完全民営化されれば、過疎地や地方の不採算店舗は縮小、廃止を免れない公算大だ。足りなくなった部分は、地方銀行、信用金庫、信用組合、農協、コンビニ等に期待するしかなくなる。しかし、他の地方金融機関も経営環境はきびしい。ゆうちょ銀行の穴を埋めるどころか、郵便局以外に金融機関のない町村――2015年時点で24あった――は今後も増え続けよう。

田舎(過疎地)に住んでいるのだから現金が引き出せなくても仕方ない、と言うわけにはいかない。したがって、簡易な現金・決済機能は少なくとも当分の間、全国あまねく維持されるべき「必要最小限のサービス」に含められるべきだと思う。

簡易な現金・決済機能をユニバーサル・サービスとして維持するとしても、そのためだけにゆうちょ銀行(またはゆうちょ銀行を買収した金融機関)に現在の店舗網――郵便局を通じた窓口機能を含む――を維持するよう求める、というのも非現実的だ。

郵便事業はユニバーサル・サービスが将来も義務化され続けるため、郵便局は(税投入してでも)過疎地を含めた市町村に将来も維持される。その郵便局やコンビニ、役場などへ他の金融機関のATMを置いてもらい、必要な経費は国が出す、というのも一つの方法だと思う。その際、過疎地ではATM取扱手数料を無料にする、くらいの配慮をしても罰は当たらない。

維持すべきは、簡易な現金・決済「機能」である。それを行う「窓口」ではない。

ユニバーサル・サービスとして全国あまねく維持されるべき業務を、現在の「郵便」「簡易な貯金・決済」「簡易な生命保険」から「郵便」と「簡易な現金・決済」に絞れば、「完全民営化」されたゆうちょ銀行とかんぽ生命が企業価値を高めるためのシナリオも様々に描ける。経営を効率化したうえで、合併や身売りの展望も開けてくる。

郵政民営化のあり方をかくも大胆に見直すのであれば、日本郵政がゆうちょ銀行とかんぽ生命の株式を市場で売り出す、という現在のやり方も見直した方がよい。
合併や身売りを視野に入れ、政府の責任で提携相手先を見つける。条件次第では、相手が外資でも別に構わない。そして、日本郵政が持つ株式は相対でそこに売る。その方が、全株を市場に売り出すよりも、話は早い。

ゆうちょ銀行もかんぽ生命も、郵政公社の時代から旧郵政官僚、旧特定郵便局長、組合などがもたれあう構造を引きずっている。今回のかんぽ保険不正販売が拡大したのも、この構造が背景にあったからだ。
今のユニバーサル・サービスを維持したまま、市場を通じて株式を売り出して「完全民営化」しても、この構造はそっくり温存されかねない。

ユニバーサル・サービスを縮小することによって、ゆうちょ銀行とかんぽ生命をこの構造から切り離す。
そして、政府――総務省ではなく、金融庁か財務省が中心になる――の責任で身売り先を探し、完全な外部勢力である新経営陣の下で完全に生まれ変わる。

一方で、郵便事業は事実上国営で、郵便事業そのものが必要性を失うまで全国津々浦々に維持する。現金の引き出しや送金機能も同様に税金投入して最低限維持する。

民営化と国営化のハイブリッド――。それが私の考えた答だ。

日本郵政は解体すべきだ~②まるで他人事だった政府と民営化委員会

前回のポストでは、その不正営業について郵政グループ自身の責任を問うた。メディア情報を眺めていても、だいたいはそこで終わっている。だが、この問題で国に責任はないのか?

郵政グループは小泉改革によって「民営化」されたことになっている。しかし、その実態は「株式会社化」による「一部民営化」だ。
政府は今も日本郵政(=日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命などを傘下に持つ日本郵政グループ中核の持株会社)の発行済み株式のうち、約57%を保有している。日本郵政の出資比率は、日本郵便100%、ゆうちょ銀行89%、かんぽ生命64.5%となっている。半官半民よりも国有色が強い、と言えるだろう。

これが純粋な民間会社なら、大株主が経営に口出ししようがすまいが、私を含めて外野がとやかく言う筋の話ではない。しかし、日本郵政グループの場合、株式の過半を政府が出しているから、その経営がうまくいかなければ、株価の下落を通じて国民の資産が目減りする。過疎地などで住民が郵便・金融サービスを受けられなく可能性も出てくる。

圧倒的な大株主である国(政府)は、現場に一部いる不届き者や無能な経営陣をまるで他人事のように批判しているだけでは済まされない。

このポストでは、今回郵政グループで見られた不正営業問題について、監督機関であり同時に過半株主でもある国の責任を指摘したい。さらに、今後の郵政のあり方についても私見を述べる。

見て見ぬふりを決め込んだ政府

前回のポストでは、日本郵政グループでかんぽの保険商品販売をめぐって不正が横行し、それを経営陣が見て見ぬふり(あるいは、なす術もなく放置)したばかりか、隠蔽まで図ったことの責任を指弾した。(隠ぺい工作の詳細については次々回、NHK経営委員会の罪について書くときにきちんと述べる。)

では、国はこの間、何をしていたのだろうか?

国は、郵政の不正営業について二つの責任を有している。
一つは、監督官庁としての責任。郵政グループ全般に対しては日本郵政株式会社法に基づいて総務省が監督権限を持ち、いわゆる金融業務(銀行、投信、保険等)については金融庁が監督する。
もう一つは、日本郵政グループの実質的なオーナーとしての責任。これについては冒頭に書いたとおりである。

金融庁(対かんぽ生命及び日本郵便)と総務省(対日本郵政及び日本郵便)が昨年12月27日に行政処分を下した。
年が明けた1月10日の会見では、日本郵政の経営改革について麻生太郎財務大臣(兼金融担当大臣)は次のように述べている。

社風を一新しますとかね、一新しますなんて話は嘘八百なんだ。できっこないんだから、長い組織、しかも古い組織をね。そんな簡単に一新しますとかね、ちょっと辛抱強くやってもらわないかんということだと思います。

麻生らしい毒舌だが、そこにはどこか「他人事」という感じがつきまとっている。「悪かったのは郵政の連中、俺たちは監督機関としてちゃんと処分した。あとはちゃんとやってくれよ」とでも言いたいのだろう。

しかし、最終的に行政処分を下したからと言って、総務省や金融庁は責任をきちんと果たしてきた、と胸を張れるとは思わない。「1年遅かったんじゃないの?」ということだ。

2018年4月24日、NHKの『クローズアップ現代+』は「郵便局が保険を“押し売り”!? 郵便局員たちの告白」という番組を放映した。

この番組一つで金融庁が検査に入るべきだった、というのはさすがに乱暴かもしれない。だが、この頃、NHK以外にも郵便局で行われている不正を取り上げるメディアが出始めていた。

クローズアップ現代+が報じた内容は、金融機関としてあってはならない言語道断のものであり、事実なら郵政グループは金融機関として存続を許されないほど悪質なものだった。しかも、天下のNHKが何の根拠もなくこれだけの番組を流すわけがない、と思うのが普通の感覚である。

金融庁や総務省がよほど鈍感でない限り、遅くともこの時点では、不正を知る端緒をつかんだと考えてよい。であれば、この時点で郵政側に報告を求めるなど、何らかの警告を発するべきだった。

郵政の不正営業は、いつまでも「見て見ぬふり」を続けるには規模が大きすぎた。
しかも、2019年4月にかんぽ生命の株式を追加売却した後、不正営業の不祥事が表面化して株価が下がった。ここに至ってようやく、政府は重い腰を上げることになる。

実際に金融庁と総務省が郵政側に報告を求める命令を出したのは、2019年8月8日である。立ち入り検査に入ったのは、9月11日。
クローズアップ現代+から1年3~4ヶ月以上もの間、政府は何をボーっとしていたのか?

監督省庁がすぐに動くことはなかった。
一方でNHKは、2018年4月に上記番組を第一弾として放映した後、続編の制作にとりかかる。

ところが日本郵政グループの経営陣はNHKに事実上の続編中止を要求、それが認められないと知るや、NHK経営委員会を通じてNHK本体に圧力をかけた。はっきり言って、不正の隠ぺい工作である。
同年10月、経営委員会はNHK会長を厳重注意する。NHKによる第二弾の放映は2019年7月まで延期された。

身内の馴れ合い

この時期、郵政側の対応を主導したのは日本郵政上級副社長の鈴木康夫だったと言われる。と呼ばれた鈴木康夫だったと言われる。1973年に旧郵政省へ入省した鈴木は総務省事務次官まで昇りつめ、天下り後は「日本郵政グループのドン」と呼ばれた。当然、NHKに対しても睨みが効く。(総務省が放送行政を司っていることは説明するまでもないだろう。)

この鈴木という人物は相当癖のある御仁と見える。
NHKのクローズアップ現代+が続編を制作しようとしていたことに対し、「取材を受けてくれるなら(情報提供を呼びかけた)動画を消すなんて、そんなことを言っているヤツの話を聞けるか、と。それじゃ暴力団と一緒でしょ。殴っておいて、これ以上殴ってほしくないならもうやめてやる、オレの言うことを聞けって。バカじゃないの」と記者団に公言している。
郵政で行われていた不正を報道したというNHKの行為と、暴力団が因縁つけて殴るという行為を同一視するとは驚きだ。脛によほど大きな傷を持った人でないと、こうは言わない。

鈴木は古巣の総務相に対しても相当な発言力を持っていたらしい。
そのことが窺い知れる事件が昨年末に起きた。総務省の現職事務次官だった鈴木茂樹(1981年郵政省入省)が、こともあろうに郵政グループに科す行政処分の内容を事前に郵政側へ伝えていたことが判明、更迭の憂き目にあったのだ。
総務次官の鈴木が情報を漏洩した相手が郵政の鈴木である。

総務省による行政処分の内容が日本郵政側に漏れていた事件は、鈴木(郵政副社長)流に言えば、「警視総監が暴力団若頭に捜査情報を横流し」していたような、役人道にもとる不正だ。
監督官庁である総務省の情報が郵政側に駄々洩れとなっていたのは、この行政処分に関わるものだけだったのか?
鈴木副社長は総務省に対して自社に有利な取り扱い――NHKへの圧力を含む――を要望していたのではないか?
疑いは尽きない。

漏洩の発覚を受けて即刻、高市早苗総務大臣は鈴木茂樹次官を停職3ヶ月に処した。これは一見、果断な対応に見えた。しかし、鈴木は処分を受けて辞表を提出し、辞職が認められた。多少は減額されるのかもしれないが、退職金も支払われるのであろう。

人事院の指針には、「職務上知ることのできた秘密を故意に漏らし、公務の運営に重大な支障を生じさせた職員は、免職又は停職とする」とある。次官による情報漏洩がこの件(郵政に対する行政処分)にとどまらないのであれば、鈴木次官の行為は悪質と言わざるを得ない。免職もあり得たと思われる。

高市もそこまでは切り込めなかったようだ。高市は、次官が情報漏洩した理由について「聞いていない」と述べ、「同じ郵政採用の先輩後輩の中でやむえない状況があったのではないかと拝察」したと言う。これだけの一大事なのに、郵政の鈴木副社長へ総務省として聞き取りを行うこともしなかった。

総務省OB(特に旧郵政省OB)は相当数、日本郵政グループで勤務している。その実態を踏まえれば、「鈴木―鈴木」ルート以外で総務省から郵政側へ情報が漏洩していたのではないか、と疑うべきことは当然。しかし、高市は調査対象を拡大する必要性を認めなかった。

高市は後に、次官を処分した時のことを振り返り、「素人の女大臣が何を考えているのか」「情報漏洩じゃなくて情報共有じゃないか」と言われ、「総務省の職員全員を敵に回したんじゃないか、皆さんの力を借りて総務大臣の仕事を進められるのか。悩みに悩んだ」と告白している。何とも線の細い政治家でいらっしゃることか。

こう見ていくと、鈴木次官更迭劇も(バレたのは誤算だったにしても)新旧郵政官僚連合軍の「優勢勝ち」と判定する方がよいのかもしれない。

癒着は続く

鈴木次官による情報漏洩が明るみに出たことにより、総務(旧郵政)官僚の郵政グループへの天下り的な就職がなくなる、という期待が一部にあるようだ。

昨年12月20日の記者会見で高市は「郵政グループの取締役クラスに旧郵政省採用のOBが入ることはマイナスが大きい」「来年の郵政の人事のときに私が閣僚かは分からないが、認可するかどうかの基準として考えたい」と述べた。

これを受け、12月24日には菅義偉官房長官も「(高市)総務相が『日本郵政の取締役に総務省OBが就任するのは行政の中立性、公平性の確保の観点から適切ではない』と述べている。総務相の言う通りだ」と歩調を合わせた。

だが、こうした言葉を真に受けることはできない。
論より証拠、今年1月6日付で発足した日本郵政、日本郵便、かんぽ生命の人事は、ものの見事に旧郵政官僚を経営陣に温存(一部は抜擢)している。(前回のポストを参照。)政府側が本当に断固とした姿勢で総務省と日本郵政グループに天下った官僚OBとの癒着を断ち切るつもりがあるなら、ここから始めるべきだったはずだ。

日本郵政の鈴木副社長(当時)は官房長官の菅とも年に数回会っていたと言う。菅は郵政民営化法成立(2005年10月)後に郵政担当の副大臣を務め、2006年9月には総務大臣となって郵政民営化担当大臣を兼務した。二人の付き合いが当時に遡るであろうことは容易に想像がつく。

菅が鈴木に頼まれて郵政のために動いた、という証拠はない。
しかし、鈴木が対NHKや対監督省庁に対し、有力政治家の力を利用したという疑念は拭い去れない。金融庁や総務省が官邸への忖度から郵政の不正営業に関する検査等に躊躇した可能性もある。

総務官僚と日本郵政グループに天下った郵政(総務)官僚OBとの癒着――それは事実上、総務省と日本郵政の癒着にほかならない――はこれからも続くであろう。

お飾りの郵政民営化委員会

郵貯民営化の進捗を監視・検証するため、郵政民営化委員会が設置されている。5人の有識者から成り、委員長は岩田一政元日銀副総裁が務めている。

かんぽ保険商品の販売にまつわる日本郵政の不正は、民営化委員会にとって他人事だった。今年1月17日に行われた記者会見で岩田委員長が言いたかったことを要すれば、「私たちは関係ありません」というもの。イライラの募る内容だが、以下に会見のやりとりを一部紹介する。

○記者  かんぽ生命保険の不正ですけれども、一昨年、2018年4月のNHKの報道があって、(郵政民営化)委員会では一昨年5月に軽く触れた機会があったかと思いますが、その後も不正が拡大をしていたり、今、おっしゃったように、ガバナンスが全く機能していなかった。そういうことについて、委員会として見抜けなかった、見過ごしてしまったようなところについて、反省とかというものは何かおありなのかどうか。

○岩田  まず、郵政民営化委員会は直接、日本郵政を監督・指導するという権限を持っているわけではありませんで、基本的には民営化のプロセスが円滑に進行しているかどうかについての総合的な判断を行う。そして、それを総理までお伝えするのが基本的な役割であると思います。それで、個別の事案についてのそれぞれの監督ということは、基本的には総務省と金融庁がおやりになっておられるということかと思います。

岩田は「郵政グループの日々の経営に関わることは、自分たちの仕事ではない」と強調しているのだ。
冗談ではない。2月14日にかんぽ生命が発表したところでは、2019年4~12月期に個人保険の新規契約件数は前年同期比52.1%減の63万件、新契約年換算保険料も同47.4%減少して1438億円となった。10~12月に限れば、新規契約件数は1割程度に落ち込んである。さらに、不正営業の対象となった顧客の不利益解消経費として同期決算で40億円の引当金計上を余儀なくされた。
かんぽ保険商品の不正販売問題はかんぽ生命などの経営の屋台骨を揺るがす直接的打撃を与えている。これでも「郵政グループの日々の経営」だと言うのか?

実際には、クローズアップ現代+が最初に保険営業問題を報じた直後、民営化委員会で委員の一人(老川祥一 読売新聞グループ社長)がこの問題を取り上げていた。何故かその時の議事録がホームページに載っていないため、2019年7月29日の委員会議事録から老川の発言を以下に引用する。

当委員会において私は、昨年(2018年)5月24日の委員会で実情はどうなのだと、これがもし本当だと大変厄介なことだし、かんぽ生命保険に対する信頼を裏切ることになるから、そこら辺はどうなっているのですかと、かなり重大な問題だと思ったから質問しました。
当時のお答えは、信頼を損なうことのないように研修制度その他しっかりやっていきますと、こういう御説明で、私もそれで安心したのですが、何と1年後にこういう問題が出てきている。(中略)
一般の人たちに与えた不信感というのは大変なことだと思います。まさかこんなことが行われているというのは想像もしていなかっただけに、大変残念に思っています。

正直言って、これでは全然生ぬるい。だが、老川はまだ問題意識が高い方だ。
議事録を読んでみても、他の委員たちの発言から怒りや憤りを感じることはできない。郵政側に対して彼らがしたことは「質問」であり、「追及」ではなかった。

実はこの時、岩田委員長は「かんぽ生命株式を売却した4月時点で郵政側が実態を知っていたのか?」という重要な質問を発している。
これに対し、郵政側は「契約乗換に係る苦情等が発生していることに対して個別に調査して対処してきているということは、個別論としては把握しておりましたが、(中略)量感としてはこの4月の段階では認識していなかった」と回答した。

よほどのお人よしでない限り、「本当かよ?」と突っ込むだろう。しかし、それを聞いた岩田は「把握していなかったということですね」と納得している。

このやりとりは委員会の後で行われた記者会見で披露され、世間的にはこの説明がまかり通ることになった。穿った見方をすれば、初めからシナリオのできていた芝居だったと見ることも可能である。

奇妙なことだが、2018年4月11日(201回)以降、2019年5月19日(202回)まで、民営化委員会は1年以上も開催されていない。老川が触れている2018年5月24日の委員会もホームページ上では確認できなかった。この時期はかんぽ保険商品の不正営業問題が覆い隠そうにも隠せなくなっていく時期と重なっている。どうも胡散臭い。

郵政民営化委員会の事務方トップは総務省からの出向者が務める。委員会で行われた議論や委員の関心事項はすべて総務省に――ということは日本郵政にも――筒抜けになる。実態としては、日本郵政にとって都合の悪い運営はされないことが担保されている、と思ったほうがよい。委員も役所の振り付けに忠実な場合がほとんどだ。(役所はそういう人を委員に任命するものである。)

今回の郵政グループの不祥事は民営化のプロセスで発生した。
「民営化を進めるために株式を売り出さなければならない」→「各社が収益をあげる必要がある」→「無茶でも何でも高いノルマを設定する」→「収益環境が悪い中、ノルマを達成するには不正営業も仕方ない」という悪の循環である。

こんなことをバレずに長く続けられるわけがない。株価は不正営業の実態が表面化するのと並行するように下落、低迷した。かんぽ生命の株式は昨年4月に1株当たり2375円で売り出されたが、その後下がり続けて8月には1500円を割り込んだ。今年2月14日の終値も1837円と昨年4月の売り出し価格を大きく下回っている。

こんな有り様では、次回以降の株式売り出しに支障が出ることは明らかだ。
岩田自身、不正営業問題について「(郵便局の)信頼を裏切るような事例が出てしまったということは、大変に遺憾な事態だと。もちろん、民営化にとってもマイナスの材料だ」と認めている。

だが、そう思うのであれば、民営化委員会はもっと早い段階――例えば、昨年夏とか――に事態が深刻であると対外的に表明すべきであった。
民営化委員会には不正問題を実態調査するだけの事務処理能力はない。しかし、政府内でアラームを発することならできた。それこそが委員会に最も期待された役割だったのではないか?
民営化委の無為には、情けなさを通り越して空しくなる。

 

かんぽ保険商品の不正営業問題--。郵政グループの対応は論外として、見て見ぬ振りできなくなるまで動かなかった政府と最後まで何もしなかった民営化委もひどい。

至る所に無責任のピラミッドあり、ということだ。

日本郵政は解体すべきだ~①不正営業と無責任経営

1月31日、日本郵政、日本郵便、かんぽ生命の3社は監督官庁(金融庁と総務省)に業務改善計画を提出した。昨年末に業務停止及び業務改善命令を出され、1月末が改善計画書を提出する期限だったのである。

かんぽ保険商品の販売に際して日本郵便とかんぽ生命で不正営業が行われたことは、今や知らない者はない。しかし、昨年12月18日に特別調査委員会が出した調査報告書を読んでも、どんな不正がどれほどの規模で行われたのか、全体像は明らかにならない。先日、業務改善計画書が出された際に追加報告がなされたが、それも不正の全容解明と言うにはほど遠い。「トゥー・リトル、トゥー・レイト」が続いている。

確かに、3人の社長(長門正貢日本郵政社長、横山邦夫日本郵便社長、植平光彦かんぽ生命社長)と日本郵政のドンと言われた人物(鈴木康夫上級副社長)は辞職した。しかし、それも見ようによっては「逃げ得」と言える。

不祥事が起こるたびに繰り返し言われるのが「真相解明」「責任追及」「再発防止」という言葉。本来、最大の再発防止策は厳格な責任追及、すなわち責任者の処罰である。だが、責任を追及するには不正の真相解明が大前提となる。今回の不祥事では、上記が三位一体で曖昧なままに放置されている。

日本郵政グループは、郵便、貯金、保険を生業とするが、儲けの中心は金融業。金融業は信用を旨とする。それを失ったままに総括を終わらせるのであれば、日本郵政に金融業を続ける資格はもはやない。

本ブログでは、日本郵政グループの不正営業――日本郵政や日本郵政に忖度するメディアは「不適切」営業と呼ぶようだが、それに付き合うつもりはない――を私なりの視点で点検してみたい。

罷り通った不正、続く過小評価

日本郵政グループにおける不祥事の根本は単純だ。グループ各社で「顧客だまし」の不正営業が――おそらく長年にわたって――横行していたことである。

「かんぽ保険」及び(かんぽと委託契約を締結した)「日本郵便」では、高齢者など顧客に嘘の説明をしたり、顧客の支払い能力や年齢による制約を無視したりしながら、多額の保険商品が詐欺まがいの手法で販売されてきた。詳しくは郵政側が行った調査報告書(昨年12月18日)や業務改善計画書(今年1月31日)を参照してもらいたいが、これがまたわかりにくい。昨年12月27日付で金融庁が行政処分を下した際の「Ⅱ.処分の理由」を読む方が遥かに手っ取り早いだろう。もっと具体的に不正のイメージを掴みたければ、NHK西日本新聞の特集を見ることをお勧めする。

「かんぽ生命保険契約調査 特別調査委員会」の調査報告によれば、2014 年4月から2019年3月までの間に、法令又は社内規則に違反する疑いのある保険契約が1万2,836 件あった。そのうち、2019年12 月15 日現在で、法令違反と認められた事案(不祥事件)が48 件、社内規則違反と認められた事案 (不祥事故)は622 件にのぼった。こうした不正に関与した募集人――個人向け保険販売のほとんどは日本郵便(郵便局)の募集人に行われている――の数は、少なくとも5,797人に及んだ。(先月31日の発表では、不祥事件は 106 件、不祥事故は1,306 件に膨らんでいる。)

不正そのものを示すわけではないが、保険の新契約について顧客から苦情が寄せられた割合も、郵政の数字は他の民間保険会社と比べて異常に高い。民間4社は2017年で0.42%、2018年で0.32%なのに対し、郵政はそれぞれ2.15%と1.46%。郵政の保険営業では、顧客から苦情が来る比率が民間他社に比べて5.1~4.6倍も多い、ということだ。
この数字を見て、郵政は金融機関として「終わっている」と思うのは私だけだろうか。

しかし、郵政が行っている調査の本当の問題は、「これでは調査になっていない」ということである。こんないい加減な内容を恥ずかしげもなく調査と称して出してくるとは・・・。唖然とするほかない。

第一に、特別調査委員会は「氷山の一角」しか調査する気がない。同委員会が投網をかけたのは「顧客から苦情のあった契約」が中心だった。顧客が騙されたことに気づいていない契約は「不正の疑いがある」案件にならない。

昨夏になって郵政は過去5年分の全契約約3千万件の調査に取り組むと発表した。だが、約1,900 万人の顧客のうち、今年1月28日時点で回答があったのは約 100 万通にとどまる。お年寄りをはじめ、金融商品の説明など、よくわからない人も少なくない。また、おかしいと思っていても様々な事情から――例えば、家族に知られたくないとか、(特に田舎では)地域における郵便局の募集人との関係を慮ったりするとか――苦情を申し立てない人もいるだろう。

1月31日の記者会見で日本郵政の増田社長は全件調査に触れて改革姿勢をアピールしようとしていた。しかし、増田が述べたのは結局、「顧客の気付きを促す」取り組みでしかない。今後もあくまで顧客からの申し立てに基づいて調査を進めるつもりのようだ。

それだけではない。調査期間が過去5年間に限定されているのは何故なのか、についても納得できる説明はない。ゆうちょ銀行と日本郵便による投資信託の不正販売調査が中途半端なものに終わってしまった。郵政グループの調査は、どこまで行っても不正の実態を過小評価し続けるだろう。

第二に、郵貯側が不正の疑いがあるとした案件(=顧客から苦情が寄せられた案件)のうち、アウトと判定されたのは、募集人が「自認」したものだけだった。これまた、開いた口がふさがらない。募集人が不正を働いていたとして、不正を働いたかと聞かれて正直に「やりました」と認めるケースよりも、認めないケースの方が圧倒的に多いだろう、ということは容易に想像がつく。

警察や検察は自白がなくても他の証拠があれば逮捕・立件するし、裁判でも自白なしで有罪の判決が下ることは十分にあり得る。「自白しなければ無罪」という判定がまかり通るのは、もたれあいの蔓延した郵政一家の中だけである。

さすがに金融庁も切れたと見える。行政処分を下した際に「事故判定やその調査において、顧客に不利益が生じている場合であっても、契約者の署名を取得していることをもって顧客の意向に沿ったものと看做し、募集人が自認しない限りは事故とは認定せず、不適正な募集行為を行ったおそれのある募集人に対する適切な対応を行わず、コンプライアンス・顧客保護の意識を欠いた組織風土を助長した」と郵政側を厳しく批判している。

金融庁から行政処分を解いてもらうためには仕方ない、と考えたのだろう。郵政側も業務改善計画書には「自認に頼らない事実認定・事故判定の実施」という文言を入れてきた。だが、どこまで本気で取り組む気があるのか? これまでのゴマカシ体質を考えれば、俄かには信用できない。

現場の責任――どこまで処分されるか?

業務改善計画書によれば、郵政側はガバナンスの改善など、様々な不正の再発防止策を(金融庁などの指示をなぞる形で)講じることにしている。だが、この種の不祥事が起きた時に最も有効な再発防止策は、責任の所在を明らかにして厳格な処罰を行うことだ。それがなければ、どんなに模範解答的な文言を連ねても、「仏作って魂入れず」である。

業務改善計画では、保険募集人と(現場の)管理職の処分については、総論として以下のとおり言及されている。

① 募集人処分における「業務停止」及び「注意」の追加
募集人処分については、従前は「業務廃止」と「厳重注意」の二段階としておりましたが、一定期間募集を停止させる処分等を追加し、不適正募集の態様・程度に応じた処分を実施します。
② 管理者に対する処分
不適正募集を発生させた募集人の管理者については、部下社員の過怠の程度に応じた厳格な処分を日本郵便に対して要請します。

業務廃止と業務停止の違いを含め、抽象的でよくわからない、というのが正直なところだ。不正営業の主な舞台となった日本郵便は、「懲戒処分運用」という項目を設けてもう少し具体的に書いている。

(ア) 特定事案調査等の結果に基づく処分
特定事案調査の結果に基づき、非違の認められた社員及び管理者に対しては、厳格な処分を実施します。かんぽ生命と連携し、不適正募集を発生させた募集人や募集態様に課題がある募集人に対する研修カリキュラム等を策定し、募集再 開に向けた研修を実施します。
(イ) 管理者に対する処分
全ての金融関係管理者を「保険募集品質改善責任者」に指定し、その役割を明確化した上で、過怠があった場合に厳格な処分を実施します。

そもそも、不正の全容がはっきりしないままで適切な処分などできるのか、という疑問がある。
しかも、この前段には、募集人が自らの違反行為を申告したり、調査への十分な協力を行ったりした場合には、募集人に対する処分を本来よりも軽減又は免除する、といった司法取引まがいなことまでさらっと書いてある。それくらいしないと不正を発見できないという情けない話の裏返しなのであろう。だが、「免除」はありえない。「処分の厳格化」が聞いてあきれる。

民間の金融機関と異なり、郵政グループは政治や行政と密接につながっている組織だ。
旧特定郵便局長会は今も自民党の集票マシーンとして動き、2019年の参議院選挙では柘植芳文(前職は全国郵便局長会会長)、2016年の参議院選挙では徳茂雅之(前職は全国郵便局長会相談役)を自民党でトップ当選させた。
郵政グループの組合(JP労組)も難波奨二と小沢雅仁の二名を立憲民主党から参議院議員として国会に送り込んでいる。

日本郵政グループは経営幹部に旧郵政省の流れを汲む総務省OBを受け入れてきた。
昨年の配置は、日本郵政が鈴木康夫上級副社長(元総務次官)、かんぽ生命が千田哲也代表執行役副社長(旧郵政省出身)、ゆうちょ銀行が田中進副社長(旧郵政省出身)、日本郵便が衣川和秀(旧郵政省出身)と要所を抑えていた。
1月6日から始まった新体制も、日本郵政の新社長には増田寛也(旧建設省出身、元岩手県知事、元総務大臣)を迎え、日本郵便は衣川、かんぽ生命では千田がそれぞれ昇格して新社長に就いた。

日本郵政グループが政治にも行政にも政治力を働かせられることは、グループ内の人脈構成からも明らかだ。果たして身内に厳しい処分を科すことができるのだろうか?

ノルマが生んだ不正。それを放置した罪

それでも、募集人や現場の管理職に対し、最低限の責任追及と処分が行われることになろう。では、経営陣に対してはどうか? こちらは、逃げ切る可能性がかなりありそうだ。

金融庁は、日本郵政グループによる不正営業が行われた理由として、①過度な営業推進態勢、②コンプライアンス・顧客保護の意識を欠いた組織風土、③脆弱な募集管理態勢、④ガバナンスの機能不全、という四点を指摘している。ごく大雑把に言えば、①は「行き過ぎたノルマ営業の横行」ということであり、②から④は「広義のガバナンス欠如」に関係している。

ちなみに、金融庁の指摘は、法令順守やコンプライアンスの観点から不正営業の蔓延を問題視したものだ。しかし、日本郵政グループ経営陣の責任は、ビジネス面でも格段に重い。

いつからかも定かでないが、日本郵政グループでは目先の収益を追って不正営業が生まれた。悪事が大規模に行われれば、世間に漏れる。その結果、昨年7月にはかんぽ商品の販売を自粛(当初は8月末まで、その後年内一杯に延長)し、昨年末には3ヶ月間の業務停止処分まで食らった。収益上のマイナスは相当なものになろう。

何よりも、日本郵政グループは長年培ってきた世間の信用を失った。不祥事の発覚以来、株価も大きく下げている。
金融庁・総務省から処分を受けようが受けまいが、十分に大きな経営責任がある、と考えるのが普通の感覚というものだ。

過剰なノルマ営業について金融庁は、「営業目標として乗換契約を含めた新規契約を過度に重視した不適正な募集行為を助長するおそれがある指標を使用し続けた上に、経営環境の悪化により、営業実績が振るわないことが想定されるにもかかわらず、具体的な実現可能性や合理性を欠いた営業目標を日本郵便とともに設定してきた」と指弾している。

モーレツ営業で知られる住友銀行(現在は三井住友銀行)から日本郵便社長に転じた横山がノルマ営業を進めた、という指摘もあるようだ。
昔は郵便局員が国家公務員だった流れを汲む日本郵政グループの職員とモーレツなノルマ営業で知られた住友銀行員では、能力もモラルも違いすぎる。しかも、このところ低金利が続いて金融機関の収益環境は最悪、保険商品も売りにくい。
いくら高いノルマを課されても、現場で目標を達成できない事態が起きたとしても不思議はなかった。

いずれにせよ、無茶な目標が不正営業を生んだことは、一流銀行のバンカーだった横山にとって想定外のことだったに違いない。
私は、ノルマ営業が全否定されるべきだとは思わない。だが、それが不正を生んだところで横山たち経営陣は目標を見直すべきだったし、不正の根絶に向けて果断な対応を行うべきだった。
それをしなかった(できなかった)時点で横山のバンカーとしての倫理観は失われ、日本郵政のガバナンス崩壊に直結する責任を負い始めることになったのだと思う。

経営「無責任」の明確化

日本郵政で行われた不正営業の責任は、郵便局の募集人や(中間)管理職だけを処分すれば済む、という問題ではない。それは金融庁もよくわかっていると見える。行政処分を下した際、いの一番に「今回の処分を踏まえた経営責任の明確化」を求めた。

しかし、日本郵政側はその指摘を本当に深刻に受け止めているのだろうか? 1月31日付で提出された業務改善計画書(要旨)の末尾には、短く次のような記述がある。

今般の事態を招いた責任を明確化するため、日本郵政、日本郵便およびかんぽ生命の代表執行役社長等が辞任するとともに、役員の月額報酬の減額等を実施しました。

実にあっさりしている。「処分」という言葉も見当たらない。しかも、完了形だ。

今年1月5日に辞任したトップとは、日本郵政の長門(前職=シティバンク銀行会長)、かんぽ生命の植平(前職=東京海上ホールディングス執行役員)、日本郵便の横山(前職=三井住友銀行社長)の三名。さらに、「郵政のドン」とも言われた鈴木康夫日本郵政上級副社長(元総務省事務次官)も退いた。

彼ら4名の退任を以ってこの間の経営陣の責任を明確化する、というのはゴマカシ以外の何物でもない。グループ各社で役員を務めていた者の多くは留任し、昇格する者すらいる。

例えば、日本郵便の衣川新社長は日本郵政の専務執行役からスライド昇格を果たした。かんぽ生命の千田新社長が同社副社長から昇格したことは前述のとおり。日本郵便代表取締役副社長の米澤友宏上級副社長(金融庁出身)と執行役員副社長の大澤誠(元全国郵便局長会会長)は留任した。かんぽ生命代表執行役副社長の堀金正章(郵政省出身)も留任だ。全部は調べていないが、ざっとこんな具合である。

彼らが前体制の下で日本郵政グループの不正営業問題に関わっていなかった、なんてことはありえない。それでも出世しているんだから、「経営責任の明確化」ではなく、「経営責任をとらないことの明確化」だ。

役員の月額報酬を減額した、というのも意味がよくわからない。
報道によれば、2020年1月から6月までの半年間、代表執行役副社長や専務執行役(内部監査担当、コンプライアンス担当)の月額報酬の30%を減額し、常務執行役(経営企画担当)やその他の専務執行役、常務執行役なども5~20%減らす。かんぽ生命と日本郵便も副社長の月額報酬40%を削減するほか、その他の執行役も5~30%カットするという。

上記がすべてであれば、先般辞職した3社長や鈴木上級副社長はノー・ペナルティということになる。衣川や千田も同様だ。
これだけ大きな問題を起こしておいて、行政処分を受けるまで自らの役員報酬に手をつけてこなかったなんて、厚顔無恥にもほどがある。

経営陣が「知らなかった」は通らない

なぜ、こんなことがまかり通るのか? 経営陣を守るために使われているのが「だってボク、知らなかったんだもん」というロジックである。

辞職した長門正貢社長(日本郵政)は保険商品の不正販売を認識した時期について「郵政の取締役会で議論したのは(2019年)7月23日が初めてだ」と述べている。「(日本郵政の)取締役会に全く情報が上がってきていなかった」「現場から情報が上がってこないことには話が始まらない」とも不平を漏らした。

これだけ巨大な膿を伴う問題が長年にわたって起きていたのだ。長門たちが去年の夏まで問題をまったく認識していなかった、などというのは与太話にしか聞こえない。(万一真実なら、そんな無能な経営陣は全員クビだ。)

かんぽ商品の不正営業問題については、2018年4月24日にNHKの「クローズアップ現代+」が『郵便局が保険を“押し売り”!? 郵便局員たちの告白』という番組を放映し、大きな話題を呼んだ。

仮に郵政に鈍い経営者ばかりが集まっており、現場から悪い情報が上がってきていなかったのだとしても、遅くともこの時点では気づかなければならなかった。
2019年9月30日の会見でこの点を突かれ、長門は次のように答えている。

(2018年)4月24日の「クローズアップ現代(+)」、あれと、それから今年また2回目を放送されました。2回とも、昨日あらためて再び拝見させていただきました。おっしゃってる点は、今となってはまったくそのとおりだなと思っておりまして(略)。
今から見ればなんだったの、っていう議論はあると思いますけれども、(番組や意見募集のSNS広告が)やっぱり詐欺とか押し売りとか内部資料なんてとかっていうことで、これはちょっとひどいんじゃないか。みんなで議論して、みんなで思って、今から思うと少し不遜だったかもしれませんけれども、我々はこんなに募集品質問題、頑張ってきていて、ここまで成果があって、こんな成果が出てきて頑張っている最中なのに、僕らが悪のドクロ仮面のように、悪の権化かのようにワーッと言われるのはトゥーマッチじゃないか、という意見が出てきたので抗議しようというので抗議(した)。 

前半については失笑するしかない。
その一方で下線部の発言は、遅くとも2018年夏の時点で日本郵政が「募集品質問題」に取り組んでいたことを意味する。募集品質問題とは保険の不正営業問題を郵政内部でそう呼んでいたのであろう。
2019年7月まで経営幹部が不正営業の実態を認識していなかった、というのは嘘だと長門自身が告白しているわけだ。

郵政の経営陣は、この時点で既に不正営業問題を把握していた。だからこそ、番組を見て恐慌状態に陥ったと考えれば、納得がいく。結局、彼らはNHKの番組を奇貨として不正の是正に奔走するどころか、こともあろうにNHKに圧力をかけ、続編の制作と放送を止めさせようとしたのである。(この点については、本ブログで近いうちに取り上げるつもりだ。)

長門が「知らなかった」と言ったのには、自分たちの経営責任を免れるということ以外にも理由があった。
日本郵政グループは、2019年4月にかんぽ生命の株式を売り出している。その後、不正営業の問題が表面化してかんぽ生命の株価は大きく下落した。株式売却よりも前に不正営業のことを知っていて公表しなかった、ということになれば、長門たちは損失を被った株主から訴えられてしまう。

日本郵政の新経営陣は、辞任した4人の社長たちへの退職金支払いをどうするのだろうか?
また、昨年以前に受け取った報酬について役員たちに返還を求めることもしないのだろうか?
それを見れば、増田新社長がお飾りかどうかがわかる。
お咎めなしか、形ばかりの追加処分しか出てこなければ、日本郵政グループの腐りきった体質は今後も変わらない、ということだ。

日本郵政による「経営責任の明確化」を金融庁が今後どう判断するかも要注目である。(日本郵便とかんぽ生命に対して監督上の命令を出しているものの、郵政と腐れ縁の総務省には期待しても仕方がない。それでも、金融庁が突っ張れば、総務省だけがお茶を濁すというわけにはいくまい。)
金融庁は昨年末の行政処分ではそれなりにケジメを示した。しかし、郵政グループへの立ち入り検査に入ったのは昨年9月だ。「初動の鈍さ」を指摘されても仕方がない。

郵政グループに巣食う既得権益の塊――旧特定郵便局長、組合、旧郵政官僚など――は必死に生き残りを画策するはずだ。旧特定郵便局長会などは政治を動かして金融庁に圧力をかける可能性がある。かんぽ生命等の株式を追加売却して財源確保に充てたい財務省も弟分の金融庁に手を回し、軟着陸を求めるかもしれない。
だが一方で、この問題に毅然とした対応を貫けなければ、金融監督機関である金融庁は内外で信用と権威を失ってしまう。ここは金融庁の矜持に期待するしかない。

金融庁までもが日和ってしまうようなことがあれば、日本郵政グループ経営陣の責任を問うために残る方法は、株主代表訴訟くらいだ。
郵政の不正は、内部から正すには巨大すぎ、腐りすぎ、広がりすぎている。