民主党政権の悪夢とは何だったのか?

2月10日に自民党大会が開催された。挨拶に立った安倍晋三総理は、2006年の第一次安倍政権時に参議院選で負けたことに触れ、「わが党の敗北で政治は安定を失い、悪夢のような民主党政権が誕生した。あの時代に戻すわけにはいかない」と強調した。これに対して枝野幸男(菅内閣の官房長官)、岡田克也(鳩山内閣の外相、野田内閣の副総理)、原口一博(鳩山内閣の総務相)などが反発したのをマスコミが面白おかしく報道している。

安倍が民主党政権の悪口を言うのは、政権運営に行き詰まった時か、解散を含めて選挙を意識している時だ。今回がどちらなのか、私は知らないし、興味もない。いずれにせよ、前政権の悪口を言い、「それよりは今の方がマシだな」と思わせることによって自らの求心力を高めようとする安倍の根性は実に情けない。だが、安倍のさもしい手法がこれまで何度も功を奏してきたこともまた、情けない事実である。

奇しくも今年は民主党鳩山政権の誕生から10年が経つ、節目の年。驕れる安倍と民主党残党の面々の泥仕合はどうでもいいが、安倍が口にした「民主党政権の悪夢」とは何だったのか、真正面から総括してみるべきである。戦後はじめての選挙を通じた本格的政権交代の挫折を理解することは今後の日本政治の未来を考えるうえで必ず役に立つ。

安倍晋三は民主党政権の3年3ヶ月の失敗を踏み台にして政権に返り咲き、すべてではないにせよ、相当程度は「民主党政権よりもマシ」という理由のおかげで稀に見る長期政権を担うことになった。民主党政権の悪夢について考えることは、安倍内閣の性格を考えるためのヒントにもなるだろう。

ただし、民主党政権のすべてを総括しようと思えば、本が一冊書けるくらいの量になる。今回は私の頭にさっと浮かんだことだけにとどめさせてもらいたい。

 

【経済】

今回、安倍は主に経済の文脈で民主党政権の負のイメージを強調した。しかし、最も代表的な経済指標である実質GDPを見る限り、民主党政権時代がどうしようもない暗黒時代だったと断じるのはどうにも無理がある。(もちろん、経済の評価は指標によってマチマチである。民主党政権時代の経済がバラ色だったと言うつもりは毛頭ない。)

<日本の経済成長率(実質GDP伸び率、2006年~2018年)>

06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18
1.4% 1.7% -1.1% -5.4% 4.2% -0.1% 1.5% 2.0% 0.4% 1.2% 0.6% 1.9% 0.7%

上記の表は、第一次安倍政権(2006年9月-2007年9月)以降の日本の実質GDP成長率を並べたものだ。

民主党政権は2009年9月に発足し、2012年12月に終焉を迎えた。2010年はリーマン・ショック後のリバウンドもあって経済成長率は期間で最高の伸び。2011年はマイナス成長だが、東日本大震災があったことを考えればこれは仕方がない。2012年もプラスだから実質GDPという指標を通してみると民主党政権時代は悪夢というほどではない。

どうしても悪夢と呼びたいのなら、安倍はリーマン・ショック後の麻生政権(2008年9月-2009年9月)を名指しすべきだ。世間がもてはやすアベノミクスにしても、第二次安倍政権になってからの実質経済成長率は1%未満が3年ある。見方によっては「民主党以下」と言えなくもない。

安倍が民主党政権時代と比べて最もよくなったと自慢する数字の一つが有効求人倍率。確かに、2018年の1.61倍という数字は史上最高であり、民主党政権時代(2009年の0.45倍、2010年の0.56倍、2011年の0.68倍、2012年の0.82倍)を遥かに凌駕する。ただし、2009年の数字は大部分、麻生政権の責に帰せられるべきもの。2011年以降の数字は東日本大震災の影響も当然考慮しなければならない。

もっと遡れば、小渕恵三内閣や森喜朗内閣の頃、日本の有効求人倍率は0.49倍、0.56倍という低い数字だった。安倍に公平を期すつもりがあるなら、自民党政権にも暗黒時代があったと認めなければならない。そもそも、有効求人倍率という統計そのものがハローワークを通じたものに限定されており、近年は高めに出る構造になっているのだが・・・。

民主党政権時代と安倍時代、経済の面で最も違っているのは、国民や経営者の「気分」であろう。「アベノミクス」「異次元の金融緩和」など、安倍は経済を拡大するイメージの言葉を繰り返し使う。有効求人倍率という信憑性の疑わしい数字を振りかざして鬼の首でも獲ったかのごとく振舞えるのも安倍の才能と言える。一方、民主党政権時代は、東日本大震災があったのみならず、消費税引き上げ、財政健全化(事業仕分けによる財源探し)、公務員人件費引き下げなど、経済縮小・アンチビジネス的なイメージがつきまとった。国民は経済指標以上に重苦しい気分に浸っていたと思う。そこにつけいる隙があり、安倍は見事にそれを突いた。政治屋としてしたたかであることは認めざるをえない。

 

【外交安全保障】

民主党政権時代の悪夢と言えば、誰もが最初に思い浮かべるのが鳩山内閣における普天間代替施設問題の迷走だろう。これを「愚かな鳩山の失敗」と位置付けるのは問題の矮小化につながる。困難な政治課題に取り組む上で必要となる戦略的思考、閣内・党内・連立内におけるガバナンス、官僚を使う能力など、政権運営に持っていなければならないものを民主党政権は最後まで持つことがなかった。(野田を評価する人に時々出くわすのは、私に言わせれば、前任者の二人があまりにひどかったからだ。)

ここでは業績評価として民主党政権の外交安全保障を振り返り、安倍政権と対比してみる。

① 対米関係

普天間代替施設をめぐる鳩山内閣の対応を受け、民主党政権の発足直後から日米関係は悪化した。そもそも、民主党マニフェストの対米政策には、米地位協定の改定、普天間基地の辺野古移設見直し(「最低でも県外」)、駐留米軍経費の削減、という米国が嫌う項目が目白押しだった。米国の警戒感がなくなることは最後までなかった。民主党政権時代は、中国の「平和的」とは言えない台頭や北朝鮮の執拗な挑発がはっきりと認識されるようになった時代でもあった。そのような状況下で日米同盟に揺らぎが生じたことに対し、国民の多く、特に保守層は不安感を募らせた。

一方、安倍政権下での日米関係は(表面的には)元の鞘に収まった。オバマ政権は「戦後レジームの解体」を唱える安倍政権の右翼的体質を懸念しつつ、安定した親米政権の誕生を歓迎した。(ただし、安倍の実像はナショナリストであり、決して親米家ではない。)トランプ大統領が誕生すると、安倍はトランプの歓心を買うことに腐心してきた。その効果かどうかはわからないが、日本はこれまでトランプ流の主たる標的となることは免れている。だが、トランプ自身の考えは「日米同盟・ファースト」ではなく、あくまで「アメリカ・ファースト」だ。日本が米国にすり寄れば米国が日本の便宜を図ってくれる、という時代に戻ることはもうない。

② 対中関係

2010年9月、菅内閣の時に起きた尖閣漁船事件で中国は民主党政権を敵視するに至った。2010年には中国のGDPが日本のそれを抜いたが、この頃から中国の外交姿勢がもはや「平和的台頭」と呼べない、という警戒感が日本でも急速に高まった。2012年9月、野田内閣が尖閣諸島を国有化すると、再び日中関係は緊張した。野田が国有化を決断したのは、石原都知事(当時)による尖閣購入が日中間に不測の事態を引き起こすことを懸念したためであった。しかし、中国はそうは受け取らなかった。

安倍政権下における日中関係は民主党政権下における日中関係よりもさらに悪化した。中国側は安倍の歴史認識を問題視し、安倍も中国に対する敵愾心を露わにしている。今や、日中関係を友好の時代に戻そうとは両国とも思っていない。ただし、日中双方ともに緊張が一線を越えることには慎重な様子だ。トランプ政権が誕生して米中関係が緊張すると、中国は日本との間で余計な摩擦が起きるのを避けたがるようになった。今日の日中関係は低位で安定した状態と言うこともできる。

③ 対韓関係

鳩山・菅内閣の時代、日韓関係は(良くもなかったが)決して悪くなかった。野田内閣の時代、李明博大統領は慰安婦問題を蒸し返すようになる。2012年8月に李が竹島上陸を強行すると、日韓関係は決定的に冷え込んだ。

歴史問題で極めて強硬な安倍内閣の下、日韓関係は基本的には悪化の一途をたどった。決着したはずの慰安婦合意も韓国から反故にされてしまう。最近は徴用工問題等で日韓が非難を応酬するようになり、日韓関係は戦後最悪と言っても過言でない状態にある。

④ ナショナリズムの充足

政権獲得前、小沢一郎や鳩山は対米自立論を説いていた。国民の中には、その素朴なナショナリズムに期待した者も少なくなかった。しかし、鳩山は普天間移設問題で躓き、最終的にはオバマに膝をついて許しを請う形となり、期待は失望と屈辱に変わった。問題の過程で日米関係は悪化した。日米関係の安定を願う伝統的な保守層の期待はここでも裏切られた。鳩山の失敗を目の当たりにし、菅と野田は対米自立を主張するのを止めた。一方で、菅政権による尖閣漁船事件への対処は国民の目に弱腰と映った。2010年11月にロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問したことも政権に対する国民の怒りを招く。野田内閣でも李明博の竹島上陸や天皇批判などを受け、国民は民主党政権への不満を募らせた。

安倍内閣になってからも、中国、韓国の問題行動は一向に収まらず、むしろ激越になった部分も少なくない。ロシアも北方領土の軍事化を進めるなど、日本が「コケにされる」事態は民主党政権時代以上に起きている。しかし、安倍はタカ派のイメージがあるせいか、特に中韓に対しては「弱腰」とみなされることがほとんどない。米国に対しても安倍政権はご機嫌取りに精を出す姿勢が目立つ。最近、安倍総理がノーベル平和賞にトランプを推薦したというブラック・ジョークのようなことも明らかになった。だが、国民はそれを屈辱的と見做して大きな不満を抱くより、民主党政権時代に顕在化した日米同盟の動揺よりはマシ、と受け止めているように見える。

⑤ 安全保障構想

民主党政権下では菅内閣の2010年12月、防衛大綱を見直して「機動的防衛力」構想を策定した。米ソ冷戦期に策定された「基盤的防衛力」構想は、我が国が一定の防衛力を保有することによって力の空白を作らず、ソ連を抑止するという考え方に基づいていた。これに対し、武器の「保有」から「運用」重視への転換、「南西重視」などの新機軸を打ち出したのが「機動的防衛力」構想である。安全保障筋の玄人の間では概して評価が高い。

安倍内閣の下でも、2013年と2018年の二度、防衛大綱が見直された。2013年は「統合機動防衛力」構想を打ち出したが、前回の見直しからわずか3年しか経っておらず、安倍が民主党政権時代の大綱や用語を使うことを嫌ったため、というのが実態である。昨年末に打ち出した「多次元統合防衛力」も、宇宙やサイバーを従来よりも強調しているが基本線は2010年の大綱(22大綱)を踏襲している。安倍政権が発足すると、尖閣情勢を睨んだ巡視船や潜水艦の増強、武器輸出三原則の見直しなどが進んだ。ただし、これらに着手したのは民主党政権であるという事実は忘れ去られている。

⑥ 外交案件の対処における「しくじり」

民主党政権下では外交安全保障に関する事件が相次いで起き、政治的な焦点課題――平たく言えば「揉め事」――に発展した。典型例は言うまでもなく、民主党政権が発足した直後に起きた普天間問題だ。一国の総理大臣が普天間飛行場の移設先を沖縄県外に見つけると断言したものの、半年後には辺野古移設に回帰。鳩山は国民の支持を失って辞任を余儀なくされた。

菅内閣も発足直後、中国漁船による領海侵犯と海保に対する公務執行妨害に見舞われた。中国人船長を逮捕して拘留を重ねたが、中国側の予想以上の反発にひるみ、突然、船長を釈放して国民から総スカンを食った。

外交案件ではないが、東日本大地震に伴う福島原子力事故のハンドリングも民主党政権の失敗と認識している国民が少なくない。私に言わせれば、福島原発は文字通り「未曾有」の大事故であり、誰が政権にあっても無難に対処することなど不可能だったと思う。

いずれにせよ、民主党政権には重大な事件・事故に対応する能力がない、と国民に信じさせるのに十分な出来事が繰り返し起きた。政権のイメージは、政策の方向性以前の問題として、統治能力に大きく左右される。それが最も如実に表れるのは外交的な事件のハンドリングにおいてだ。一事が万事、という諺があるが、民主党政権は最初の一年間に起きた大事件で続けざまに大失敗した。運がなかった面もあるにせよ、統治能力に致命的な問題があったことは否定できない。

一方、安倍政権には外交安全保障に関わる案件で民主党政権の失敗に比肩すべき事例が見当たらない。辺野古については、沖縄県民の反対を押し切って工事を進めるという意味で(良い悪いの評価は別に)目に見える結果を出している。国論を二分した安保法制も(滅茶苦茶な憲法解釈ではあっても)なんとか成立に漕ぎつけた。

 

【政治とカネ(スキャンダル)】

民主党は自民党政権下の腐敗を批判し、自らはクリーンな政党で売っていた。ところが、民主党政権が誕生する頃から、党の顔とも言える人たちが「政治とカネ」で批判を浴びる事態を招く。

小沢一郎は資金管理団体による土地取引をめぐって元秘書が逮捕・起訴され、政権交代の直前に党代表を辞した。政権発足後も党幹事長の裁判は続いた。

鳩山の「子ども手当」問題もひどかった。母親から総額11億円以上の資金援助を受けながら、政治資金収支報告書に記載せず、現職の総理が脱税を認めざるをえなくなるというスキャンダルだった。

菅直人(発覚当時は総理)と前原誠司(同じく外相)の二人は、在日韓国人からの違法献金問題を追及された。前原は外務大臣をあっさり辞めた。(この人はいつも潔い=もろい。)

安倍と自民党が政権に復帰した後も、政治とカネを含め、不祥事には事欠かない。安倍自身も森友・加計問題で何年も追求を受けてきた。しかし、決定的にクロという物証は得られず、致命傷とはなっていない。では、政治とカネの問題で民主党政権時代を悪夢と呼ぶ資格が安倍政権にあるのか? それは無理というものだ。

 

【内閣と党のガバナンス】

国民の政権与党に対する不信――。この点では安倍政権の圧勝、民主党政権の自爆と言ってよい。

初めての政権交代、ということもあったのだろうが、鳩山内閣と菅内閣ではこれでもかと言わんばかりに大物が入閣した。しかも、彼らの多くは内閣総理大臣の発言に公式の場で異を唱えることが少なくなかった。野田内閣で大物の入閣は減ったが、尖閣国有化の際には外務副大臣の山口壮(今は自民党にいる!)が官邸や外務大臣の方針に盾ついて中国に行ったりした。

そして極めつけは、大量の離党だ。菅・仙谷・野田らの主流派と小沢グループの対立は激化する一方で、2011年末には9名の国会議員が離党。消費税法案の採決では鳩山・小沢ら57名が反対するなど72名の造反者を出した。続いて小沢を筆頭に37名の議員が離党(除籍処分)した。その後も松野順久など、離党は野田内閣が終焉するまで収まらなかった。

安倍政権は「安倍一強」と言われる。大物と言われる閣僚は副総理・財務大臣の麻生太郎と官房長官の菅義偉くらいのもの。安倍に批判的な発言をすればすぐに飛ばされる。安倍に反抗しようとしたのは石破茂くらいだが、ものの見事に封じ込められた。小泉進次郎の自民党批判も安倍の逆鱗に触れない範囲でしかない。

党内民主主義の観点からどうか、という意見はあるだろうが、民主党政権時代の内輪もめと分裂に比べればずっとマシ、というのは国民の偽らざる感想であろう。民主党政権時代の国民そっちのけの党内抗争は、それくらいひどかった。

 

もうこれくらいにしようか。民主党政権時代の悪い思い出をちょっと振り返ってみるつもりが、結構な分量になってしまった。

安倍は「悪夢のような民主党政権」と呼んだ。では、「安倍政権はどれだけ立派なのか?」と冷静に振り返ると、安倍政権もそんなに大した政権ではない。しかし、政治とはある面、国民の心をどう支配するかのゲームだ。今回も自らの発言がメディアで大々的に取り上げられる一方で、民主党政権の末裔たちの反論は「負け犬の遠吠え」にしか聞こえない。安倍が「してやったり」とほくそ笑んでいるのが目に浮かぶ。