今日の日米関係は「良い」のか? 

中国は貿易戦争を仕掛けられ、EUは今月中にも報復関税を発動されることになった。メキシコやカナダはNAFTAの大幅改訂を飲まされた。それに比べれば、トランプの対日圧力はまだ「優しい」方だ、と感じている日本人は決して少なくあるまい。925日に日米が貿易協定の締結に合意したことを受け、「今日の日米関係はまあまあ良いんじゃないか」という思いを強くした人もいるだろう。

だが、ちょっと待ってほしい。日本が圧力を受けていないのならともかく、日本に対する圧力が他国に対するものほどきつくないことを理由に「日米関係は良好である」という結論に至るのは、まともな思考でははない。

「今日の日米関係は史上最強」説

政府・与党やメディアの多くは、現在の日米関係を「非常に良好」と表現する。今年5月にトランプが来日した際も、安倍は「親密な個人的信頼関係により、日米同盟のきずなは揺るぎようがない」と胸を張った。外務省のホームページに至っては、9月25日に行われた日米首脳会談で両首脳が「日米同盟が史上かつてなく強固であるとの認識を再確認」した、とまで書いてある。

米中の貿易戦争は今や投資の分野にまで拡大しつつあり、着地点が見えない。トランプはカナダ、メキシコ、欧州などの同盟国首脳をも口汚い言葉で罵り、従来考えられなかったような要求を突きつけては様々な二国間関係にストレスを生じさせている。

こうしたアメリカ・ファーストの姿勢は日本にも向けられている。今回の日米貿易協定もその反映だ。しかし、トランプの要求リストの本丸部分(自動車)について、日本は交渉の先送りを許された。安倍に向けられてきたトランプの言葉(ツイッターを含む)も、イスラエルを除く他国首脳に対するものと比べれば、明らかにゆるい。その意味では、今日の日米関係を良好と呼ぼうと思えば、呼べないことはない。

だが、今日の日米関係を良好と呼ぶのは、やっぱり何かしっくりこない。その理由をはっきりさせるため、21世紀に入ってからの日米関係を時系列でごく簡単に振り返ってみたい。

21世紀の日米関係を振り返る

〈小泉―ブッシュ時代〉

この時代の日米関係は、確かに良好だったと言える。

外交安全保障面では、9.11を受けて対テロ戦争の遂行を推進した米国に対して、小泉政権は自衛隊をインド洋(アフガン戦争)やサモア(イラク戦争)に派遣し、目に見える貢献を行った。自衛隊は前線に出て戦ったわけではないが、湾岸戦争で「トゥーリトル、トゥーレイト」「キャッシュ・ディスペンサー」と揶揄された日本とは大違いだった。

経済面でも、日本脅威論が喧伝され、1980年代のように日米貿易摩擦が燃え盛った時代はもう過去のものだった。バブル崩壊後の「失われた10年(←その後も続いた)」を経て日本経済の相対的地位が低下した一方、双子の赤字に苦しんでいた米国は、冷戦終結に伴う平和の配当とIT経済の急速な伸長によって経済大国としての自信を取り戻していたのである。

小泉とブッシュの個人的関係も良かった。二人のケミストリーが合っていたことはつとに有名である。小泉のカウンターパートがオバマやトランプであったなら、ここまで緊密な関係とはならなかったに違いない。ジャック・シラク(仏大統領)やゲアハルト・シュレーダー(独首相)はブッシュの単独行動主義をきびしく批判していた。ブッシュにとって、トニー・ブレア(英首相)と小泉純一郎は、単に気があるだけでなく、外交の世界における盟友でもあった。

〈政権交代前〉

小泉は2006年9月に首相を退任する。その後の3年間で首相を務めた安倍晋三(第一次)、福田康夫、麻生太郎の下でも、日米関係の基本は変わっていない。

ただし、2007年の参院選以降、「ねじれ国会」の状況によって日本政府は日米間の約束事を円滑に遂行することができなくなった。福田内閣はテロ特措法の更新に失敗し、インド洋で自衛隊が行っていた米軍艦船への給油活動は3か月以上中断した。ブッシュの方も政権2期目の後半では支持率が低迷し、レイムダック状態に陥った。

小泉以後の3人の日本の首相とブッシュの間に緊密な関係が生まれることもなかった。日本側の首相はほぼ一年おきに交代したうえ、ブッシュとの間でケミストリーが一致する性格の持ち主もいなかったためだ。

〈民主党政権時代〉

2009年1月に米国ではオバマ大統領が就任した。同年8月末に行われた総選挙の結果、日本では2012年12月まで民主党が政権を担うことになる。

民主党は選挙時のマニフェストで、地位協定の改定、普天間代替施設の再検討、駐留米軍経費の削減、東アジア共同体の創設などを訴えていた。こうした対米自立路線が日米同盟に緊張をもたらしたことは言うまでもない。特に、鳩山由紀夫総理が普天間代替基地の辺野古移設案を見直して「最低でも県外」を実現しようとしたことは、日米関係を一気に冷え込ませた。加えて、民主党政権の統治能力欠如が日本政府に対するオバマ政権の不信感を増幅した。

その後、菅直人、野田佳彦の両総理はマニフェストで掲げた対米政策を事実上、封印した。鳩山の躓きに懲りたことが直接の理由だが、2010年秋の尖閣船長事件やメドベージェフ露大統領による国後島訪問など、中国やロシアとの間で緊張が高まったことも彼らの背中を押した。しかし、民主党政権に対するオバマ政権の態度は最後まで醒めたままだった。

民主党政権の3人の首相とオバマ大統領の間に個人的信頼関係が築かれることもなかった。日本側にも問題があったのは事実だが、オバマ自身も外国首脳と個人的に親しくなるような性格ではなかった。

〈安倍―オバマ時代〉

2012年12月の総選挙で安倍・自民党が政権に返り咲く。

安倍は日米関係の立て直しを唱え、米側もそれを歓迎した。中国の軍事的台頭が顕在化する中、オバマ政権は(少なくとも公式には)アジアへのリバランス戦略を打ち出していたからだ。とは言え、「米国は世界の警察官ではない」と表明したオバマの米国は、国際秩序に積極的に関わるよりも内政を重視する傾向が顕著だった。また、安倍内閣の歴史認識や靖国参拝に対する態度はオバマ政権にとって不快かつ危険なものと映っていた。

経済面ではオバマ政権がイニシアチブをとったTPPに日本政府も乗り、共に自由貿易を推進しようとした。2018年3月にはTPP11協定の署名に漕ぎつけている。

安倍とオバマの個人的関係は緊密と呼べるものではなかった。オバマは実務的な人間だったし、右翼的志向を持つ安倍と基本的にはリベラルなオバマの相性が良いわけもなかった。

〈安倍―トランプ時代〉

2017年1月、ドナルド・トランプが米大統領に就任する。

トランプはアメリカ・ファーストを掲げ、中国のみならず、同盟国との間でも摩擦を起こすことを厭わない。現在までのところ、日本はトランプを持ち上げ、米国からの武器調達など早期にトランプの要求に応じることによって、トランプの標的となることから免れてきた。

ただし、トランプ政権は日本に対して在日米軍駐留経費の大幅増――ボルトン大統領補佐官(当時)は来日時に5倍増を吹っかけた――を要求している。北朝鮮に対しても、2018年春までは米朝間に軍事衝突を起こしかねないほど緊張を高めて日本側の懸念を高めていたが、今は北朝鮮が中距離以下のミサイル開発を進めるのを問題視しなくなり、別の意味で日本側を心配させている。客観的に見れば、安全保障面で日米同盟の平仄が合っているとはとても言えない。国際秩序に対するトランプ政権の軍事的なコミットメントも、(オバマがやらなかった)シリア空爆に踏み切った以外は概して消極的である。

トランプは経済面でも日米関係は緊張を持ち込んだ。トランプは就任するやTPPからの脱退を表明。二国間でより米国に有利な貿易協定を結ぼうと画策してきた。

安倍とトランプの個人的関係は、表向き良好ということになっている。だが、二人の間に盟友関係と呼ぶような強い紐帯があるのかは疑問だ。ただし、中国だけでなく多くの同盟国の首脳と仲が悪いトランプにとって、安倍は「仲間」を演出できる数少ない首脳の一人。安倍もトランプとの良好な関係をアピールすることによって米国の要求を値切ろうとしているように見える。二人はお互いに相手のことを「利用するのに都合のよい人物」と考えているのではないか。

 

こうして時系列で見ると、今日の日米関係が良好であるとはとても言えない。日米双方が――安倍もトランプも、両国の官僚たちも――同盟関係の綻びが表面化しないよう画策し、それが比較的うまくいっているだけの話だ。今日の日米関係を良好と呼ぶのに抵抗を感じるのは、当然のことであった。

日米関係はトランプ大統領の誕生によって変質したというわけでもない。米国が内向きになる兆候はオバマの時代から既に顕著だった。来年の大統領選挙でトランプが再選されなくても日米関係が元に戻ることはもうない、と思っておくべきだ。

民主党政権の悪夢とは何だったのか?

2月10日に自民党大会が開催された。挨拶に立った安倍晋三総理は、2006年の第一次安倍政権時に参議院選で負けたことに触れ、「わが党の敗北で政治は安定を失い、悪夢のような民主党政権が誕生した。あの時代に戻すわけにはいかない」と強調した。これに対して枝野幸男(菅内閣の官房長官)、岡田克也(鳩山内閣の外相、野田内閣の副総理)、原口一博(鳩山内閣の総務相)などが反発したのをマスコミが面白おかしく報道している。

安倍が民主党政権の悪口を言うのは、政権運営に行き詰まった時か、解散を含めて選挙を意識している時だ。今回がどちらなのか、私は知らないし、興味もない。いずれにせよ、前政権の悪口を言い、「それよりは今の方がマシだな」と思わせることによって自らの求心力を高めようとする安倍の根性は実に情けない。だが、安倍のさもしい手法がこれまで何度も功を奏してきたこともまた、情けない事実である。

奇しくも今年は民主党鳩山政権の誕生から10年が経つ、節目の年。驕れる安倍と民主党残党の面々の泥仕合はどうでもいいが、安倍が口にした「民主党政権の悪夢」とは何だったのか、真正面から総括してみるべきである。戦後はじめての選挙を通じた本格的政権交代の挫折を理解することは今後の日本政治の未来を考えるうえで必ず役に立つ。

安倍晋三は民主党政権の3年3ヶ月の失敗を踏み台にして政権に返り咲き、すべてではないにせよ、相当程度は「民主党政権よりもマシ」という理由のおかげで稀に見る長期政権を担うことになった。民主党政権の悪夢について考えることは、安倍内閣の性格を考えるためのヒントにもなるだろう。

ただし、民主党政権のすべてを総括しようと思えば、本が一冊書けるくらいの量になる。今回は私の頭にさっと浮かんだことだけにとどめさせてもらいたい。

 

【経済】

今回、安倍は主に経済の文脈で民主党政権の負のイメージを強調した。しかし、最も代表的な経済指標である実質GDPを見る限り、民主党政権時代がどうしようもない暗黒時代だったと断じるのはどうにも無理がある。(もちろん、経済の評価は指標によってマチマチである。民主党政権時代の経済がバラ色だったと言うつもりは毛頭ない。)

<日本の経済成長率(実質GDP伸び率、2006年~2018年)>

06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18
1.4% 1.7% -1.1% -5.4% 4.2% -0.1% 1.5% 2.0% 0.4% 1.2% 0.6% 1.9% 0.7%

上記の表は、第一次安倍政権(2006年9月-2007年9月)以降の日本の実質GDP成長率を並べたものだ。

民主党政権は2009年9月に発足し、2012年12月に終焉を迎えた。2010年はリーマン・ショック後のリバウンドもあって経済成長率は期間で最高の伸び。2011年はマイナス成長だが、東日本大震災があったことを考えればこれは仕方がない。2012年もプラスだから実質GDPという指標を通してみると民主党政権時代は悪夢というほどではない。

どうしても悪夢と呼びたいのなら、安倍はリーマン・ショック後の麻生政権(2008年9月-2009年9月)を名指しすべきだ。世間がもてはやすアベノミクスにしても、第二次安倍政権になってからの実質経済成長率は1%未満が3年ある。見方によっては「民主党以下」と言えなくもない。

安倍が民主党政権時代と比べて最もよくなったと自慢する数字の一つが有効求人倍率。確かに、2018年の1.61倍という数字は史上最高であり、民主党政権時代(2009年の0.45倍、2010年の0.56倍、2011年の0.68倍、2012年の0.82倍)を遥かに凌駕する。ただし、2009年の数字は大部分、麻生政権の責に帰せられるべきもの。2011年以降の数字は東日本大震災の影響も当然考慮しなければならない。

もっと遡れば、小渕恵三内閣や森喜朗内閣の頃、日本の有効求人倍率は0.49倍、0.56倍という低い数字だった。安倍に公平を期すつもりがあるなら、自民党政権にも暗黒時代があったと認めなければならない。そもそも、有効求人倍率という統計そのものがハローワークを通じたものに限定されており、近年は高めに出る構造になっているのだが・・・。

民主党政権時代と安倍時代、経済の面で最も違っているのは、国民や経営者の「気分」であろう。「アベノミクス」「異次元の金融緩和」など、安倍は経済を拡大するイメージの言葉を繰り返し使う。有効求人倍率という信憑性の疑わしい数字を振りかざして鬼の首でも獲ったかのごとく振舞えるのも安倍の才能と言える。一方、民主党政権時代は、東日本大震災があったのみならず、消費税引き上げ、財政健全化(事業仕分けによる財源探し)、公務員人件費引き下げなど、経済縮小・アンチビジネス的なイメージがつきまとった。国民は経済指標以上に重苦しい気分に浸っていたと思う。そこにつけいる隙があり、安倍は見事にそれを突いた。政治屋としてしたたかであることは認めざるをえない。

 

【外交安全保障】

民主党政権時代の悪夢と言えば、誰もが最初に思い浮かべるのが鳩山内閣における普天間代替施設問題の迷走だろう。これを「愚かな鳩山の失敗」と位置付けるのは問題の矮小化につながる。困難な政治課題に取り組む上で必要となる戦略的思考、閣内・党内・連立内におけるガバナンス、官僚を使う能力など、政権運営に持っていなければならないものを民主党政権は最後まで持つことがなかった。(野田を評価する人に時々出くわすのは、私に言わせれば、前任者の二人があまりにひどかったからだ。)

ここでは業績評価として民主党政権の外交安全保障を振り返り、安倍政権と対比してみる。

① 対米関係

普天間代替施設をめぐる鳩山内閣の対応を受け、民主党政権の発足直後から日米関係は悪化した。そもそも、民主党マニフェストの対米政策には、米地位協定の改定、普天間基地の辺野古移設見直し(「最低でも県外」)、駐留米軍経費の削減、という米国が嫌う項目が目白押しだった。米国の警戒感がなくなることは最後までなかった。民主党政権時代は、中国の「平和的」とは言えない台頭や北朝鮮の執拗な挑発がはっきりと認識されるようになった時代でもあった。そのような状況下で日米同盟に揺らぎが生じたことに対し、国民の多く、特に保守層は不安感を募らせた。

一方、安倍政権下での日米関係は(表面的には)元の鞘に収まった。オバマ政権は「戦後レジームの解体」を唱える安倍政権の右翼的体質を懸念しつつ、安定した親米政権の誕生を歓迎した。(ただし、安倍の実像はナショナリストであり、決して親米家ではない。)トランプ大統領が誕生すると、安倍はトランプの歓心を買うことに腐心してきた。その効果かどうかはわからないが、日本はこれまでトランプ流の主たる標的となることは免れている。だが、トランプ自身の考えは「日米同盟・ファースト」ではなく、あくまで「アメリカ・ファースト」だ。日本が米国にすり寄れば米国が日本の便宜を図ってくれる、という時代に戻ることはもうない。

② 対中関係

2010年9月、菅内閣の時に起きた尖閣漁船事件で中国は民主党政権を敵視するに至った。2010年には中国のGDPが日本のそれを抜いたが、この頃から中国の外交姿勢がもはや「平和的台頭」と呼べない、という警戒感が日本でも急速に高まった。2012年9月、野田内閣が尖閣諸島を国有化すると、再び日中関係は緊張した。野田が国有化を決断したのは、石原都知事(当時)による尖閣購入が日中間に不測の事態を引き起こすことを懸念したためであった。しかし、中国はそうは受け取らなかった。

安倍政権下における日中関係は民主党政権下における日中関係よりもさらに悪化した。中国側は安倍の歴史認識を問題視し、安倍も中国に対する敵愾心を露わにしている。今や、日中関係を友好の時代に戻そうとは両国とも思っていない。ただし、日中双方ともに緊張が一線を越えることには慎重な様子だ。トランプ政権が誕生して米中関係が緊張すると、中国は日本との間で余計な摩擦が起きるのを避けたがるようになった。今日の日中関係は低位で安定した状態と言うこともできる。

③ 対韓関係

鳩山・菅内閣の時代、日韓関係は(良くもなかったが)決して悪くなかった。野田内閣の時代、李明博大統領は慰安婦問題を蒸し返すようになる。2012年8月に李が竹島上陸を強行すると、日韓関係は決定的に冷え込んだ。

歴史問題で極めて強硬な安倍内閣の下、日韓関係は基本的には悪化の一途をたどった。決着したはずの慰安婦合意も韓国から反故にされてしまう。最近は徴用工問題等で日韓が非難を応酬するようになり、日韓関係は戦後最悪と言っても過言でない状態にある。

④ ナショナリズムの充足

政権獲得前、小沢一郎や鳩山は対米自立論を説いていた。国民の中には、その素朴なナショナリズムに期待した者も少なくなかった。しかし、鳩山は普天間移設問題で躓き、最終的にはオバマに膝をついて許しを請う形となり、期待は失望と屈辱に変わった。問題の過程で日米関係は悪化した。日米関係の安定を願う伝統的な保守層の期待はここでも裏切られた。鳩山の失敗を目の当たりにし、菅と野田は対米自立を主張するのを止めた。一方で、菅政権による尖閣漁船事件への対処は国民の目に弱腰と映った。2010年11月にロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問したことも政権に対する国民の怒りを招く。野田内閣でも李明博の竹島上陸や天皇批判などを受け、国民は民主党政権への不満を募らせた。

安倍内閣になってからも、中国、韓国の問題行動は一向に収まらず、むしろ激越になった部分も少なくない。ロシアも北方領土の軍事化を進めるなど、日本が「コケにされる」事態は民主党政権時代以上に起きている。しかし、安倍はタカ派のイメージがあるせいか、特に中韓に対しては「弱腰」とみなされることがほとんどない。米国に対しても安倍政権はご機嫌取りに精を出す姿勢が目立つ。最近、安倍総理がノーベル平和賞にトランプを推薦したというブラック・ジョークのようなことも明らかになった。だが、国民はそれを屈辱的と見做して大きな不満を抱くより、民主党政権時代に顕在化した日米同盟の動揺よりはマシ、と受け止めているように見える。

⑤ 安全保障構想

民主党政権下では菅内閣の2010年12月、防衛大綱を見直して「機動的防衛力」構想を策定した。米ソ冷戦期に策定された「基盤的防衛力」構想は、我が国が一定の防衛力を保有することによって力の空白を作らず、ソ連を抑止するという考え方に基づいていた。これに対し、武器の「保有」から「運用」重視への転換、「南西重視」などの新機軸を打ち出したのが「機動的防衛力」構想である。安全保障筋の玄人の間では概して評価が高い。

安倍内閣の下でも、2013年と2018年の二度、防衛大綱が見直された。2013年は「統合機動防衛力」構想を打ち出したが、前回の見直しからわずか3年しか経っておらず、安倍が民主党政権時代の大綱や用語を使うことを嫌ったため、というのが実態である。昨年末に打ち出した「多次元統合防衛力」も、宇宙やサイバーを従来よりも強調しているが基本線は2010年の大綱(22大綱)を踏襲している。安倍政権が発足すると、尖閣情勢を睨んだ巡視船や潜水艦の増強、武器輸出三原則の見直しなどが進んだ。ただし、これらに着手したのは民主党政権であるという事実は忘れ去られている。

⑥ 外交案件の対処における「しくじり」

民主党政権下では外交安全保障に関する事件が相次いで起き、政治的な焦点課題――平たく言えば「揉め事」――に発展した。典型例は言うまでもなく、民主党政権が発足した直後に起きた普天間問題だ。一国の総理大臣が普天間飛行場の移設先を沖縄県外に見つけると断言したものの、半年後には辺野古移設に回帰。鳩山は国民の支持を失って辞任を余儀なくされた。

菅内閣も発足直後、中国漁船による領海侵犯と海保に対する公務執行妨害に見舞われた。中国人船長を逮捕して拘留を重ねたが、中国側の予想以上の反発にひるみ、突然、船長を釈放して国民から総スカンを食った。

外交案件ではないが、東日本大地震に伴う福島原子力事故のハンドリングも民主党政権の失敗と認識している国民が少なくない。私に言わせれば、福島原発は文字通り「未曾有」の大事故であり、誰が政権にあっても無難に対処することなど不可能だったと思う。

いずれにせよ、民主党政権には重大な事件・事故に対応する能力がない、と国民に信じさせるのに十分な出来事が繰り返し起きた。政権のイメージは、政策の方向性以前の問題として、統治能力に大きく左右される。それが最も如実に表れるのは外交的な事件のハンドリングにおいてだ。一事が万事、という諺があるが、民主党政権は最初の一年間に起きた大事件で続けざまに大失敗した。運がなかった面もあるにせよ、統治能力に致命的な問題があったことは否定できない。

一方、安倍政権には外交安全保障に関わる案件で民主党政権の失敗に比肩すべき事例が見当たらない。辺野古については、沖縄県民の反対を押し切って工事を進めるという意味で(良い悪いの評価は別に)目に見える結果を出している。国論を二分した安保法制も(滅茶苦茶な憲法解釈ではあっても)なんとか成立に漕ぎつけた。

 

【政治とカネ(スキャンダル)】

民主党は自民党政権下の腐敗を批判し、自らはクリーンな政党で売っていた。ところが、民主党政権が誕生する頃から、党の顔とも言える人たちが「政治とカネ」で批判を浴びる事態を招く。

小沢一郎は資金管理団体による土地取引をめぐって元秘書が逮捕・起訴され、政権交代の直前に党代表を辞した。政権発足後も党幹事長の裁判は続いた。

鳩山の「子ども手当」問題もひどかった。母親から総額11億円以上の資金援助を受けながら、政治資金収支報告書に記載せず、現職の総理が脱税を認めざるをえなくなるというスキャンダルだった。

菅直人(発覚当時は総理)と前原誠司(同じく外相)の二人は、在日韓国人からの違法献金問題を追及された。前原は外務大臣をあっさり辞めた。(この人はいつも潔い=もろい。)

安倍と自民党が政権に復帰した後も、政治とカネを含め、不祥事には事欠かない。安倍自身も森友・加計問題で何年も追求を受けてきた。しかし、決定的にクロという物証は得られず、致命傷とはなっていない。では、政治とカネの問題で民主党政権時代を悪夢と呼ぶ資格が安倍政権にあるのか? それは無理というものだ。

 

【内閣と党のガバナンス】

国民の政権与党に対する不信――。この点では安倍政権の圧勝、民主党政権の自爆と言ってよい。

初めての政権交代、ということもあったのだろうが、鳩山内閣と菅内閣ではこれでもかと言わんばかりに大物が入閣した。しかも、彼らの多くは内閣総理大臣の発言に公式の場で異を唱えることが少なくなかった。野田内閣で大物の入閣は減ったが、尖閣国有化の際には外務副大臣の山口壮(今は自民党にいる!)が官邸や外務大臣の方針に盾ついて中国に行ったりした。

そして極めつけは、大量の離党だ。菅・仙谷・野田らの主流派と小沢グループの対立は激化する一方で、2011年末には9名の国会議員が離党。消費税法案の採決では鳩山・小沢ら57名が反対するなど72名の造反者を出した。続いて小沢を筆頭に37名の議員が離党(除籍処分)した。その後も松野順久など、離党は野田内閣が終焉するまで収まらなかった。

安倍政権は「安倍一強」と言われる。大物と言われる閣僚は副総理・財務大臣の麻生太郎と官房長官の菅義偉くらいのもの。安倍に批判的な発言をすればすぐに飛ばされる。安倍に反抗しようとしたのは石破茂くらいだが、ものの見事に封じ込められた。小泉進次郎の自民党批判も安倍の逆鱗に触れない範囲でしかない。

党内民主主義の観点からどうか、という意見はあるだろうが、民主党政権時代の内輪もめと分裂に比べればずっとマシ、というのは国民の偽らざる感想であろう。民主党政権時代の国民そっちのけの党内抗争は、それくらいひどかった。

 

もうこれくらいにしようか。民主党政権時代の悪い思い出をちょっと振り返ってみるつもりが、結構な分量になってしまった。

安倍は「悪夢のような民主党政権」と呼んだ。では、「安倍政権はどれだけ立派なのか?」と冷静に振り返ると、安倍政権もそんなに大した政権ではない。しかし、政治とはある面、国民の心をどう支配するかのゲームだ。今回も自らの発言がメディアで大々的に取り上げられる一方で、民主党政権の末裔たちの反論は「負け犬の遠吠え」にしか聞こえない。安倍が「してやったり」とほくそ笑んでいるのが目に浮かぶ。