参議院選挙が思い知らせた「選挙における政策論争の消滅」

7月21日(日)に参議院選挙が行われた。各党の議席数は報道されているとおりである。とても醒めた言い方になるが、れいわ新選組やNHKを国民から守る党が議席を獲得したことを含め、あまり驚きのない結果であった。

各党の勢いを見るため、今回の参院選と前回(2017年10月)の衆議院選で主要政党が獲得した得票率を並べてみよう。

〈主要政党の比例得票率〉 (単位%)

自民 公明 立憲 維新 希望 国民 共産 れ新
前回

衆院選

33.3 12.5 19.9 6.1 17.4 7.9
今回

参院選

35.4 13.1 15.8 9.8 7 9 4.6

絶対的な得票数は落ちていても、与党は得票率を増やしている。自民は35%で野党第一党の立憲に対してダブル・スコア以上の大差をつけた。自公の合計は48%超。半分を切っているという見方もできるが、やっぱり強い。

一方、立憲民主は2年前から得票率を落とし、党勢にブレーキがかかっていることを窺わせる。2年前の支持層の一部は山本太郎のれいわ新選組に流れたのかもしれない。だが、前回衆院選で自公や希望に行った票――総投票数の約63%に及ぶ――をこの2年間、ほとんど取り込めていないという現実の方が深刻だ。せめて2割近くを握っていないと、立憲が野党の核になることも、野党全体で与党に対抗することも望めない。

維新の会は小躍進した。この春に仕掛けた大阪府知事と大阪市長のスライド選挙という賭けが吉と出て、関西圏(及び首都圏)で久しぶりに風が吹いた、というところだ。

現状、野党に国民の支持が大きく集まる気配は見られない。政権交代はおろか、与野党がある程度伯仲して政権運営に緊張感をもたらすこともむずかしい――。それが偽らざる感想だ。

さて、今回の参議院選挙ほど、政策的争点のない選挙はなかった。だが私は、それを「野党がだらしないから」と簡単に言うべきではないと思う。国民に語るべき大きな政策を持たない点においては、与党も五十歩百歩だからである。素性の知れない人物の唱える「NHK放送のスクランブル化」というニッチな公約が一番目立った、という情けない事実がそのことを如実に示している。

このブログでは、国民の関心が高かった経済(景気)と社会保障の分野において、参議院選挙を通じて各党がどのような政策を公約したか、少し復習してみたい。

経済政策

今回の参議院選挙の最大の争点は、10月に予定されている消費税率引き上げの是非だという見方が事前には強かった。確かにテレビの討論番組などでは司会者がこの問題を提起してはいた。しかし、多くの有権者がそれによって投票行動を決したとは思えない。その理由はいくつかある。

一つは、現在の政治状況からくる諦観。今日、衆参では与党が圧倒的多数を占めている。選挙前の世論調査でも自民党の支持率が4割前後なのに対し、野党第一党の支持率は10%以下。自民党には公明党(創価学会)という選挙上最強の後ろ盾もついている。しかも、小選挙区の衆議院ならともかく、中選挙区的な要素の混じり、半数しか改選されない参議院選挙では、政権交代や衆参の捻じれが実現することはありえない。

もう一つは、国民の意見が分かれていること。世論調査では、国民の半数近くが消費税率引き上げに反対と答える一方、賛成という国民も常に4割近くいる。反対と答えた国民でさえ、少子高齢化が止まらない中、社会保障や教育・子育て政策に充てるため、消費税率引き上げが必要だと言われれば、「消費税が上がるのは嫌だけど、仕方がない」と思う者が少なくない。他所の国ではどうか知らないが、日本人には真面目な人間が多いのだ。

次に、経済政策として争点となり得たアベノミクスはどうだったか?

安倍の政権復帰から6年経った今、アベノミクスはメッキの剥がれが相当目立ってきている。安倍政権はこれまで、株価など良好な指標のみを宣伝し、民主党政権の致命的なまでのガバナンスの悪さを思い起こさせることでアベノミクスの優位性を喧伝してきた。だが、安倍政権下で日本経済の平均成長率は+1.15%にすぎない。IMFの予測によれば、今年の経済成長率は+0.9%、来年も+0.4%と今後も低水準が続く。「悪夢の民主党政権」の3年間、東日本大震災を経験したにもかかわらず、日本経済が平均して年率+1.87%で成長した。国民もさすがに「アベノミクスも言うほどの成功ではない」と気づき始めている。

ところが、野党の側はアベノミクスを批判するだけで、対案を示せない状態が何年も続いている。特に、野党第一党の立憲民主党に骨太な経済政策が見あたらないのはつらい。

もっとも、野党にも(与党にも)同情すべき部分はある。人口減少が続く日本で、経済政策の妙案がおいそれと見つかるわけはないのだ。立憲民主などは、経済音痴であることを認めて開き直ればよいのに、と思う。「経済運営は政権交代しても基本的に変えない。低金利政策と財政出動は基本的に継続する」と言っておけば、経済界や多くの労働者は安心する。旧民主党政権も東日本大震災を受けて財政出動は十分にしていた。日銀が超低金利政策に転じたのも野田政権末期のことだった。経済政策は自公を引き継ぐことにして、それ以外の政策で与党と差別化を図る、というのも選挙戦略としてはありえるんじゃないかね?

立憲以外にも少し目を向けてみようか。維新は相変わらず、お題目みたいに規制緩和と言うだけ。昭和末期から平成初期に流行った議論だが、ある程度の経済成長を実現するには線が細い。国民民主は今回、高速道路千円、家賃補助、児童手当増額など、積極財政政策に舵を切った。こども国債という名目で現代貨幣理論(MMT)に乗ったようにも見える。ただし、選挙戦を通じてこうした政策が注目されることはまったくなかった。この党は政策以前に党としての信頼性獲得が課題かな? 共産党の経済政策は、アンチ・ビジネスと低所得者偏重が過ぎるので論評しないでおこう。

年金政策

もう一つの大きなテーマになると思われた年金政策はどうだったか?

参院選の直前、金融庁の審議会が「老後、公的年金だけでは足りないから2000万円の貯蓄が必要」というレポートを出し、選挙への悪影響を恐れた政府が受け取りを拒否するという珍事件が起きた。政府は「年金は百年安心」と言ってきた(と思われてきた)ため、国民の政権不信が一気に高まった。ある野党の政治家は「神風が吹いた」と喜んだそうだ。

しかし、結果的に神風はそよ風程度のものだった。野党はここでも対案を出せなかった。例は良くないが、イギリスのブレグシットも、「EUはけしからん」だけなら国民投票にたどりつくことはなかった。「EU残留」と「EU離脱」という2つの選択肢が示されてはじめて、国論を二分する一大争点になった。年金も選択肢が複数なければ論争にならない。

確かに、年金というテーマに国民の関心は非常に高い。しかし、国民の大多数を喜ばせ、納得させられる解決策は存在しない。誰だって、支給開始年齢は今のまま、支給額が増えるのがいいに決まっている。そして誰だって、保険料負担や消費税が上がるのは嫌だ。この2つの矛盾を解決するには、高齢化の進展以上の速度で労働力人口が増え続けるか、給料が上がり続けるしかない。それができたのは高度成長期のみであり、今はもう不可能だ。

結局、各党の提示しうる年金政策は、年金制度をやめないかぎり、

    1. 年金支給年齢の引き上げや年金支給額を減らしながら、現行制度を続ける
    2. 年金支給額を維持・増加するため、保険料や消費税率を引き上げる

のいずれかとならざるをえない。(それ以外にも、財政赤字を増やしてでも少子化対策を打つとか、移民を大幅に増やすと言った選択肢も考えられるが、今回は深入りしない。)

自公は①を称して「100年安心」と言っている。決して、現行の年金支給水準が100年続く、という意味ではない。給付水準を下げれば制度が維持されるのは当たり前。だから、嘘とは言い切れない。だが、国民が誤解するに任せていたのは「ズルい」話だ。ちなみに、金融庁の報告書が「2000万円必要」と言ったのは、①を前提にしたギリギリの生活が嫌だったらお金を貯めておいた方がいいですよ、という意味とも読める。

一方、年金の支給額が不十分だ、という野党の主張を政策にしようと思えば、②の方向へ行かざるをえない。ところが野党は、10月の消費税率引き上げにすら反対している。国民の負担増を公約として打ち出すことなど論外だ。勢い、その年金政策は曖昧となり、選挙戦の最中も政府・与党の隠蔽体質を批判するにとどまった。(公平を期すために言うと、野党は低年金者対策の充実についてはこの選挙で具体策を示していた。しかし、わずかの金額であるうえ、正当に保険料を支払った大多数の国民には関係がない話であったため、争点になることがなかったのも当然である。)

野党の参院選公約を見ると、立憲民主は最低保障機能の強化を謳っている。低年金者の給付額を上げるのだろうが、低年金者とそうでない人の線をどこで引くのか、受給額をいくらにするのかといった具体的な制度設計は示されていない。そこの議論に入れば、必要な財源と消費税率の引き上げ幅が表に出るためであろう。しかし、「最低保障機能の強化」だけ言われても国民は政策とは受け止めない。

一方、維新が提案しているのは積み立て方式の導入だ。一見魅力的に聞こえるが、既に何十年も賦課方式でやってきているため、新方式への切り替えには膨大な財源が必要になる。維新もそこについては口を閉ざしたままである。

私は、野党が公約で細かく財源を示す必要は全然ないと思っている。しかし、こと年金に関しては、そういうわけにはいかない。野党が年金の充実を公約するのなら、負担増についても説明すべきだ。ブレグジットの国民投票の際、離脱派は「EUから離脱すれば拠出金がなくなり、英国の社会保障に毎週(←毎年ではない)500億円使えるようになる」という主張――もちろん嘘だ――を展開し、多くの人がそれを信じた。日本でそんなことはやめてもらいたい。

ここからは少し脱線する。

上述した2つの年金政策は年金制度の存続を前提にしたものである。だが将来的には、「老後は自助努力で支える。その代わり、保険料も支払わない」という考え方に立ち、年金制度の廃止を掲げる政党が現れても驚くべきではない。年金保険料を一定期間以上支払った世代にとって年金廃止は損な話になるため、多数派を占めることはさすがに無理だろう。しかし、若い世代にとって今の年金制度は年寄り世代を支えるためのアンフェアな「持ち出し」にほかならない。シングル・イッシュー・パーティとして若者にターゲットを絞れば、複数議席の獲得は十分可能だと思う。

その結果、将来の日本の年金制度改革が、負担増による給付増(または給付維持)という方向に進むのではなく、負担減と給付減――足りない部分は自助努力で補う前提である――という方向に向かう可能性も出てくるのではないか。自助を強調する考え方は自民党の理念とも親和性が高い。そんな状況になったら、野党はどうするんだろうか?

今後の展開~有志連合と補正予算

参議院選挙が終わり、来週には臨時国会が開かれる。だが、これは参議院議長を選ぶための短期間。その後、秋に開かれるであろう臨時国会では、どのような政策が議論されることになるのだろうか? 少しばかり予想してみよう。

まず、マスコミが騒ぐ憲法改正はどうか? 安倍総理が何をやりたいのか、正直言って私にはよくわからない。自民党は4項目の改憲案を決めているが、選挙戦の最中、憲法のどこをどう変える、ということを安倍が力説したという印象はない。安倍が言っていたのは、憲法を変えたい、ということだけだった。しかも、選挙が終わった途端、自民党の案にはこだわらない、と言い出す始末だ。結局、安倍がほしいのは「はじめて憲法を改正した総理大臣」という名誉なのであろう。

そのうえで言えば、国民投票法の改正で野党に譲歩したうえで、野党を分断して憲法改正の土俵に引きずり込む、というのが最も考えられる安倍の改憲戦術ではないか。ただし、安倍は憲法改正の前にトランプが要求しているペルシャ湾の有志連合について、対応を決めなければならない。その分、改憲のスケジュールは後ろに倒れるだろう。

では、ペルシャ湾の有志連合に日本政府はどう対応するのか? 米国が期待しているようなことを自衛隊にさせるためには、新法の制定のみならず、9条解釈の再変更が必要となりかねない。仮に現行法で対応しようとすれば、ペルシャ湾の事態を存立危機事態と認定しなければならない。だが、今の時代にオイル・ショックが再現するようなシナリオには無理がありすぎる。

日本のタンカーが沈められて日本が当事者になってしまえば別だが、ペルシャ湾を理由に新法を通すのはなかなか骨の折れる仕事になる。今の危機は、イラン核合意からの離脱をはじめ、トランプの側にも責任があることは事実だ。「日本はトランプのマッチ・ポンプに付き合って自衛隊を派遣するのか?」という批判が出てくることも避けられない。解散・総選挙を視野に入れた時も、具合がよろしくないだろう。

加えて、安倍晋三は本来的に親米主義者というよりもナショナリストである、という要素についても考える必要がある。(ここで詳しくは述べないが、私は安倍の親米は本心からくるものではないと思っている。)安倍が「米国に付き合ってペルシャ湾くんだりで自衛隊員の血を流してもよい」と考えるかどうか? はっきり見えてこない。

次に、経済政策はどうか? ポイントは3つある。

一つ目は、この夏、米国との貿易協議がどう決着するか。程々の線で妥協して双方が自賛できればよし。ひどい譲歩を呑まされれば、安倍の解散戦略に制約が強まる。呑まないで交渉が長引けば、トランプが何をツィートするかわからず、それはそれで安倍にとって爆弾になる。

二つ目は、日本の景気動向全般に対しては、米中貿易・技術戦争の行方がから目が離せない。ただし、これは安倍政権が当事者能力を発揮できる問題ではない。日本政府に米中の仲介役が務まるとも思えない。まさに見守るしかないだろう。

三つ目にして当面の経済政策で最大の課題となるのは、消費税率引き上げをいかに軟着陸させるか、ということ。消費税が上がれば、消費は冷え込む。その分、政府支出を増やして景気の落ち込みを防がなければならない。実はこれ、今年1月17日のポストでも書いたとおり、日本政府は既に昨年度の補正予算と今年度の予算で手当てしている。だが、消費税率が上がると言うのにまだ駆け込み需要も見られず、景気の先行きは視界不良だ。そこでもう一丁、財政出動した方がいい、という意見が強まる可能性が高い。そうなれば、補正予算という話になる。

ここで問題は、何を名目に追加財政出動するか、ということである。ポイント還元やプレミアム付商品券といった消費税対策は、期間延長では当面の消費喚起にはならない。かと言って、今からポイントを拡大するなど制度をいじれば、混乱が大きい。

定番の公共事業はどうか? これについても、昨年度から来年度までの3年間、防災・減災、国土強靭化のための緊急対策として7兆円の公共事業を既に組んでいる。これには不要不急のものまで計上しているので、ここから増やすと言っても限度がある。結局、中途半端な補正を打ってお茶を濁す、ということになりそうだ。

安倍が補正予算で大玉を考えるとしたら、教育の無償化や児童手当の増額といった野党が主張している政策に手を出す可能性もないではない。これらは一旦始めれば恒久的に支出が続く政策だ。本来、消費税引き上げ対策として補正を組んで一時的にやるべきものではない。だが、安倍が国民民主の「子ども国債」に食いついたらどうか? 財務省は反対するだろうが、同省は安倍政権内での影響力が低下しているうえ、自民党内にもMMT支持派は一定数いる。まったくあり得ない話ではないだろう。

玉木代表は憲法改正をめぐる安倍の「釣り球」にもアッという間に飛びついたらしい。安倍総理のやり方次第では、憲法改正と子ども国債は野党分断の絶好の玉になりそうだ。

仁義なき選挙情報戦略~自民党の強さの秘密

参議院選挙の投票日まであと1週間。メディアでは「与党(自公)が優勢」という報道が躍っているようだ。今回の選挙、「争点が何なのか、よくわからない」「与党もパッとしないが、野党も批判ばかり」という声をやたらとよく耳にする。こうなると、自民党と公明党の組織力がものを言う。与党優位という情勢調査も当然かな、と思う。だが、与党有利の理由はそれだけではない。

我々有権者は、各党の政策や政治姿勢、あるいは政治家の人格等を判断して投票先を決めていると思っている。それこそが民主主義と選挙の建前でもある。しかし、正確に言えば、有権者は、各々が認識する「各党の政策や政治姿勢、あるいは政治家の人格等」を判断材料にして投票先を決めている。この部分、すなわち「有権者が各党をいかに認識するか」に大きな影響を与えるのが各党の情報戦略である。

ナチス・ドイツの例を持ち出すまでもなく、徹底的かつ巧妙な情報操作によって特定政党を支持するよう有権者を「洗脳」することは不可能なことではない。日本でそれを最も効果的にやれる立場にあるのは、資金力が豊富で長年権力を独占してきた自民党である。

自民党がこのことを理解し、既に実行に移しているとすれば? 政策をありのままに伝えることに重きを置く野党が、自民党に対抗するのは至難の業だ。それこそが近年の日本で起きていることだと思う。

中吊り広告による選挙応援?

先日電車に乗っていた時、ある中吊り広告を見ながら、「これでは自民党が強いわけだ」と妙に納得した。

私が見た中吊りは、高橋洋一著『安倍政権「徹底査定」』の広告であった。(中吊りそのものではないが、同書の新聞広告はこちら。)そこには、「安倍政権に80点をつける」とか、「若者の雇用が増えた」とか、「長期政権だから外交もよい」といった表現――記憶に基づくものなので正確ではない――が躍っていた。

面白いことに、6月の新聞広告に載っていた「だが、消費増税=景気後退なら大減点だ!」という大きな一行は、私の見た中吊り広告には見当たらなかった。安倍政権が10月の消費増税を掲げたまま選挙戦に入ったため、自民党(安倍政権)にネガとなる表現は避けたのだろう。その代わりに追加されていたのが、野党と(安倍政権に批判的な)メディアに対する批判である。ちなみに、出版元は悟空出版という2014年に設立された会社。ホームページを見る限り、ネトウヨ的な刊行物や安倍政権ヨイショの本が目立つ。

選挙期間中にこの中吊り広告を都内の地下鉄に掲載するのは、安倍政権(自民党)に対する選挙応援と受け取られても仕方ない。自民党がやれば、地下鉄なり、JRなりの自主規制コードにひっかかる可能性が高いだろう。しかし、高橋何某の書いた本の宣伝であれば、よほどのデタラメが書いてない限り、地下鉄会社も掲載を断ることはない。

アベノミクスの定量的な評価は、何の指標をとるかによって分かれる。たとえば、首相官邸の「『日本再興戦略』改訂2014」というホームページ――今は更新されていない――には、スーパーマンみたいなのが助走からホップ・ステップ・ジャンプよろしく空を飛んでいく絵が描いてあり、その先には「国内総生産成長率3%」とある。IMFによれば、日本の経済成長率は、2013年=2%、2014年=0.4%、2015年=1.2%、2016年=0.6%、2017年=1.9%、2018年=0.8%であった。ただの1年でさえ、目標を達成したことがなく、6年間のうち半分は1%を切っている。目標未達は明らかだ。だがそれでも、良い指標だけを取り出してアベノミクスはうまくいっている、と評価することを嘘とまでは言うことはできない。実際、自民党の公約パンフレットには、安倍にとって都合のよい数字だけが、これでもか、とばかりに載っている。

安倍外交についても評価は分かれる。厳しいことを言えば、安倍政権下でも拉致問題は前進せず、北朝鮮の核・ミサイル開発はさらに深刻化。中国公船による尖閣付近の領海及び接続水域への侵犯も減らず、北方領土交渉に至っては期待を振りまくばかりでプーチンから軽くあしらわれている。トランプにも振り回されているようにしか見えない。総理の外遊が増え、G7でも古顔になったのは事実だが、どんな具体的な成果が出たのかと問われると答に窮する。しかし、外交の評価は人それぞれだから、褒めようがこき下ろそうが、著者の自由と言える。民主党政権の時よりは良くなった、と言ってさえおけば、納得する人も少なくない。

書いてある内容の真偽のほどはさておき、この手の広告を通勤・通学の途中などに毎日、繰り返し目にしたら、どうだろう? 安倍政権が事実として十分な成果を出しているか否かにかかわらず、「安倍政権はよくやっている」「安倍政権を悪く言う野党やメディアは間違っている」ということを無意識のうちに刷り込まれる人が出てきてもおかしくはない。自民党が指示してやらせているか否かは不明だが、この手の広告が選挙期間中に打たれることで選挙戦上、自民党に有利に働くことは間違いない。

もちろん、安倍政権を礼賛し、野党を批判する書物ばかりが出版されているわけではない。安倍政権に批判的な人たちも様々な書物を著している。例えば、インターネットを見ていたら『「安倍晋三」大研究』(望月衣塑子&特別取材班 著、KKベストセラーズ)の広告に出くわしたりもする。

しかし、安倍政権礼賛・野党批判の書物(本、雑誌、新聞等)の方が、逆の本よりも遥かに多そうだ。雑誌や新聞、テレビも、安倍政権を攻撃する論調のところよりは安倍政権を擁護する論調のところの方が多い。NHKも安倍総理のお友達が会長(籾井勝人氏)や経営委員(百田尚樹氏など)が任命されていた。この勝負、物量的には安倍政権を批判する側に分が悪い。

ネットの世界でも自民党の一人勝ち

今日、活字の世界は縮小傾向なのに対し、ネットの世界が急速に拡張していることは言うまでもない。しかも、ネットの世界の方がフェイク・ニュースに寛容だ。当然、政治(政党)もネットの世界に注目し、自らの情報戦略に取り入れようと考える。ネット情報戦略の重要性にいち早く気づき、積極的に展開したのが自民党である。

その自民党が参議院選挙を前にネット戦略を刷新したと言う。人気ゲームや女性ファッション誌とコラボし、ネットやSNSを駆使して支持をよびかけるらしい。これなどは、自民党の政策や政治姿勢を対外的にネット配信するもの。ネット戦略の言わば「表の」部分であり、その中でも日の当たる分野だ。

公表されている自民党のネット戦略の中には、あまり目立たないかたちで行われているものもある。例えば、2013年のNHK報道は、自民党が業者に依頼して自民党や同党議員に関する書き込みを常時監視し、自民党にとって問題があれば、反論や削除要請を行っている様子を映像付きで流した。

最近はネット・ニュースの下の方にコメント欄がある場合も多い。自民党にとって都合の良いニュースであれば、自民党を持ち上げたり、野党をけなしたりする書き込みが、自民党にとって都合の悪いニュースであれば、自民党をフォローしたり、野党はもっとひどいと主張したりする書き込みも目に付く。もちろん、逆のケースもあるが、比率としては少ない。こうしたコメントは、純粋に個人の立場から書き込まれたものばかりではあるまい。自民党に依頼された業者によるものもあることは、上述のNHK報道からも明らかだ。

さらに、自民党には「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)」というボランティアを組織した党公認のネット部隊が存在することが知られている。ネトウヨ系が多く、上記の書き込みを行う実働部隊とも目されているようだが、私はその実態をよく知らない。J-NSCは自民党のホームページ上で募集され、国会議員も参加する会議やオフ会も開かれているので相当に組織化されていると見てよかろう。

より攻撃的な情報戦略

刷新されたネット戦略を除けば、ここまで述べてきたネット情報戦略は自民党への他者の批判に対する防衛的な色彩が強いものだ。しかし、「攻撃こそ最大の防御」という言葉ある中で、自民党のネット情報戦略が防衛一色のものとは考えにくい。

ネットを使った攻撃的な情報戦略と言えば、2016年の米大統領の際にロシアが仕掛けたものが有名である。この時、ロシアはプーチン大統領の承認のもと、反ヒラリー・クリントンのフェイク・キャンペーンを大々的に仕掛けた。民主党本部へサイバー攻撃を仕掛けて盗み出した本当の情報を織り交ぜることによってヒラリーに不利となる偽情報の信ぴょう性を高め、自らの手で作ったサイトやウィキリークス、大手新聞に流して全米に拡散させた。多くの米国民がそれを信じた。開票の結果、僅差で大統領に選ばれたのは劣勢と言われたトランプであった。

違法性や悪質性の程度を問わなければ、この手の攻撃的なキャンペーンは昔から行われてきたことだ。共和党も民主党も、昔から多かれ少なかれ、真贋取り混ぜて相手候補に対する中傷合戦を行ってきた。例えば、「○○はユダヤ人だ」という噂を流すとか。日本でも、選挙期間中に候補者をめぐる怪文書が飛び交うと言う話は今日も聞く。だが、ロシアのやったことは、サイバー攻撃を交えたこと、ネットと伝統的メディアを組み合わせたこと、大衆心理把握の巧みさ、そして物量の点で、従来の攻撃的なキャンペーンとは一線を画す、積極的なものであった。

自民党はこの手の攻撃的キャンペーンをやっていないのだろうか? もちろん、やっていても公表するわけはないから、はっきりしたことを知ることはできない。だが、ネットでうかがい知ることのできるJ-NSC会員と自民党議員の会話が本当なら、自民党は当該会員がネットを通して野党などを攻撃することを奨励ないし黙認しているように見える。

報道によれば、参議院選挙公示の直前に自民党本部は、某インターネット・サイトの記事から引用、加筆、修正した内容を掲載した『フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識』という冊子を自民党所属の衆参国会議員事務所に各25冊届けた。自民党所属の石破茂衆議院議員が「怪文書」と呼ぶほどのものだから、内容はフェイク・ニュースの類と言ってよいのだろう。一部の有志議員ならともかく、自民党本部がそんなものを配布したため、メディアでも話題になった。

この「怪文書」配布騒動が示唆することは、自民党がフェイクであろうが構わず、敵対する野党のイメージを貶めるために情報を積極的に流す偽情報キャンペーン(英語で言う「disinformation campaign」)を厭わないということである。

だが、自民党は偽情報キャンペーンをボランティアに任せているだけなのか? ロシアがやったようなサイバー攻撃まで使っているかどうかはわからないが、プロの集団に偽情報キャンペーンを含む攻撃的情報戦略を実行させている可能性は否定できない。偽情報キャンペーンはネット上だけで行われるとは限らず、新聞、雑誌、出版物からテレビまで、あらゆる媒体を通じて実行可能だ。違法なものでない限り、広告代理店が一括して請け負っていたとしても、私は驚かない。

フェイク・ニュースは自民党に有利

我々は、常に真実を受け入れ、嘘を退けるとは限らない。トランプのフェイクを真実だと信じるアメリカ人がたくさんいることからもわかるとおり、信じたいことを受け入れ、信じたくないことを退ける人は少なくない。

安倍政権に心酔する人たちは、安倍政権に批判的な人が安倍政権を批判しても、たいして影響を受けないだろう。逆に、枝野信者の人たちは、いくらネトウヨの人たちから批判されてもそれを信じることなく、立憲民主党を支持し続けるはずだ。

ただし、立憲民主党の支持者の方が中高年の割合が高いと言われている。特にかつて学生運動を経験した旧社民・共産支持者で立憲支持に変わった人たちの中には、いわゆるインテリ、知識人と呼ばれる人も少なくない。この人たちは理屈で考える傾向が強いため、相手方のネガキャンに対して比較的弱い。フェイクによる批判であっても、理屈や事実を示さないとなかなか納得しない傾向がある。「言いがかり」に対して理路整然と反論することは土台無理な注文だ。弱い支持層であれば、相手方のフェイク・ニュースによって切り崩される人も一定数出てこよう。

これに対し、自民党支持の人たちは相手陣営からの攻撃的情報戦略に接してもそれほど大きく動揺することはない。仮に安倍政権批判があっても、「野党や左翼メディアの言うことだから嘘!」と言われれば、それだけで納得し、安倍政権批判を信じないことにできる。フェイク・ニュースを交えた偽情報キャンペーンは、本質的に自民党を利する面の方が多い。

プロ集団を使ってフェイク・ニュースを交えた偽情報キャンペーンを大々的に行うためには、豊富な資金力を持った政党でなければならない。自民党の収入は250億円超え(うち、政党交付金が179億円)。これに対し、野党第一党の立憲民主党は政党交付金が収入の大半を占めると考えられるが、その額は今年で約32億円だった。これまで蓄えた額も考えれば、自民党の資金力は文字通り他党を圧倒しているはず。この点でも、自民党の有利は動かない。

その自民党が他党に先駆けて――遅くとも2009年に下野した時か、おそらくその前から――フェイク・ニュースも交えて攻撃的な選挙情報戦略に取り組んできたとしたら? 資金力的にもノウハウ的にも、他の政党が自民党の持つ先行者利得を切り崩すことは容易なことではないだろう。何よりも、自民党以外の政党は、フェイクを厭わないという仁義なき世界に足を踏み入れることに対する躊躇をなかなか捨てきれないと思われる。

 

私自身、各政党が偽情報を駆使した情報戦略にしのぎを削るような政治には強い抵抗がある。しかし、我々の生きている世界はすでにそういうものになっているのかもしれない。だとすれば、そんな状況下における民主主義なんて、一体どんな価値を持つのだろうか?

現代貨幣理論(MMT)が日本に逆輸入される日

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)というものがアメリカで流行しているそうだ。

経済学の徒でない私には、現段階でMMTなるものに確定的な評価をくだす自信がない。しかし、MMTなるものが無視するには大きすぎる政治的なインパクトを持つであろうことは十分に予測できる。本ポストでは、アメリカにおけるMMTの流行が、近い将来、日本の経済・財政政策に影響を与える可能性について考えてみたい。

MMTが日本の経済政策にもたらすものは、チャンスなのか、リスクなのか?

MMTとは何か?

残念ながら、MMTの詳細な解説となると私には荷が重い。ここではMMTの簡単な紹介にとどめるが、ご容赦いただきたい。

政府はどんなに支出を増やしても、お金がなくなったり破産したりすることはない――。このシンプルな考え方がMMTの共通項である。そこから、3月15日付の日経新聞はMMTの主張を「自国通貨建てで政府が借金し物価が安定している限り、財政赤字は問題ない。政府の借金は将来国民に増税して返せばよい。無理に財政赤字を減らし均衡させることにこそ問題がある」とまとめている。厳密に言えば異論もあるかもしれないが、MMTの持つ政治的な意味を考えるうえでは、この程度の理解でも大きな不都合はないだろう。

米連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長から、ポール・クルーグマンやラリー・サマーズなどの経済学の大御所たちまで、メイン・ストリームの人たちはMMTを痛烈に批判している。

伝統的な経済学の理論では、財政赤字の膨張を問題視する考え方が強い。20世紀後半の欧米先進国の経験も財政赤字を罪悪視し、「財政健全化こそ正義」という風潮を裏打ちするものだった。

1970年代のイギリスは経済成長の低下を受けて財政赤字が増加、1976年には財政破綻した。その後、サッチャーによる民営化、金融引き締め、財政支出削減等を経て1998年、ブレアの時代に財政黒字に転じた。

ベトナム戦争後の米国も経済の停滞に苦しみ、1980年代には財政赤字と経常赤字の併存(双子の赤字)が問題視された。レーガン政権下では国防予算の増加や大規模減税によって財政赤字が膨らみ、1992年にピークに達する。その後、クリントン政権下で米経済は復活し、1998年には財政黒字を実現した。

ワイマール時代の天文学的インフレを経験し、ヒトラーの台頭を許したドイツもインフレに対して強いアレルギーを持ち、財政規律を人一倍重視する。

要するに、伝統的な経済・財政学者や金融政策の実務に携わってきた人たちの目には、MMTの先に「放漫財政→ハイパー・インフレ→財政破綻」が見えるのだ。今はMMTの広告塔な役割を果たしているステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)も、長い間異端視されてきたと言う。

しかし、私に言わせれば、伝統的な経済学とMMTの違いは、いわゆる近代経済学とマルクス経済学の違いのような根本的なものではない。

例えば、伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちも、経済低迷期における政府の介入(財政出動)が必要であることは明確に認めている。ただし、彼らは財政出動が「大きくなりすぎる」ことを警戒し、財政出動や財政赤字はできるだけ小さくとどめ、できるだけ早く解消した方がよい、と考える。

対するMMTは、財政赤字を恐れるあまり、経済低迷期において財政出動が「小さくなりすぎる」ことにむしろ懸念を抱く。リーマン・ショック後の不況期に各国政府は財政出動や低金利(マイナス金利を含む)政策を展開したが、MMTの信奉者は、その規模や期間が中途半端だったから今日も世界経済は立ち直っていない、と批判するのだ。

ちなみに、MMTも財政赤字を野放図に膨れ上がらせたまま、放置していいとは考えない。十分に大きく、十分に長く財政出動すれば、景気が上向いて税収も増える、というのがMMTの理想像。しかし、財政赤字の増加ペースが物価上昇率を超えたり、完全雇用が実現したりすれば、財政赤字にブレーキをかけなければいけない。ただし、その場合でも政府には増税という最終手段があるから、問題はない、とあくまで楽観的である。

政治から見たMMT

圧倒的な少数派にとどまり、その教義が実行される可能性がほとんどなければ、正統派は異端を本気で批判しない。伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちがMMTを声高に批判し始めたのは、近年、アメリカ政治の一部、特に民主党左派にMMTと組む動きが見られるためである。

代表格が前述のケルトンだ。前回の大統領予備選でヒラリー・クリントンと最後まで民主党候補の座を争ったバーニー・サンダースの経済顧問を務めた。もしもサンダース大統領が誕生していれば、ケルトンが経済政策の司令塔となり、MMT流の経済・財政政策が採用されていた可能性があったということだ。

民主党の左派の政治家で最近売り出し中なのが、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス。プエルトルコ移民を母に持ち、昨年11月に28歳で史上最年少の下院議員となった。彼女も財政赤字の拡大を容認するMMTに秋波を送っている。オカシオ=コルテスは、政策面ではグリーン・ニューディールを主張し、10年以内にエネルギーを100%再生可能由来のものにするほか、4兆6千億ドル(約500兆円!)のインフラ投資を行うのだとか。財源として炭素税や高所得者への増税を訴えるが、それだけでは足りない。MMTに関心を寄せるのも自然な流れと言える。

サンダースを含め、民主党の左派は政府が保険料を徴収して医療費の全額を払う単一支払者制度(single payer health care)の導入を主張している。必要な財源は年間、150兆円とも300兆円以上とも言われる。彼らの間でもMMTへの「期待」は大きい。

だが、財政赤字に寛容なのは民主党左派ばかりではない。実際のところ、「共和党=小さな政府」というのは財政の観点では既に死語となっている。

トランプ政権の下、10年間で1.5兆ドル(約160兆円)の減税、国防費やインフラ投資の増額などが行われた結果、連邦政府の債務残高は22兆ドル(約2400兆円)を突破して過去最高となった。トランプが政治的にMMT支持を口にするかどうかを別にすれば、トランプが財政赤字に無頓着な大統領であることは明らかだ。

トランプの説明によれば、今は財政赤字が積み増されても、将来経済成長によって税収が増えるから問題は起きない。まるでMMTの論者の話を聞いているようだ。もちろん、トランプは将来増税に訴えなければならない可能性など、おくびにも出さない。トランプは学者ではないから理論を証明する必要はない。仮に将来増税するとしても、その時の大統領が自分でなければ別に構わない、と言ったところだろう。

日本への影響

面白いことに、MMTの論者たちはその理論が正しい「証拠」として日本のアベノミクスを挙げることが多い。

日本政府の債務残高の対GDP比は2009年から200%に乗り、2018年度は236%程度。しかも、安倍内閣(正確には野田政権末期)以降、日銀による国債買い入れを含めた「異次元の金融緩和」を続けている。にもかかわらず、インフレは起きていない。黒田日銀が目標としていた2%のインフレ目標など夢のまた夢だ。

同様に、欧州の量的金融緩和やマイナス金利も、伝統的な経済理論が指摘したような問題を顕在化させていない。であれば、米政府の債務残高の対GDP比が2011年から100%台に乗り、今も上昇傾向にあるからと言っても、どうってことはない(=財政赤字はもっと増やせる)ということになる。

大規模な金融緩和と財政出動のセットであるアベノミクスの下でインフレが起きない(起きてくれない)理由はきちんと解明されていない。人口減少のトラップによるという説などいくつもの説明が試みられてはいるものの、決定版はない。だから、MMTのように「そもそも、財政赤字を拡張しても問題は起きない」という説が受け入れられる素地があるのだ。

いずれにせよ、アベノミクスはMMTが流行する前に登場している。その意味では、日本の経済政策であるアベノミクスがMMTに影響を与えていることはあっても、その逆はない――。これまでは、そう思ってよかった。しかし、将来もそうであり続ける保証はない。

アメリカの例を見るまでもなく、MMTは政治との親和性が高い。それはそうだろう。政治は有権者の歓心を買いたいからバラマキに走りがち。だが、高度成長が終わった先進国では財源が制約になる。MMTはその縛りから政治を解き放つ。

まずは米国同様、民主党崩れのリベラル陣営がMMTを援用する可能性がある。旧民主党やその末裔政党はリベラルのくせに財政健全化にこだわりを見せる不思議な政党だ。思えば民主党政権は、財源にこだわる一方で既存の事業をやめる決断もできなかったため、マニフェスト公約である子ども手当の実現や高速道路の無料化を断念、嘘つきと批判された。(東日本大震災があったことは考慮すべきだが、それがなくても主要な選挙公約を実現できていなかったことは間違いない。)下野後の民主党及びその後継政党は、財源の呪縛ゆえに新たな目玉政策――憲法改正とかでなければ、大概はカネがかかるものだ――を提案することができないままの状況で今日に至っている。

立憲民主党や国民民主党は社会保障や教育、子育てで大きな政府を志向しているが、財源がネックになっている。そのくせ、消費税の引き上げには反対しているから、八方ふさがりだ。MMTを採用すれば、景気対策を含め、国民に様々な夢を売ることができるようになる。国民民主党代表の玉木雄一郎はコドモノミクスと称して「第三子を生めば一千万配り、財源は『子ども国債』を発行する」と言っていた。いつMMTになびいても不思議ではないだろう。しかも、一昨年の分裂騒動以来、野田佳彦や岡田克也といった財政健全化派の影響力は無残に落ちた。立憲民主や国民民主の政治家に少し目端の利く連中がいれば、MMTに注目しないはずはない、と思う。

一方で、元来がバラマキ政党の自民党も、上げ潮派に限らず、MMTに魅力を感じるはずである。

と言うのも、アベノミクスは「第二の矢」として財政出動を放ち、確かに財政拡張的な政策ではあるが、財務省がまだ頑張ってきた結果、一定の節度を保っているからである。2019年度の公債発行額は32.7兆円と2012年度に比べて14.8兆円も少ない。税収が同期間で18.6兆円も増えたからこそできる業だが、リフレ派からすれば、もっと公債発行すればいいのに・・・、ということになる。

今年10月に消費税が上がり、来年夏には東京オリンピックも閉幕。消費税引き上げ対策も大半はその頃までに終わる。自民党政権が続いても、今後の日本経済は良くて横ばい、悪ければ減速の可能性が高い。加えて、米国からは駐留米軍経費の負担や防衛費を増額しろという圧力が高まるかもしれない。近年の災害多発を考えれば、土木事業も一概には否定できない。

安倍政権がこれまで圧倒的に強かったのは、政権交代で日本経済がよくなったという半ば真実プラス半ば錯覚のおかげ。国民が夢から醒めたら、盤石に見える自民党政権もあっという間に危うくなる。安倍だろうとその後継首相であろうと、より強力な財政投入の誘惑にかられるであろうことは疑いがない。それを正当化するのに、MMTは絶好の理論だ。かつて安倍が浜田宏一エール大学名誉教授の名前を出してアベノミクスを権威付けしようとしていたのを思い出す。

 

MMTを実践(=実験)するのは、アメリカなのか、日本なのか? はたまた別の国なのか?

MMTが正しければ、答が何であろうが問題はない・・・はずである。財政赤字を積み増しても、経済が上向いて税収が増えればハッピーエンドとなる。だが、財政赤字を積み増しても経済が上向かない時には、「MMTが言うような形で実験を継続できるか否か?」という別の問題が出てくる。MMTが想定する安全弁は、政府による増税である。しかし、現実の政治は増税を求められた瞬間にMMTとの親和性を断ち切るかもしれない。

他方で、MMTが間違っていれば、伝統的な経済学者や金融実務者が主張するようにハイパー・インフレが起きて経済は破綻することに(おそらく)なる。

いずれにしても、MMTの採用は相当にリスクの高い実験となる。常識的に考えれば、実験を行う最初の国にはなりたくない。だが、「失われた10年」が20年になり、30年になりそうな日本には、その素地がありそうに思える。我々はMMTの誘惑に耐えられるだろうか?