対韓圧力はやがて手詰まりに陥る可能性大――気がつけば「戦略的無視」から逸脱していた日本政府

前回の記事で、徴用工問題に端を発した日韓関係の悪化は、双方にとって損しかないものの、その損が致命的でないために「ナショナリズムの罠」から抜け出せず、いつまでも続きそうである、と述べた。

今の日本人の感覚は、「日韓関係なんか悪くても何も困らない。つき合っても不愉快になるだけだから無視すればいい」というのが最大公約数だろう。私も正直言って、韓国に関与することに疲れてしまった。しばらく放っておけばいい、という気分だ。

その後、ソウルやプサンでは教育機関や公共施設で「戦犯企業」の製品を買わないよう努力義務を課す条例を可決するなど、韓国側は情緒的対応をやめる気配を見せない。だが前回も述べた通り、彼らが何をやろうと、日本の措置を撤回しなければならないほどの圧力をこちらが感じることはない。韓国の行為は、我々の「ウンザリ感」を一層募らせ、「日本は絶対に降りるべきでない」という気持ちを募らせるだけだ。

しかし、冷静になってみると、この関係はどこかで着地点を見つけ、終わらせなければならない。今後の展開を考えたとき、この勝負、時間が経つにつれて日本は手詰まりになるのではないか、と思えてきたからだ。それはどういうことか? あまり言いたくはないが、書いておかねばならない。

この先の展開を読む

7月4日、日本政府は半導体製造に使われる3品目の韓国向け輸出を個別許可制に移行。7月のフッ化水素の対韓輸出は前月比で8割減少した。
8月28日には軍事転用の恐れが低い製品の輸出について審査不要のホワイト・リスト(グループA)から韓国をはずす政令も施行された。
こうした動きに対し、韓国側は日本政府のとった措置に直接対応する範囲を超えて対日報復措置をエスカレートさせ、GSOMIAの破棄まで通告してきた。

先日、李洛淵(イ・ナギョン)首相が韓国国会で「(対韓輸出規制強化など)日本の不当な措置が元に戻れば、わが政府もGSOMIAを再検討することが望ましい」と答弁した。訪韓した河村建夫元官房長官(日韓議員連盟幹事長)に対しても、李は同様の発言を繰り返している。事実上、「日本が韓国をホワイト・リストに戻せば、韓国はGSOMIAの破棄(11月から発効)を取り消してもよい」という観測気球なのだろう。

しかし、日本側の輸出管理厳格化は、安全保障上の理由という建前はさておき、韓国政府に徴用工問題への取り組みを促すことが目的だ。日本政府にとって、李の提案は「まったく次元の異なる問題(菅官房長官)」を意図的に混同させようとしたものでしかない。安倍も「徴用工問題の解決が最優先だ」と不快感を示し、乗るつもりはなさそうである。

ここまでは、日本ペースとまでは言わないが、韓国側の報復措置にもかかわらず、日本が韓国に対して攻勢に立っているように見える。だが、この先は果たしてどうなるのか?

今後も韓国政府が徴用工問題で何の手も打たなければ、日本側は意地でも輸出管理の厳格化を元に戻さない。
すると、韓国側は報復措置として既に発表済みの対日貿易制限措置を実行に移す。韓国の輸出管理上、日本をホワイト・リストからはずすことも今月中には始まるだろう。11月になれば、GSOMIAも完全に破棄される。

両国にとって、経済的にも、安全保障の観点からも、マイナスの影響が出ることは間違いない。だが、前回述べた通り、両国が蒙るマイナスは「致命的」というレベルにまでは達しない。

日本が7月以降に打ち出した輸出管理厳格化措置に対し、韓国は常軌を逸した反応を示した。そのことによって、我々は日本のとった措置が韓国にとって与えるダメージを実態以上に大きなものと受け止めてしまったようだ。

前回も述べたとおり、日本の輸出管理厳格化は手続き面の規制強化であって禁輸ではない。先月あたりから、輸出申請に対する個別許可も降り始めている模様だ。ホワイト・リストからの韓国除外についても同様のことが起きる。したがって、時間の経過とともに対韓輸出は、完全に元には戻らないまでも「正常化」していくことが予想される。

さらに、サムソン電子など韓国の半導体メーカーは、フッ化水素の韓国産化に取り組むなど対策に着手した。日本の制裁は長い目で見れば、日本の素材メーカーにとって不利なことになりかねない。

日本政府が韓国に課した経済措置は、安倍がトランプ流を模倣したものだ。しかし、スケールの点で両者の違いはあまりに大きい。
トランプは、中国からの輸入に対し、広範かつ大幅に関税を引き上げている。ファーウェイについては、米政府機関による調達、米企業による部品供給を禁止した。ファーウェイに対する規制の網は、米国企業のみならず、日本を含む同盟国の一部や多数の外国企業にも及ぶ。

しばらく時間がたてば、韓国は日本の輸出管理厳格化によってあまり痛みを感じなくなるだろう。
ではその時、徴用工問題はどうなっているか? 韓国政府が徴用工問題で日本に何らかの配慮を示しているとは考えられない。
つまり、徴用工問題は改善しないまま、日本側のとった対韓措置に韓国側が慣れる、という事態を迎える可能性が高いということだ。

手詰まりの予感

徴用工問題は、日韓の外交問題という側面もあるが、基本的には韓国司法の土俵の上にある、と言わざるをえない。
大法院(韓国最高裁)の判決は既に下り、日本製鉄(旧新日鉄住金)の資産は差し押さえられている。別の在韓日系企業を標的にして新たな訴訟を起こされれば、同様の判決が出るはずだから、賠償させられる企業が続出しかねない。
我々がそれを不当だと思っても、こちらに強制的に阻止する手立てはない。(戦前なら、「朝鮮出兵」を含む軍事的な手段で圧力をかけることも可能だった。しかし、今の時代にそんなことをすれば、日本は侵略国とみなされる。)

結局、日本が韓国に対して圧力をかけ続けようと思えば、経済面(関税引き上げ、政府調達からの韓国企業締め出し、金融制裁等)で新たな対抗措置を導入するしかない。だが、韓国相手に安全保障を理由にした規制を課すには自ら限度がある。無理にやれば、WTOで負ける。
また、日本の措置は(米国がやっているように)他国の政府や企業を巻き込んだものにはならない。韓国への打撃も限定的なものにとどまる。

一般論としても、ナショナリズム(歴史問題)が絡む問題を経済圧力によって解決することは非常にむずかしい。日本が圧力を強化すれば、韓国が徴用工判決の差し押さえ資産の現金化に踏み切るなど、徴用工カードを切ってくる可能性も考えられる。

少し脱線するが、安倍にとことんやるつもりがあるのなら、徴用工問題で訴えられる日系企業に韓国撤退を要請するくらいの覚悟を持たなければならない。トランプは中国に進出している米国企業に対し、撤退を要請している。
韓国側に戦犯と名指しされた日系企業は、いわゆる賠償金を支払ってでも韓国にとどまった方がよい、と考えているのか否か? 私はその本音を知らないので、これ以上のコメントは控える。

輸出管理規制の強化によって徴用工問題の本質的な解決をはかるという日本政府の計略。一見よさそうに見えたが、ここまでくると手詰まりに陥る可能性が高い。

安倍政権の最近の対韓政策は「戦略的無視」と言われてきた。だが皮肉にも、今夏発表した対韓輸出管理の厳格化は、この「戦略的無視」を逸脱した行動であった。
韓国側の過剰反応に対し、さらなる圧力で応じても先は見えない。日本としては当面、「戦略的無視」に戻るのが得策であろう。

韓国という国は、本当に面倒くさい国だ。しかし、韓国というクセのある隣国との確執にこだわり続けることも愚かな話。好きになれない国であっても、我が国の国益を極大化するうえで利用してこそ、日本の方が大人ということではないのか。

戦略的無視という言葉には、魅力的な響きがある。しかし、それをいつまでも続けることはできない。時間はかかっても、我慢に我慢を重ねてでも、日韓関係の改善に取り組むべきだ――。私はそう思う。

次の記事では、日韓関係改善の方策(=徴用工問題の解決策)について私の試論を述べてみたい。

日韓摩擦の泥仕合~ルーズ・ルーズ・ゲームは続く

徴用工判決が出た直後の昨年11月7日、「日韓関係、あと10年は駄目だろう」と本ブログで書いた。

案の定、その後の日韓関係は悪化した。今夏、日本政府がついに貿易面で韓国に圧力をかけたところ、韓国側は軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を含め、予想を上回る反発を示す。

今や、日韓のメディアが日韓関係悪化のニュースを報じない日はない。ワイドショーで「ジーソミア」などという言葉が飛び交う始末。日韓関係は単に泥沼化したのみならず、泥仕合になりつつあるようだ。

問題は、この泥仕合の向こうで日韓双方が国力を確実に摩耗させていること、そして、この泥仕合に終わりが見えないことである。

泥仕合化

日韓関係は、単に悪化するだけでなく、泥仕合の様相を呈してきた。

1. 日本のトランプ流採用と韓国の過剰反応

韓国大法院の徴用工判決が出たのは昨年10月30日。その後、日本政府は仲裁委員会の開催を要請するなど、日韓請求権協定の枠組みで問題を解決する体裁をとった。ここまでは日本側の冷静さ――内心は激怒していたのであるが――が際立った。

しかし、去る7月18日に韓国政府が仲裁委設置を事実上拒否したのを待って、日本側もついに「実力行使」に出た。韓国向け半導体部品の輸出規制、輸出管理におけるホワイト・リストからの韓国除外という措置を矢継ぎ早に発表したのである。これに対し、韓国側も報復措置をとり、日韓の対立は一気にエスカレートした。日韓双方は、政府も国民もナショナリズムの虜になってしまった感がある。

日本側の対韓輸出管理厳格化は、安全保障上の措置と言ってはいても、実際には徴用工問題への対抗措置にほかならない。韓国に対して「ウンザリ感」を募らせている日本人の中には、爽快に感じた向きも少なくなかっただろう。これ、世界は「安倍がトランプ流に倣った」と見ている。トランプが中国に対し、知的財産権や軍事戦略上の目的を達成するため、関税引き上げや貿易制限を恣意的に発動しているのと同じことを安倍が韓国に対してやった、というわけだ。

韓国側が日本政府の措置に対応した報復措置(日本をホワイト・リストからはずすなど、対日輸出管理の厳格化)をとったのは、まあ仕方のないことであろう。だが、韓国の動きはそれにとどまらなかった。日本からの石炭灰輸入に際して放射能検査を義務付ける措置、日本産食品17品目やプラスティック廃棄物等に対する放射能検査の強化など、輸入面でも報復措置を打ち出し、民間では日本製品不買運動や日韓航空便の運休・減便などが広がった。極めつきは、安全保障協力分野にまで飛び火させ、GSOMIAの破棄を通告した。まだ足りないと思ったのか、8月25日には竹島でイージス艦まで投入した軍事訓練を行い、米国防総省でさえ「生産的でない」と顔をしかめた。8月31日には韓国与野党の国会議員が竹島に上陸する。この国にバランス感覚というものを期待してはいけない、と思うのは日本人ばかりではあるまい。

米中貿易戦争においても、対米関税の引き上げ等、中国は対抗措置をとっている。だが、私に言わせれば、中国の対応の裏側には、まだ理性がある。中国は、自らの対抗措置が最初に米国がとった措置を超えないよう配慮し、事態のエスカレートを少しでも防ごうと努めているように見えるからだ。(それでも、トランプが追加措置を発動するので結局、エスカレートは止まらない。)それに対し、韓国の反応は、ただ感情をぶつけているだけにしか見えない。

今後、安倍はトランプよろしく、韓国に対してさらなる打撃を加えるのか? 私は、少なくともこのタイミングでは、新たな措置をとる必要はないと思っている。こちらの意思は、すでに二発の輸出管理強化で示してある。GSOMIA破棄や竹島上陸に反応して日本が追加制裁措置をとっても、後述するように効果はない。であれば、世界から「日本も本当にトランプ流でいくつもりだ」と思われてもつまらない。情緒不安定な韓国と同一視されるのも不愉快な話だ。

2. 感情的な言葉の応酬

日韓双方の政治レベルでの言葉の応酬が、泥試合の様相を一層強めている。

韓国側はトップの文在寅大統領が感情に任せた――あるいは、国内的な「受け」を意識した――発言を繰り返している。「加害者の日本が盗っ人たけだけしく大声をあげている」「北朝鮮との経済協力で平和経済を実現し日本に追いつく」などという発言は、一国の指導者として品格も戦略もあったものではない。韓国の与党議員に至っては、日本のメディアをわざわざ集めたうえで、「4歳児みたいな行動」「笑止千万」などという表現を使って日本の行動を批判した。

日本側は、安倍総理や菅官房長官がまだ抑制的なトーンを貫いているのが救いである。しかし、河野太郎外務大臣はまだお若いのか、マスコミのカメラが回っているところで韓国大使の発言を遮り、「きわめて無礼」と発言した。外務大臣がすぐに激するようでは落第だ。竹島についても、あの丸山穂高が「戦争で取り返すしかないんじゃないですか」とツィート。さらに、在日韓国大使館には銃弾と脅迫文が送られた。世界から見たら、韓国だけでなく日本も、「危なっかしい国」と映っているに違いない。

3. 主張は水掛け論

肝心の徴用工問題についても、日韓の主張のどちらが正しいのか、という点について冷静な議論は行われていない。

この間、日本政府の態度は一貫している。すなわち、両国間の賠償問題は1965年の日韓請求権協定によって「完全かつ最終的に」解決済みである、ということ。したがって、韓国大法院の判決は「国際法違反の状態を作り出した」ものであり、断固として認められない、となる。

多くの日本人が聞けば、実に説得力のある議論に聞こえる。だが実は、国家間で戦時の賠償問題が片付いても、個人による旧敵国への賠償請求権は残る、という考え方が国際法では主流。そこに人権問題が絡めば、日本政府の主張が国際社会で広く受け入れられるかは微妙なところである。安倍総理が国際法違反の中身にあまり立ち入らず、「韓国は国と国との約束を守ってほしい」と繰り返すのも、その辺が影響しているのではないか、と私などは勘ぐってしまう。いずれにせよ、多くの日本人は「韓国の国際法違反」という主張を信じて疑わない。

一方で、韓国側は当然、個人の請求権は日韓請求権協定によっても消滅していない、と論陣を張る。だが、韓国側にも弱みはある。2011年8月に韓国大法院が従軍慰安婦問題で韓国政府の無為を違憲とする判決を下すまで、韓国政府は日本政府に対して「賠償の問題は個人の分を含め、1965年の日韓基本条約と請求権協定で解決済みである」と40年以上にわたって認めてきた。その意味で、韓国政府の約束破りは明白だ。日本政府の方も業を煮やし、韓国政府が個人請求権については自ら責任を引き受けると述べていた「約束」を証拠として公開し始めている。ただし、韓国政府は過去の政府間合意について国内向けにはあまり語ろうとせず、「日本政府が悪い」の一点張りだ。

日本側は韓国の態度を「国際法違反」と決めつけ、韓国側も大法院判決の正当性を叫ぶだけ。両国の外務当局が協議に臨んでも、お互いに相手の説には耳を傾けることなく、自国の立場を一方的に繰り返すだけ。これを泥仕合と呼ばずして何と呼ぶのであろうか。

双方効果なし

泥仕合でも、我々が韓国側の行動を変えられるのであれば、まだ救いはある。韓国側の常軌を逸したような行動についても、それで日本に何らかの影響を与えられるのであれば、少しは理解できる部分もあるだろう。しかし、日韓双方のやっていることは、相手にほとんど影響を与えることはない。そもそも、経済制裁によってナショナリズムを押さえつけることは、よほど条件が整っていない限り、基本的には不可能だ。それが簡単にできるなら、北朝鮮はとっくに核開発をやめているし、米中貿易戦争もこんなに長期化していない。

〈日本→韓国〉

今回、日本政府が輸出管理規制を韓国に課した狙いは、言うまでもなく、徴用工判決をめぐって韓国に圧力をかけることにある。

安倍政権の中には、韓国政府が徴用工問題の政治的解決に取り組むよう、圧力をかけたいと考える強硬派もいるだろう。だがそれは、日本で言えば最高裁判決で有罪判決が出たあとに政府が介入して判決を無効にしようとするようなものだ。曲がりなりにも三権分立の韓国でそんなことは制度的にできない。無理にやれば、政権は倒れてしまう。したがって、日本が圧力をかけても、韓国政府が徴用工問題を考え直す、と期待するのは(残念ながら)見当はずれだ。

日本政府内には、韓国側に目に見える形で圧力をかけることによって、韓国側が差し押さえた在韓日本企業の資産を処分するなど、徴用工問題で次なる行動に出ることを牽制する意図があったと言われている。「日系企業の資産に手をつければ、さらなる制裁を実施するぞ」という無言の脅しをかけた形だ。だが、そうした効果を多少は期待できるとしても、それほど長続きするだろうか? 韓国の法制度に詳しいわけではないが、最高裁(大法院)判決が出た以上、いつまでも執行を止めておけるとは考えにくい。

では、日本政府の措置によって韓国の世論が軟化し、結果として徴用工問題で韓国側に何らかの変化が生まれることは期待できるだろうか? 日本では、文在寅大統領の対日姿勢に批判が高まっているという報道が目立つ。しかし、文の不支持率が5割を超えたのは、文が次期法相に据えようとする側近(チョ・グク元大統領府司法担当首席補佐官)のスキャンダルによるところが大きい。それに、文の支持率もまだ4割を超えており、まだまだ「追い込まれた」という状況ではない。

韓国の歴代政権は支持率が下がるほど、対日強硬姿勢をトーンアップさせてきた歴史を持つ。2012年8月に李明博大統領が竹島に上陸した時は、前月に実兄が収賄で逮捕され、支持率は2割を切っていた。大統領就任時は「未来志向」の日韓関係を追求した盧武鉉も、政権のレームダック化が進むにつれ、歴史問題等で対日姿勢を硬化させた。竹島(独島)が韓国領土であることを強調した特別談話を出して支持率を(一時的に)改善させたこともあった。文在寅についても、今後支持率が急低下したりすれば、ナショナリズム・カードを積極的に切ってくる可能性が大いにある。その時、日本側の追加制裁によって文を止めることは不可能だと思っておいた方がよい。

私自身は、輸出管理強化に踏み切った日本政府の意図は、上述のような駆け引きの側面よりも、日本側の韓国に対するイライラ感の表明という側面の方が強かったと考えている。日本国民の多くが今回の政府の措置を評価しているのも、そこに共感したからだろう。韓国という国には、「下手に出れば、どこまでもつけあがる」という傾向がある。戦後の日韓関係の中で「文句を言い続ければ、最後には日本が折れてくれる」という甘えの構造をすっかり身につけてしまった。ホワイト・リストはずしの最大の意義は、「もう黙っていませんから、そのつもりで」というメッセージを日本から韓国へ送ったことにある。

〈韓国→日本〉

日本による対韓輸出管理の厳格化という一手に対し、過剰ともいえる反応を示した韓国。しかし、韓国がどれだけ過激な行動をとっても、日本政府が一度下した決定を覆す効果は期待できない。

安倍政権は、対韓輸出管理厳格化を(建前は安全保障目的だが実際には)徴用工問題に対応するカードと位置づけている。日本国民も主要政党も同様の認識だ。したがって、韓国側が「GSOMIA等の措置を取り消してほしければ、韓国をホワイト・リストから除外した措置を撤回せよ」と言ってきても、まったく噛み合わない。

しかも、韓国側の措置は、国家のプライドを曲げなければならないほどの痛みを日本に感じさせるものではない。もちろん、日韓貿易に関わる企業や、韓国人観光客の減った旅館・食堂・土産物屋等の関係者にとって、多かれ少なかれ、経済的打撃があるのは事実だ。しかし、彼らが日本政府に対して譲歩を求めるような雰囲気は皆無と言ってよい。

日本側の報道には自国に都合のよいニュースを取り上げがちであると先に述べた。その傾向は韓国側の報道にも見てとれる。枝野幸男立憲民主党代表が河野外務大臣を批判したニュースも、朝鮮日報が早速、誇張気味に伝えていた。だが、枝野を含め、立憲民主党、国民民主党、野田前総理のグループなど旧民主党系の野党は、いずれも徴用工判決を批判し、安倍政権が発動した貿易管理強化を支持している。民主党政権(野田内閣)時代、GSOMIA締結で合意していたにもかかわらず、協定締結の1時間前になって韓国側にドタキャンされた、という前代未聞の事件が起きた。彼らが「親韓」というのは相当古い認識だ。

リベラル系のハンギョレ新聞になると、もっとすごい。例えば、「安倍政府は日本市民の良心的な声に耳を傾けるべき」という社説。現実の日本では、リベラルの多くを含め、圧倒的多数の日本人が韓国に対して嫌悪感(ウンザリ感)を抱いている。その根の深さが韓国側にはなかなか伝わらないのかもしれない。こうしたバイアスのかかった報道を通じて、韓国側が「超強硬な対応策の効果があった」などと勘違いしないよう願うばかりだ。

終わりの見えないルーズ・ルーズ・ゲーム

かくして、日韓双方の行為は、相手の言動を変えるという点では、効果がない。一方で、相手の反感を高めて事態をエスカレートさせるという、作用・反作用の効果は確実に発揮されている。また、後述するように致命的なものではないが、日韓の経済活動にマイナスの影響を与えていることも否定できない事実だ。

かつて日中間では、両国関係をウィン・ウィンの関係にする、ということが盛んに言われた。ウィン・ウィンとは、「両国が協力しあえば(協力しないよりも)お互いに得になる、だから協力しましょう」という意味である。これに対し、「一方が損する分、他方が得をする」というのがゼロサム・ゲーム。そこでは、協力ではなく対立が行動の基調となる。

今日の日韓関係を見ると、一方の損が他方の得になっている、というわけでもない。例えば、日本の対韓輸出管理厳格化。韓国側が事務的、時間的に困るのはもちろんだが、だからと言って日本側の儲けが増えるわけではない。日本側も、手間が増えたり顧客を失ったり、いいことは一つもない。韓国側の措置についても同様。日本製品のボイコットによって当該日本企業(例えばユニクロ)の売り上げは少し落ちるだろう。代わりに、韓国の消費者は比較的安価で高品質な製品を買えなくなる。GSOMIAの破棄に至っては、日韓双方の安全保障にとってマイナスとなり、笑っているのは北朝鮮や中国である。「ルーズ・ルーズ・ゲーム」以外のなにものでもない。

双方にとってマイナスばかりなのであれば、そんな緊張関係は早く終わらせるのが理性的な判断であろう。だが、その理性的判断ができなくなるのがナショナリズムのナショナリズムたる所以。ましてや、現時点で日韓両国の対抗措置の応酬が及ぼす影響は、日本だけでなく、韓国にとっても、たいしたものではない。

日本側の措置は、あくまでも「輸出手続きの厳格化」であり、「禁輸」ではない。最初は事務手続き面で時間がかかるにせよ、日韓の業者は早晩適応するだろう。韓国側はヒステリックに反応したが、対韓輸出が大きく落ち込むような事態は起きないと思われる。

韓国側のとった措置も、輸出に関しては基本的に同様のことが言える。輸入面の措置についても、韓国一国が一部産品について制限をかけたところで、日本側が耐えられない事態にはほど遠い。

GSOMIAが破棄されることの影響はどうか? 日本にとって(韓国にとっても)安全保障に関わる情報の精度が落ちることは避けられない。また、日韓の防衛協力全般がギクシャクしているという対外的メッセージを発したのも同然であった。ただし、北朝鮮や中国の脅威を考えた時、米韓双方にとって圧倒的に重要なのは米軍の情報。日本も韓国も、米国との同盟関係は維持できている。

とは言え、これが一昨年であれば、韓国もGSOMIAの破棄にはとても踏み切れなかったであろう。当時は、トランプと金正恩がチキン・ゲームを続け、米朝開戦の可能性が真面目に懸念されていた。今も北朝鮮が核・ミサイル開発を継続していることは誰の目にも明らかだ。しかし、トランプと金正恩が相互に自重する密約を結んでいる現在、北朝鮮が日本や韓国を攻撃してくる兆候はない。そうであれば、GSOMIAも、あった方が安全保障上はよいに決まっているが、なくても致命的に困る、というほどのことではない。

では、日韓が今後、米中貿易戦争並みの関税引き上げ競争などにエスカレートさせれば、結果は変わってくるのか? 日韓の場合、国力が今やそれほどかけ離れていないうえ、経済的相互依存の構造も割と対称的になってきた。日韓の間で経済的手段によってナショナリズムを屈服させることは、ますます困難になったと考えなければならない。

まず、日韓のGDPと両者の規模を時系列で比較してみよう。

〈日韓のGDP比較〉

1980 1990 2000 2010 2018
日本 1,044.88 2,451.67 3,418.87 4,484.79 5,594.45
韓国 83.512 323.605 776.442 1,473.30 2,136.32
韓国/日本 8% 13% 23% 33% 38%
単位:10億米ドル(購買力平価)。 2018年の数字はIMFによる推計値。
(International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, April 2019)

韓国が日本を着実にキャッチアップしていることは一目瞭然。ただし、これだけでは、韓国経済は日本経済の半分にも満たない、という見方もできよう。だが、次の表で一人当たりのGDPについて日韓を比較してみると、韓国はもうほとんど日本に並んでいる。IMFの推計では、2023年には日本を抜くという衝撃の事態が現実になりそうだ。

〈一人当たりGDPの日韓比較〉

1980 1990 2000 2010 2018 2023
Japan 8,948 19,861 26,956 35,149 44,227 51,283
Korea 2,191 7,549 16,517 29,731 41,351 51,418
単位:米ドル(購買力平価ベース)。 2018年以降の数字はIMFによる推計値。
(International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, April 2019)

貿易相互依存度についても、日本が圧倒的に有利というわけではない。確かに、韓国の貿易には、半導体をはじめ、日本から輸入した素材、部品、製作機械などを組み立てて輸出するという構造がある。しかし、日本が対韓経済措置を強化すれば、韓国の方が先に音を上げるだろうか? そうはならなそうだ。

IMFのデータをもとに計算すると、昨年(2018年)段階で日本にとって韓国との貿易(輸出入)は全体の5.6%を占めた。 これに対し、韓国の貿易の7.5%が日本と間で行われている。日本の方が低いが、その差は絶対的なものではない。

これが昔であれば、話は違ったであろう。例として1990年時点の数字を見てみる。日本の対韓貿易が全体に占める割合は5.6%で現在と変わらない。だが、韓国の対日貿易は全体の21.9%を占めていた。対米貿易が全体の16.9%だったから、日本の存在感がいかに大きかったかわかる。当時と較べた時、現時点で韓国経済にとって日本の持つ意味は明らかに低下した。今後、日本が経済的対抗措置を追加発動しても、韓国が屈服するとは考えにくい。

現状は、双方の発動している経済措置は比較的軽微なものであるため、それぞれ相手にとって致命的な打撃を与えることはなく、日韓両国ともに十分耐えられる。仮に今後、日韓が経済的措置をエスカレートさせたとしても、マイナスの影響がどちらか一方に極端に偏ることはないため、どちらかが先に屈服する、ということは期待できない。むしろ、こうした措置の応酬は日韓両国でナショナリズムを煽るため、双方がやせ我慢を続けることになる可能性が高い。

我々に言わせれば、売られた喧嘩。しかし、向こうは逆の受け止めだろう。いずれにせよ、ルーズ・ルーズ・ゲームをいつまでも続けなければならないとは、愚かな話だ。

自由を振りかざすだけで自由は守れない――「表現の不自由」展の中止に思う

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」という企画展が中止された。従軍慰安婦をテーマにして韓国人作家が作成した少女像が物議を呼び、右系の人たちからの脅迫や一部政治家の圧力が昂じたため、安全を確保できなくなったためだと言う。

私自身、この少女像を見たいとは思わないし、見ても気持ち悪いとしか思わないに違いない。しかし、だからと言って、人が何かを表現するのを脅迫や圧力でやめさせるようなことがまかり通れば、この国の自由は失われてしまう。企画展が中止に追い込まれたことは言語道断だ。

そのうえで言えば、日本人が自由のために戦う覚悟は、軽い。今、日本や世界を覆う不自由の空気がどれだけ重いかについての認識も、甘い。今回、つくづくそう思った。

今日、表現の自由を奪う力は、ナショナリズムと連合して力を増幅している。我々が教科書で習った「表現の自由」を振りかざすくらいでは、それに対抗することなどできない。芸術家やリベラルな人たちからは怒られるかもしれないが、国民の多数派を味方につける政治的戦略性がなければ、自由はどんどん失われていくだろう。

展示中止に至った顛末

8月1日、 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」という企画展が開催された。わずか2日後、同芸術祭実行委員長の大村秀章愛知県知事はその中止を発表する。展示では、昭和天皇をコラージュした版画や「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句など、国内で展示や発表が中止された作品、旭日旗を連想するとして在米韓国人団体から抗議を受けた横尾忠則氏のポスターなど、様々な作品が出品されていたらしい。

その中に韓国人作家が従軍慰安婦をテーマに作成した「平和の少女像」などもあった。これが右翼系の人に限らず、反韓感情を持つ人を刺激した。放火をほのめかすなど、悪質な脅迫が相次いだそうである。菅官房長官や柴山文科大臣は同展への補助金の差し止めを示唆し、ポピュリスト政治家の河村たかし名古屋市長がこれに乗って企画展の中止を声高に求めた。大村知事もこれに抗しきれず、また、危機管理上の懸念も本当に感じたのであろう、企画展の中止を決めたというのが大筋の経過だ。

国民の反応は冷淡

こうした動きに対し、日本ペンクラブは展示の継続を求めて抗議声明を出した。朝日新聞(8月6日付社説:あいち企画展 中止招いた社会の病理)、東京新聞(8月7日付社説:「不自由展」中止 社会の自由への脅迫だ)、毎日新聞(8月6日付社説:「表現の不自由展」中止 許されない暴力的脅しだ)も、やはり報道の自由が失われることに危機感を露にした。

一方、産経新聞(8月7日付主張:愛知の企画展中止 ヘイトは「表現の自由」か)は上記三紙とは異なる調子の社説を掲載。「暴力や脅迫は決して許されない」と形ばかり書いたあと、天皇を題材にした作品や少女像については「ヘイト行為」だと述べ、それは「表現の自由」か、と疑問を呈した。ヘイトに最も親和性の高い新聞らしい社説だが、この説を認めれば、産経新聞が主張する歴史認識は韓国人や中国人にとってはヘイト行為であり、産経新聞の表現の自由も許されない、ということになる。

社説の内容は、朝日などの言い分がまったく正しい。これが20世紀後半のことであれば、世の中は「表現の自由」封殺に対する批判の大合唱となっていただろう。

しかし、現実はどうか。世の中は大きな声をあげようとしない。いや、むしろ、河村や菅、ひいては産経新聞の主張の方が正しい、と感じる国民も決して少なくない。野党を含め、永田町だって、国会閉会中ということを勘案しても、静かなものである。

今回、少女像は展示すべきでなかった

日本国民のほとんどは、表現の自由の重要性を理解していると思う。皆が皆、産経新聞の言説に同意するわけでもあるまい。しかし、今回、少なからぬ国民は、少女像の展示を「表現の自由」の問題ではなく、「ナショナリズム」の問題として捉えた。その結果、「表現の不自由展・その後」は表現の自由を守るために少女像を展示し、表現の自由を後退させた。

それでなくても、経済は停滞、社会の較差も拡大して国民の間には閉塞感が募っているのが日本の現状。そこへもってきて、韓国が日本をナショナリズムの標的にし、日本もとうとう売られた喧嘩を買って韓国にナショナリズムの牙を向けた。日本人が――世界中で見られる傾向かもしれない――少しずつ右傾化(という言葉が不正確なら自国第一主義)の方向に向かっていることは紛れもない事実だ。そして、右も左も無党派も、日本人は韓国が嫌いになった。少なくとも、韓国に「ウンザリ」している人があふれている。

このタイミングで少女像を展示すれば、言論や表現を弾圧する側がナショナリズムを利用し、大手を振って自由に圧力を加えることは、十分に予想できたはずである。

日本人は表現の自由を誰かと戦って勝ち取ったわけでは、基本的にない。敗戦と憲法によって与えられ、教科書で習ってきたにすぎない。だから、ひ弱なインテリが表現の自由を守ろうとして立ち上がるのはよいが、抑圧する側がナショナリズムと組んだら、ひとたまりもない。

理想を曲げることになろうとも、表現の自由を守りたいのであれば、今回は抑圧する側がナショナリズムと手を結びにくいテーマに絞るべきだった。むしろ、表現の自由を守る側がナショナリズムと手を結びやすいテーマを選び、表現の自由に対する国民の共感を得て自由のための橋頭保を築くくらいのしたたかさがあれば、と思う。「少女像」の展示は、そうやって国民の理解を得たうえで、もう少し日韓関係が落ち着いてからにすればよかった。(天皇を題材にした作品については、右系の人が騒いでも国民的な広がりを持つことはなかったであろう。今回、外すべきだったとは考えない。)

ここからは余談の部類を少し。
今回、芸術祭の主宰者や愛知県知事はわずか三日で展示の中止を決めた。もちろん、当事者にしかわからない恐怖や責任感もあったとは思う。だがそれにしても、「あっけなかった」というのが正直な感想だ。私の奥方も、「こんなもん出す以上、脅迫がくることは誰だって想定できたでしょう? 根性もないのにやって腰砕けだね」と首をかしげていた。

だがその一方で、実行委員会のメンバーが大村知事に公開質問状を出し、展示の再開を求めている模様だ。まあ、彼らにしてみれば、「大村や津田大介(芸術監督)はひよったが、我々は教科書に書いてあるとおりに正しい」と言いたいんだろう。とにかく正論にこだわるかと思えば、政治的に味方になるはずの人も公開の場で批判する。だから、日本のリベラルは駄目なんだ、と思わざるを得ない。正論を吐くがひ弱、というのは朝日の社説を読んでも思った。

 

今回、私が書いたことは、正論としては明らかに間違いだ。表現の自由は、それが犯罪行為にでもつながらない限り、絶対的に守られるべきものである。政治的な理由から韓国絡みの表現の自由をことさら目立たせるべきではない、という主張は、本来、表現の自由とは相いれない。

しかし、戦前を含め、純粋な正義が負けた例は歴史上、いくらでもある。戦前は、自由のために命をかけて戦っても、政府から弾圧され続け、戦争に負けるまで自由を得ることはできなかった。今の世の中、戦前と違うのは、国民を味方につけた方が勝つ、ということ。

だが逆に、正論だけ振りかざしても、国民を味方につけられなければ、自由は失われる。憲法で文字上、自由が保障されていても、自由が自動的に守られるわけではない。その主張がどんなに正しくても、国民が共感しなければ、国民は知らず知らずのうちに自由に背を向ける。

そう、国民は、自由にとって味方にも敵にもなる。自由を守りたければ、時には回り道も必要だ。

 

追伸:今日、吉村洋文大阪府知事が少女像などの提示を「反日プロパガンダ」と呼び、「愛知県がこの表現行為をしているととられても仕方ない」「(大村氏は)知事として不適格じゃないか」とまで言ったらしい。この人、松井一郎大阪知事が変なことを言うとオウム返しで変なことを増幅して言うことが多い。

大村知事にどこまでの覚悟があったかは別にして、表現の自由の問題提起をすることに公金を使うのに、何の問題があるというのだ? 政府が補助金を出したくない、というのなら、勝手にすればよい。だが、大阪知事風情が便乗してこんなことを言うなんて、維新のポピュリスト政党的ないやらしさが全面に出ている。

政治戦略上の理由から少女像は展示すべきではなかった、と私は本ブログで述べた。しかし、松井や吉村がここまで言う以上、ガツンと反論しておかないと言論抑圧とナショナリズムの悪い結合が進みすぎてしまう。野党の国会議員も黙っていないで少しは大村知事に加勢してやったらどうだ? 立憲民主と国民民主は国会で統一会派とか言っているらしいが、あんまり国民に嫌われるのを怖がって沈黙していると、支持率で維新に抜かれる日が来るんじゃないのか。