統計問題を受けての雑感

統計問題の三つの罪

統計問題の発覚から大分時間がたった。毎月勤労統計をはじめとした統計問題は、確かにひどい話だ。でも、世間での批判を耳にするたび、「ポイントはそこなんだろうか?」と何か引っかかるものを感じてきた。毎月勤労統計の間違いを私流に整理すれば、大きく言って三つ指摘できる。

一つは、厚労省が総務省への届け出に反して大規模事業所の東京分について全数調査をしていなかった、という手続き的な問題。総務省に届け出た以上、厚労省は(それを訂正しない限り)その通りに調査しなければ法律違反になる。官僚が法律違反では話にならない。そのうえで言えば、大規模事業所の分を全数調査するという最初の判断の是非についても再検証がなされるべきだと私は思う。全数を調査するんなら、統計学という学問なんかいらない。最初から大規模事業所の分も抽出調査することにして総務省に届け出るべきだった、と私は思う。何で全数調査することにしてしまったのか、謎だ。

二つめは、その全数調査を行わずに抽出調査したデータについて、統計学的に当然かけるべき補正をかけていなかったという、およそ考えられない初歩的なミス。これさえやっていれば、一番目の法律違反という批判は避けられなかったにせよ、失業給付等の額が(大きく)変わることはなかったはずである。厚生労働省はここまで無能だったのか、とあきれるほかない。個人的には、最も大きなショックを受けたのもこの点であった。

三つめは、厚労省が間違いに気付いた後、それを何年も公表しなかったこと。担当部署では昨年1月分から間違いを補正する作業に取り掛かっていたと言う。「不正」が意図的に始まったものか否かはさておき、上記二つの問題は相当以前から認識されていたと考えられる。ところが、昨年12月に統計委員会が指摘するまで事態は表面化しなかった。間違いがあってもそれが表に出る、という透明性が確保された組織であれば、まだ救いはある。しかし、間違った者がそれを隠すようでは、その組織は腐っている。

高度成長期の頃までは、「官僚一流、経済二流、政治三流」と言われたものだ。しかし、森友・加計問題の財務省、南スーダン日報問題を隠蔽した防衛省・自衛隊、今回の厚労省――かつては「消えた年金」問題もここだった――とくれば、能力面でも職業倫理のうえでも「官僚三流」と言わざるをえない。その分、経済や政治がレベルアップしたわけではない。日本は大丈夫なのか、と心配になる。

国会論戦の不毛

国会では、毎月勤労統計をはじめとする統計問題をめぐり、与野党の論戦(凡戦)が続いている。これが実につまらない。

野党は「正しい数字に基づいて計算すれば実質賃金はマイナスになる」と政府を責め、統計問題をきっかけにアベノミクスの失敗を印象付けようとしている。だが、この6年間で改善した数字も少なくないため、水掛け論に終わるのが関の山だろう。予算委員会では野党議員が「統計不正はアベノミクスに有利な数字をつくるための官僚による忖度だったのではないか」と安倍総理に質問していた。根拠や証拠もなくそんなことを言われても、政府を攻めきれない苦し紛れから言いがかりをつけているようにしか聞こえない。

政府・与党もひどい。賃金統計が過大に計上されていた以上、それを修正すれば賃金に関する従来の数字が下がることは避けられない。「実質賃金はマイナスだった」と素直に認めればいいものを、経済状況を判断する際に実質賃金を参照するのは適切ではない、などと論点をすり替え、アベノミクスを執拗に礼賛する。閣僚や与党議員たちは安倍へのゴマすりに血道を上げ、茂木敏充経済再生大臣に至っては、ゴロツキのような口調で野党議員に噛みついていた。

多くの国民にとって、アベノミクスの評価は既に定まりつつあると思う。マイナス成長からの脱却には成功したという評価と、安倍の公約していた2%成長は実現できないという失望のミックス、と言ったところだろう。統計問題が出てきたのを材料にして、アベノミクスは失敗だ、いや成功だ、と政治家たちが力むだけでは、国民は白けるばかりだ。もう少し面白い質問はできないもんだろうか?

例えば私などは、「間違いは許せないが、だからと言って追加給付が百円玉数枚という人にまで税金を使って対応する必要はないだろうよ」と不謹慎なことを考えてしまう。「勤労統計の間違いを受けて発生する追加給付について、千円以下については支払わないよう特別立法を検討してみないか」という質問でもしてくれれば、国会中継の視聴率も少しは上り、NHKも喜ぶに違いない。まあ、質問した議員は炎上必至ではあるが・・・。

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