参議院選挙が思い知らせた「選挙における政策論争の消滅」

7月21日(日)に参議院選挙が行われた。各党の議席数は報道されているとおりである。とても醒めた言い方になるが、れいわ新選組やNHKを国民から守る党が議席を獲得したことを含め、あまり驚きのない結果であった。

各党の勢いを見るため、今回の参院選と前回(2017年10月)の衆議院選で主要政党が獲得した得票率を並べてみよう。

〈主要政党の比例得票率〉 (単位%)

自民 公明 立憲 維新 希望 国民 共産 れ新
前回

衆院選

33.3 12.5 19.9 6.1 17.4 7.9
今回

参院選

35.4 13.1 15.8 9.8 7 9 4.6

絶対的な得票数は落ちていても、与党は得票率を増やしている。自民は35%で野党第一党の立憲に対してダブル・スコア以上の大差をつけた。自公の合計は48%超。半分を切っているという見方もできるが、やっぱり強い。

一方、立憲民主は2年前から得票率を落とし、党勢にブレーキがかかっていることを窺わせる。2年前の支持層の一部は山本太郎のれいわ新選組に流れたのかもしれない。だが、前回衆院選で自公や希望に行った票――総投票数の約63%に及ぶ――をこの2年間、ほとんど取り込めていないという現実の方が深刻だ。せめて2割近くを握っていないと、立憲が野党の核になることも、野党全体で与党に対抗することも望めない。

維新の会は小躍進した。この春に仕掛けた大阪府知事と大阪市長のスライド選挙という賭けが吉と出て、関西圏(及び首都圏)で久しぶりに風が吹いた、というところだ。

現状、野党に国民の支持が大きく集まる気配は見られない。政権交代はおろか、与野党がある程度伯仲して政権運営に緊張感をもたらすこともむずかしい――。それが偽らざる感想だ。

さて、今回の参議院選挙ほど、政策的争点のない選挙はなかった。だが私は、それを「野党がだらしないから」と簡単に言うべきではないと思う。国民に語るべき大きな政策を持たない点においては、与党も五十歩百歩だからである。素性の知れない人物の唱える「NHK放送のスクランブル化」というニッチな公約が一番目立った、という情けない事実がそのことを如実に示している。

このブログでは、国民の関心が高かった経済(景気)と社会保障の分野において、参議院選挙を通じて各党がどのような政策を公約したか、少し復習してみたい。

経済政策

今回の参議院選挙の最大の争点は、10月に予定されている消費税率引き上げの是非だという見方が事前には強かった。確かにテレビの討論番組などでは司会者がこの問題を提起してはいた。しかし、多くの有権者がそれによって投票行動を決したとは思えない。その理由はいくつかある。

一つは、現在の政治状況からくる諦観。今日、衆参では与党が圧倒的多数を占めている。選挙前の世論調査でも自民党の支持率が4割前後なのに対し、野党第一党の支持率は10%以下。自民党には公明党(創価学会)という選挙上最強の後ろ盾もついている。しかも、小選挙区の衆議院ならともかく、中選挙区的な要素の混じり、半数しか改選されない参議院選挙では、政権交代や衆参の捻じれが実現することはありえない。

もう一つは、国民の意見が分かれていること。世論調査では、国民の半数近くが消費税率引き上げに反対と答える一方、賛成という国民も常に4割近くいる。反対と答えた国民でさえ、少子高齢化が止まらない中、社会保障や教育・子育て政策に充てるため、消費税率引き上げが必要だと言われれば、「消費税が上がるのは嫌だけど、仕方がない」と思う者が少なくない。他所の国ではどうか知らないが、日本人には真面目な人間が多いのだ。

次に、経済政策として争点となり得たアベノミクスはどうだったか?

安倍の政権復帰から6年経った今、アベノミクスはメッキの剥がれが相当目立ってきている。安倍政権はこれまで、株価など良好な指標のみを宣伝し、民主党政権の致命的なまでのガバナンスの悪さを思い起こさせることでアベノミクスの優位性を喧伝してきた。だが、安倍政権下で日本経済の平均成長率は+1.15%にすぎない。IMFの予測によれば、今年の経済成長率は+0.9%、来年も+0.4%と今後も低水準が続く。「悪夢の民主党政権」の3年間、東日本大震災を経験したにもかかわらず、日本経済が平均して年率+1.87%で成長した。国民もさすがに「アベノミクスも言うほどの成功ではない」と気づき始めている。

ところが、野党の側はアベノミクスを批判するだけで、対案を示せない状態が何年も続いている。特に、野党第一党の立憲民主党に骨太な経済政策が見あたらないのはつらい。

もっとも、野党にも(与党にも)同情すべき部分はある。人口減少が続く日本で、経済政策の妙案がおいそれと見つかるわけはないのだ。立憲民主などは、経済音痴であることを認めて開き直ればよいのに、と思う。「経済運営は政権交代しても基本的に変えない。低金利政策と財政出動は基本的に継続する」と言っておけば、経済界や多くの労働者は安心する。旧民主党政権も東日本大震災を受けて財政出動は十分にしていた。日銀が超低金利政策に転じたのも野田政権末期のことだった。経済政策は自公を引き継ぐことにして、それ以外の政策で与党と差別化を図る、というのも選挙戦略としてはありえるんじゃないかね?

立憲以外にも少し目を向けてみようか。維新は相変わらず、お題目みたいに規制緩和と言うだけ。昭和末期から平成初期に流行った議論だが、ある程度の経済成長を実現するには線が細い。国民民主は今回、高速道路千円、家賃補助、児童手当増額など、積極財政政策に舵を切った。こども国債という名目で現代貨幣理論(MMT)に乗ったようにも見える。ただし、選挙戦を通じてこうした政策が注目されることはまったくなかった。この党は政策以前に党としての信頼性獲得が課題かな? 共産党の経済政策は、アンチ・ビジネスと低所得者偏重が過ぎるので論評しないでおこう。

年金政策

もう一つの大きなテーマになると思われた年金政策はどうだったか?

参院選の直前、金融庁の審議会が「老後、公的年金だけでは足りないから2000万円の貯蓄が必要」というレポートを出し、選挙への悪影響を恐れた政府が受け取りを拒否するという珍事件が起きた。政府は「年金は百年安心」と言ってきた(と思われてきた)ため、国民の政権不信が一気に高まった。ある野党の政治家は「神風が吹いた」と喜んだそうだ。

しかし、結果的に神風はそよ風程度のものだった。野党はここでも対案を出せなかった。例は良くないが、イギリスのブレグシットも、「EUはけしからん」だけなら国民投票にたどりつくことはなかった。「EU残留」と「EU離脱」という2つの選択肢が示されてはじめて、国論を二分する一大争点になった。年金も選択肢が複数なければ論争にならない。

確かに、年金というテーマに国民の関心は非常に高い。しかし、国民の大多数を喜ばせ、納得させられる解決策は存在しない。誰だって、支給開始年齢は今のまま、支給額が増えるのがいいに決まっている。そして誰だって、保険料負担や消費税が上がるのは嫌だ。この2つの矛盾を解決するには、高齢化の進展以上の速度で労働力人口が増え続けるか、給料が上がり続けるしかない。それができたのは高度成長期のみであり、今はもう不可能だ。

結局、各党の提示しうる年金政策は、年金制度をやめないかぎり、

    1. 年金支給年齢の引き上げや年金支給額を減らしながら、現行制度を続ける
    2. 年金支給額を維持・増加するため、保険料や消費税率を引き上げる

のいずれかとならざるをえない。(それ以外にも、財政赤字を増やしてでも少子化対策を打つとか、移民を大幅に増やすと言った選択肢も考えられるが、今回は深入りしない。)

自公は①を称して「100年安心」と言っている。決して、現行の年金支給水準が100年続く、という意味ではない。給付水準を下げれば制度が維持されるのは当たり前。だから、嘘とは言い切れない。だが、国民が誤解するに任せていたのは「ズルい」話だ。ちなみに、金融庁の報告書が「2000万円必要」と言ったのは、①を前提にしたギリギリの生活が嫌だったらお金を貯めておいた方がいいですよ、という意味とも読める。

一方、年金の支給額が不十分だ、という野党の主張を政策にしようと思えば、②の方向へ行かざるをえない。ところが野党は、10月の消費税率引き上げにすら反対している。国民の負担増を公約として打ち出すことなど論外だ。勢い、その年金政策は曖昧となり、選挙戦の最中も政府・与党の隠蔽体質を批判するにとどまった。(公平を期すために言うと、野党は低年金者対策の充実についてはこの選挙で具体策を示していた。しかし、わずかの金額であるうえ、正当に保険料を支払った大多数の国民には関係がない話であったため、争点になることがなかったのも当然である。)

野党の参院選公約を見ると、立憲民主は最低保障機能の強化を謳っている。低年金者の給付額を上げるのだろうが、低年金者とそうでない人の線をどこで引くのか、受給額をいくらにするのかといった具体的な制度設計は示されていない。そこの議論に入れば、必要な財源と消費税率の引き上げ幅が表に出るためであろう。しかし、「最低保障機能の強化」だけ言われても国民は政策とは受け止めない。

一方、維新が提案しているのは積み立て方式の導入だ。一見魅力的に聞こえるが、既に何十年も賦課方式でやってきているため、新方式への切り替えには膨大な財源が必要になる。維新もそこについては口を閉ざしたままである。

私は、野党が公約で細かく財源を示す必要は全然ないと思っている。しかし、こと年金に関しては、そういうわけにはいかない。野党が年金の充実を公約するのなら、負担増についても説明すべきだ。ブレグジットの国民投票の際、離脱派は「EUから離脱すれば拠出金がなくなり、英国の社会保障に毎週(←毎年ではない)500億円使えるようになる」という主張――もちろん嘘だ――を展開し、多くの人がそれを信じた。日本でそんなことはやめてもらいたい。

ここからは少し脱線する。

上述した2つの年金政策は年金制度の存続を前提にしたものである。だが将来的には、「老後は自助努力で支える。その代わり、保険料も支払わない」という考え方に立ち、年金制度の廃止を掲げる政党が現れても驚くべきではない。年金保険料を一定期間以上支払った世代にとって年金廃止は損な話になるため、多数派を占めることはさすがに無理だろう。しかし、若い世代にとって今の年金制度は年寄り世代を支えるためのアンフェアな「持ち出し」にほかならない。シングル・イッシュー・パーティとして若者にターゲットを絞れば、複数議席の獲得は十分可能だと思う。

その結果、将来の日本の年金制度改革が、負担増による給付増(または給付維持)という方向に進むのではなく、負担減と給付減――足りない部分は自助努力で補う前提である――という方向に向かう可能性も出てくるのではないか。自助を強調する考え方は自民党の理念とも親和性が高い。そんな状況になったら、野党はどうするんだろうか?

今後の展開~有志連合と補正予算

参議院選挙が終わり、来週には臨時国会が開かれる。だが、これは参議院議長を選ぶための短期間。その後、秋に開かれるであろう臨時国会では、どのような政策が議論されることになるのだろうか? 少しばかり予想してみよう。

まず、マスコミが騒ぐ憲法改正はどうか? 安倍総理が何をやりたいのか、正直言って私にはよくわからない。自民党は4項目の改憲案を決めているが、選挙戦の最中、憲法のどこをどう変える、ということを安倍が力説したという印象はない。安倍が言っていたのは、憲法を変えたい、ということだけだった。しかも、選挙が終わった途端、自民党の案にはこだわらない、と言い出す始末だ。結局、安倍がほしいのは「はじめて憲法を改正した総理大臣」という名誉なのであろう。

そのうえで言えば、国民投票法の改正で野党に譲歩したうえで、野党を分断して憲法改正の土俵に引きずり込む、というのが最も考えられる安倍の改憲戦術ではないか。ただし、安倍は憲法改正の前にトランプが要求しているペルシャ湾の有志連合について、対応を決めなければならない。その分、改憲のスケジュールは後ろに倒れるだろう。

では、ペルシャ湾の有志連合に日本政府はどう対応するのか? 米国が期待しているようなことを自衛隊にさせるためには、新法の制定のみならず、9条解釈の再変更が必要となりかねない。仮に現行法で対応しようとすれば、ペルシャ湾の事態を存立危機事態と認定しなければならない。だが、今の時代にオイル・ショックが再現するようなシナリオには無理がありすぎる。

日本のタンカーが沈められて日本が当事者になってしまえば別だが、ペルシャ湾を理由に新法を通すのはなかなか骨の折れる仕事になる。今の危機は、イラン核合意からの離脱をはじめ、トランプの側にも責任があることは事実だ。「日本はトランプのマッチ・ポンプに付き合って自衛隊を派遣するのか?」という批判が出てくることも避けられない。解散・総選挙を視野に入れた時も、具合がよろしくないだろう。

加えて、安倍晋三は本来的に親米主義者というよりもナショナリストである、という要素についても考える必要がある。(ここで詳しくは述べないが、私は安倍の親米は本心からくるものではないと思っている。)安倍が「米国に付き合ってペルシャ湾くんだりで自衛隊員の血を流してもよい」と考えるかどうか? はっきり見えてこない。

次に、経済政策はどうか? ポイントは3つある。

一つ目は、この夏、米国との貿易協議がどう決着するか。程々の線で妥協して双方が自賛できればよし。ひどい譲歩を呑まされれば、安倍の解散戦略に制約が強まる。呑まないで交渉が長引けば、トランプが何をツィートするかわからず、それはそれで安倍にとって爆弾になる。

二つ目は、日本の景気動向全般に対しては、米中貿易・技術戦争の行方がから目が離せない。ただし、これは安倍政権が当事者能力を発揮できる問題ではない。日本政府に米中の仲介役が務まるとも思えない。まさに見守るしかないだろう。

三つ目にして当面の経済政策で最大の課題となるのは、消費税率引き上げをいかに軟着陸させるか、ということ。消費税が上がれば、消費は冷え込む。その分、政府支出を増やして景気の落ち込みを防がなければならない。実はこれ、今年1月17日のポストでも書いたとおり、日本政府は既に昨年度の補正予算と今年度の予算で手当てしている。だが、消費税率が上がると言うのにまだ駆け込み需要も見られず、景気の先行きは視界不良だ。そこでもう一丁、財政出動した方がいい、という意見が強まる可能性が高い。そうなれば、補正予算という話になる。

ここで問題は、何を名目に追加財政出動するか、ということである。ポイント還元やプレミアム付商品券といった消費税対策は、期間延長では当面の消費喚起にはならない。かと言って、今からポイントを拡大するなど制度をいじれば、混乱が大きい。

定番の公共事業はどうか? これについても、昨年度から来年度までの3年間、防災・減災、国土強靭化のための緊急対策として7兆円の公共事業を既に組んでいる。これには不要不急のものまで計上しているので、ここから増やすと言っても限度がある。結局、中途半端な補正を打ってお茶を濁す、ということになりそうだ。

安倍が補正予算で大玉を考えるとしたら、教育の無償化や児童手当の増額といった野党が主張している政策に手を出す可能性もないではない。これらは一旦始めれば恒久的に支出が続く政策だ。本来、消費税引き上げ対策として補正を組んで一時的にやるべきものではない。だが、安倍が国民民主の「子ども国債」に食いついたらどうか? 財務省は反対するだろうが、同省は安倍政権内での影響力が低下しているうえ、自民党内にもMMT支持派は一定数いる。まったくあり得ない話ではないだろう。

玉木代表は憲法改正をめぐる安倍の「釣り球」にもアッという間に飛びついたらしい。安倍総理のやり方次第では、憲法改正と子ども国債は野党分断の絶好の玉になりそうだ。

現代貨幣理論(MMT)が日本に逆輸入される日

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)というものがアメリカで流行しているそうだ。

経済学の徒でない私には、現段階でMMTなるものに確定的な評価をくだす自信がない。しかし、MMTなるものが無視するには大きすぎる政治的なインパクトを持つであろうことは十分に予測できる。本ポストでは、アメリカにおけるMMTの流行が、近い将来、日本の経済・財政政策に影響を与える可能性について考えてみたい。

MMTが日本の経済政策にもたらすものは、チャンスなのか、リスクなのか?

MMTとは何か?

残念ながら、MMTの詳細な解説となると私には荷が重い。ここではMMTの簡単な紹介にとどめるが、ご容赦いただきたい。

政府はどんなに支出を増やしても、お金がなくなったり破産したりすることはない――。このシンプルな考え方がMMTの共通項である。そこから、3月15日付の日経新聞はMMTの主張を「自国通貨建てで政府が借金し物価が安定している限り、財政赤字は問題ない。政府の借金は将来国民に増税して返せばよい。無理に財政赤字を減らし均衡させることにこそ問題がある」とまとめている。厳密に言えば異論もあるかもしれないが、MMTの持つ政治的な意味を考えるうえでは、この程度の理解でも大きな不都合はないだろう。

米連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長から、ポール・クルーグマンやラリー・サマーズなどの経済学の大御所たちまで、メイン・ストリームの人たちはMMTを痛烈に批判している。

伝統的な経済学の理論では、財政赤字の膨張を問題視する考え方が強い。20世紀後半の欧米先進国の経験も財政赤字を罪悪視し、「財政健全化こそ正義」という風潮を裏打ちするものだった。

1970年代のイギリスは経済成長の低下を受けて財政赤字が増加、1976年には財政破綻した。その後、サッチャーによる民営化、金融引き締め、財政支出削減等を経て1998年、ブレアの時代に財政黒字に転じた。

ベトナム戦争後の米国も経済の停滞に苦しみ、1980年代には財政赤字と経常赤字の併存(双子の赤字)が問題視された。レーガン政権下では国防予算の増加や大規模減税によって財政赤字が膨らみ、1992年にピークに達する。その後、クリントン政権下で米経済は復活し、1998年には財政黒字を実現した。

ワイマール時代の天文学的インフレを経験し、ヒトラーの台頭を許したドイツもインフレに対して強いアレルギーを持ち、財政規律を人一倍重視する。

要するに、伝統的な経済・財政学者や金融政策の実務に携わってきた人たちの目には、MMTの先に「放漫財政→ハイパー・インフレ→財政破綻」が見えるのだ。今はMMTの広告塔な役割を果たしているステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)も、長い間異端視されてきたと言う。

しかし、私に言わせれば、伝統的な経済学とMMTの違いは、いわゆる近代経済学とマルクス経済学の違いのような根本的なものではない。

例えば、伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちも、経済低迷期における政府の介入(財政出動)が必要であることは明確に認めている。ただし、彼らは財政出動が「大きくなりすぎる」ことを警戒し、財政出動や財政赤字はできるだけ小さくとどめ、できるだけ早く解消した方がよい、と考える。

対するMMTは、財政赤字を恐れるあまり、経済低迷期において財政出動が「小さくなりすぎる」ことにむしろ懸念を抱く。リーマン・ショック後の不況期に各国政府は財政出動や低金利(マイナス金利を含む)政策を展開したが、MMTの信奉者は、その規模や期間が中途半端だったから今日も世界経済は立ち直っていない、と批判するのだ。

ちなみに、MMTも財政赤字を野放図に膨れ上がらせたまま、放置していいとは考えない。十分に大きく、十分に長く財政出動すれば、景気が上向いて税収も増える、というのがMMTの理想像。しかし、財政赤字の増加ペースが物価上昇率を超えたり、完全雇用が実現したりすれば、財政赤字にブレーキをかけなければいけない。ただし、その場合でも政府には増税という最終手段があるから、問題はない、とあくまで楽観的である。

政治から見たMMT

圧倒的な少数派にとどまり、その教義が実行される可能性がほとんどなければ、正統派は異端を本気で批判しない。伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちがMMTを声高に批判し始めたのは、近年、アメリカ政治の一部、特に民主党左派にMMTと組む動きが見られるためである。

代表格が前述のケルトンだ。前回の大統領予備選でヒラリー・クリントンと最後まで民主党候補の座を争ったバーニー・サンダースの経済顧問を務めた。もしもサンダース大統領が誕生していれば、ケルトンが経済政策の司令塔となり、MMT流の経済・財政政策が採用されていた可能性があったということだ。

民主党の左派の政治家で最近売り出し中なのが、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス。プエルトルコ移民を母に持ち、昨年11月に28歳で史上最年少の下院議員となった。彼女も財政赤字の拡大を容認するMMTに秋波を送っている。オカシオ=コルテスは、政策面ではグリーン・ニューディールを主張し、10年以内にエネルギーを100%再生可能由来のものにするほか、4兆6千億ドル(約500兆円!)のインフラ投資を行うのだとか。財源として炭素税や高所得者への増税を訴えるが、それだけでは足りない。MMTに関心を寄せるのも自然な流れと言える。

サンダースを含め、民主党の左派は政府が保険料を徴収して医療費の全額を払う単一支払者制度(single payer health care)の導入を主張している。必要な財源は年間、150兆円とも300兆円以上とも言われる。彼らの間でもMMTへの「期待」は大きい。

だが、財政赤字に寛容なのは民主党左派ばかりではない。実際のところ、「共和党=小さな政府」というのは財政の観点では既に死語となっている。

トランプ政権の下、10年間で1.5兆ドル(約160兆円)の減税、国防費やインフラ投資の増額などが行われた結果、連邦政府の債務残高は22兆ドル(約2400兆円)を突破して過去最高となった。トランプが政治的にMMT支持を口にするかどうかを別にすれば、トランプが財政赤字に無頓着な大統領であることは明らかだ。

トランプの説明によれば、今は財政赤字が積み増されても、将来経済成長によって税収が増えるから問題は起きない。まるでMMTの論者の話を聞いているようだ。もちろん、トランプは将来増税に訴えなければならない可能性など、おくびにも出さない。トランプは学者ではないから理論を証明する必要はない。仮に将来増税するとしても、その時の大統領が自分でなければ別に構わない、と言ったところだろう。

日本への影響

面白いことに、MMTの論者たちはその理論が正しい「証拠」として日本のアベノミクスを挙げることが多い。

日本政府の債務残高の対GDP比は2009年から200%に乗り、2018年度は236%程度。しかも、安倍内閣(正確には野田政権末期)以降、日銀による国債買い入れを含めた「異次元の金融緩和」を続けている。にもかかわらず、インフレは起きていない。黒田日銀が目標としていた2%のインフレ目標など夢のまた夢だ。

同様に、欧州の量的金融緩和やマイナス金利も、伝統的な経済理論が指摘したような問題を顕在化させていない。であれば、米政府の債務残高の対GDP比が2011年から100%台に乗り、今も上昇傾向にあるからと言っても、どうってことはない(=財政赤字はもっと増やせる)ということになる。

大規模な金融緩和と財政出動のセットであるアベノミクスの下でインフレが起きない(起きてくれない)理由はきちんと解明されていない。人口減少のトラップによるという説などいくつもの説明が試みられてはいるものの、決定版はない。だから、MMTのように「そもそも、財政赤字を拡張しても問題は起きない」という説が受け入れられる素地があるのだ。

いずれにせよ、アベノミクスはMMTが流行する前に登場している。その意味では、日本の経済政策であるアベノミクスがMMTに影響を与えていることはあっても、その逆はない――。これまでは、そう思ってよかった。しかし、将来もそうであり続ける保証はない。

アメリカの例を見るまでもなく、MMTは政治との親和性が高い。それはそうだろう。政治は有権者の歓心を買いたいからバラマキに走りがち。だが、高度成長が終わった先進国では財源が制約になる。MMTはその縛りから政治を解き放つ。

まずは米国同様、民主党崩れのリベラル陣営がMMTを援用する可能性がある。旧民主党やその末裔政党はリベラルのくせに財政健全化にこだわりを見せる不思議な政党だ。思えば民主党政権は、財源にこだわる一方で既存の事業をやめる決断もできなかったため、マニフェスト公約である子ども手当の実現や高速道路の無料化を断念、嘘つきと批判された。(東日本大震災があったことは考慮すべきだが、それがなくても主要な選挙公約を実現できていなかったことは間違いない。)下野後の民主党及びその後継政党は、財源の呪縛ゆえに新たな目玉政策――憲法改正とかでなければ、大概はカネがかかるものだ――を提案することができないままの状況で今日に至っている。

立憲民主党や国民民主党は社会保障や教育、子育てで大きな政府を志向しているが、財源がネックになっている。そのくせ、消費税の引き上げには反対しているから、八方ふさがりだ。MMTを採用すれば、景気対策を含め、国民に様々な夢を売ることができるようになる。国民民主党代表の玉木雄一郎はコドモノミクスと称して「第三子を生めば一千万配り、財源は『子ども国債』を発行する」と言っていた。いつMMTになびいても不思議ではないだろう。しかも、一昨年の分裂騒動以来、野田佳彦や岡田克也といった財政健全化派の影響力は無残に落ちた。立憲民主や国民民主の政治家に少し目端の利く連中がいれば、MMTに注目しないはずはない、と思う。

一方で、元来がバラマキ政党の自民党も、上げ潮派に限らず、MMTに魅力を感じるはずである。

と言うのも、アベノミクスは「第二の矢」として財政出動を放ち、確かに財政拡張的な政策ではあるが、財務省がまだ頑張ってきた結果、一定の節度を保っているからである。2019年度の公債発行額は32.7兆円と2012年度に比べて14.8兆円も少ない。税収が同期間で18.6兆円も増えたからこそできる業だが、リフレ派からすれば、もっと公債発行すればいいのに・・・、ということになる。

今年10月に消費税が上がり、来年夏には東京オリンピックも閉幕。消費税引き上げ対策も大半はその頃までに終わる。自民党政権が続いても、今後の日本経済は良くて横ばい、悪ければ減速の可能性が高い。加えて、米国からは駐留米軍経費の負担や防衛費を増額しろという圧力が高まるかもしれない。近年の災害多発を考えれば、土木事業も一概には否定できない。

安倍政権がこれまで圧倒的に強かったのは、政権交代で日本経済がよくなったという半ば真実プラス半ば錯覚のおかげ。国民が夢から醒めたら、盤石に見える自民党政権もあっという間に危うくなる。安倍だろうとその後継首相であろうと、より強力な財政投入の誘惑にかられるであろうことは疑いがない。それを正当化するのに、MMTは絶好の理論だ。かつて安倍が浜田宏一エール大学名誉教授の名前を出してアベノミクスを権威付けしようとしていたのを思い出す。

 

MMTを実践(=実験)するのは、アメリカなのか、日本なのか? はたまた別の国なのか?

MMTが正しければ、答が何であろうが問題はない・・・はずである。財政赤字を積み増しても、経済が上向いて税収が増えればハッピーエンドとなる。だが、財政赤字を積み増しても経済が上向かない時には、「MMTが言うような形で実験を継続できるか否か?」という別の問題が出てくる。MMTが想定する安全弁は、政府による増税である。しかし、現実の政治は増税を求められた瞬間にMMTとの親和性を断ち切るかもしれない。

他方で、MMTが間違っていれば、伝統的な経済学者や金融実務者が主張するようにハイパー・インフレが起きて経済は破綻することに(おそらく)なる。

いずれにしても、MMTの採用は相当にリスクの高い実験となる。常識的に考えれば、実験を行う最初の国にはなりたくない。だが、「失われた10年」が20年になり、30年になりそうな日本には、その素地がありそうに思える。我々はMMTの誘惑に耐えられるだろうか?

 

統計問題を受けての雑感

統計問題の三つの罪

統計問題の発覚から大分時間がたった。毎月勤労統計をはじめとした統計問題は、確かにひどい話だ。でも、世間での批判を耳にするたび、「ポイントはそこなんだろうか?」と何か引っかかるものを感じてきた。毎月勤労統計の間違いを私流に整理すれば、大きく言って三つ指摘できる。

一つは、厚労省が総務省への届け出に反して大規模事業所の東京分について全数調査をしていなかった、という手続き的な問題。総務省に届け出た以上、厚労省は(それを訂正しない限り)その通りに調査しなければ法律違反になる。官僚が法律違反では話にならない。そのうえで言えば、大規模事業所の分を全数調査するという最初の判断の是非についても再検証がなされるべきだと私は思う。全数を調査するんなら、統計学という学問なんかいらない。最初から大規模事業所の分も抽出調査することにして総務省に届け出るべきだった、と私は思う。何で全数調査することにしてしまったのか、謎だ。

二つめは、その全数調査を行わずに抽出調査したデータについて、統計学的に当然かけるべき補正をかけていなかったという、およそ考えられない初歩的なミス。これさえやっていれば、一番目の法律違反という批判は避けられなかったにせよ、失業給付等の額が(大きく)変わることはなかったはずである。厚生労働省はここまで無能だったのか、とあきれるほかない。個人的には、最も大きなショックを受けたのもこの点であった。

三つめは、厚労省が間違いに気付いた後、それを何年も公表しなかったこと。担当部署では昨年1月分から間違いを補正する作業に取り掛かっていたと言う。「不正」が意図的に始まったものか否かはさておき、上記二つの問題は相当以前から認識されていたと考えられる。ところが、昨年12月に統計委員会が指摘するまで事態は表面化しなかった。間違いがあってもそれが表に出る、という透明性が確保された組織であれば、まだ救いはある。しかし、間違った者がそれを隠すようでは、その組織は腐っている。

高度成長期の頃までは、「官僚一流、経済二流、政治三流」と言われたものだ。しかし、森友・加計問題の財務省、南スーダン日報問題を隠蔽した防衛省・自衛隊、今回の厚労省――かつては「消えた年金」問題もここだった――とくれば、能力面でも職業倫理のうえでも「官僚三流」と言わざるをえない。その分、経済や政治がレベルアップしたわけではない。日本は大丈夫なのか、と心配になる。

国会論戦の不毛

国会では、毎月勤労統計をはじめとする統計問題をめぐり、与野党の論戦(凡戦)が続いている。これが実につまらない。

野党は「正しい数字に基づいて計算すれば実質賃金はマイナスになる」と政府を責め、統計問題をきっかけにアベノミクスの失敗を印象付けようとしている。だが、この6年間で改善した数字も少なくないため、水掛け論に終わるのが関の山だろう。予算委員会では野党議員が「統計不正はアベノミクスに有利な数字をつくるための官僚による忖度だったのではないか」と安倍総理に質問していた。根拠や証拠もなくそんなことを言われても、政府を攻めきれない苦し紛れから言いがかりをつけているようにしか聞こえない。

政府・与党もひどい。賃金統計が過大に計上されていた以上、それを修正すれば賃金に関する従来の数字が下がることは避けられない。「実質賃金はマイナスだった」と素直に認めればいいものを、経済状況を判断する際に実質賃金を参照するのは適切ではない、などと論点をすり替え、アベノミクスを執拗に礼賛する。閣僚や与党議員たちは安倍へのゴマすりに血道を上げ、茂木敏充経済再生大臣に至っては、ゴロツキのような口調で野党議員に噛みついていた。

多くの国民にとって、アベノミクスの評価は既に定まりつつあると思う。マイナス成長からの脱却には成功したという評価と、安倍の公約していた2%成長は実現できないという失望のミックス、と言ったところだろう。統計問題が出てきたのを材料にして、アベノミクスは失敗だ、いや成功だ、と政治家たちが力むだけでは、国民は白けるばかりだ。もう少し面白い質問はできないもんだろうか?

例えば私などは、「間違いは許せないが、だからと言って追加給付が百円玉数枚という人にまで税金を使って対応する必要はないだろうよ」と不謹慎なことを考えてしまう。「勤労統計の間違いを受けて発生する追加給付について、千円以下については支払わないよう特別立法を検討してみないか」という質問でもしてくれれば、国会中継の視聴率も少しは上り、NHKも喜ぶに違いない。まあ、質問した議員は炎上必至ではあるが・・・。