給料をあげられない会社は潰れた方がいい

先日、朝のNHKニュースを見ていたら、アナウンサーが「企業の後継者不足が深刻化していますが、いよいよ、地方の中小企業でも経営者を外国に求める動きが出てきました」と述べて特集が始まった。ある企業経営者の弁によれば、日本国内で後継者を求めて募集をかけたところ、面接に来た応募者は有給(休暇)の数や待遇面ばかり気にかけ、本気で経営に意欲を持つ人材は集まらなかったという。そこで、ベトナムまで出かけて幹部候補の採用面接会に参加した、というストーリーであった。

ふーん、と思って見ていたが、この経営者の言葉に日本の国力が衰退していく根源的な理由を垣間見た思いがした。職を選ぶのに給与水準、休暇、福利厚生のことを聞いて何が悪いと言うのか? 給料をあげない、あげられない。だから日本人を雇えない。人手不足の最大の責任はそんな企業の側にこそある。私はそう思う。

人手不足対策を外国人労働者に頼る論理の根幹にあるのは「低賃金の維持」

先般、外国人労働者受け入れという名目で事実上の移民解禁に踏み切った日本。それを正当化する最大の理由は人手不足であった。ロジックはこうだ。先進国である日本で働く労働者の給与水準は高く、労働条件にうるさくなった。肉体労働系の仕事など、女性、高齢者、若者が敬遠する職種も少なくない。一方、ベトナムなど外国人の労働者は、安い給料、少ない休暇でも文句なく働き、危険な仕事に就くことも厭わない――。しかし、そのロジックには少なくとも二つの嘘が混ざっている。

第一は、外国人は労働条件に無頓着、という都合のよい話。日本人労働者の平均月給が30万円台前半なのに対し、ベトナム人の月給は平均で3万円程度。ベトナム人にとって、日本企業に就職すればベトナムで働くよりも10倍以上の収入になる。日本企業で働きたいと思うベトナム人は給与面で満足し、高給によって向上心を掻き立てられている、と見るのが正しい。

第二は、日本人の賃金水準は高い、という事実誤認。日本は今、人手不足と言われる。2018年の平均有効求人倍率は1.61倍となり、45年ぶりの高水準、完全失業率は2.4%と36年ぶりの低さだと言う。安倍総理もアベノミクスの成果だと自慢している。だが本来、労働力の需給がひっ迫すれば給与水準は上がるはず。現実はそうなっていない。

3Kと言われる分野における人手不足についても、やれミスマッチだ、非正規・女性・高齢者の増加だの、いろいろな説明が行われている。だが、ここでも低賃金と劣悪な労働条件が人手不足の最大の要因であろう。そこそこ豊かな日本社会では、十分な見返りが得られない仕事に就くくらいなら、多少生活水準を落ちることになっても働かない方がよい、という発想で家にこもる女性や若者が少なくないと思われる。一方で経営サイドの方にも労働条件を引き上げて人手不足を解消しようという発想はない。安い給料、少ない休暇でも文句なく働いてくれる外国人労働者の増加に活路を見い出そうとしている。

日本企業の人手不足対策は、結局のところ、給料を上げない、労働条件を改善しない、ということが大前提になっているのだ。

日本人の給与水準は低い~下を見て較べるな、上を見て較べろ!

諸悪の根源は、給与を含めた日本人の労働条件の低さにある。日本人の給与水準が高い、というのは、発展途上国など日本よりも「下」を見て較べた時の話だ。先進国の中で見た時、日本人の賃金は低い。以下にそれを見ていこう。なお、下記のグラフ等はいずれもOECD統計から作成したものである。

まず、2000年以降の日本人の平均年収の推移は次のグラフのとおりである。(最近、勤労統計問題とやらが発覚した。ここで使われている数字もおそらく多少はお化粧されているに違いない。でもまあ、それは誤差の範囲みたいなものであり、趨勢を見る分には無視してよい。構わず議論を進めていこう。)2000年につけたピークを越えられないまま、4百万円台の前半をうろちょろしているのが日本の現実だ。

これを先進国同士で比べてみるとどうか? 次のグラフはOECDに加盟する10ヶ国の2000年以降の給与水準を米ドル換算(購買力平価ベース)でグラフに重ねてみたものだ。日本は赤線である。

日本人の平均年収は、「二十年一日」と言う言葉を使いたくなるほど伸び悩み、ドル換算でも2017年の数字は2000年より低い。この惨状に付き合ってくれている(もっとひどい)のは、イタリアくらいのものだ。2000年時点で日本よりも低かった英国とフランスは日本を追い越し、遥か下にいた韓国も急速に追い上げてきている。2000年時点で日本よりも上にいた国々との間でも、その差は広がる一方。日米比較に至っては、2000年に米国の78%だった日本人の平均実質年収は2017年には67%まで低下した。米国の場合、一部の超高給取りが全体の数字を押し上げている面はあるものの、それを理由に日本人の低水準を慰めるのも惨めな話である。

最後に示すのは、政策誘導可能な最低賃金の比較。

日本の最低賃金は着実に上がってはいる。最低賃金の引き上げは民主党政権が力を入れた政策だったが、安倍政権はそれをパクって看板政策の一つにした。アベノミクスの成果を作らなければならない、という側面もあるだろう。ただし、日本の最低賃金の伸び率は特に高いわけではない。最低賃金の伸びがめざましいのは韓国だ。この勢いが続けば、日本の最低賃金が韓国のそれに抜かれるのも時間の問題であろう。

以上を見れば、結論ははっきりしている。日本人の賃金水準は、途上国などと比べれば間違いなく高いが、先進国間で比較すれば、決してそうではない。むしろ、見劣りがする。休暇取得など、ほかの労働条件を含めれば、もっとみすぼらしく感じられる。

なぜ、日本人の給料は上がらないのか?

では、なぜ、日本人の給料は安いのか? 上がらないのか? 私は学者ではないので経済学的な説明はできない。しかし、常識を働かせて物事を単純に考えれば、本質に迫れる。

簡単な話だ。日本企業の多くは、十分な賃上げを行うだけの体力が不足しているのである。もっと言えば、日本には人を集めるだけの労働条件を提供すれば潰れてしまう、ゾンビ企業が多すぎる。ゾンビ企業の低賃金を基準にして自社の労働条件を比較的低水準に抑えていることができるため、ゾンビでない企業もこの構造から間接的な「メリット」を享受している。

隠れゾンビ企業を生み、生き長らえさせている要因は様々にあり、根が深い。突き詰めれば、他の先進国では我慢の限界を超える過当競争を薄利多売で耐え抜くメンタリティ、下請け(系列)制度など、日本的システムと言われるものにいきつくのだろうか。労働組合も組合と癒着しており、春闘なんかは出来レースにすぎない。

ちょっと脱線するが、日本ほどストライキが少ない国もめずらしい。海外の先進国もそうなのかと思っていたが、ドイツでは昨年12月、組合が7.5%の賃上げを求めてストを打ち、朝の時間帯に4時間、全土で鉄道が止まった。本来、ストは労働者が要求を実現するための正当な手段だが、高度成長期が終わった頃から「一般国民に迷惑がかかる身勝手な行為」という受け止めが広がった。共産党系の組合が政治闘争を持ち込んだことで国民にそっぽを向かれた面もある。だが、連合をはじめ、日本の労働運動が御用組合化して経営サイドとの間に緊張感のかけらもなくなったことが最大の理由であろう。

アベノミクスも隠れゾンビ企業の延命に手を貸している。異次元の金融緩和と大規模な財政出動はいわば経済のカンフル剤だ。カンフル剤の大盤振る舞いが6年以上続けば、体力はボロボロでも延命する企業が増えるのは当然のこと。一方で、アベノミクスの3本目の矢である成長戦略は遅々として進まず、最大の成果は加計学園の獣医学部創設というブラック・ジョークさながらの有り様。成長戦略の本筋は規制緩和だが、それは弱者に退場を促す効果を持つ。本来なら、ゾンビ企業は一掃される方向にベクトルが働くはずだ。しかし、弱者は政治に頼る、という政治学のセオリーどおりのことが起きた結果、安倍政権の規制緩和は骨抜きもいいところだ。

悪い(弱い)のはゾンビ企業だけではない。日本生産性本部によれば、日本の時間当たり労働生産性は主要先進7カ国中最下位、という悲惨な状況が今も続いている。 経団連加盟のご立派な大企業を含め、生産性の低い会社が多すぎる。生産性が高く、儲かる企業でなければ、先進国の上の方の労働条件を提供することなど、夢のまた夢だ。

翻って日本の政治を見回してみると、与野党あげて弱者保護、隠れゾンビ企業の温存に血眼となっている。最低賃金なんか、そのいい例だ。今や、与野党こぞって最低賃金をあげろと言っている。だがこの政策、企業サイド、特に中小企業からは評判が悪い。「最低賃金をこれ以上あげられたら、経営が立ち行かない」と政治に泣きつく。その結果、最低賃金の引き上げ幅は抑えられ、中小企業対策の充実(補助金の引き上げとか)という名のゾンビ延命策がセットで打たれることになる。

賃上げできない企業は退場せよ

日本人労働者を安く働かせることしかできない社会は、結局、低賃金の外国人労働者に依存するしかなくなり、不安定化する。もっと情けないことには、低賃金で働かせられると思っていた外国人もやがて他の先進国の労働条件の良さに目が向き、日本企業での就職をスルーしたり、踏み台にしたりするようになる。特に、幹部になるような外国人は、最初こそ安い給料や休みの少なさを厭わず黙々と働くかもしれないが、やがては労働条件の改善を求めて経営者をつきあげるようになる。彼らは多くの日本人従業員のように従順とは限らない。会社を存続させたいと思って(今は素直な)外国人労働者の受け入れを求めている経営者たち。結局、労働条件の改善か、廃業かの二者択一に頭を悩ます日を少し先延ばししただけのことにすぎないのである。

はっきり言う。給料をあげたら倒産する、という会社はつぶした方がよい。政策誘導できる最低賃金ももっと急カーブであげるべきだ。中小企業対策とセットにする必要はない。隠れゾンビ企業を一掃する覚悟で臨まないと、日本はいつまでたっても低賃金社会のままだ。もちろん、日本経済全体の生産性を高め、日本企業に「儲ける力」をつけさせないと、日本中に倒産と失業の嵐が吹くだけの話となる。だが、企業に生産性向上を促す政策に短期的な痛みが伴うことは避けられない。今の世の中、その蛮勇を厭わない政治指導者は出てくるのだろうか?

外国人労働者をどれくらいまで受け入れるのか?――核心はここだろうよ

25日のポストで、「一定数の外国人が一定期間、日本国内に滞在すれば、日本人の生活や社会制度に大きな影響が出る」という問題意識を述べ、「期間」については1年を基準にすべきだと主張した。今日は「数」の問題を論じる。一体、何人まで、あるいは総人口の何割までなら、日本国に外国人を受け入れるのか?

政府案に外国人受け入れ数の天井はない

今、国会で審議されている外国人労働者受け入れ拡大法案(出入国管理法改正案)には、受け入れ人数に関する規定がない。その意味では、法律上の受け入れ数は青天井だ。山下法務大臣も「数値として上限を設けることは考えていない」と答弁した。

一方で安倍総理は、「当初5年間で最大約34.5万人」という政府の受け入れ想定人数を「上限として運用する」と述べた。ただし、国会答弁は法律ではない。変えようと思えば、後からいくらでも変えられる。

案の定、山下は「大きな経済情勢の変化があれば、例外的に対応を迫られる場合がある」と述べ、期間内での上限引き上げに余地を残して見せた。自民党の田村憲久政調会長代理(元厚労大臣)に至っては、11月18日のNHK討論で「(外国人労働者の数が)足りなければ、またさらに増やすことになる」と事もなげに言ってのけた。

外国人はどれくらい増えるのか? 

一方で、政府は「日本における外国人労働者と在留外国人の将来像」について一切語ろうとしない。であれば、こちらで考えるしかない。私に精緻な計算を行う能力はないが、それでも、日本社会の将来像について大まかなイメージをつかむためには、荒い試算でも示さないよりはよいと思う。以下の数字は、そういう前提で読んでいただきたい。

前回も述べたが、5年後に見込まれる145.5万人の人手不足分をすべて外国人労働者で賄うことになれば、日本に住む外国人の数は現在の256.2万人から401.7万人に5割も増加する。総人口に占める外国人の比率も、現在の2%から3.2%に上昇する。

別の試算方法をとれば、数字はもっと大きくなる。2017年末の在留外国人数――外国人労働者を含む――は256.2万人、過去5年間で52.8万人増えている。毎年10.6万人、年率4.7%の増加率だ。この増加率が今後も維持されれば、2027年末の在留外国人数は406.5万人、2037年には644.9万人となる。日本の総人口に占める在留外国人の比率(日本の将来人口推計(平成29年)から計算)は、それぞれ3.4%と5.7%に上昇する。

2008年に自民党の外国人材交流推進議員連盟は、今後50年間で1000万人の移民(通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも 12 ヵ月間当該国に居住する人)を受け入れるべきという提言を出した。これが実現すれば、2058年に日本の総人口に占める在留外国人比率は、単純計算で12.8%となる。(移民が日本にとどまるという前提に基づき、[2008年末の在留外国人数(214.5万人)+1,000万人]/ 9,470万人として計算。)

この数字、当時は夢物語のような数字と笑い飛ばされ、あまり深刻に考えられることはなかった。しかし、過去5年間の増加ペース(年率4.7%増)が30年続けば、2047年の在留外国人数は1,016.2万人、総人口の9.7%を占めることになる。今となっては、決してありえない数字とは言えない。ゾッとする。

欧米諸国との比較

では、いったいどれくらいまでなら、外国人の受け入れ増加を認めるのか? 検討のための材料として、OECDの統計から「移民が総人口に占める比率」を下記に抜き出してみた。なお、OECDは移民について、「1年以上滞在する外国籍の人」という定義と「外国生まれの人」(この場合、帰化していても一世であれば、移民にカウントされる)という二種類の定義を用いている。日本の場合、後者の定義は馴染みもなければ、統計も存在しない。前者の定義であれば、日本における在留外国人とほぼ同義と考えても構わないだろう。

移民が総人口に占める比率(%)
(上段は「1年以上滞在する外国籍人口」、下段は「外国生まれ人口」の比率)

2007年 2009年 2011年 2013年 2015年 2017年
ドイツ 8.3 8.4 8.4 9.0 10.1 12.2
12.9 13.2 13.2 12.5 13.5 15.5
オーストリア 9.7 10.3 10.8 11.8 13.4 15.4
14.6 15.1 15.4 16.1 17.4 19.0
ハンガリー 1.6 1.8 2.1 1.4 1.5 1.6
3.4 3.9 4.4 4.3 4.8 5.3
フランス 6.0 6.1 6.3 6.5 6.8 7.1*
11.4 11.6 11.8 12.1 12.3 12.6*
オランダ 4.1 4.3 4.6 4.7 5.0 5.7
10.5 10.8 11.2 11.5 11.8 12.5
英国 6.3 7.0 7.6 7.7 8.6 9.3
9.4 10.7 11.8 12.3 13.1 14.2
米国 7.2 7.1 7.2 7.0 6.9 6.9
12.4 12.4 12.8 12.8 13.2 13.5
日本 1.6 1.7 1.7 1.6 1.7 1.9

International Migration Outlook 2018 (OECD)より抜粋)
*は2016年。日本について「外国生まれ人口」の統計はない。

この数字を眺めて明らかに言えるのは、日本の「移民」(1年以上滞在する外国籍の者)受け入れ水準が欧米対比で非常に低い、ということ。

一方で、この数字だけを見て、「移民」の受け入れ割合がこのあたりを超えたら社会が不安定化する、という一般的な水準を見出すことは困難だ。一国の社会的安定度に影響を与える要素が移民の数だけでないことを考えれば、それも当然であろう。

とはいえ、欧米における移民の増加が社会不安を増大させていることを疑う者はいない。ヒラリー・クリントンやトニー・ブレアなどでさえ、欧州諸国は移民を制限しないと(社会不安を養分とする)ポピュリズムを止められない、と主張するようになったほどだ。

上限は保守的すぎるほど保守的でよい

移民と呼ぼうが、外国人労働者と呼ぼうが、一旦受け入れれば、減らすことはまずできない。日本人にとって、多文化共生という美辞麗句も幻想であろう。「とりあえず増やしてみて、問題が出たら考える」という発想は駄目だ。日本の受け入れ可能な「移民または在留外国人」の水準を検討する際には、極めて保守的な態度で臨む必要がある。

日本が受け入れるべき在留外国人(1年以上生活する者)数が総人口に占める割合は、5%でも十分に高すぎる。5%と言えば、現在の2.5倍の水準だ。

増加のペースも考慮しなければならない。前述のとおり、5年後に見込まれる145.5万人の人手不足分をすべて外国人労働者で賄えば、日本に住む外国人の数は現在の256.2万人から401.7万人に増加し、総人口に占める割合は3%強となる。この水準を5年で実現すれば、5年で5割増という急激な増加ペースだ。それでは社会的なインパクトが大きすぎる。

今後10年から20年で徐々に増やして3%程度、というのが良い線ではないか。もちろん、その間に少子化対策なり、女性や高齢者の労働参加率引き上げなり、技術革新による労働生産性の引き上げなり、打つべき手を本気で打たないとドン詰まりだ。経済の停滞を甘受するか、移民(在留外国人)の増加によって社会を不安定化させるかの選択に追い込まれる。

十分に保守的な上限を法律に明記すること。それを実現することなく、出入国管理法改正案に賛成する自民、公明、維新はとんでもない。それを明記した対案を出せない野党も情けない。

「移民」論争の不毛と本質

国会では27日(火)にも出入国管理法改正案が衆議院を通過する見込みと言う。だが、国会での議論はいつもの通り、何も深まっていない。逃げる政府、問題を見て見ぬふりの与党、批判に終始する野党、というお馴染みの構図にはウンザリ。だが、何が問題か、突き詰めることまで諦めてならない。

外国人労働者受け入れ拡大法案については、11月13日15日の2回に分けて書いた。その間も「なぜ、抵抗感が消えないのか?」と考えてみたが、突き詰めると、外国人労働者の受け入れ増加が日本社会の安定性を突き崩すのではないか、という不安が消えないのである。その意味で、これはやっぱり移民問題なんだ、と思う。今回と次回はそのことについて書く。

国会での「移民」質疑――論争になっていない

安倍のブレを追及しても・・・

法案審議が始まって以来、野党は外国人労働者受け入れ拡大法案を移民法案と呼んできた。だが野党側の矛先は、安倍総理が以前、「移民政策はとらない」と言っていたことを引き合いに出し、「この法案は実質的に移民拡大法案じゃないか。総理は前言を翻した」という点に向きがちだ。

これに対して安倍は、今回の法案は「永住する(外国)人がどんどん増える政策」ではないから移民政策ではない、したがって、自分がブレたわけではない、と反論。
「言った、言わない」みたいな議論に終始して本質論に入らないから、安倍は却って安堵しているのではないか。

すれ違う「移民の定義」

言葉遊びの世界に嵌っているのは、移民の定義をめぐるやり取りも同じこと。

政府の方は、移民の定義を問われても答弁しない。代わりに、「移民政策」については、「国民の人口に比して、一定程度の規模の外国人を家族ごと期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする政策」ととりあえず定義している。とりあえず、というのは、このままでは意味を持たない定義だからだ。一定規模と言ったって、国民の人口に比して何%を超えるまではよいのか? 家族を帯同しなければよいのか? 例えば10年、更新可能でも期限がついていれば受け入れし放題なのか? 解釈は伸縮自在。政策を示すと言う点では無意味である。

これに対して野党は、移民について別の定義を持ち出し、外国人労働者は移民だと主張する。よく引用されるのが国連経済社会局の次の言及だ。
「国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています。3カ月以上12カ月未満の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です。」

一方、国際移住機関は、移民を「当人の (1) 法的地位、(2) 移動が自発的か非自発的か、(3) 移動の理由、(4) 滞在期間に関わらず、本来の居住地を離れて、国境を越えるか、一国内で移動している、または移動したあらゆる人」と定義する。

なるほど、これらの定義をあてはめれば、政府が受け入れを拡大しようとしている外国人労働者はれっきとした移民、ということになる。

このような野党の追及に対し、政府は、万国共通の移民の定義はないと述べ、日本政府の定義を繰り返す。ここでも、「あっちではこう書いてある」「こっちの考え方は別物だ」と水掛け論の応酬となり、結論が出ることはない。

多くの日本人が「移民」という言葉から思い描くイメージに比べて、上述の国際的な定義はかなり「緩い」ということも、政府が論戦から逃げるのを手助けしている。3ヶ月で一時的移住と言われたら、えっ?と思う人の方が圧倒的に多いだろう。逆に、安倍が口走る「永住する(外国)人」の方が一般国民のイメージには近い。

自分たちの移民政策について述べる党が一つもない

「現下の移民政策はいかなるものか」と問われ、「今回の外国人労働者受け入れは移民政策ではありません」とすれ違い答弁しかできない政府・与党。お粗末の極みである。

だが、野党各党が「今回の法案は実質、移民拡大法案だ」と攻撃しても、迫力はまったく感じられない。その最大の理由は、野党各党が移民政策に関して自らの考えを明らかにしていないからだ。移民の定義として国際機関の定義を採用するのならそれでも結構。その定義に従って、○○党は移民増加に賛成なのか、反対なのか。どの程度の規模までなら受け入れてもいいと考えているのか――。国会質疑を聞いていても、野党の考えはほとんど伝わってこない。

今の国会質疑に比べれば、竹光を使った時代劇のチャンバラの方がよっぽど真剣勝負だ。嘆かわしい。

移民と呼ばなくても、在留外国人は無視できない

問題は、外国人労働者を「移民」と呼ぶべきかどうかではない。彼らを移民と呼ばないにしても、彼らの数が増えれば、国民生活や社会制度に大きな影響を及ぼす。それこそ、論争すべきポイントなのである。

安倍総理は、「永住じゃないから問題ない」と言う。つまり、今回の法案で外国人労働者に付与することになる資格は、5年なり何なり、期限がついている。だから、永住ではない、という理屈である。これに対し、資格に期限があっても、延長されればどんどん永住に近づいていく、という批判はもちろん、正しい。だが、これもまた、永住かどうかの水掛け論になり、本質に近づかない。

本質論に入るためには、「外国人労働者は(少なくとも制度上、)永住ではない」と敢えて認めてしまおう。そのうえで、移民という言葉を使わずに、問えばよい。
「5年以内しか滞在しない外国人労働者が2千万人、日本の人口の約2割になっても、構わないのか?」あるいは、「5年間以内しか滞在しない外国人労働者が1千万人、日本の人口の約1割であれば、構わないのか?」と。

本来、ナショナリストの安倍が「構わない」とは言うまい。まさか、この問いからも逃げるようなら、売国奴のような総理である。

一定数の外国人が一定期間、日本国内に滞在すれば、日本人の生活や社会制度に大きな影響が出る。だからこそ、前出のとおり、政府も「移民政策」を「国民の人口に比して、一定程度の規模の外国人を家族ごと期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする政策」と定義せざるをえなかったのだ。

ここで問題となるのが、「一定数」と「一定期間」。数の問題は次回に譲り、今回は期間の問題について私の考えを述べたい。

1年以上滞在すれば、大きな影響がある

少なくとも、政府が問題視する外国人労働者のラインは甘すぎる。

今回新設される特定技能1号は在留期限が通算5年で延長できない。2号は期限こそあるものの、業種によってまちまちで更新可能、家族も帯同できる。いずれも、労働力としての外国人がほしい経営サイドの要求を、「移民増加政策はとらない」という政府の建前の下で無理やり法制化した仕組み。外国人労働者の受け入れ増加と社会的安定性との関係など、真剣に考えられてはいない。

特定技能1号は5年で帰るという立てつけだが、仮に在留期限を超えて不法残留する者がゼロだとしても、根本的な問題が残る。せいぜい数週間程度しか滞在しない外国人旅行者が増えるにつれ、彼らの行状に眉をひそめる人も増えている。5年で定住する外国人労働者であれば、もっと様々な摩擦が起きても不思議ではない。

外国人労働者の行状が不良だと決めつけるつもりはまったくない。だが、彼らの生活習慣や価値観は、当然のことながら日本人とは違う。生活に支障のない程度の日本語能力、というのも極めていい加減だ。「違い」をストレスに感じるのは、迎える側の日本人も来る側の外国人も同じはず。今回の法案が成立し、外国人労働者が従来以上のペースで増加した時、日本人も外国人も相手に対して適応できないケースが増えるに違いない。

特定技能2号の方は、定義からしてより「移民」に近い。とは言え、政府の考え方に従えば、特定技能2号で資格を何度も更新し、日本に何十年も生活した外国人が資格も持ったまま日本で亡くなっても、永住ではなかった、と済ませられてしまう。まさに法匪の論理である。

国際機関では、滞在期間が1年を超える外国人を「移民」とみなすことが多い。前出の国際移住機構もそうだし、OECDもそうだ。例えば、OECDの移民の定義を一般化すると、「他国に在住していた人が、通常の住居をある国の領域内に一定期間――最低12カ月の場合が多い――定める行為」というもの。少なからぬ国際的機関が外国人の在留期限として1年をメルクマールにしているということは、やはり、意味があるのだろう。

「移民」という言葉と結びつけなければ、1年というのは感覚的にもそれほど無理なく受け入れられよう。先ほどの質問も、「1年未満で帰る外国人労働者が1千万人」であれば、多くの人にとって抵抗感はかなり薄れるに違いない。

最初は1年を基準に考えてみて、もっと長期でも大丈夫そうだ、ということになって延ばすのならまだよい。しかし、最初から5年、あるいは永住でなければよい、という大甘の基準で始めるのは危険すぎる。一旦受け入れてしまえば、外国人であっても簡単に追い出すわけにはいかない。

今後は、日本の在留外国人について、他国との国際比較を通して考えるべきケースも増加するに違いない。その意味でも、在留期間1年超の外国人――移民と呼んでもいいだろうが、抵抗があるのなら、「長期在留外国人」でも何でも、好きな呼び方をすればいい――を特別のカテゴリーとして認識することが不可欠である。

余談~右翼の抗議を見て思ったこと

先週木曜日の夕方、帰宅する途中で日の丸が林立しているのを見た。何かと思ったら、右翼団体が外国人労働者受け入れ拡大法案(出入国管理法)に反対する街頭活動だった。看板には「がんばれ、安倍政権」と書いてあったが、この法案には反対なのだろう。日本国民の負担で外国人家族の社会保険を見るなんて言語道断、みたいなことを言っている。右翼じゃない一般国民もそこはまったく同意するだろう、と思いながら通り過ぎた。

だが、よくよく考えてみれば、右翼が外国人家族の社会保険負担の問題を強調しすぎていいんだろうか。その論を逆手に取られれば、外国人家族に対する社会保険サービスの提供を制限する法律を作れば、外国人がいくら入ってきてもよい、ということになりかねない。

右翼たるもの、外国人労働者――外国籍の国内生活者でもある――という名の移民が増えて日本の国柄や社会の安定性が脅かされる、という点をもっと強調してほしい。普段はどちらかと言えば右翼嫌いの私がそう思っているのに気づき、内心笑ってしまった。

人手不足は外国人労働者受け入れ拡大法案を通す「錦の御旗」か?

出入国管理法改正案(外国人労働者受け入れ拡大法案)が審議入りして2日目の11月14日、政府は対象となる14業種別に当初5年間の外国人労働者の受け入れ見込み数と5年後の人手不足の見込み数を国会に示した。

145万5千人の人手不足!

この数字がどういう根拠に基づくものかは、まだはっきりしない。しかし、そこで示された14業種の人手不足の現状と近未来像はなかなか衝撃的だ。

現時点で58万6千人不足しているのが、5年後には145万5千人に膨らむ。それを前提にして、当初5年間の外国人労働者の受け入れ数は累計で26万2700人から34万5150人の間になる見込みだと言う。

145万も人手が足りなくなるんだから、30万人くらい外国人を入れてもよいではないか――。そう言われたら、「まあ、仕方ないか」とついつい思ってしまう数字である。

焼け石に水

一方で、日本の労働人口は、女性や高齢者の労働参加が増えるため、2023年頃までは増加基調が続くと言う。だとすれば、14業種で人手不足が深刻化する要因は業種間のミスマッチにあると考えられる。有効なミスマッチ対策を打つことができなければ、外国人労働者を政府の見込みどおりに受け入れたとしても、5年後に110万人以上もの労働力が不足することになる。

145万が110万人程度に改善する、という程度のことを実現するため、外国人労働者という名の実質移民を増やし、社会的にも財政的にもコストを甘受しなければならないのか? どうにも納得できない。

外国人労働者の受け入れを増やすことが必要である、と言いたいがために政府が出してきたこの数字。私には、政府の「過去の無策」と「将来の無能」を示すものにしか見えない。

関連業界は歓迎――政治が本気で抵抗しない理由

当初5年間に14業種で受け入れる外国人の数(見込み)は、介護=6万人、ビル清掃=3.7万人、建設=4万人、飲食料品製造=3.4万人、外食=5.3万人などとなっている。農業=3.65万人、漁業=9千人と、外国人労働者が必要なのは一次産業も同様。農協や漁協が政府に働きかけた結果、14業種に入ったとみられる。

来年の参議院選挙に向け、自民党にとっては幅広い業界を網羅した選挙対策法案になっているというわけだ。野党の方も、政府案を糾弾する一方、外国人労働者の受け入れ拡大そのものについては玉虫色の態度をとっている。農家を含め、業界団体の声を無視できないのであろう。

小さく生んで、大きく育てる? 

安倍総理は、国会に示した外国人労働者の受け入れ見込み数を上限にして出入国管理法を運用する方針だ、と国会で答弁している。

この見込みを前提にしたとき、外国人技能実習生から新資格への転換などを無視した単純な足し算では、在留外国人の数は2017年末の256.2万人(法務省入国管理局発表)から、2023年末には290.7万人に増えることになる。総人口に占める外国人の比率は2%から2.3%に増える。(総人口の減少分は考慮せず、総務省の人口推計や在留外国人統計から計算したもの。11月13日付のポストで示した数字とは若干異なる。)

これで終わるのなら、そこまで目くじらを立てることはないかもしれない。だが、ここで終わるとはとても思えない。

出入国管理法の改正案には、外国人労働者を受け入れる上限数は一切書いてない。そうである以上、安倍が国会答弁で何を言おうと絶対ではなく、将来答弁を修正することもできる。仮に当初5年間は安倍の言ったとおりに運用したとしても、次の5年間の見込み数を示す際に大きな数字を示せば、いくらでも膨らませることができる。

また、14業種に漏れた業界は、追加指定されることを要望していると言う。14業種自体、法律に書かれているわけではないから、追加は簡単だ。もちろん、業種が追加されれば受け入れ見込みも増え、外国人労働者受け入れの上限数も増加することになる。

将来的な人手不足の見込み数が145万人からさらに増えれば、業種ごとの受け入れ見込みも増えると考えるのが普通だ。それどころか、今のままでは5年後も14業種で100万人以上の人手不足が見込まれるため、それをカバーするために外国人受け入れを現在の想定以上に増やす、という選択肢も十分にありえる。

業種間のミスマッチ対策の際たるものは賃金引上げや労働条件の改善だろう。しかし、人手不足であっても日本の企業経営者(第一次産業を含む)は賃金を上げたくない。安い労働者がほしいから、外国人なのだ。その「貧乏企業の論理」で考えれば、日本社会が不安定化しようがどうなろうが、彼らは「外国人をより多く働かせたい」と政治に要求し続けるだろう。

最悪の場合、「経済成長のためなら、人手が不足する分はすべて外国人で補ったらいい」という意見が産業界でも政治の世界でも強まる可能性があるのではないか。

仮に5年後に見込まれる145.5万人の人手不足分をすべて外国人労働者で賄えば、日本に住む外国人は2017年末の256.2万人から401.7万人へと1.57倍も増える。総人口に占める外国人の比率は、現在の2%から3.2%にまで上がる。外国人労働者を受け入れる業種が14からもっと増えたり、各業種の人手不足分が増加したりすれば、この比率はさらに上昇する。

人手不足をいくら言い募ったところで、量的な歯止めを設けないまま外国人労働者の受け入れを増やすことの免罪符にはならない。

外国人労働者の受け入れ拡大~EUの二の舞は御免こうむりたい

企業が頭を悩ませる労働力不足。それを解消する切り札として安倍政権が進めようとしているのが外国人労働者の受け入れ拡大である。今、「経済成長のためなら仕方ない」と切ったカードが将来、日本社会から安定性を奪うことにならないか、甚だ心配だ。

経済偏重の安易な政策の向こうにあるのが、安倍の言う「美しい国」なのか? 冗談じゃない。

安倍政権の出入国管理法改正

11月2日、単純労働者も含め、外国人労働者の受け入れを拡大するための法案(=出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案)が閣議決定された。

法案は二種類の在留資格を新たに設け、比較的高度人材となる2号の方は無制限で更新可能。家族も帯同可能なうえ、10年滞在すれば永住権取得要件の一部を満たすことになる。1号は単純労働も認められ、有効期間は5年間。ただし、期限が切れたからと言って帰国する保証はない。

法案は今日(13日)、衆議院で審議入りした。早ければ来週中にも衆議院を通過し、どんなに遅くとも年内には成立すると見られている。来年4月に運用が始まれば、農業、介護、建設、造船、宿泊などの14業種で新たな在留資格が付与され、初年度は4万7千人程度の外国人労働者が入ってくる。

「日本は世界第4位の移民大国」ってフェィクじゃないか

今回、外国人労働者受け入れ法案について書くためにググってみたら、「日本は世界第4位の移民大国」というフレーズが目についた。しかし、世界第4位の移民大国、というのはいかにも肌感覚と合わない。で、どういうことなのかと思って元ネタ(OECD統計)を調べてみたら、羊頭狗肉であることがわかった。

OECD統計上の「移民」は国によって定義が異なり、我が国で一般にイメージされる「外国から来て永住している人」とは少し違っている。日本の場合、「国内に居住する外国人」をベースにカウントしているため、在日の特別永住者や外国人労働者、留学生などを含んだ数字である。一方で、米国の場合は「外国生まれの人」が移民としてカウントされている。米国市民権を得ていても、移民一世であれば「移民」扱いとなる。

以上を前提に、OECDは毎年、外国人が加盟国(及びロシア)へ流入した数を調査、公表している。2016年に日本へ入った外国人(旅行者と再入国許可者を除く)の数は42万8千人であった。この数字は、米国(232万人)、ドイツ(172万人)、英国(45万人)に次ぐものだ。そこから、日本は世界(正確にはOECD諸国とロシアの中で)第4位、ということになったものと思われる。

ちなみに、OECD統計は外国人の流出数も調べており、2016年には日本から23万4千人の外国人が退去している。つまり、2016年の日本における在留外国人の増加数(ネット)は19万4千人となる。

「日本は世界第4位の移民大国」が二重に誤解を与える表現であることはもう明らかだろう。第一に、外国人数のネットの増減ではなく、流入数だけを取り出して比較している。第二に――こちらの方がより本質的だが――、年次ベースで外国人流入数を並べてみても「今、ストックベースで外国人が何人いるか」を示すことにはならない。

ところで、同じOECD統計の中には、各国に在留している外国人の数と全人口に占める比率を比較した調査もある。在留外国人の社会的なインパクトを推し量るうえでは、後者の比率にこそ、注目すべきだ。

2017年末、日本国内に居住していた外国人数は238万人。10年前に比べて30万人も増えているが、在留外国人が全人口に占める比率は1.9%にとどまる。一方で、ドイツの在留外国人数は1千万人を超え、全人口の12.2%を占めている。オーストリアの場合、在留外国人数は134万人だが、全人口に占める比率は15.4%にのぼる。スイスでは人口の23.9%(203万人)が外国人だ。欧州では在留外国人比率が二桁の国は珍しくない。逆に、OECD加盟国の中でこの比率が日本よりも低いのは、ハンガリー(1.6%)、スロバキア(1.3%)、トルコ(1.0%)の三か国にすぎない。

今の日本が既に在留外国人を比率としても大量に受け入れているのであれば、「これから外国人労働者をもっと増やしても日本社会がそれほど大きな影響を受けることはない」と考えることも可能だろう。しかし、今日本が受け入れている外国人比率が国際的に少ない方なのであれば、今後それが増えることによって日本社会が欧州同様に不安定化するのではないかという懸念は、より深刻なものとなる。

外国人労働者をどこまで受け入れるのか?

とは言え、江戸時代ではあるまいし、鎖国は時代錯誤だ。国際化した現代を生きていくうえで外国人労働者を一切受け入れないという選択肢が現実的でないことくらい、私にもわかる。

問題は、現状から増やすべきか否か。増やすとすればどの程度まで許容するのか。青天井なのか、上限を設けるのか。上限はどれくらいが適切なのか。

従来は、外国人労働者の受け入れに総量規制は設けず、そのかわり、外国労働者の受け入れは高度人材に限る、というのが基本的な建てつけだった。言ってみれば、質で規制することによって数も制限される、という建前。ただし、技能実習生制度等によって事実上、単純労働の外国人も受け入れが進んでいたことは周知の事実である。

今回、新資格の導入によって単純労働の外国人受け入れが堂々と解禁される。しかも、山下法務大臣は「数値として上限を設けることは考えていない」と言っており、法律上は青天井ということになる。報道によれば、「2025年までに50万人以上の受け入れ増を見込む」という話もあるようだ。今日のニュースは、「最大で来年度1年間でおよそ4万7千人、5年間でおよそ34万人」という新たな想定を政府がまとめた、と伝えた。

しかし、何らかの見込み数字を閣僚が国会で答弁したとしても、それが歯止めになるわけではない。見込みは見込みだ。超えそうになれば、いくらでも増やせばよい。

かつて自民党の外国人材交流推進議員連盟は、今後50年間で1000万人の移民を受け入れるという大胆な計画をぶち上げたことがある。これが実現すれば、日本の全人口に占める移民比率は10%を超える。絶対的なレベルとしてはもちろん、増加のペースとしても、日本社会を不安定化させる可能性が非常に高い。

EUの教訓=社会の不安定化を招かないこと

EUを見よ。2010年代に入って中東方面からの移民――1年以上滞在する外国人の意味である――が急増した結果、社会の不安定化と分断を招き、ポピュリズム政党が台頭する土壌を作った。中国やベトナムなど、アジアから来た外国人であれば、増えても影響はないなどと考える理由はどこにもない。

外国人を一定水準以上受け入れれば、同じ国の出身者同士が集まるコミュニティができるのは不可避だ。古今東西、彼らは受け入れ国の社会に同化しようとするよりも、自己のアイデンティティを主張する傾向が強い。そうなれば、外国人に優しい政策は受け入れ国の人々の反感を買い、受け入れ国の人々に優しい政策は外国人の反感を買うという、欧州や米国で見られるようになった光景が日本でも見られるようになるだろう。

2018年1月1日時点で、国内には統計上把握されているだけで6万6,498人の不法残留者がいる。新たな外国人労働者受け入れ制度の下、これが増加することは必至であろう。受け入れ総数が増えれば、法の網の目をくぐり抜けて残留する者の数も増えるのが道理だ。それに伴って、治安の悪化に対する懸念が高まらないわけがない。

また、現行の社会保険制度のまま、今回の出入国管理法改正案が成立すれば、外国人労働者の家族の医療費も我々が支払うことになる。しかも、日本に来ている家族の分だけならまだしも、母国に住む家族が払った医療費も日本の保険制度に請求できる。海外にいる家族の数を考慮した時、外国人労働者が何百万人単位で増えれば、数倍の人数分を日本の社会保険制度で負担しなければならなくなる。介護や年金についても同様のことが起こりえる。日本国民の間で反発が強まり、外国人コミュニティとの間で社会が分断化することは火を見るよりも明らかだ。

さすがにまずいと思ったのか、政府も外国人の社会保険利用については何らかの制限を考える、と言いだした。しかし、この国会に法案は出て来ず、来年4月にももちろん間に合わない。見切り発車もいいところだ。

外国人労働者の受け入れ拡大に対し、本質的な異議を唱える野党がいない

それにつけても、日本の政治は有権者に選択肢を示してくれない。

安倍政権が成立をめざす法案はひどい内容だ。将来問題を生む可能性が極めて高いことを覆い隠し、「とりあえず始めてみましょう」という態度は無責任極まりない。王道である少子化対策はまじめにやらず、外国人受け入れ増という安易かつ副作用の大きい政策を推進しようというのもふざけた話である。与党もこんな法案の提出を認めてしまった。情けない。自民党はもう、保守だの、右だの、言わないでもらいたい。

だが、見渡せば、野党の方も五十歩百歩か。先日のNHK討論で野党各党は安倍政権が提出した法案の批判に終始した。外国人労働者の受け入れ、あるいは移民政策について自らの立場をはっきり表明した政党は(共産党を含めて)ひとつもなかった。

ガッカリだ。政府批判は徹底的にやっても、経済界や農家などが労働力不足を訴えれば慌てて玉虫色の主張にすり替えるのか? インテリ揃いの野党は、「移民=改革」とでも思っているのか? それとも、トランプやEUのポピュリスト政党と同一視されるのが嫌なのか? そんな八方美人だから、今の野党には迫力がないのだ。

少し前、立憲民主党が「外国人労働者の受け入れ人数に上限を設ける一方、外国人労働者と家族に対する配慮を手厚くする」内容の対案を準備中だと報道されていた。しかし、肝心の受け入れ上限数が聞こえてこない。外国人労働者数の増加が数万人程度にとどまるのか、はたまた数百万人規模なのかによって、日本社会へのインパクトはまったく違ってくる。何百万人も受け入れてその家族の社会保険までわが国で面倒見る、というような「慈善家気取り」であれば、とても付き合っていられない。

せめて、在留外国人数(2017年末で256万人=特別永住者を含む)と不法残留者(同6.6万人)の合計が(例えば)300万人を超えないようにすると法律に明記し、それを超えたら新資格に基づく受け入れは停止する、くらいの修正案は出せないものか。あるいは、定住者と不法残留者の合計を制限したり、総人口に対する比率を指標にしたりするなど、バリエーションはあってもよい。

「在留外国人数+不法残留者≦300万人」を上限にした場合、在留外国人数が日本の全人口に占める比率は約2.3%になる。まあ、いい線ではないか。

高齢者や女性にもっと働いてもらうこと、AIを含めた技術革新に本気で取り組むこと、中長期的には少子化対策に資する大胆な財政投入と制度改革を行うことなどの対策をセットでとれば、労働力不足についても何とかなるだろう。いずれにせよ、外国人を増やして社会が不安定化するリスクを冒すくらいなら、ゼロ成長の方がマシだ。

 

私の議論はポピュリズムっぽいか? いや、転ばぬ先の杖だろう。