今こそ、中国とのディールに取り組むチャンスだ ~ EEZ画定のすすめ

最近、中国の勢いに翳りが見える。
日本人の本音としては、半ばホッとし、半ば「ざまあみろ」という感じだろう。

だが、日本政府までそれでいいのか?
外交の世界では、相手が弱みを見せれば、それにつけ込んで少しでも自分に有利な状況を作り出そう、と考えるのが常識のはず。私の目には、日本外交が千載一遇のチャンスを目の前にして無為に時を過ごしているように見える。

日中間のパワー・バランスとその趨勢を考えた時、中国と少しでも有利なディールを行おうと思えば、米中関係がギクシャクしていることに加え、香港問題をはじめ中国政府が国内的にも揉め事を抱えている現在は絶好の機会である。

「ディール」という言葉をトランプの専売特許にしてはならない。

日中の国力格差

21世紀の日本にとって、最大の国家的脅威の一つが中国であることにあまり異論はないだろう。しかし、日中の国力の趨勢を比較してみたとき、見えてくる状況は日本にとって極めて不利だ。
ここでは経済、技術、軍事の面で代表的な指標をとりあげ、簡単な日中比較を行ってみよう。

まず、経済力の代表的指標であるGDP。
中国のGDPは米ドル換算(グラフ上段)で2010年に日本のGDPを抜き、以後もその差は開く一方である。購買力平価ベース(グラフ下段)で見れば、日中のGDP総額が逆転したのはもっと前になり、日中経済の格差は一層拡大する。

単位:十億米ドル
出典:International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, October 2019

経済に限った話ではないが、規模が大きいばかりで質が伴わなければ、評価は下がる。技術力の面で、日中の相対的力関係はどうなっているのか。

技術力の優劣を示す指標としての使われるものの一つが論文数だ。中でも注目されるものとして、Top10%補正論文数(ある分野で発表された論文のうち、他で引用された回数が上位10%に入る論文の数に補正を加え、時系列の比較ができるようにしたもの)を取りあげる。
下記は日中のTop10%補正論文数推移をグラフ化したものだ。

出典:文部科学省科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2018、調査資料-274、2018年8月

今や、中国が凄いのは規模だけ、と言ってすませることはできないことが一目瞭然だ。中国側の数字が驚異的なペースで伸びているだけでなく、日本側の数字が停滞気味であることも気になる。

次は軍事。下記のグラフは米ソ冷戦終了後の日中の軍事費を比較したものだ。

単位:百万米ドル/2017年。
出典:SIPRI Military Expenditure Database 

差は歴然としている。10年位前までは、量では中国が遥かに凌駕していても、質の面では海空戦力を中心に自衛隊の方が上回っているという評価ができた。
しかし、経済の急速かつ持続的な成長の結果、最近では、軍事技術の面でも中国がリードしている分野が多いと言われている。中距離ミサイルの命中精度、宇宙、サイバーなどでは、はっきり言って日本は太刀打ちできないのが現状である。

もちろん、指標を選べば、日中の較差がこれほどでなかったり、日本の方が優位だったりする絵を描くことも可能だ。しかし、そんな小細工に意味はない。代表的な指標が示すのは、中国の力が日本を逆転し、その差をますます広げている、という現実。
日本はこの客観状況の下で対中外交を展開しなければならない。

中国の苦境

同時に、最近の中国は決して順風満帆の状況にはない。代表的な「変調」を経済面と政治面から見てみよう。

1. 経済成長率の鈍化

鄧小平の改革開放が始まったのが1978年。以来、1989年の天安門事件を受けて数年間低成長に陥った――1989・90年の経済成長率は4%前後――ことはあるものの、中国経済は驚異的な成長を続けてきた。しかし、成長率は2007年の14.3%でピークアウト、2015年以降は7%割れが常態化している。
下記のグラフは1980年以降の中国の経済成長率を示したもの。中国の統計が信じるに足るか、という問題には目をつぶったとしても、最近の中国経済の「不調」ぶりは一目瞭然だ。

縦軸は%。
出典:International Monetary Fund, World Economic Outlook Database, October 2019

中国の経済成長が頭打ちとなっている背景にあるのは、中国経済の成熟化、債務調整の継続、人口ピークアウト、格差の拡大といった構造問題。最近ではトランプ政権の仕掛ける経済・投資戦争が追い打ちをかけている。米中経済戦争を含め、すべてが一過性、周期性の要因ではない、というところが中国にとって頭の痛いところ。今年(2019年)に入ってからも中国の経済成長率は、1~3月=6.4%、4~6月=6.2%、7~9月=6.0%となっている。今後は5%台突入も避けられない、というのが大方の見方だ。

もちろん、中国の経済成長率は、低下したとは言え、日本経済の成長率よりも遥かに高い。(したがって、日中経済の格差は今後も拡大する。)2018年の+7.3%という数字(実質成長率)も、国際的に見れば十分すぎるほど高い。米国の+2.9%はもちろん、インドの+6.8%さえ凌駕している。

だが問題は、これ以上経済成長率が下がった時——その可能性は前述のとおり、非常に高い——、約14億人の中国人に対して共産党による一党独裁を正当化し続けることができるか否か。中国の指導部が怖れているのはそこだ。

2. 米中関係

中国共産党指導部は、過去も現在も経済建設を最優先の国家課題と位置づけ、その邪魔になるような「米国との衝突」は避ける、という外交戦略をとってきた。それは基本的には習近平指導部でも変わらない。
ところが、トランプという米国大統領の方が「中国との衝突」をディールの材料にする、という驚きの事態が生まれた。

確かに、トランプ政権の下、言葉の面でも行動の面でも、米国の対中政策は従来越えることのなかった一線を越えた。(本年5月12日付のポスト参照)
米中経済戦争と呼ばれる関税引き上げの応酬。Huaweiなど中国企業を先端技術分野から締め出すために出された米政府の指示。中国の南シナ海進出への警告。ペンス副大統領による台湾支援の明言等々・・・。
米ソ冷戦と同一視すべきではない(本年4月21日のポスト参照)にせよ、中国を警戒する米国の姿勢は明らかだ。

トランプ大統領が再選されなければ(再選されたとしても2025年以降は)、米国の対中政策が敵対でなくなるのなら、まだよい。
しかし、米国政府が中国に対して警戒感を強め、強硬策を打ち出し始めたのは、実はオバマ政権の後期からである。
民主党の大統領選候補の面々も、中国に対して宥和的な候補出ないことを示すことに汲々としている。エリザベス・ウォーレンやバーニー・サンダースに至ってはトランプ同様、米中貿易戦争も辞さない、という立場だ。

米中対立が激化すれば、屈服するのが中国の方だと決まっているわけではない。だが、米国と激しく対立することは、中国にとって決して望ましいことではない。
上述のとおり、経済面では、それでなくても鈍化している経済成長率の低下に拍車がかかる。軍事面でも中国側のキャッチ・アップは急だが、現時点ではまだまだ米国の方が有利、と言わざるを得ない。

3. 香港問題

習近平は鄧小平以降の中国の指導者の中では、最も短期間で自らの権力基盤を固めることに成功した指導者である。毛沢東を除けば、習ほど強く共産党を掌握した者はいないとさえ言われる。しかし、この夏あたりから習(と言うよりも共産党指導部)は政治基盤の思わぬ揺らぎを見せ始めた。今も収拾のめどが立っていない、香港の動乱のことだ。

1997年に香港が返還された際、中国は50年間にわたって香港の政治体制を変更しない(ただし、外交と国防を除く)と約束した。しかし、現実には中国共産党政権による政治介入が相次ぎ、「一国二制度」と香港の民主主義は徐々に侵食されてきた。

今年の7月1日、香港の犯罪容疑者を中国本土へ引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案に反対するデモ隊と警察が衝突する。これまでもデモ隊と警察の衝突は繰り返されてきたが、今回はどうも様相が異なる。中国側(実際にはその代理人である行政長官)は逃亡犯条例の改正を取り下げたが、デモ隊側は要求項目を増やして妥協に応じない。それどころか、警察の弾圧によって死者が出たため、デモ隊側の怒りはますます増幅している。

中国政府は板挟みの状況にある。

デモを本当に強権的に弾圧すれば、国際的な非難を受けることは間違いない。1989年の天安門事件の際も中国は国際的に孤立して経済的にも外交的にも苦労した。
香港を弾圧した時、味方になるのはプーチンのロシアくらい。米国との貿易交渉は頓挫し、日本や欧州など、対中貿易戦争ではトランプ政権と距離を置く国々もある程度は米国の対中包囲網につき合う可能性が高い。経済成長が鈍化している今、国際経済と相互依存関係の進んだ中国経済が外的要因から更なる打撃を受ければ、共産党一党支配の正当性が揺らぐであろうことは既に述べたとおりだ。
平和的な台湾統一にも悪影響が出ることは避けられない。

では、デモ隊に妥協して自治の拡大を香港に認めればよいのか? それはそれで、中国本土における民主化要求を刺激し、共産党支配を動揺させる。ウイグルやチベットなど少数民族が自治や独立の要求を強めかねない。

そもそも、デモ隊を強権的に弾圧しようが、彼らの要求を呑んだ宥和的な態度をとろうが、デモに参加する人たちが中長期的に矛を収める保証はない。
今香港で起こっている騒動は、単に民主化や自治の問題を超え、住民のアイデンティティの問題となっているからだ。香港大学が行った調査によれば、香港に在住する人の15%だけが自分を「中国人」だと考えており、残りは自分を「香港人」と考えている。18~29歳に限れば、自分は中国人だと考えている者は3%しかいない。

香港のデモが中国共産党の喉元に突きつけている問題は、それほど根が深い。今回収まったとしても折にふれて指導部を悩ませ続けることだろう。

中国の苦境をチャンスと捉えよ

冒頭で見たとおり、今日の日中の国力を比較すれば、状況は明らかに中国有利と言わざるをえない。しかも、時間が経過するにつれて国力の較差は日本にとって一層不利なものとなる。中国の経済成長率が低下してきていると言っても、日本の経済成長率がいかんせん低すぎるためだ。生産性の面でも人口動態の面でも、日本経済の将来に対しては悲観的な見方の方が圧倒的に多い。

この大きな潮流を考慮した時、日本外交が中国と互角に渡り合おうと思えば、タイミングを見て相手の弱みに付け込む、という発想が不可欠となる。
つまり、中国側が(一時的)苦境に陥った局面を逃さず、日本にとってより良い条件でディールを切り結ぶ、ということだ。

国の状況が困難な時、その国が必ず宥和的になるとは限らない。むしろ、ナショナリズムを強める場合があるのも事実だ。
しかし、国の状況が困難な時に中国が大局的観点からビッグ・ディールを結んだ例は少なからず存在する。例えば、毛沢東と周恩来が踏み切った米中の国交正常化もその一つ。

中国が1990年代に周辺諸国との間で多くの国境問題を解決したのも、天安門事件後、中国指導部が国内的には共産党支配の動揺、対外的には西側諸国による経済制裁と国際的な孤立という深刻な危機に直面していたことが強く影響した。
国境の確定を通じて近隣諸国との関係を改善・強化し、人民解放軍を旧ソ連国境から引きはがして国内の治安維持に使えるようにしておくことは、共産党指導部にとって大きなメリットだったのである。

中ロ国境については、ロシアの方が中国よりもさらに苦境にあったため、中国よりもロシアの情報の方が大きいと言われる。一方、中央アジア方面での国境画定では、中国が諦めた面積の方が相手方よりも多いケースも少なくない。

先述の「三つの苦境」があるとは言え、今の中国が置かれた立ち位置は、天安門事件後に比べれば、まだ良い状況である。日本が対中ディールを追求しようと思えば、中国に全面譲歩を迫るというのは現実的でない。「ウィン・ウィン」を標榜しながら、いかに「引き分け」から「少し勝ち」に持ち込むか、という手腕が問われよう。

日中EEZをめぐる「ディール」

今、日本が中国との間で具体的にどのようなディールを追求すればよいのか?
少しばかり私案を述べてみたい。

日中間で軍事紛争が起きる可能性は低い、と私は思う。
それでも、万一あるとすれば、尖閣諸島と東シナ海ガス油田開発をめぐって(偶発的なものを含めて)日中間に何らかの衝突が起こり、それがエスカレートする場合が最も考えられる。

日本と中国は海を介して隣接している。日中が海で衝突する確率を下げるための「ディール」を結ぶことができれば、その意義はとてつもなく大きい。

尖閣諸島については、中国公船による領海及び接続水域の侵犯はあるものの、日本側が実効支配している。そこでの共同開発等となると(やってはならないというわけではないが)国内的に強い反発が予想される。その点、東シナ海のガス油田の方がディールに向けた障害はまだ少ないと考えられる。

東シナ海のガス油田開発をめぐる日中対立

東シナ海には天然ガスや石油の埋蔵が見込まれる海域があり、中国側が一方的に試掘等を行って日中が対立していることは周知の事実だ。

この問題を司る国際法は国際海洋法条約になるのだが、これが全然単純な話ではない。と言うのも、同条約は200カイリ(約370㎞)に及ぶ排他的経済水域(EEZ)を沿岸国に認める一方で、大陸棚における鉱物資源の採掘権を大陸側の国家に認めている。言わば、国際法自体にダブル・スタンダードが組み込まれているようなもの。
東シナ海の場合、日中の沿岸から200カイリとなると相互に重複が生じる。日本政府は当初、双方の中間線をベースに日中間のEEZを画定すべきだと主張していた。

しかし、中国はそれを逆手にとった。
日中間でEEZが画定されていないにもかかわらず、1990年代から中間線の中国側で天然ガスや石油の試掘を始めたのである。(大陸国家である中国は「大陸棚延長論」に基づいて採掘権を主張することも忘れていない。)
このうち、2003年に着工された春暁(日本名=白樺)は中間線からたった5㎞しか中国側に寄っておらず、天然ガスや石油の埋蔵地域が地下を通じて日中中間線の日本側にまで広がっている可能性が高い。これは見過ごせない、と我が国は激しく抗議した。

2008年5月に胡錦涛主席が来日し、この問題は一旦沈静化したかに見えた。胡が離日した直後の6月18日、日中両政府はガス油田問題で部分的な合意に達する。
そこでは、春暁(日本名=白樺)の開発に日本が参加すること、日中中間線をまたぐ一定海域(地図で見るとかなり限定されている)での日中がガス油田の共同開発を行うことが謳われた。

しかし、この合意は中国国内ではあまり評判がよくなかったようだ。その後、今日に至るまで2008年6月の合意内容は何一つ具体化していない。中国がこの海域で独自にガス油田開発を進める動きも相変わらず続いている。

東シナ海におけるディールの可能性

東シナ海のEEZをめぐって中国との間でディールを追求するとしたら、どのようなものが考えられるだろうか? 二つほど私案を示してみたい。

① 2008年6月合意の具体化

第一案は、2008年6月の合意を実現すること。
10年以上ストップしていたことを前に進められれば、日中関係の雰囲気が良くなることは間違いない。決して悪くないディールだ。ただし、注意すべき点も二つある。

まず、春暁(白樺)にせよ、指定海域の共同開発にせよ、現在のエネルギー情勢の下で採算がとれるのか、という切実な問いに対してはっきりした答が出ていない。ガスや油の質がどの程度のものなのか、日中中間線付近からパイプラインで中国側へ持っていく――素人考えだが、日本側へ運ぶ方が難易度は高そうである――コストを回収できるのかなど、課題は少なくないと思われる。

もう一つは、2008年6月の合意がカバーするのは、春暁と一部海域の将来的な共同開発に限定されることだ。別な言い方をすれば、この合意を履行したとしても、中国側は広大な海域で「勝手に」試掘等を行うことができる。と言うことは、将来、そこで日中間に不測の衝突が起きる可能性もまた、残ることになる。

② 日中EEZの画定

そこで検討すべきなのが第二案、すなわち日中EEZの画定だ。
もちろん、尖閣諸島の周辺は無理だから除外するしかない。
日中間で協議してもEEZを確定できないようなら、両国が同意して国際司法裁判所(ICJ)へ持ち込む、というのも一つの知恵だ。

2008年6月の合意と比べて係争海域を大幅に減らすことができるので、日中間で将来、紛争が起きる芽を包括的に摘むことができる――。それがこのディールの最大のメリットである。

ただし、EEZを画定しようと思えば、中国のみならず日本側も譲歩は覚悟せざるを得ない。はっきり言って、日中中間線での合意は無理だ。
日中と似たようなケースにおけるICJの判例を見ても、中間線を大陸棚の延伸方向に――つまり、中国のEEZを広げる形で沖縄の方向に――少しずらす形で境界線が引かれる可能性が高い。その結果、現在中国が試掘しているガス油田はすべて中国側に権利が認められることになるだろう。

私に言わせれば、東シナ海のガス油田を少なくとも日本側から商業ベースに乗る形で開発することは、まずできない。そんなものにこだわるよりも、名を捨ててEEZの画定を優先させ、将来日中間で紛争が起きにくいようにする方がずっと賢い。
どうしても、というのであれば、中国が東シナ海で行うガス油田開発については日本の一部出資に優先的配慮を行う、という覚書でも交わしたら十分だろう。

中国国内には、沖縄の間近まで大陸棚が延伸していると主張し、東シナ海におけるべらぼうに広大な海域で中国が独占的に鉱物資源を開発できる、という意見だってある。「中間線+α」(日本側から見れば「中間線-α」)で決着をつけることは、中国にとっても大きな妥協なのだ。

おわりに

今日で安倍総理の総理在任期間は憲政史上最長となった。
「長いだけだよ」と言われないためにも、安倍外交の総仕上げとして日中の画期的なディールに取り組んだらどうだろう?

東シナ海における日中のディールは、安倍総理がプーチン大統領との間で進めようとした――まだしているのか?――北方領土交渉よりも実現可能性は遥かに高い。
日本の安全保障上の不確定要素を減らすという意味からも、国益に資するところが極めて大きい。

来春、習近平国家主席が国賓として来日する。これほど大きなチャンスはない。
日本政府は習の来日を単なるセレモニーに終わらせることなく、大きなディールの実現に向け、全力を傾けるべきだ。

日本人は意外にトランプがお好き?

少し前の話になるが、5月25日から28日まで、新天皇が迎える最初の国賓としてドナルド・トランプ大統領が日本を訪れた。それからほぼ一週間後、トランプは国賓待遇でエリザベス女王に招かれ、訪英している。

日本と英国でトランプを迎えた両国民の態度は随分違って見えた。少なからぬ英国人はトランプの訪問を歓迎しなかった。ロンドンでは数千人規模でトランプに抗議するデモが行われ、ガーディアン紙は「トランプはデマゴーグ(扇動家)であり、歓迎しない」と突き放した。

一方、日本でのトランプは、天皇陛下との会見や日米首脳会談といった「真面目な」政治日程だけでなく、ゴルフ、大相撲観戦、炉端焼きなどの「軽い」イベントによってテレビや新聞などを完全にジャックした。(傍らには選挙目当てでトランプに寄り添う安倍晋三が微笑んでいた。)メディアも野党も、安倍の「過剰接待」を批判することはあっても、トランプその人を非難する素振りは見せなかった。日本人がトランプを見る目も、概して温かかった――少なくとも、厳しくはなかった――ように思われた。

昨春行われた米国ピュー・リサーチの調査によれば、国際政治面でトランプ大統領を信頼できると答えた日本人の比率(30%)と英国人のそれ(28%)の間に大差はなかった。一つ考えられるのは、日本人が過去一年間でトランプに対して好意を持ち(トランプに対する反感を和らげ)はじめたということ。上記調査の2017年と2018年の数字を比べれば、その萌芽を読み取れないこともない。

<米国大統領が国際政治面で正しいことをしている、と思う人の比率>

2016年(オバマ) 2017年(トランプ) 2018年(トランプ)
日本 78% 24% 30%
英国 79% 22% 28%
ドイツ 86% 11% 10%
フランス 84% 14% 9%
カナダ 83% 22% 25%
韓国  88%(2015年) 17% 44%

各国とも数字はオバマ政権末期から急落している。だが、ドイツやフランスではトランプ大統領の就任2年目となる2018年にもさらに低下しているのに対し、日本ではやや持ち直している。なお、韓国の数字がトランプ2年目で跳ね上がっているのは、米朝首脳会談によって米朝関係が最悪期を脱したことの影響と思われる。

本稿では、日本人がトランプに抱く「好意」の理由について考える。(特に明記しない限り、米国や米国大統領に対する諸外国の評価に関する数字はピュー・リサーチの調査を、米国内での大統領支持率についてはギャラップ社の調査を使用した。)

反国際協調の不人気と政権持続可能性

米国大統領に対する日本人の信頼は、当該大統領が国際主義に背を向ける場合に明らかに低下するほか、当該大統領の国内的な権力基盤が失われた際にも低下する傾向が見てとれる。

例えば、単独行動主義(ユニラテラリズム)を掲げたブッシュ・ジュニア。2011年の同時多発テロ後、ブッシュの支持率は9割近くまで急騰した。しかし、二期目に入いると支持率が5割を超えることは基本的になく、政権末期には3割前後まで下がってレイムダック(死に体)化した。「ブッシュ大統領は国際政治で正しいことをしている」と答えた日本人の比率も、2006年は32%、2007年は35%と低水準で、支持率が3割を切った2008年には25%にまで下がった。(2004年以前の数字は不明。)

バラク・オバマ大統領は――客観的にみると、国際的な責任に背を向けた国内重視の姿勢が目立ったのだが――、単独行動主義を標榜したブッシュの後任であり、イラクからの米軍撤退を進めたということを以って、日本では国際協調を重視した大統領とみなされた。その結果、就任1年目と3年目には日本人の8割以上が「オバマ大統領は国際政治で正しいことをしている」と答えた。就任当初6割を超えていたオバマの支持率は、2年目に入ったころから5割を切って低迷するようになる。オバマ大統領を評価する日本人の比率も、2014年には60%まで低下した。

トランプはどうか? 「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプの政策や行動スタイルは、国際協調主義とは対極にあると言ってもよい。大統領支持率も、2017年1月の就任時で45%。いわゆる「ハネムーン」期間のご祝儀もなく、その後、同年夏から年末にかけ、支持率は35%近辺まで下落した。しかも、この頃は「ロシア疑惑で弾劾されれば、任期途中で辞めざるを得なくなる」という見方も少なくなかった。2017年に「トランプ大統領は国際政治で正しいことをしている」と考える日本人の割合は24%しかなく、オバマ政権末期の78%から急落したばかりか、ブッシュ政権末期の数字さえ下回る。

ところがその後、トランプは意外なしぶとさを見せる。米国内での支持率は底割れすることなく、2018年の春頃から徐々に上がった。ロシア疑惑の一応の終結や経済の拡大などを背景にして、今年4月段階では46%と就任以来の最高を記録した。(と言っても50%に届かない低水準ではあるが・・・。)先月末に行われたCNNの調査でも、トランプが再選されると思う人の割合は54%、負けると思う人は41%だった。

「日本は特別」という意識~日本叩きは比較的温い

トランプ大統領は就任以来、イスラエルを除く世界中の国々と摩擦や対立を引き起こしてきた。そして、自国に厳しい態度をとる国やその指導者に対して当該国民が好意を抱かないことは当然である。ピュー・リサーチの調査では、移民問題やNAFTAでトランプから目の敵にされているメキシコでは、「米国大統領が国際政治面で正しいことをしている」と答えた比率は2017年で5%、2018年も6%にすぎない。2015年(オバマ大統領)の49%から大幅に下落した。トランプからNAFTAや関税問題でやり玉にあげられたカナダでも、2018年における上述の数字は25%となり、2016年(83%)から58%も下がった。逆に、トランプが唯一肩を持つイスラエル国民の69%は、2018年段階で「トランプは国際政治面で正しいことをしている」と高く評価した。オバマ政権がイスラエルに冷淡な態度をとった2015年には、この数字は49%まで低下していた。

日本はどうか? もちろん、2018年3月に発動された鉄鋼・アルミ追加関税は日本企業にも適用されたし、現在、日米間で物品貿易協定(TAG)交渉が行われていることは周知の事実である。しかし、これまでのところ、日本はトランプのあからさまな「標的」となっていない。同盟国の中では、前述のメキシコやカナダはもちろん、欧州諸国に比べても日本への圧力は少ない方だ。

日本がトランプから「大喧嘩を仕掛けられる」ことを免れる一方で、トランプは日本人が嫌いな国に対してそれこそ「大喧嘩を仕掛ける」ようになった。具体的には、北朝鮮と中国である。

「敵の敵は味方」に通じる感覚~日本人が嫌いな国を叩くトランプ

〈北朝鮮〉
北朝鮮は日本人が最も嫌っている国、と言ってよいだ。諸外国に対する日本人の意識を問う調査としては、内閣府の「国際問題に関する世論調査」が有名である。だが、同調査には北朝鮮について敢えて好感度を問う設問がない。少し探してみたら、今年1月21日に日本経済新聞が発表した世論調査で北朝鮮に対する友好意識を尋ねていた。その結果は、「好き」「どちらかといえば好き」という回答が0%。「どちらかといえば嫌い」が12%、「嫌い」が71%であった。

その北朝鮮に対し、トランプ政権は「最大限の圧力」を標榜し、軍事的先制攻撃を排除しない姿勢を示す一方で中国などを巻き込む形で経済制裁を極限まで強化した。北朝鮮も核・中長距離ミサイルの実験を繰り返したため、2017年末から2018年初めにかけては米朝軍事衝突が起きても不思議ではないと思われるほど緊張が高まる。しかし、その後急転直下、2018年6月にシンガポールでトランプと金正恩が会談。そのあたりから、北朝鮮は核実験と中長距離ミサイルの発射を控えることになった。米国の方は北朝鮮攻撃も辞さない姿勢を見せなくなった一方、金正恩が求める経済制裁の緩和には応じていない。(ただし、中国や韓国、ロシアなどの制裁破りについては、ある程度多めに見ているような印象である。)

多くの日本人の目には、トランプは日本人が脅威と感じる北朝鮮から核実験やミサイル発射のモラトリアムを引き出す一方で、日本人が大嫌いな北朝鮮に対して今も経済制裁を緩めず圧力をかけ続けているように見える。しかも、昨年春以降、それまであった戦争前夜のような重々しい雰囲気は遠のいている。誤解を恐れずに言えば、現在の米朝関係は多くの日本人にとって「ほど良い」緊張にある。

どの程度本気かはわからない――おそらく、日本政府に貸しを作るくらいのつもりなのだろう――が、トランプは拉致問題への言及も忘れることがない。その面でも、多くの日本人の目には、バッド・ガイではなく、グッド・ガイに映っている。

〈中国〉
日本にいると、中国は危険な存在という見方が支配的だ。しかし、ほかの国でも中国が日本同様に嫌われているわけでは必ずしもない。下記のピュー・リサーチによる調査が示すとおり、欧米市民の対中観はおおまかに言って二分されている。

中国に対する好感度
(上段は2018年春、カッコ内は2010年の数字。ただし、カナダのカッコ内は2009年の数字)

とても好き やや好き やや嫌い とても嫌い
日本 2% 15% 48% 30%
(2%) (24%) (49%) (20%)
米国 5% 33% 32% 15%
(10%) (39%) (24%) (12%)
カナダ 6% 38% 32% 13%
(8%) (45%) (27%) (11%)
英国 10% 39% 24% 11%
(8%) (38%) (26%) (9%)
ドイツ 3% 36% 46% 8%
(2%) (28%) (46%) (15%)
フランス 4% 37% 36% 18%
(6%) (35%) (35%) (24%)
韓国 2% 36% 50% 10%
(1%) (37%) (46%) (10%)

この表を見れば、中国嫌いという点において日本は世界でもトップクラス、ということがわかる。

その中国に対し、トランプは就任2年目の昨年あたりから照準を定めるようになった。2018年3月の鉄鋼・アルミ関税引き上げに始まり、今年5月まで4次にわたる対中関税引き上げ措置、昨年4月のZTEに対する米国内販売禁止、ファーウェイに対する露骨な圧力(カナダにおける2018年末のファーウェイ創業者の娘の逮捕、今年5月の米企業に対するファーウェイとの取引禁止命令など)が具体的な事例だ。詳細については今年4月から5月にかけて5回に分けて書いた米中新冷戦論(特に、5月12日付及び5月26日付)をご覧いただきたい。

米中貿易戦争が世界経済、ひいては日本経済に対して悪影響を与えることは言うまでもない。本来なら、トランプ主導の米中経済対立は日本にとって「迷惑」なものであるはずである。しかし、今のところ、その悪影響がなかなか顕在化してこない。米国の株式市場も(一時的に下げることはあっても)基本的には堅調さを保っている。日本経済も、決して良くはないものの、消費税対策の大規模財政出動が下支えしていることもあり、少なくともこれまでのところ、底割れする気配は見せていない。

多くの日本人にとって、トランプは自分たちが嫌いな中国に対して喧嘩を売り、中国を守勢に回らせているように見えているはず。しかも、米中経済対立の余波で日本経済が大打撃を受けるような事態には至っていない。日本人としては、安心してトランプを「日本に代わって中国を懲らしめる水戸黄門」に重ね合わせることができる。

これから

では、日本人のトランプ大統領に対する評価はこれからどう変わっていくのか?

まず、トランプが今後、日本に矛先を向ける可能性について。トランプが選挙戦で追い込まれ、対中政策などで成果が出ない状態が続けば、貿易や武器調達、防衛費増などで日本に過激な要求を突き付けてくる可能性は皆無ではない。しかし、安倍政権は米国の要求を早めの段階で聞き入れ、日米対立がトランプによって「劇場化」されるのを防いできた。安倍がトランプと闘うと決意しない限り、日本人がトランプに大きな反感を抱くきっかけはできにくい。

トランプがアメリカ・ファースト、すなわち自国の国益(より正確にはトランプにとっての国益)の追求を最優先する姿勢を変えれば、米国大統領に国際協調路線を期待する日本人のトランプ支持は大きく跳ね上がることになる。だが、もちろん、トランプがアメリカ・ファーストを捨てることはない。

一方で、米中の覇権争いが長期化することは必至だ。トランプ政権内には中国の台頭を抑えつけなければ米国の覇権が失われるという危機感を持った政策担当者が多い。トランプ自身も再選のために貿易面で中国と闘う姿を見せ続けようとするに違いない。もちろん、トランプには再選に向けて「成果」を出したと主張したい気持ちもあるだろう。その意味では、米中貿易戦争について近い将来、何らかの手打ちが行われても不思議ではない。しかし、米中蜜月を演じ続けることは、トランプの再選戦略上も、常に緊張と予測不能性を作り出して自らを主役の座に置き続けなければ気が済まない、というトランプ自身のディール・スタイルからも、あり得ない話。米中摩擦は、小康状態を挟むことはあっても長期的に続くと思っておくべきである。

米朝関係にも同じことが言える。トランプ政権が制裁を大幅に解除するのは、北朝鮮が核と中長距離ミサイルの開発をやめた時のみ。だが、それは北朝鮮にとって武装解除に応じることを意味している。金正恩が受け入れることはないだろう。かと言って、北朝鮮が核実験や中長距離ミサイルの発射といったトランプ政権のレッドラインを超えることも考えにくい。米朝関係も当面、現状維持が最もありそうなシナリオだ。

トランプは近い将来、日本人の嫌いな北朝鮮と中国との間で緊張状態を保ち続ける可能性が最も高い。そうだとすれば、日本人のトランプに対する評価は一定程度下支えされることとなろう。

日本におけるトランプ人気を左右する要因のうち、最も変動するのはトランプ再選の見通しかもしれない。4月末時点で46%まで上昇したトランプ大統領の支持率は、5月末時点では40%にまで低下した。党派色のないクイニピアック大学(コネチカット州)が6月11日に発表した世論調査の結果も、2020年の米大統領選挙でトランプ大統領は6人の民主党候補にリードを許している、というものであった。中でも、ジョー・バイデン前副大統領との差は13ポイントもあり、ミシガン、ペンシルバニア、テキサスなどの重要州でもトランプが後塵を拝していたと言う。トランプ陣営が行った別の調査でも、17州で壊滅的な数字が出たと伝えられている。

今後、トランプの支持率が下がって再選の見通しがきつくなるようなことがあれば、日本人がトランプに注ぐ目は厳しくなりそうである。長いものに巻かれるのも日本人によくある話なら、溺れる犬(政治家)を叩くのも日本人の特徴だからだ。

何が起こるか、見てみよう――。トランプ流に言えばこうなる。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ⑤ ~ 米中対立の行方

4月17日に最初のポストを立てた時と比べても、米中関係は緊張の度を深めている。米中対立が国際政治経済に与える影響が当初想定していたよりも遥かに大きく、しかも長期化する公算が高い――。そう誰もが実感するようになっている。

米中対立の行方は今後、どうなるのか?

巷では米国有利という見方が多いようだ。しかし、この勝負、それほど単純に決着するとは思えない。

米国優位の下馬評

今日の米中対立を「米中冷戦」と呼ぶかどうかは別にして、この抗争は米国が優位だという見方が現時点では多いように思う。確かに、それも無理からぬ話ではある。まず、米国有利と考えられる理由を整理してみよう。

    1. トランプの仕掛け

現在の米中の争いは、主にトランプ政権が仕掛けて表面化したものである。関税引き上げ、ファーウェイ排除、そして中国製ドローンに関する警告など、米国の攻勢は止まるところを知らない。逆に、トランプを無駄に刺激したくない中国の対応は受け身に終始している。

    1. 中国経済への悪影響 > 米国経済への悪影響

米国が仕掛ける貿易戦争のうち、関税引き上げについては中国も報復措置を取ることができるが、被るダメージは中国の方が大きい。具体的な試算の一例は第3回のポストで紹介したので今回は省略する。

    1. 技術標準

米国は自らが優位に立つ「技術標準」を利用して中国に喧嘩を仕掛け始めている。つい最近も、トランプ政権は米国企業に対して政府の許可なくファーウェイ(華為技術)と取引きすることを禁止した。これを受け、グーグルはファーウェイによる基本ソフト(アンドロイド)のアップデートを停止。マイクロソフトもファーウェイからの注文受付をやめると発表した。しかも、米国政府の禁輸措置は、一定比率以上の米国産品・ソフト・技術を使った製品にも及ぶ。ファーウェイにとっては深刻な事態だ。
GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)がすべて米国企業であることからもわかるように、米国(企業)は情報技術力の面で世界の先頭を走り、多くの技術標準を押さえている。これらとの取引ができなくなれば、関税引き上げの時と異なり、多くの場合、中国側は報復措置をとることができない。

4.ドル決済

世界中の銀行はFedwireと呼ばれる米連邦準備銀行の管理する決済システムを利用して貿易の資金決済を行っている。米国がある国の銀行をFedwireから排除すれば、当該銀行は経営危機に陥り、その国の貿易は極度に落ち込まざるをえない。かつては「抜かずの宝刀」的なところがあったが、戦争以外の手段で米国が持つ最も強力な制裁手段であることは間違いない。最近は北朝鮮、イラン、ロシア、トルコなど米国が安全保障上の理由で制裁を課す場合の手段として使われるケースが増えてきた。これが経済上の理由――形式的には安全保障上の理由が強調されるにしても――中国にとって大きな脅威となる。

    1. 同盟ネットワーク

米国には冷戦時代以来の同盟ネットワークがあり、貿易戦争に安全保障を搦めることができる。米政府は次世代移動通信規格5Gをめぐってファーウェイ製品を採用しないよう同盟国に圧力をかけている。日本も昨年、政府調達から同社やZTEの製品を事実上除外した。

    1. 核兵力

米中の国力を比較すると、軍事面、特に核兵力の点ではまだ米国が目に見える優位を保っている。この点は第2回のポストで説明した。

7. 色眼鏡(バイアス)

中国に対する嫌悪感が与えるバイアスの影響も指摘しておく。
内閣府が昨年10月に行った調査によれば、最近少し改善傾向にあるとは言え、中国に親しみを感じる日本人の割合は約21%。逆に親しみを感じない日本人の割合は76%を超える。一方、米国に親しみを感じる日本人は75%を超し、約22%の日本人が米国に親しみを感じないと答えている。我々の中に、中国を過小評価し、米国を過大評価する傾向が生まれても不思議ではない。
加えて、民主主義/資本主義国家である米国が勝利し、共産主義国家であったソ連が敗北した、という米ソ冷戦からの連想も「米国有利、中国不利」という先入観を植え付けやすい。

米国優位論の落とし穴~中国の耐性はソ連ほど低くない

以上、米中対立において米国の方が有利な立場にあると考えられる理由を列挙した。このうち、最初と最後の論点以外は、確かに米国優位論を裏付ける根拠と見做してよい。しかし、この米国優位論に落とし穴はないのか? クロスチェックしてみることも無駄ではあるまい。 

    1. 米国を代替する市場の存在

米ソ冷戦期のように貿易も基本的には東西ブロックに分かれていれば、米国が関税引き上げなどの貿易制限的な措置をとってきた場合、中国が米国の代替市場を広く他国に求めることはできない。あるいは、北朝鮮やイランのように国連制裁によって厳格な包囲網が広がるのであれば、やはり十分な代替市場を探すことは不可能である。だが現実には、中国はソ連でもなければ、北朝鮮やイランでもない。

グローバリゼーションが進展した今、中国経済は「世界の工場」「世界の市場」となり、各国との間で高い相互依存状況にある。米国が中国製品に対する関税を引き上げても、他国が追随しなければ、中国は他国に代替市場を求めることができる。もちろん、コスト面を含めた完全な代替は不可能だ。しかし、少なくとも米中貿易戦争が致命傷になることは防げる。
例えば、日本経済新聞によれば、米国の関税引き上げに対抗措置をとった結果、2018年8月から2019年3月の間に米国が中国から輸入した大豆の量は前年同期より9割減ったが、調達先をブラジルやロシアに切り替えて凌いだ。ただし、2018年の平均輸入価格は前年比4%上昇したと言う。
中国から米国への輸出減少分についても同様である。ファーウェイのように安全保障を理由にして取引禁止にされるのでなければ、関税が上がっても米国でまったく売れなくなるわけではない。米国以外の市場を開拓することにより、中国企業の損害を減らすことはある程度できよう。

ただし、ハイテク分野については、もう少し慎重な精査が必要である。
昨年来、トランプ政権は、安全保障協力に支障が出るとまで警告しながら、5G関連などでファーウェイと取引きしないよう同盟国などに要求してきた。豪州、ニュージーランドなど米国と盗聴網などを共有している国や日本政府はそれを事実上受け入れた。欧州では、今現在ファーウェイ製品を使っていることや価格面を考慮し、対応が分かれている。一方で、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト――やや中国寄りの論調なので、その点は割り引いて読む必要がある――によれば、東南アジアや東欧などでは、タイやフィリピン、シンガポールなど米国と軍事的に協力関係にある国々を含め、ファーウェイを排除する動きは見られない。
ファーウェイの製品を使えば、情報を中国政府に抜かれたり、中国政府がファーウェイ製品を通してサイバー攻撃を仕掛けたりする可能性があるという米国の主張は、はっきり証明されたわけではない。また、米国の主張が正しければ、米企業の製品を使えば米国政府が同様のことをできるということでもある。
中国に対して大きな安全保障上の脅威を感じていない国や、脅威を感じたところで対抗措置をとれない国してみれば、米国の主張を鵜呑みにするよりも、コストと性能(及び中国政府による各種のキックバック)からファーウェイまたは別の中国企業の製品を選びたい、という考えも成り立つ。

ところで、トランプ政権は5月になってファーウェイを一種のブラックリストに載せ、同社との取引を事実上禁止する方針を打ち出した。しかも、他国企業であっても、米国製の部品やソフトを使っていれば、米国の方針を適用する。従来よりも段違いにきびしく、「ファーウェイ潰し」とも言える措置だ。
日本でも、ドコモ、KDDI、ソフトバンクはファーウェイ製スマホの販売を自粛すると発表した。ファーウェイの端末を買った消費者がグーグルのアンドロイド・ソフトを使えなくなるリスクを考えれば、三社にとってはやむを得ない判断である。同様なことは、日本以外の国にも当てはまる。となれば、ファーウェイは米国以外の市場でシェアを失うだけでなく、新たな市場を開拓することも当面、困難になるだろう。

2. 中国経済はソ連経済のように弱くない

米ソ冷戦は米国の勝利で終わった。最も基本的な理由の一つは、ソ連経済がレーガンの仕掛けた軍拡競争についていけなかったことである。共産主義経済の限界と言えた。だが、それはソ連圏が閉じた経済システムだったから。今日の中国は、政治システムこそ共産党一党独裁を堅持しているが、経済システムは大幅に資本主義を取り入れている。中国人が利益追求に貪欲な民族であることはつとに有名。

中国のGDPは世界経済の19.2%(IMF、PPPベース)を占め、米国経済の15%を既に凌駕している。米国経済の半分にもまるで届かなかったソ連経済とは大きな違いだ。中国経済は長らく二桁成長を続け、今でも6%台で――米中貿易戦争の影響で今年は6%を割り込むという予測もあるが――成長している。低下したとはいえ、世界経済全体の倍のペースである。

中国経済は規模ばかりが注目されがちで、従来は「安かろう、悪かろう」のイメージが強かった。だが最近は、質の面でも競争力をつけた企業が数多く生まれている。その代表格の一つが、今トランプ政権から袋叩きにあっているファーウェイだ。

2018年のスマホ全世界出荷台数のシェアでは、1位のサムソン(20.8%)、2位のアップル(14.9%)をファーウェイが14.7%で猛追。ちなみに、4位の小米科技(シャオミ=8.7%)、5位の欧珀(OPPO=8.1%)も中国企業である。
一方、2017年の世界のモバイルインフラにおけるシェアは、ファーウェイが28%となってトップを占めた。エリクソン(27%)、ノキア(23%)、少し離れてZTE(13%)が続く。
技術力の面でも、ファーウェイは、5Gで競合する他社を12~18ヶ月リードしている、と豪語している。事実、2018年の特許国際出願件数は5,405件で二年連続の首位だった。2位の三菱電機が2,812件だから、ぶっちぎりと言ってよい。中国企業としては、他にもZTE(2,080件)とBOE(1,813件)の二社がベスト10入り。米国からはインテル(2,499件)、クアルコム(2,404件)の二社が入った。なお、国別の特許出願件数では、米国が56,142件で首位を守った。しかし、中国も53,345件と肉薄。日本は49,702件で三位だった。

このような存在だからこそ、米国はファーウェイを先端情報技術分野における自らの覇権――それは経済覇権から軍事覇権にも大きな影響を与える――を脅かす存在と捉え、狙い撃ちともいえるやり方でファーウェイを叩いているのに違いない。

今月に入ってトランプ政権が決めた、安全保障を理由とするファーウェイとの取引停止――それを受け、グーグルがアンドロイド・ソフトを供給停止したほか、日本企業の間にもファーウェイとの取引停止を決断する動きが出ている――は前代未聞のきびしさ。ファーウェイの経営は屋台骨を揺るがされることが避けられない。

だが、ファーウェイも相応の実力を備えている。ただ叩かれ続けるとは限らない。トランプ政権のファーウェイ排除措置を受け、インテルやクアルコムなど米半導体メーカーはファーウェイへの部品供給を停止した。これに対し、ファーウェイは半導体の内製化(自前調達)を進める構えだ。中国政府も面子にかけて全力で支援し、国民も対米ナショナリズムに駆られて支持しよう。グーグルによるソフトウェア供給の停止に対しても、ファーウェイは今年秋にも自前ソフトを開発すると言っている。そう簡単ではないだろうが、もしもうまくいけば、アップルやグーグルなど米企業にとっては、トランプの措置によって自社OSの代替品の登場を促進される、という皮肉な結果になる。

3. 臥薪嘗胆(時間軸の違い)

米中の貿易戦争――もはや、経済戦争と言ってもよい――は、短期的には、明らかに米国が攻勢に出ており、中国は守勢に回ることを余儀なくされている。だが、この米中の勝負、この1~2年で決着がつくような性格のものとは限らない。仮にファーウェイがトランプ政権による怒涛の制裁措置によって再起不能に陥ったとしても、それで勝負が終わることはない。むしろ中国は、臥薪嘗胆、何年、いや何十年かかっても米国との経済戦争を勝ち抜こうと決意を新たにするのではないか。

第二次世界大戦に負けた後、日本人はすっかり長いもの(アメリカ)には巻かれた方がよい、という根性なしになってしまった。1980年代の日米貿易摩擦の時も、米国に対する反感よりも、何とか多めに見てほしい、というメンタリティの方が強かった。(以前の日本は決してそうではなかった。日清戦争後、ロシア、ドイツ、フランスから三国干渉を受けた日本は遼東半島を清国に返還した。しかし、臥薪嘗胆を合言葉に富国強兵に努め、日露戦争でロシアを、第一次世界大戦でドイツを、太平洋戦争でフランスを打ち破った。)

中国人は数千年にわたって強い大国意識と自我意識(中華思想)を持ち、今の日本人よりも遥かに強いナショナリズムを堅持している。長い時間をかけて抵抗し、最後には勝つ、という発想も毛沢東以来の伝統としてある。
1915年に日本から屈辱的な二一か条の要求を受け入れた時、中国国民は臥薪嘗胆を合言葉に抗日運動を展開した。1934年10月、国民党軍に追い込まれた毛沢東率いる紅軍は江西の根拠地を捨て、2年にわたって「長征」という名の撤退戦を余儀なくされた。その後、国共合作によって1945年に日本軍を駆逐し、1949年には蒋介石を台湾に追った。アヘン戦争(1840-1842年)によって失った香港を155年後に取り戻したことも、中国人が長期戦を厭わない民族であることを教えている。ファーウェイ潰しの方針表明に至り、トランプが仕掛けた貿易戦争は中国人が本来持つ闘争心に火をつけたのではないか。

米中経済戦争も、中国はトランプの任期――あと2年弱であれ、6年弱であれ――などにこだわることなく、米国の持つ技術標準を崩しにかかるのではないか。シリコンバレーにいる大勢の中国人を見ると、それもまったく荒唐無稽な話とは思えない。

中国の長期戦は、ドル決済という米国の切り札に対しても向けられる可能性がある。中国は既に「国際銀行間決済システム」(CIPS)というドルを介さない人民元の決済システムを開発し、普及を後押ししている。日経新聞によれば、米国の制裁対象国や一帯一路の周辺国のほか、日本を含め、今年4月現在で865行が参加していると言う。だが、世界の外貨準備に人民元が占める割合はまだ2%にも満たない。米ドルの約62%、ユーロの約20%、日本円の約5%と比べても大きく見劣りがする。今のままでは、「ドル決済からの独立」は遥か遠くにある目標にすぎない。
ところが最近、IT技術の深化に伴って、仮想通貨やネッティングなど、銀行を通さない貿易・資金決済が徐々に拡大してきている。私はこの分野に明るくないので詳しいことは言えないが、その展開次第では、ニューヨーク連銀を経由した取引を制限することで米国が世界中の国々に与えることのできる「脅し」は少なくとも相対化する可能性がある。

なお、蛇足として言えば、どんなに中国経済が膨張したとしても、今のリアルなマネーの世界で人民元が国際的な決済の基軸通貨になることは決してない、というのが私の意見だ。オバマ政権の後期以降、特にトランプ政権になってから、米国はドルが基軸通貨であることを利用して他国に制裁をかけることが増えており、そのことが最近、世界の外貨準備に占める米ドルの比率低下を促している。人民元が基軸通貨の地位を得れば、中国政府はトランプ政権以上にそれを利用し、他国に影響力を行使しようとすることは間違いない。そんな国の通貨を外貨準備として大量に保有したいと考える国は多くないはずだと思うのである。

4. 中国は国力を無駄に浪費しない

米ソ冷戦がソ連の敗北で終わった――少なくとも敗北を早めた――理由の一つに、ソ連が冷戦の後期も含めて(米国以外との)戦争に関わり続け、国力を浪費したことが挙げられる。

米国も朝鮮戦争やベトナム戦争で国力を消耗したことは言うまでもない。しかし、朝鮮戦争は3年で休戦に至り、ベトナム戦争も多大な犠牲を払った後、1973年に撤退した。その後、冷戦が終わるまでの間、米軍が大規模な軍事介入に直接携わることはなかった。
一方でソ連は、ハンガリー動乱(1956年)とプラハの春(1968年)の軍事介入こそ短期で済んだが、1969年のダマンスキー島事件(珍宝島事件)以降、中国との国境紛争は冷戦が終わるまで続いた。この間、ソ連は中国との長大な国境に軍隊をはりつけ続けなければならなかった。1979年に始めたアフガニスタン侵攻は、ソ連版のベトナム戦争と言われる。10年以上続いた戦争によってソ連は少なくとも1万4千人以上の兵士を失い、財政的にも社会的にも大きな負担を負った。
冷戦後、米ソ冷戦に勝利して唯一の超大国となった米国が今度はアフガニスタンとイラクに軍事介入し、長期間にわたって軍事的にも財政的にも国力を消耗することになった。その結果、米国が中国にキャッチアップされる期間は確実に短縮されたと言える。

このように、大国は強大な国力を持つ故に軍事紛争に首を突っ込み、国力を浪費することが往々にしてある。ところが中国は、少なくとも過去数十年、大規模な軍事紛争に直接従事することはなかったし、予見しうる将来も抜き差しならぬ軍事紛争に発展しそうな事案を周辺に抱えていない。もちろん、台湾が独立に動けば、大きな武力紛争になるだろうが、今のところ、その可能性は極めて低い。新疆ウイグル自治区などにおける武装蜂起――中国政府はテロと位置付ける――も、中央政府側の弾圧によって有効に抑え込まれている。
対外的には、インドとの間に国境紛争を抱えており、時に緊張が高まることはある。しかし、中印双方は事態をエスカレートさせないことで暗黙に合意しているようだ。南シナ海では、複数の国が領有を主張している係争地域に軍事進出――埋め立てと軍事基地の建設――を急ピッチで進めている中国。ただし、中国との間で軍事力に差がありすぎるため、係争相手国(ベトナム、フィリピン、インドネシア等)が実力行使に及ぶことはまずない。米軍も「航行の自由」作戦は繰り広げているが、あくまで中国に対する牽制にとどまり、武力に訴えて原状復帰させようとまではしていない。
東シナ海(尖閣諸島)についても、海警などによる領海侵犯は繰り返すものの、武力侵攻の意図までは見受けられない。
いずれにせよ、米中対立が二大ブロックの対立に発展しない限り、中国は米国以外の国々を取り込もうとするか、少なくとも完全に米国の陣営に走らせたくないと考える可能性が高い。したがって、国境に関わる潜在的な紛争案件について過度に緊張を煽ることは控えるものと思われる。
最後に、中国が近年、PKOに積極的に人民解放軍を参加させていることについても一言。これは所詮、PKOであり、いざとなったら、派遣期間の途中であっても引き揚げさせればよい。

今日の中国指導部は、自らが大規模な軍事紛争(戦争)に巻き込まれ、それによって中国の国力が浪費されることを明白に厭っている。つまり、冷戦期のソ連のように自滅してくれる可能性は低いと思われる。
中国が冷戦期のソ連によるアフガン侵攻のような轍は踏むことなく、ひたすら低姿勢で米国の攻勢をやり過ごす一方、経済戦争に負けないための投資を静かに(しかし、大規模に)行い続ければ、中長期的には中国にもチャンスは出てくるだろう。いわんや、米国が中東方面(特に対イラン)で余計な軍事介入に及ぶようなことがあれば、中国指導部はほくそ笑むに違いない。

5. 保護主義が米国経済を弱らせる可能性

保護主義は長い目で見るとその国の経済を弱くする――。米国は従来、そう主張してきた。競争にさらされれば、企業は生産性を上げるべく努力し、それができない企業は競争に敗れる形で退場する。その結果、生産性の高い企業が生き残るか、当該分野の製品は輸入品に代替されることで経済的には最適性が実現する。まさに資本主義と自由貿易の論理である。
もちろん、実際には経済学の教科書のようにはいかない。米国政府も多かれ少なかれ、自国産業を保護してきた。だが、トランプ政権が「公正な貿易」という名目で行っている保護貿易は、これまでとは一線を画する規模を持ち、範囲も広範である。

保護主義は保護された産業の生産性の改善を中長期的に妨げ、国全体として見れば産業のコストを引き上げることになる。日本経済新聞によれば、2018年に米国が輸入した鉄鋼の量は前年に比べて12%減少し、国内鉄鋼メーカーの出荷量は5%増加、国内工場の稼働率も4.8ポイント上昇して81.4%を超えたと言う。だが、それは決して、米鉄鋼メーカーの生産性や技術力が上がったおかげではない。将来的にはまた輸入品に押される日が来るだろう。一方で、米国の自動車メーカー全体では、同年に鉄鋼コストの負担が56億ドル(約6200億円)増加した。

トランプによって保護される産業は、国際競争力が劣っているにもかかわらず、トランプ再選のために必要な支持基盤だからという理由で政府によって守られる。しかし、弱い産業を守り、本来退場すべき企業を生きながらえさせる政策は、その国の経済の競争力を弱め、最終的にはその国の成長力そのものを失わせる。それは日本が過去数十年やってきた産業政策であり、その結果が今日の日本経済の体たらくだ。

中国経済が規模で米国経済をやがて抜く――購買力平価ベースでは既に抜いているが――ことは誰もがわかっていること。だが、米経済がトランプの保護主義で守られる一方、その裏返しで危機感を抱いた中国企業が国ぐるみで米国との競争に明け暮れるとしたら? 生産性や技術力の面でも中国経済が米国経済を抜く日がやって来ても、不思議ではない。

6. 軍事面で中国とロシアが手を握る可能性

中国軍が軍事力の面でも米軍を急速にキャッチアップしてきていること、それでも米国の軍事力は中国の軍事力をまだ凌駕していることについては、4月21日付のポスト(グラフ②とグラフ③)で述べたとおりである。この分野においても中国が米国との差をどんどん詰めていくことは間違いない。ただし、通常兵力の面でも中国が米国に完全に追いつくのはもう少し先の話だし、核兵力の格差は大きすぎるくらいある。

しかし、中国がロシアと軍事面で手を組めば、特に核兵力面での対米ギャップは一気に解消する。その意義や可能性については5月18日付のポストで述べたのでここでは繰り返さない。
1970年代初頭の米中国交正常化というコペルニクス的な外交革命は、ニクソンやキッシンジャーだけでなく、毛沢東もほぼ同時に着想を得ていたもの。今回、米国には中国を抑え込むためにロシアと組む、という選択肢はない。中国のみが、米国に対抗するためにロシアと組む、という戦略的な選択肢を持っている。

 

誤解してもらっては困るが、私は今回のポストで、米中対立は中国が有利である、と主張するつもりはない。ただ、この対立がトランプの任期中に片が付くような性格のものではなく、総力戦・持久戦になる、と言っているだけだ。

ついでに言うと、長期戦なら中国に分がある、と言うわけでもない。
中国の場合、今は国力を押し上げている人口の多さが、そう遠くない将来、国力の足を引っ張るようになる可能性が高い。国民の所得がある程度進むのと、日本のように少子高齢化が進むタイミングが重なり、社会保障を維持するのが相当大変になることはまず間違いない。中国にとっては、人口動態による負荷の増大が目立つ前に米国と痛み分けに持ち込めるかどうか、が大きなポイントになるだろう。

先月来、5回にわたって米中対立を分析した。とりあえず今回で一区切りつける。
だが、このむずかしい時代に日本の舵取りはいかにあるべきなのか?
考えるべきことはまだまだ多い。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ③ ~ 米中対立の性格を吟味する

最初にお断りを一言。本ブログでは、前回前々回と「平成の終わりに考える『米中冷戦』論」というタイトルで米中関係を論じている。先月中に一区切りつけることができるだろう、と思って書き始めたのだが、甘かった。諸般の理由で時間が十分とれなかったことに加え、やはりテーマが大きいため、予想以上に筆に進まなかったのだ。その結果、前二回を引きついだ今回のポストは、「令和の始まりに考える~」とタイトルを変更している。不格好な話だが、ご寛恕願いたい。

第1回のポストでは米ソ冷戦後の米中関係の推移を振り返り、第2回は米ソ冷戦と今日の米中関係を比較することによって米中関係の特徴を記述した。以上を踏まえ、今回は米中関係の性格をさらに深掘りしてみたい。

緩い対立~熱戦はない

米中関係が緊張の度を増していることは否定できない事実である。だが、それは冷戦期の米ソ関係のような「一触即発」の緊張とは異なる。

1. 米中「熱戦」はない

第一に、米中が軍事的な戦争に至る可能性は、無視してよい。米中開戦が必至、という見方もあるようだが、少なくとも現段階では、それは扇動の類いにすぎない。

冷戦期の米ソは、まさに一触即発の状況にあり、世界中の人々が人類全体を何度も滅ぼす核戦争の恐怖に怯えた。しかし、両超大国の持つ核戦力が対等(パリティ)の状態になって相互核抑止が成立したため、米ソ間で戦争(=熱戦)が起こることはなかった。結果的に「長い平和(Long Peace)」が実現したのである。

翻って米中間の核戦力を見ると、前回見たとおり、米国が中国を圧倒している。米中間には軍事的な意味での相互核抑止は成立していない。だが、米中関係の緊張にもかかわらず、両国間で核戦争が起きるとは考えられていない。核戦力で圧倒的に劣る中国が米国を核で先制攻撃できないことは当然であろう。他方で、優位に立つはずの米国にとっても中国を核攻撃することはリスクが大きすぎる。米国が中国の核戦力を破壊し尽くす前に、中国も米本土に核ミサイルを数発以上射ち込むくらいのことは十分に可能だからである。自国が攻撃された場合は別だが、すべての先進国は、大勢の自国民の命を失うとわかっていて戦争を起こす、ということができない時代になっている。米国とて例外ではない。

中国は負けることがわかっているから核のボタンを最初に押すことができない。米国は勝つとわかっていても予想される中国の反撃によって受ける被害に耐えられないため、核のボタンを最初に押さない。つまり、今日の米中間には、相互核抑止とは別種の相互抑止が成立しているのだ。したがって、米中間で(少なくとも本格的な)戦争が起こるとはことも考えられない。

2. 相手を打倒しようと思っていない

米中が相手に対して感じる脅威のレベルが比較的低いことも、米中が軍事的に戦わないことのもう一つの理由である。

冷戦期の米ソは、それぞれ「民主主義・資本主義」、「共産主義」という異なるイデオロギーを奉じ、それを世界に広げると同時に自らの勢力圏を拡大しようとして相争った。政治イデオロギーに関して言えば、「民主主義」対「共産主義」の対立構図は米中間に今も見られる。しかし、自らの政治イデオロギーを「輸出」しようとか、相手の体制を転覆しようとかいう意図は、双方とも持っていない。その意味で、米ソ冷戦下で厳然と存在したようなイデオロギー対立は、今の米中間には存在しない。当然、米中間の対立は米ソ間の対立よりも「緩い」ものとなる。

なお、経済については、計画経済(国家統制)を残したまま資本主義を取り入れる中国に対し、資本主義の総本山とも言える米国は(特にトランプ政権になってから)重商主義に傾き、こちらも国家の介入色を強めている。米中「貿易戦争」の核心にあるのは、経済イデオロギーの対立ではない。「利益」をめぐる対立だ。

3. ペンス演説

昨年11月4日、マイク・ペンス米副大統領はワシントンにある保守系シンクタンクで政権の対中政策について講演した。中国への敵意をむき出しにした内容だったため、一部では第二の「鉄のカーテン」演説と呼ぶ者もいる。

私はペンス演説に二通りの感想を持った。一つは、副大統領という地位にある者がここまで露骨な表現で中国を罵ったことに対し、ニクソン=キッシンジャー以来の米中接近という大きな流れが転換点を迎えた、というもの。もう一つは、米中対立はやはり米ソ対立とは違うな、という思い。キリスト教福音派らしい宗教的熱狂を帯びた表現を多用しているものの、ペンスの挙げた中国の「罪状」を煎じ詰めれば、「中国が米国を追い上げ、米国の派遣に挑戦している」ということ、つまりは「国力の接近」だ。根本にイデオロギー対立があった米ソ冷戦とはそこが大きく違う。だから、米中対立は米ソ冷戦に比べ、「緩い」のである。

そのうえで言うと、私がペンス演説の中で最も注目したのは、中国が米国世論に対して様々な形で工作を仕掛け、米国民の政権選択をも左右しようとしていると警戒感を露わにしたこと。ロシアがトランプ大統領誕生(=ヒラリー大統領阻止)のために露骨な選挙介入を行ったことには触れないまま、中国が反トランプの工作を行っていると非難するのはご都合主義だと失笑せざるをえない。

しかし、ネットを通じたものであれ、その他諸々の工作によるものであれ、外国が自国にとって都合の悪い政治家を落選させたり、逆に都合のよい政治家を当選させたりするようなことがあれば、それは一種の「間接侵略」である。(私に言わせれば、2016年米大統領選におけるロシアの介入は間接侵略以外の何ものでもない。)真珠湾攻撃や9.11同時多発テロが示すとおり、自国が侵略(攻撃)された時の米国は、徹底的に戦う。2016年大統領選挙時のロシアばりに露骨な形で中国が米国世論への介入を行えば、米中の対立を「緩い」と言い続けられる保証はなくなるだろう。

恒常的な対立

軍事的な直接衝突は起こらないかわりに、米中間では経済的な対立が既に顕在化している。経済や技術面での米中の直接衝突は、今後も終わることなく、ダイレクトな形で続いていく。

1. 貿易摩擦(貿易戦争)

経済摩擦は武力衝突のようなハードな対立ではない。その分、経済における米中「戦争」は恒常的に発生しうる。

米ソ冷戦の時は、武力衝突も貿易戦争もなかった。米ソ間、あるいは東西ブロック間の貿易量は極めて少なかったから、冷戦期にはそもそも米ソの貿易戦争など起きようがなかった。(冷戦期を通じて米国が何度か対ソ穀物輸出を制限したことはある。しかし、影響は限定的で「貿易戦争」と形容すべきものではなかった。)

これに対し、米中間には経済的に深い相互依存関係が存在する。その気になれば、双方がいつでも経済制裁に打って出ることはできる。

ちなみに、経済的な制裁措置には、「買わない」制裁と「売らない」制裁がある。今、トランプが中国に仕掛けている関税引き上げは、「買わない」制裁の一種だ。モノが溢れている状況にあっては「輸出を止める」と脅すよりも「輸入を制限する」と脅す方が有効なことが多い。一方で、2010年の尖閣漁船事件の際に中国がとったレアメタル禁輸は「売らない」制裁の例である。希少な原材料だからこそ、輸出禁止が圧力になると考えられたのである。

これまで長い間、米国を含む各国の政府は貿易をプラスサム(ウィン・ウィン)ゲームと捉えてきた。関税引き上げなどの貿易制限的な措置をとった場合、自国産業にも悪影響が出ることが避けられない。北朝鮮やイランなどに対する戦略的目的を持つものを別にすれば、貿易赤字があるからという理由で大規模な貿易戦争に打って出ることは控える――。1980年代の日米自動車摩擦の時を含め、それが従来の常識だった。

しかし、ドナルド・トランプは違った。トランプは貿易をゼロサム・ゲームと捉え、貿易制限をいとも簡単に発動する。米産業全体では「返り血」を浴びるはずだが、それよりもディール感覚での駆け引きを優先しているように見える。

トランプ政権がこれまで中国に対して仕掛けた関税引き上げは以下のとおり。2018年3月に鉄鋼・アルミニウムの関税を引き上げたのを皮切りに、同年7月にはロボットや工作機械など340億ドル分、8月には半導体や化学品など160億ドル分、9月には家電や家具など2000億ドル分を対象に関税を15%引き上げて25%にする、と発表した。(実施時期にはズレがあり、2000億ドル分の引き上げは今年5月。)さらに、去る5月10日には残りの全輸入品(iPhoneを含む)についても追加関税をかける準備を始めた。これら一連の関税引き上げに対し、中国が毎回、米国からの輸入に対して関税を引き上げるなど、報復措置を講じたことは言うまでもない。

「貿易戦争」を始めたのがトランプであるなら、今後トランプ大統領が任期を終えれば、事態は沈静化するのだろうか? そうはなるまい。

政治的なタブーは一度破られると、タブーでなくなるもの。伝統的に自由貿易の牙城であったはずの共和党は今やこぞってトランプ支持に傾いた。トランプと競う民主党は元々保護主義に親和性が高い。民主党の大統領候補がトランプ流に対抗して自由貿易を打ち出す雰囲気はない。

米中間で過激化する一方の貿易摩擦を鎮静化させる要素があるとすれば、貿易戦争の悪影響が金融市場や景気動向に急激に作用し、トランプの政権運営の足を引っ張るような事態が起きることであろう。後述するように昨年10月から年末にかけてはそうした動きがまさに見られた。

2. 技術覇権戦争

トランプ政権が中国に仕掛けている経済戦争は、単に貿易や関税と言った分野にとどまらない。私は、米中が今後、技術覇権をめぐって繰り広げる抗争こそ、「戦争」という名によりふさわしい、と思っている。

為替レートを購買力平価で計算すれば、超大国である米国はGDPに代表される経済力で中国に既に抜かれ、実勢レートでも抜かれるのは時間の問題。米中の経済ボリュームが逆転すれば、軍事力の面でも米国が中国にキャッチアップされるのは時間の問題である。

そこで米国が重視するのが、技術力で対中優位を堅持することになる。これからの経済覇権は、AIに象徴される情報技術の基準を誰が先に押さえるか、に大きく左右される。軍事面でも、湾岸戦争以降、アフガン戦争やイラク戦争で世界に衝撃を与えた米国の精密誘導兵器は軍事力と情報力の結合にほかならない。この分野においても、中国やロシアのキャッチアップは急だ。5Gを含めた次世代の技術標準で中国――正確には、米国以外のあらゆる国――に先を越されれば、超大国・米国の経済覇権と軍事覇権は本当に危うくなる。この点については、不動産王あがりのトランプよりも、米国の戦略立案者たちの方が危機感は強い。論より証拠、この1年あまりの動きを振り返ってみれば、米国がなりふり構わず、技術開発の面で中国を封じ込めにかかっていることは明らかだ。

2018年4月、米国政府はZTE(中興通訊)に対し、対イラン制裁違反を名目に7年間の米国内販売禁止を命じた。2018年後半になると、米政府が同盟国に対し、HUAWEI(華為技術)の通信機器を使わないよう要請した。同年12月には、HUAWEI創業者の娘(副会長)の孟晩舟が米政府の要請に基づいてカナダで逮捕される。今年5月には、ポンペオ国務長官が英国に対して5G移動通信システムにHUAWEI製品を使用しないよう求めた。もちろん、米国政府が英国以外にも同様の要求をしているであろうことは容易に想像できる。

米国は本気だ。しかし、中国も後に引くことはできない。技術覇権をめぐる米中間の熾烈な抗争は今後も続く、と見ておくほかない。

 米中経済摩擦のコスト(経済的な影響)

米ソ冷戦とは異なり、米中対立の基本構造は、米国と中国の2国間のものだ。しかし、両国の経済摩擦の影響は世界中に及ぶ。米中関係の議論からは少し離れるが、トランプの自国中心主義(アメリカ・ファースト)の矛先は中国だけに向いているわけではない、ということについてもここで触れておく。

1. 国際経済、金融市場への影響

米国による関税引き上げとそれに対する中国の報復合戦が続けば、当然ながら米中の経済や日本を含めた世界経済にマイナスの影響が出ることは避けられない。

問題がそれにとどまれば、ある意味で米中の自業自得。だが、米中は世界第1位と第2位の経済大国であり、両者のGDPを合計すれば世界全体の4割弱を占める。グローバリゼーションが進展した今日、米国や中国と経済相互依存状態にない国は事実上存在しない。米中経済の減速が日本を含めた世界経済の足をも引っ張ることは当然だ。

OECDの見立てでは、5月10日に米国が実施に移した2000億ドル分の追加関税引き上げにより、米国のGDPは約0.4%、中国のGDPは0.6%程度押し下げられるとともに、世界全体のGDPも0.2%ほど低下する。米中が双方からの輸入品全体に追加関税をかけるシナリオでは、最終的なGDPの押し下げ幅は米国=1.1%、中国=1.3%、世界=0.8%に拡大する。

米中の貿易戦争、技術戦争は実体経済に悪影響を及ぼす以上に金融市場を大きく揺さぶる。好調な米企業業績などを反映して米国株式市場は2018年10月に史上最高値を更新していたが、米長期金利の上昇に加え、トランプ政権による対中関税の追加引き上げ方針表明や孟晩舟逮捕などが重なり、年末にかけて株価は大きく下落した。10月3日に26,823ドル(終値)をつけたニューヨーク・ダウは、12月24日に21,792ドルにまで下落。日経平均も10月2日に24,270円だったのが、12月25日には19,155円まで下がった。

株価急落を受けたトランプ政権は中国と協議して合意に至る意思を示し、FRBも利上げ観測を醒ましたため、今年に入って米国株は回復に向かった。それでも先週、米政府が2000億ドル分の対中輸入に対する関税を15%引き上げると発表するや、米国や世界の株価は一斉に下落した。米中貿易・技術戦争がエスカレートして金融市場がさらに動揺すれば、実体経済の被る悪影響が増幅されることは言うまでもない。

2. アメリカ・ファースト

米中冷戦のイメージが強すぎると見過ごされてしまいがちだが、トランプ政権が仕掛ける貿易戦争の標的は中国だけではない。

米ソ冷戦たけなわの頃には、米国にとって不倶戴天の敵であるソ連と対決することが最優先課題だった。米国が西側同盟諸国に対して貿易戦争を大々的に仕掛けることなど、論外であった。(日米繊維摩擦など、限定的な経済摩擦はあった。)

だが今日、トランプにとって大事なものは、外交でも政治でもビジネスでも「勝ち負け」だ。中国に貿易戦争を仕掛けているのも、貿易赤字(=負け)を減らすことが米国の国益だと信じているため。要するに、トランプの貿易戦争の原動力は、アメリカ・ファーストという名の自国中心主義なのである。そう考えれば、トランプの矛先が向かうのは中国だけ、ということにならないのは自明の理だろう。

実際、鉄鋼・アルミの追加関税は中国だけでなく、EU、カナダ、メキシコ、日本なども対象となった。(日本製品は鉄鋼で申請分の4割、アルミで8割が適用除外された模様。なお、中国製アルミも申請分の25%は適用除外されている。)

米国政府はカナダ、メキシコにNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉を要求し、2018年11月にUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)を締結。メキシコからは自動車貿易における原産地規則強化や賃金条項の導入、カナダからは乳製品市場へのアクセスや知財保護期間などを獲得した。また、2018年9月には米韓FTAを改訂し、米国によるトラック関税撤廃を20年延期した。日本とはTAGという名の日米FTAの締結に向け、現在交渉中だ。

「アメリカ・ファースト」の最大の焦点となる、自動車関税の引き上げ――1980年代の日米自動車摩擦の時でも具体的な政治課題にはならなかった――に至っては、中国など眼中にはない。その狙いが米自動車産業の保護にあることは言うまでもない。WTOのエコノミストは、米国が外国車の輸入を制限すれば、米中間の貿易摩擦よりも世界経済への影響が大きいと指摘している。

米国が同盟国に対して要求を突き付けているのは、貿易や経済だけに限った話ではない。2018年7月、トランプはNATO首脳会談で他の加盟国に対して、防衛費をすぐさまGDPの2%まで増額し、NATO加盟国が2024年までに達成すべき防衛費の対GDP比率も4%に引き上げるよう求めた。日本は米国からの兵器購入を増額することで当面の矛先をかわしている。だが、現在1%未満にすぎない防衛予算の対GDP比を増やせという要求がいつ来てもおかしくない状況にある。

冷戦期は、ソ連に対抗するために西側ブロックの結束を重視し、盟主であり、超大国である米国が防衛責任の大半を負っていた。米ソ冷戦期以来の「慣行」は、経済分野のみならず、軍事の分野でも当たり前のものではなくなりつつある。