現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)というものがアメリカで流行しているそうだ。
経済学の徒でない私には、現段階でMMTなるものに確定的な評価をくだす自信がない。しかし、MMTなるものが無視するには大きすぎる政治的なインパクトを持つであろうことは十分に予測できる。本ポストでは、アメリカにおけるMMTの流行が、近い将来、日本の経済・財政政策に影響を与える可能性について考えてみたい。
MMTが日本の経済政策にもたらすものは、チャンスなのか、リスクなのか?
MMTとは何か?
残念ながら、MMTの詳細な解説となると私には荷が重い。ここではMMTの簡単な紹介にとどめるが、ご容赦いただきたい。
政府はどんなに支出を増やしても、お金がなくなったり破産したりすることはない――。このシンプルな考え方がMMTの共通項である。そこから、3月15日付の日経新聞はMMTの主張を「自国通貨建てで政府が借金し物価が安定している限り、財政赤字は問題ない。政府の借金は将来国民に増税して返せばよい。無理に財政赤字を減らし均衡させることにこそ問題がある」とまとめている。厳密に言えば異論もあるかもしれないが、MMTの持つ政治的な意味を考えるうえでは、この程度の理解でも大きな不都合はないだろう。
米連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長から、ポール・クルーグマンやラリー・サマーズなどの経済学の大御所たちまで、メイン・ストリームの人たちはMMTを痛烈に批判している。
伝統的な経済学の理論では、財政赤字の膨張を問題視する考え方が強い。20世紀後半の欧米先進国の経験も財政赤字を罪悪視し、「財政健全化こそ正義」という風潮を裏打ちするものだった。
1970年代のイギリスは経済成長の低下を受けて財政赤字が増加、1976年には財政破綻した。その後、サッチャーによる民営化、金融引き締め、財政支出削減等を経て1998年、ブレアの時代に財政黒字に転じた。
ベトナム戦争後の米国も経済の停滞に苦しみ、1980年代には財政赤字と経常赤字の併存(双子の赤字)が問題視された。レーガン政権下では国防予算の増加や大規模減税によって財政赤字が膨らみ、1992年にピークに達する。その後、クリントン政権下で米経済は復活し、1998年には財政黒字を実現した。
ワイマール時代の天文学的インフレを経験し、ヒトラーの台頭を許したドイツもインフレに対して強いアレルギーを持ち、財政規律を人一倍重視する。
要するに、伝統的な経済・財政学者や金融政策の実務に携わってきた人たちの目には、MMTの先に「放漫財政→ハイパー・インフレ→財政破綻」が見えるのだ。今はMMTの広告塔な役割を果たしているステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)も、長い間異端視されてきたと言う。
しかし、私に言わせれば、伝統的な経済学とMMTの違いは、いわゆる近代経済学とマルクス経済学の違いのような根本的なものではない。
例えば、伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちも、経済低迷期における政府の介入(財政出動)が必要であることは明確に認めている。ただし、彼らは財政出動が「大きくなりすぎる」ことを警戒し、財政出動や財政赤字はできるだけ小さくとどめ、できるだけ早く解消した方がよい、と考える。
対するMMTは、財政赤字を恐れるあまり、経済低迷期において財政出動が「小さくなりすぎる」ことにむしろ懸念を抱く。リーマン・ショック後の不況期に各国政府は財政出動や低金利(マイナス金利を含む)政策を展開したが、MMTの信奉者は、その規模や期間が中途半端だったから今日も世界経済は立ち直っていない、と批判するのだ。
ちなみに、MMTも財政赤字を野放図に膨れ上がらせたまま、放置していいとは考えない。十分に大きく、十分に長く財政出動すれば、景気が上向いて税収も増える、というのがMMTの理想像。しかし、財政赤字の増加ペースが物価上昇率を超えたり、完全雇用が実現したりすれば、財政赤字にブレーキをかけなければいけない。ただし、その場合でも政府には増税という最終手段があるから、問題はない、とあくまで楽観的である。
政治から見たMMT
圧倒的な少数派にとどまり、その教義が実行される可能性がほとんどなければ、正統派は異端を本気で批判しない。伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちがMMTを声高に批判し始めたのは、近年、アメリカ政治の一部、特に民主党左派にMMTと組む動きが見られるためである。
代表格が前述のケルトンだ。前回の大統領予備選でヒラリー・クリントンと最後まで民主党候補の座を争ったバーニー・サンダースの経済顧問を務めた。もしもサンダース大統領が誕生していれば、ケルトンが経済政策の司令塔となり、MMT流の経済・財政政策が採用されていた可能性があったということだ。
民主党の左派の政治家で最近売り出し中なのが、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス。プエルトルコ移民を母に持ち、昨年11月に28歳で史上最年少の下院議員となった。彼女も財政赤字の拡大を容認するMMTに秋波を送っている。オカシオ=コルテスは、政策面ではグリーン・ニューディールを主張し、10年以内にエネルギーを100%再生可能由来のものにするほか、4兆6千億ドル(約500兆円!)のインフラ投資を行うのだとか。財源として炭素税や高所得者への増税を訴えるが、それだけでは足りない。MMTに関心を寄せるのも自然な流れと言える。
サンダースを含め、民主党の左派は政府が保険料を徴収して医療費の全額を払う単一支払者制度(single payer health care)の導入を主張している。必要な財源は年間、150兆円とも300兆円以上とも言われる。彼らの間でもMMTへの「期待」は大きい。
だが、財政赤字に寛容なのは民主党左派ばかりではない。実際のところ、「共和党=小さな政府」というのは財政の観点では既に死語となっている。
トランプ政権の下、10年間で1.5兆ドル(約160兆円)の減税、国防費やインフラ投資の増額などが行われた結果、連邦政府の債務残高は22兆ドル(約2400兆円)を突破して過去最高となった。トランプが政治的にMMT支持を口にするかどうかを別にすれば、トランプが財政赤字に無頓着な大統領であることは明らかだ。
トランプの説明によれば、今は財政赤字が積み増されても、将来経済成長によって税収が増えるから問題は起きない。まるでMMTの論者の話を聞いているようだ。もちろん、トランプは将来増税に訴えなければならない可能性など、おくびにも出さない。トランプは学者ではないから理論を証明する必要はない。仮に将来増税するとしても、その時の大統領が自分でなければ別に構わない、と言ったところだろう。
日本への影響
面白いことに、MMTの論者たちはその理論が正しい「証拠」として日本のアベノミクスを挙げることが多い。
日本政府の債務残高の対GDP比は2009年から200%に乗り、2018年度は236%程度。しかも、安倍内閣(正確には野田政権末期)以降、日銀による国債買い入れを含めた「異次元の金融緩和」を続けている。にもかかわらず、インフレは起きていない。黒田日銀が目標としていた2%のインフレ目標など夢のまた夢だ。
同様に、欧州の量的金融緩和やマイナス金利も、伝統的な経済理論が指摘したような問題を顕在化させていない。であれば、米政府の債務残高の対GDP比が2011年から100%台に乗り、今も上昇傾向にあるからと言っても、どうってことはない(=財政赤字はもっと増やせる)ということになる。
大規模な金融緩和と財政出動のセットであるアベノミクスの下でインフレが起きない(起きてくれない)理由はきちんと解明されていない。人口減少のトラップによるという説などいくつもの説明が試みられてはいるものの、決定版はない。だから、MMTのように「そもそも、財政赤字を拡張しても問題は起きない」という説が受け入れられる素地があるのだ。
いずれにせよ、アベノミクスはMMTが流行する前に登場している。その意味では、日本の経済政策であるアベノミクスがMMTに影響を与えていることはあっても、その逆はない――。これまでは、そう思ってよかった。しかし、将来もそうであり続ける保証はない。
アメリカの例を見るまでもなく、MMTは政治との親和性が高い。それはそうだろう。政治は有権者の歓心を買いたいからバラマキに走りがち。だが、高度成長が終わった先進国では財源が制約になる。MMTはその縛りから政治を解き放つ。
まずは米国同様、民主党崩れのリベラル陣営がMMTを援用する可能性がある。旧民主党やその末裔政党はリベラルのくせに財政健全化にこだわりを見せる不思議な政党だ。思えば民主党政権は、財源にこだわる一方で既存の事業をやめる決断もできなかったため、マニフェスト公約である子ども手当の実現や高速道路の無料化を断念、嘘つきと批判された。(東日本大震災があったことは考慮すべきだが、それがなくても主要な選挙公約を実現できていなかったことは間違いない。)下野後の民主党及びその後継政党は、財源の呪縛ゆえに新たな目玉政策――憲法改正とかでなければ、大概はカネがかかるものだ――を提案することができないままの状況で今日に至っている。
立憲民主党や国民民主党は社会保障や教育、子育てで大きな政府を志向しているが、財源がネックになっている。そのくせ、消費税の引き上げには反対しているから、八方ふさがりだ。MMTを採用すれば、景気対策を含め、国民に様々な夢を売ることができるようになる。国民民主党代表の玉木雄一郎はコドモノミクスと称して「第三子を生めば一千万配り、財源は『子ども国債』を発行する」と言っていた。いつMMTになびいても不思議ではないだろう。しかも、一昨年の分裂騒動以来、野田佳彦や岡田克也といった財政健全化派の影響力は無残に落ちた。立憲民主や国民民主の政治家に少し目端の利く連中がいれば、MMTに注目しないはずはない、と思う。
一方で、元来がバラマキ政党の自民党も、上げ潮派に限らず、MMTに魅力を感じるはずである。
と言うのも、アベノミクスは「第二の矢」として財政出動を放ち、確かに財政拡張的な政策ではあるが、財務省がまだ頑張ってきた結果、一定の節度を保っているからである。2019年度の公債発行額は32.7兆円と2012年度に比べて14.8兆円も少ない。税収が同期間で18.6兆円も増えたからこそできる業だが、リフレ派からすれば、もっと公債発行すればいいのに・・・、ということになる。
今年10月に消費税が上がり、来年夏には東京オリンピックも閉幕。消費税引き上げ対策も大半はその頃までに終わる。自民党政権が続いても、今後の日本経済は良くて横ばい、悪ければ減速の可能性が高い。加えて、米国からは駐留米軍経費の負担や防衛費を増額しろという圧力が高まるかもしれない。近年の災害多発を考えれば、土木事業も一概には否定できない。
安倍政権がこれまで圧倒的に強かったのは、政権交代で日本経済がよくなったという半ば真実プラス半ば錯覚のおかげ。国民が夢から醒めたら、盤石に見える自民党政権もあっという間に危うくなる。安倍だろうとその後継首相であろうと、より強力な財政投入の誘惑にかられるであろうことは疑いがない。それを正当化するのに、MMTは絶好の理論だ。かつて安倍が浜田宏一エール大学名誉教授の名前を出してアベノミクスを権威付けしようとしていたのを思い出す。
MMTを実践(=実験)するのは、アメリカなのか、日本なのか? はたまた別の国なのか?
MMTが正しければ、答が何であろうが問題はない・・・はずである。財政赤字を積み増しても、経済が上向いて税収が増えればハッピーエンドとなる。だが、財政赤字を積み増しても経済が上向かない時には、「MMTが言うような形で実験を継続できるか否か?」という別の問題が出てくる。MMTが想定する安全弁は、政府による増税である。しかし、現実の政治は増税を求められた瞬間にMMTとの親和性を断ち切るかもしれない。
他方で、MMTが間違っていれば、伝統的な経済学者や金融実務者が主張するようにハイパー・インフレが起きて経済は破綻することに(おそらく)なる。
いずれにしても、MMTの採用は相当にリスクの高い実験となる。常識的に考えれば、実験を行う最初の国にはなりたくない。だが、「失われた10年」が20年になり、30年になりそうな日本には、その素地がありそうに思える。我々はMMTの誘惑に耐えられるだろうか?