平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ② ~ 米ソ冷戦と今日の米中関係の比較

前回の議論を受け、今回のポストでは米ソ冷戦と今日の米中関係を比較を試みる。具体的には、米ソ冷戦の特徴を「全面的な対立」「力の拮抗(パリティ)」「地球規模」「相互遮断」の四つと整理し、今日の米中関係と対比させていく。

1.全面的な対立

<米ソ冷戦>

米ソは、戦争に至らなかっただけで、イデオロギー、政治、経済のすべての領域で全面的に対立していた。

政治面では、米国が民主主義を奉じたのに対し、ソ連は共産党一党独裁を敷く。

経済面では、米国が資本主義(自由経済)を信じて私有財産制を尊重した一方で、ソ連は計画経済を主張し、財産を国有化した。

米ソの最も根本的な対立はイデオロギー面にあった。ウラジーミル・レーニンは労働者階級による革命を唱道し、平等に重きを置いた。レーニンと同年に没したウッドロー・ウィルソンは、民族自決と国際連盟を主導し、自由を重視した。その後、アドルフ・ヒトラーという共通の敵がいたため、米ソは共にナチス・ドイツと戦った。しかし、第二次世界大戦が終わると、米国は自由主義・民主主義の盟主となり、共産主義の総本山となったソ連と激しく対立することになった。
ソ連は共産主義革命の輸出を図ったが、それは米国にとってソ連による間接侵略にほかならなかった。一方、ロシア革命後に諸外国から軍隊を送られた経験を持つソ連も、米国が率いる自由主義陣営を深刻な脅威と捉えた。米ソのイデオロギー対立はそのまま、食うか食われるかの熾烈な権力闘争を意味した。

<今日の米中>

米国と中国の政治体制が異なることは言うまでもない。米国は大統領制の民主主義国家、中国は(事実上)共産党独裁国家である。この点では、米ソ冷戦期と基本的な構図は同じだ。

経済面では、米国は資本主義と自由主義経済。ただし、トランプ政権は貿易面で保護主義(重商主義)的な色彩を出しており、従来のように「米国=自由貿易」というイメージは後退した。中国の方は、鄧小平が改革開放路線を採用して以降、社会主義市場経済という奇妙な名前の混合経済体制に徐々に移行していった。現在も国家(党)による統制はしっかり残っているが、下手な資本主義経済よりも資本の論理が貫徹している面も少なくない。

イデオロギーや価値観はどうか? 米国は自由、民主主義、人権、法の支配を基本的な価値観と位置付けている。もっとも、米国社会では分断化が進み、トランプ大統領を誕生させたポスト・トゥルース(脱真実)の風潮が米国の価値観そのものを揺るがしている。これに対し、中国共産党は今も、社会主義(現代)国家の建設を目標に掲げている。国家と党への忠誠が強制される一方で、習近平の権威付け(個人崇拝)も急速に進む。

ただし、ソ連が資本主義国家群を転覆して共産主義国家を樹立しようとしたのに対し、今日の中国はその政治体制や思想、価値観を世界に輸出しようとは(できるとは)考えていない。かつてのマルクス・レーニン主義には、国境を越えて人を酔わせる普遍性があった。だが、習近平思想と言った個人崇拝は、中国の中で強制されてはじめて信じなければならなくなる。習思想そのものには、中国の外で人々を心酔させるだけの力はない。

2.力の拮抗

<米ソ冷戦>

冷戦下、米ソ超大国の国力は基本的には拮抗しており、両国は対等(パリティ)の状況にあった。

経済面では、規模こそ米国が明らかに上だった――下記<グラフ①>参照――が、第二次世界大戦後の一時期、ソ連モデルの計画経済も驚異的な成長を見せた。

軍事面では、米ソは通常兵器の分野でも核戦力の分野でもパリティ(対等)の状態にあった。(下記<グラフ②>、<グラフ③>参照。) その結果、米ソのいずれかが先制攻撃すれば相手から報復を受けて双方が滅亡するというMAD(相互確証破壊)が成立し、米ソとも相手を攻撃できなくなった。

米ソ超大国の間に力の均衡と相互核抑止が成立していたからこそ、米ソが直接戦うことはなく、「冷戦」という呼び名が生まれたのである。だからこそ、(第二の意味での)「冷戦」という言葉は大国間に(少なくともある程度の)力の均衡が見られることを暗黙の前提として使われる。例えば、米国とイラン、北朝鮮の間には米中関係以上に厳しい対立がある。しかし、イランや北朝鮮では米国と国力が違いすぎるため、わざわざ「冷戦」という言葉が使われることはない。

<今日の米中>

単純に米中の経済規模をIMFのデータから比較すると、2018年の米国のGDPが20,494十億ドルだったのに対し、中国のGDPは13,407十億ドル。中国経済の規模は米国経済のざっと7割というところだ。ただし、購買力平価ベースで計算すると中国のGDPは25,270十億ドルとなり、既に米国のGDPを凌駕している。

下記のグラフ①は、大国――便宜上、フランス、ドイツ、英国、米国、ロシア(ソ連)、日本(1913年以降)、中国(1950年以降)とした――のGDP(購買力平価ベース)を足しあげた合計に対し、各国のGDPがどの程度の割合となるかを棒グラフで示し、その推移を時系列で並べたものである。米ソ冷戦が最も熾烈を極めた1950年や1960年の米ソ経済比較は明らかに米国優位だが、今日の米中経済比較はほぼ互角である。

<グラフ①>

もちろん、国家の経済力をGDPだけで単純に比較できるわけではない。それでも、冷戦期のソ連経済と比較してみた時、今日の中国経済は米国経済に対してほぼ対等の地位を得た、と言っても差し支えなかろう。しかも、最近低下してきたとはいえ、中国経済の成長率は米国経済を凌いでいる。購買力平価ベースで見た中国経済は、2030年には米国経済の倍(日本経済の9倍)になるという予測もあり、米中経済は名実ともに逆転する可能性が高い。

一方、軍事面では、今日の米中間の力関係は、冷戦期のソ連が米国に対して獲得したパリティをまだ実現していない。グラフ②は、大国の軍事支出全体に占める各国の軍事支出の割合を棒グラフで示し、時系列で並べたものである。冷戦期を通じてソ連は米国とほぼ互角か、金額ベースでは米国を上回っていたことが見て取れる。これに対し、中国の軍事支出は急伸してこそいるが、米国をキャッチアップしたとは言いがたい。

<グラフ②>

核兵器の面では、米中の戦力格差はさらに開く。冷戦後期にソ連は核戦力面で米国に並び、980年代には量的に米国を凌駕していた。核戦力に関して言えば、米ソは今もパリティにあると言ってもよい。(クリミア併合の際に米国が軍事介入を控えたのも当然であった。)

これに対し、中国の核戦力はまだ米国の足元にも及ばない。米中間にMAD(相互確証破壊)は成立していないし、近い将来、成立する見通しも立っていない。核保有国の保有核弾頭数を百分率で示した下記の<グラフ③>を見れば、中国(=右上の僅かな赤い部分)の劣位は明らかだ。

<グラフ③>

経済の量的な面を除けば、中国と米国の力関係は、かつての米ソのようにパリティ(対等)にはなっていない。とは言え、ソ連が時間と共に経済的に失速していったのに対し、中国は減速したとは言え、まだ米国以上のペースで経済成長している。今後は軍事力(通常兵器)の面でも米国を急速にキャッチアップするものと見込まれる。ただし、中国の核戦力が米国と肩を並べるような事態は予見しうる将来にわたって想像しにくい。

3.地球規模

<米ソ冷戦>

米ソ冷戦は世界大の現象であった。つまり、「冷戦」下においては、米ソ二国のみならず、世界中の国々が東西ブロックに分かれて対抗しあう構図が存在した、という意味である。(厳密には非同盟諸国を無視すべきではないが、国力の点で権力政治に与える影響は極めて限定的であった。)

軍事・政治面では、米国は欧州では北大西洋条約機構(NATO)、アジアでは日米安保条約、米韓同盟、東南アジア条約機構(SEATO)などによって西側陣営を固めた。他方でソ連は、欧州ではワルシャワ条約機構(WTO)、アジアではソ中友好同盟相互援助条約、ソ朝友好協力相互援助条約などによって東側をまとめた。(ただし、アジアでは1950年代から中ソ対立が顕在化し始め、1970年代には米中が和解してソ連に対抗するという複雑な構図になった。)米ソは発展途上国においてもそれぞれが「衛星国」をつくり、対抗した。

それを図示したのが下図。青系が米国の同盟国や米国から援助を受けた国々、赤系がソ連の同盟国やソ連から援助を受けた国々、灰色が非同盟諸国である。

経済面でも米ソを中心としたブロック毎の結びつきが顕著であった。ソ連は経済相互援助会議(COMECON)を作って東欧諸国やキューバ、モンゴル、ベトナムが加盟していた。米国は日欧などと対共産圏輸出統制委員会(COCOM)を作り、戦略物資の禁輸など、東側諸国に対する貿易をきびしく管理した。

<今日の米中>

米ソ冷戦と異なり、米中の対立は基本的に二国間のものだ。

中国が条約に基づく攻守同盟を結んでいる国は事実上、ない。北朝鮮との間では参戦条項を含む中朝友好協力相互援助条約を締結しているが、今日、米朝が軍事衝突しても中国は解釈変更によって参戦しない――少なくとも、米軍とは戦わない――可能性が高い。中国、ロシア、中央アジア諸国、インド、パキスタンの8ヶ国をメンバーとする上海機構も安全保障面での協力は対テロ対策や国境警備にとどまる。中国とロシアは米国を牽制するために共同演習などを行っているが、これも攻守同盟とまでは言えない。ロシアがクリミアを併合した時の中国の態度も曖昧で中立的なものだった。

一方で米国は、日米安保条約をはじめ、米ソ冷戦期に締結した同盟関係を基本的には維持している。しかし、米国と欧州、東アジア太平洋諸国との関係はもはや「西側ブロック」と呼べるようなものではない。

そもそも、EU諸国は中国と国境を接していない。時に中国を牽制する必要性は感じても、米国と対中軍事同盟を結ぼうとは考えない。先月(3月)下旬も習近平は訪欧してマクロン仏大統領、メルケル独首相、ユンケルEU委員長と会談したばかりだ。

米韓同盟を結ぶ韓国と中国の関係も基本的には悪くない。東南アジア諸国や豪州は中国が南シナ海への進出を強めていることに警戒感を募らせているが、中国の経済的な存在感を考えれば、中国との全面対立は避けなければならない。

中国の台頭を受け、米国との同盟関係に期待を募らせる例外的な存在が日本である。ただし、米ソ冷戦期であれば、ソ連が対日侵攻した場合――それはグローバルに米ソが戦うことを意味した――、米国の参戦は当然のことと思われた。だが今、日中が尖閣諸島を巡って局地的に軍事衝突しても、米国が自動的に軍を派遣して中国と戦う可能性はむしろ低い。

経済面でも、昨年来米国が仕掛けた対中貿易戦争に日欧などは加わっていない。それどころか、鉄鋼・アルミの関税引き上げは日本、EU、カナダなども対象にしており、EUやカナダは米国に対して報復関税を発動した。(日本はしていない。)一方、先月訪欧した習近平はイタリアとの間で広域経済圏構想「一帯一路」での協力を約束する覚書に署名した。

4.相互遮断

<米ソ冷戦>

かつてウィンストン・チャーチルは欧州における冷戦構造を称して「鉄のカーテン」と述べた。この言葉は、東西両陣営間で物品や人の交流が極めて制限されていた事実をも言い表している。冷戦期の米ソ間の貿易量は、ピーク時の1979年においても45億ドルにとどまり、それが米国の貿易総額に占める割合は1%にすぎなかった。(米ソ冷戦は終了していたが、1991年の米国と旧ソ連圏との貿易量はやはり45億ドルで米国の貿易総額の0.5%であった。)

東西間の人の交流も極めて限られていた。ソ連時代の観光データは限られているが、ある研究から断片的な数字を紹介しよう。

1956年にソ連から他国を訪れた旅行者――ソ連の「旅行者」には、研究、行事参加、スポーツなど公的な仕事目的のものが含まれている――の数は19,000~20,000人、ソ連を訪れた外国人の数は55,000人であった。1958年の数字では、外国を訪れたソ連人旅行者の行先は、21,851人が社会主義国であるのに対し、わずか4,372人が資本主義国であった。
もちろん、この当時は海外旅行そのものが今日のように簡単な時代ではなかった。それでも、ソ連圏が人の出入りに厳しかったことは間違いない。参考までに1964年の日本のデータを示しておくと、12万8千人の日本人が海外を旅行し、35万3千人の外国人が日本を訪問している。

<今日の米中>

今日、世界の第一位と第二位の経済の間の貿易量はめざましいボリュームになっている。2018年の米中貿易総額は6,598億ドル。2000年の1,162億ドルから5.7倍、1990年の200億ドルからは何と33倍に膨張した。

加えて、下記の数字は、WTOのデータから米中それぞれの貿易総額に占める米中貿易の割合を算出したもの。厳密な数値ではないが、米中貿易が双方の経済にとって不可欠のものになっていることを示すには十分であろう。

<対中貿易が米国の貿易総額に占める割合>

1991年           2.90%
2000年           5.80%
2010年         14.60%
2017年         16.60%

<対米貿易が中国の貿易総額に占める割合>

1992年         10.60%
2000年         15.70%
2010年         13.00%
2017年         14.20%

グローバリゼーションの時代と言われる今日、国境を越える人の出入りも飛躍的に増加し、その流れは共産主義国家である中国をも呑み込んでいる。

2017年に米国と中国を訪れた外国人観光客数と海外旅行のために出国した人数は以下の通りだった。(参考値として日本の数字も並べておく。)

(外国→中国)    6,074万人             (中国→外国) 1億4,304万人

(外国→米国)       7,694万人    (米国→外国)        8,770万人

(外国→日本)       2,869万人             (日本→外国)          1,789万人

米中二国間の旅行についても、2017年に米国を訪れた中国人は317万人で、2003年の16万人から約20倍となった。2017年に中国に渡った米国人旅行者数も225万人にのぼっている。

もちろん、国家(共産党)の統制が色濃く残る中国社会の開放度は決して高いとは言えない。だがそれでも、ヒト・モノ・カネの交流頻度が高まれば、中国政府がかつてのソ連のように自国を国際社会から遮断することはもはや不可能だ。SNSをはじめとした情報化の進展も中国社会と国外との相互浸透を基本的には促進する方向で働いている。

まとめ

以上、冷戦期の米ソと今日の米中を並べて比較してみた。両者の間には、共通点もあれば、相違点もある。大雑把には次のようにまとめられよう。

1. 対立の基本的性格

冷戦下の米ソの対立は、食うか食われるか、という差し迫ったものだった。今日の米中関係は、レトリックは別にして、今のところ、そこまでのものではない。

2. 国力の強弱

国力の強弱では、経済力の面で米ソ冷戦よりも今日の米中の方がより対等である一方、軍事力の面では米ソ冷戦の方が対等性は高い。

3. 地理的な広がり

米ソ冷戦はグローバルな対立であったのに対し、今日の米中の緊張関係は基本的には二国間にとどまる。

4. 相互依存性

冷戦期の米ソの間の相互依存性は極めて低かったが、今日の米中間には高い相互依存性が見られる。

 

こうした観察を踏まえて、今日の米中関係をどう見るべきなのか? 次回のポストで議論してみたい。

 

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