令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ④ ~ 米中対立と国際関係

米中対立は徐々に激しさを増し、予見しうる将来、終わることはなさそうに見える。では、米中対立が国際的な権力政治にどのような影響を与えるのか――?
5回シリーズの4回目となる今回のポストは、この点に焦点を当てる。

変わる米中関係の基本構図

1970年代初頭に米中和解が成立して以降、1978年に改革開放路線に転じてからもずっと、米中関係の基本構図は次のようなものであった。

すなわち、基本的に発展途上国であった中国はひたすら米国を追いかける。遥か先方を走る米国は中国の戦略的価値と巨大市場の経済的価値を利用する一方、貿易慣行や人権政策など中国が抱える問題を大目に見た。

ところが、21世紀に入ってこの構図は大きく書き換えられた。
中国経済は急速な拡大を続け、米国経済にほぼ追いつく。自信をつけた中国は外交や軍事の面でも自己主張を強めた。
片や米国の方は圧倒的なリードを追いつかれて余裕をなくす。中国と組んでソ連に対抗する、という冷戦期にあった替えがたい戦略的価値も失われた。
米国が中国を対等なライバル視するようになったのは、ある意味で自然な成り行きだった。米国はオバマ政権の後半あたりから南シナ海方面で中国に対する軍事的牽制を徐々に強めた。トランプ政権がなりふり構わず中国に貿易戦争を仕掛けているのは周知の事実だ。

習近平の対応

攻勢を強めるトランプ政権に対し、中国・習近平政権の対応は大きく言って二つあるように思う。

一つは、トランプをなだめ、すかして米国の圧力をかわすことだ。

2017年11月にトランプ大統領が訪中した際には、ボーイングからの300機購入を含め、中国は米国から28兆円以上を購入する商談をまとめた。しかし、2018年以降、トランプ政権は中国を標的にした関税引き上げに踏み切っている。結局、中国はトランプをなだめ、すかすことには失敗した、ということになる。
中国は関税引き上げ合戦において、自ら先に動くことはせず、あくまで米国が対中輸入にかける関税を引き上げたことへの対抗措置として、米国からの輸入に対する関税を引き上げてきた。貿易戦争の拡大が自らにとって不利である以上、この分野で中国は今後も受動的な対応を続けることになるだろう。

中国に対するトランプの攻勢が避けられないのであれば、習近平としてはもう一つの対応に取り組むしかない。それは、軍事的にも経済的にも、米国に対中包囲網を作らせないことだ。

米ソ冷戦期のNATO(軍事)やCOCOM(経済)のような西側ブロックが形成されれば、中国にとっては打撃が一層大きくなる。逆に、米国以外の国々との関係を維持・強化できれば――例えば、他国が米国の対中関税引き上げに追随しなければ――、米国から圧力がかかってもその影響は致命的なものとまではならない。
そこで中国は、米国以外のパワー・センターに対して(宥和的な姿勢をとってでも)米国に同調しないよう働きかけようと真剣になる。

米国以外の国々も、「世界の工場」「世界の市場」になった中国と一方的な対立関係に入ることを決して望んではいない。もちろん、だからと言って現時点で世界一の超大国である米国を無視することもできない。米国の同盟国であれば、なおさらそうだ。米国以外の国々の大部分は、米中のバランスをとろうとする動きに出ざるをえない。

これが米ソ冷戦期であれば、仮にソ連が働きかけたとしても、日本や欧州諸国がソ連寄りの政策をとることは事実上不可能であった。例えば、鳩山一郎内閣の時、ソ連は北方領土交渉を通じて二島返還での手打ちを持ちかけた。鳩山や重光葵外相は応じてもよいと思ったが、米国の反対――「ダレスの脅し」と言われている――にあって四島返還を結局譲らなかった。(その結果、二島も返らないまま今日に至っていることは言うまでもない。)

しかし、今日の国際情勢は当時と異なる。日欧などの同盟国であっても、米国に気を遣いながらも、中国との関係を(決定的に)悪化させることはできない。米国も冷戦期のような安全保障上の絶対的守護者ではない。日欧にかけられる圧力にも自ずから限度がある。

米国の同盟国が米中の狭間でバランスをとる際、実際の対応には国によって温度差が出る。5月16日付の日経新聞記事は、米国のHUAWEI排除をめぐる米同盟国の対応を三つのカテゴリーに分類しているので紹介しておく。第一は、豪州など、米国に追随して5G規格からHUAWEIを締め出す国。日経は日本もこのグループに属するとした。第二は、英国など、HUAWEI製品の中でも情報漏れの危険があるものに限って排除するグループ。第3は、HUAWEIを監視しつつ、その排除には慎重なドイツなど。

続けて以下では、主要国(地域)と中国の間の最近の動きや将来の見通しを簡単にチェックしておこう。

日中関係~思いがけぬ小康

21世紀に入り、日中関係は緊張する局面が明らかに増えた。特に、民主党政権下で起きた尖閣漁船事件(2010年9月)と尖閣国有化(2012年9月)によって日中関係は目に見えて悪化した。さらに、歴史問題を含めて反中ナショナリズムの強い安倍政権が続く中、両国の関係は一層冷却化する。この間、中国は軍備拡張と西太平洋(南シナ海、東シナ海)への進出を継続し、日本は安保法制の整備や装備の近代化を進めた。その背景には「急速に台頭する新興の大国・中国」と「停滞する既存の大国・日本」が隣接しているという地政学的要因があった。

2013年1月には中国海軍が自衛隊の護衛艦にレーダーを照射する事件も起き、両国は緊張の管理に動き出した。2014年11月に日中は四項目の文書に合意し、APECを利用して安倍と習近平が約2年半ぶりの首脳会談を開催する。ただし、その後も日中関係に具体的な進展はなく、四項目文書の一つで合意した防衛当局間の海空連絡メカニズムの運用が始まることもなかった。

ところが、トランプ政権が中国に対する関税を引き上げはじめた頃から、事態は急に動き始める。2018年5月に来日した李克強首相は海空連絡メカニズムの運用開始に同意した。同年10月には、国際会議出席を除いては日本の首相として11年ぶりとなる安倍の中国公式訪問が実現。習近平は日中関係が「正しい軌道」に戻ったと指摘し、安倍も「完全に正常な軌道へと戻った日中関係を新たな段階へと押し上げていく」と強調するようになった。

中国としては、米国が関税引き上げなど「貿易戦争」を仕掛けてくる中、国別では世界第3位の経済規模を持つ日本市場にまで戦線が拡大することは是が非でも避けたい。長期にわたってゼロ/低成長を続ける日本も、中国との全般的な関係悪化が昂じて日中の経済関係に波及するのは困る。ミサイルをはじめ、中国の海空能力が質量ともに飛躍的に伸びた結果、日中間で不測の事態が起きれば日本側の被害が避けられない状況になってきたことも日本政府を慎重にさせつつある。

かくして、米中貿易戦争を奇貨として日中は関係改善に乗り出すことで利害の一致を見た。もちろん、だからと言って、今日の日中関係を「良好」と呼ぶのは間違い。例えば、中国公船等による尖閣諸島周辺の領海及び接続水域への侵入回数は、今年に入って増加傾向にある。上述の地政学的な要素が解消しない限り、日中関係の底流には緊張が流れ続ける。

今後は、トランプ政権が5Gからの一層のHUAWEI締め出しを求め、日本がそれに応じた場合など、日中関係が再び緊張する場面もあるかもしれない。ただし、その場合でも中国は日本を完全に米国側に追いやるわけにはいくまい。日本も中国市場を失ったら元も子もない。米中の対立関係が続く限り、日中関係の悪化には歯止めがかかり続けるであろう。

中欧関係~試される団結

2017年時点で米国経済は世界の24%、中国経済は15%を占めていた。米国との貿易戦争を生き残るためには、中国は米国以外の国々との経済関係を維持・強化する必要がある。その点、世界経済の22%を占めるEU経済圏を確保することは中国にとって極めて重要性が高い。(日本経済は世界の6%である。)

実際、中国は欧州諸国との経済関係強化に本腰を入れている。去る3月、習近平はイタリア、モナコ、フランスを歴訪した。最初の訪問国イタリアで「一帯一路」構想に対する支持表明を獲得したことは、少なくとも政治的には最大の成果である。今後、東欧諸国を中心に一帯一路構想に参加する国は増加するかもしれない

今回の訪欧でも、中国は自らの巨大な経済力を交渉の梃子にした。習はコンテ伊首相との間で港湾への投資などを含む29の覚書に署名。フランスでは、エアバス300機の購入を含め、約5兆円の商談をまとめたほか、フランスからの鶏肉輸入も解禁している。

もっとも、欧州諸国が無条件に中国になびく気配は見れれない。米中のバランスをとるという配慮に加え、EU自身も中国の貿易投資ルール――特に、中国へ進出する欧州企業が強制的に技術移転させられること――には強い不満を抱いている。欧州は日本と異なり、中国から直接的な安全保障上の脅威を感じていないが、中国のビジネス環境に対する是正要求においては、日本よりも遥かに自己主張する。

パリで習近平を迎えたマクロン仏大統領、メルケル独首相、ユンケルEU委員長の発言からは、米国との貿易戦争を戦うために中国が自らに接近してくることを利用して、中国から譲歩を引き出そうという姿勢も窺われた。4月9日、EUはブリュッセルに李克強首相を迎えて首脳会議を開催。中国側の反対を押し切り、中国の補助金改革などを合意文書に盛り込むことに成功した。

だが、中国もしたたかだ。4月12日、クロアチアに向かった李は中東欧16ヶ国との首脳会議「16+1」に出席し、インフラ投資や貿易拡大などを謳った。経済規模が小さく、中国の「飴」に弱い国々から搦めとろう、という意図が透けて見える。

中ロ関係~「米国の脅威」が接着剤に

第二次世界大戦を共に戦い、ソ連を兄貴分として共に共産圏を形成したソ連と中国。だが程なく、スターリンと毛沢東は激しい対立関係に陥り、国境をめぐる軍事衝突も起きた。1970年代初頭、ニクソン/キッシンジャーと毛沢東/周恩来は米中関係を正常化し、「米国+中国」対「ソ連」の構図を作り出す。この外交革命は、冷戦におけるソ連の敗北を決定づける一大要素となった。

冷戦が終わると、中国とロシアは過去の対立を徐々に解消していく。中でも、2008年までにすべての中露国境を確定させたことは特筆に値する。2001年には中露が中心になって上海協力機構を創設した。(前身となる上海ファイブの結成は1996年。)中ロ関係の改善は、国境問題などの対立が両国にとって大きな負担になっていたことに加え、米国を牽制するという側面が少なくなかった。冷戦後、圧倒的な経済力と軍事技術力を見せつけた米国との間で、中国やロシアは少なからぬ利害の対立を抱えていたのだ。

その後、2010年代になると中国及びロシアと米国は次第に顕在化してくる。
先に対立が決定的なレベルまで高まったのは米露関係だ。天然ガスの供給停止から暗殺、戦争まであらゆる手段を使って旧ソ連諸国に対する影響力を維持しようとするロシアを米国は激しく非難。プーチンが権威主義的支配を強めることについても米国(特に民主党)は不快感を露骨に示した。両者の対立は、2014年のクリミア併合で後戻りできないところまで悪化する。米国が自らの支配を覆そうとしていると信じるプーチンは、2016年の米大統領選挙にサイバー攻撃を応用した工作を仕掛け、プーチン批判の急先鋒だったヒラリー・クリントンを落選させることに成功した。独裁者好きのトランプ、という要素を除けば、今日の米ロ関係は凍りついていると言ってよい。

一方で、米中関係はオバマ政権の後期あたりから対立の局面が目立つようになった。トランプ政権が貿易戦争と言われる関税引き上げ合戦やHUAWEIへの制裁が繰り広げられている今では、米国や世界のメディアが「米中冷戦」という言葉を使う有り様だ。
米国の強硬姿勢は、トランプ自身の「ディール感覚」のみに基づいているのではない。中国を戦略的脅威と捉える見方は、トランプ政権の内部で共有された見解である。そればかりか、民主党を含め、米議会でも広く共有されはじめている。
中国指導部は当初、トランプの圧力を何とか誤魔化しながらやり過ごせばよい、と考えていたようだ。しかし、国力を消耗させる対立の長期化が決定的になった今、降りかかる火の粉を払う決意を固めているに違いない。今月初め、大詰めに差し掛かっていると考えられていた米中貿易協議で中国側が「ちゃぶ台返し」に出たのは、中国側が米国に対して「売られた喧嘩は買う」と表明したようなものであった。

米ロが厳しく対立し、米中も緊張が高まれば、何が起こるか? 国際政治の教科書的には、中国とロシアの間で「敵の敵は味方」という考え方が台頭してきても何ら不思議はない。

既に述べたとおり、冷戦後の中ロ間には既に協調の芽が散見されていた。だが、これまで米国内では「歴史的、文化的、地政学的な対立があるため、中国とロシアが同盟または協商的な関係にまで緊密になることはない」という見方の方が常識とされてきた。例えば、ジェームズ・マティス前国防長官なども、モスクワと北京の間には利害の自然な不一致がある、と絶えず強調していたと言う。しかし、最近は事情が変わりつつある。昨年12月のグラハム・アリソン論文最近のForeign Affairs論文など、米国の論壇でも中国とロシアが同盟――正規の同盟でなくても、実質的な同盟関係――を構築する可能性について警告する論調が目立ち始めてきた。

先のマティスの言葉をアレンジして言うと、今日の中ロ関係においては、「米国の脅威」という利害の自然な一致がある。したがって、中国がロシアとの関係を表に出してジワリと米国を牽制する局面は増えないわけがない。
例えば、中ロが共同して行う軍事演習。既に2018年9月、ロシアがソ連崩壊後最大規模の軍事演習「ボストーク2018」を極東で実施した際には、人民解放軍3千人が参加した。中国は近年、最新鋭戦闘機スホイ35やミサイル防衛システムS400をロシアから購入。米国はこれを対ロ制裁違反と認定し、中国軍高官を制裁指定した。中国が従来よりも早いサイクルでロシア製の最新鋭兵器を購入できるようになったことは、米軍にとって不愉快な話である。

とは言え、中国がすぐにロシアとの協力関係を同盟にまで高める可能性は低いだろう。中国指導部には、米国と現時点で全面的にぶつかるのは得策ではない、という慎重な見方がまだ残っているように見える。ロシアと一緒になって米国を露骨に刺激し、自らに対する米国の無用な攻勢を誘うことはあるまい。

だが、ロシアというカードには、米国に対する中国の弱点を補うという意味で、他国にはない禁断の魅力がある。それは、ロシアの核戦力だ。前々回のポストで見たとおり、米中の力関係を比較すると、経済面では相当程度拮抗しているのに対し、軍事面ではまだ米国のリードが大きい。特に、グラフ③を見れば、中国の核戦力は米国に対してあまりにも見劣りしていることが一目瞭然である。
中国が米国との核戦争を想定しているとは思わないが、仮に将来、米中間で軍事的緊張が高まった時、究極の最終兵器である核戦力面がここまで劣っていれば、やはりハンディになる。この面で米国に対抗できるのは、地球上にロシアしかない。

現在、米中間で対立が表面化している「前線」は経済面だ。これが将来、軍事面にまで拡大して来れば、中国とロシアはより同盟に近づくであろう。その時、ロシアは中国に対しても米国に対しても発言力を高める。その意味では、米中関係の緊張激化を喜んでいる数少ない指導者の一人はウラジーミル・プーチンに違いない。

世界は二極化しない

このブログでは、世界中のすべての国々と中国の関係を一つ一つ点検する余裕はない。だが、米国と対抗するため、中国が米国以外のほぼすべての国に手を伸ばそうとすることはおそらく間違いない。

一方、今後は米国も関係国に圧力をかけ、中国の「逃げ道」をふさごうとする可能性が高い。しかし、今日の世界には、冷戦期に存在した東西ブロックのようなものは存在しない。冷戦期の米ソがそうだったように、今日の米国あるいは中国が他国に対して「主人」のように振る舞おうとしても、なかなかうまくいくものではない。

これからの世界は、突出した国力を持った米中がバイ(二国間)で競いつつ、世界全体では多極化が進む――。これが私の予想する国際政治の構図だ。
「冷戦」という言葉に「二極化した世界」というイメージがつきまとうことを考えれば、やはり私は「米中冷戦」という言葉を安易に使うべきではないと思う。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ③ ~ 米中対立の性格を吟味する

最初にお断りを一言。本ブログでは、前回前々回と「平成の終わりに考える『米中冷戦』論」というタイトルで米中関係を論じている。先月中に一区切りつけることができるだろう、と思って書き始めたのだが、甘かった。諸般の理由で時間が十分とれなかったことに加え、やはりテーマが大きいため、予想以上に筆に進まなかったのだ。その結果、前二回を引きついだ今回のポストは、「令和の始まりに考える~」とタイトルを変更している。不格好な話だが、ご寛恕願いたい。

第1回のポストでは米ソ冷戦後の米中関係の推移を振り返り、第2回は米ソ冷戦と今日の米中関係を比較することによって米中関係の特徴を記述した。以上を踏まえ、今回は米中関係の性格をさらに深掘りしてみたい。

緩い対立~熱戦はない

米中関係が緊張の度を増していることは否定できない事実である。だが、それは冷戦期の米ソ関係のような「一触即発」の緊張とは異なる。

1. 米中「熱戦」はない

第一に、米中が軍事的な戦争に至る可能性は、無視してよい。米中開戦が必至、という見方もあるようだが、少なくとも現段階では、それは扇動の類いにすぎない。

冷戦期の米ソは、まさに一触即発の状況にあり、世界中の人々が人類全体を何度も滅ぼす核戦争の恐怖に怯えた。しかし、両超大国の持つ核戦力が対等(パリティ)の状態になって相互核抑止が成立したため、米ソ間で戦争(=熱戦)が起こることはなかった。結果的に「長い平和(Long Peace)」が実現したのである。

翻って米中間の核戦力を見ると、前回見たとおり、米国が中国を圧倒している。米中間には軍事的な意味での相互核抑止は成立していない。だが、米中関係の緊張にもかかわらず、両国間で核戦争が起きるとは考えられていない。核戦力で圧倒的に劣る中国が米国を核で先制攻撃できないことは当然であろう。他方で、優位に立つはずの米国にとっても中国を核攻撃することはリスクが大きすぎる。米国が中国の核戦力を破壊し尽くす前に、中国も米本土に核ミサイルを数発以上射ち込むくらいのことは十分に可能だからである。自国が攻撃された場合は別だが、すべての先進国は、大勢の自国民の命を失うとわかっていて戦争を起こす、ということができない時代になっている。米国とて例外ではない。

中国は負けることがわかっているから核のボタンを最初に押すことができない。米国は勝つとわかっていても予想される中国の反撃によって受ける被害に耐えられないため、核のボタンを最初に押さない。つまり、今日の米中間には、相互核抑止とは別種の相互抑止が成立しているのだ。したがって、米中間で(少なくとも本格的な)戦争が起こるとはことも考えられない。

2. 相手を打倒しようと思っていない

米中が相手に対して感じる脅威のレベルが比較的低いことも、米中が軍事的に戦わないことのもう一つの理由である。

冷戦期の米ソは、それぞれ「民主主義・資本主義」、「共産主義」という異なるイデオロギーを奉じ、それを世界に広げると同時に自らの勢力圏を拡大しようとして相争った。政治イデオロギーに関して言えば、「民主主義」対「共産主義」の対立構図は米中間に今も見られる。しかし、自らの政治イデオロギーを「輸出」しようとか、相手の体制を転覆しようとかいう意図は、双方とも持っていない。その意味で、米ソ冷戦下で厳然と存在したようなイデオロギー対立は、今の米中間には存在しない。当然、米中間の対立は米ソ間の対立よりも「緩い」ものとなる。

なお、経済については、計画経済(国家統制)を残したまま資本主義を取り入れる中国に対し、資本主義の総本山とも言える米国は(特にトランプ政権になってから)重商主義に傾き、こちらも国家の介入色を強めている。米中「貿易戦争」の核心にあるのは、経済イデオロギーの対立ではない。「利益」をめぐる対立だ。

3. ペンス演説

昨年11月4日、マイク・ペンス米副大統領はワシントンにある保守系シンクタンクで政権の対中政策について講演した。中国への敵意をむき出しにした内容だったため、一部では第二の「鉄のカーテン」演説と呼ぶ者もいる。

私はペンス演説に二通りの感想を持った。一つは、副大統領という地位にある者がここまで露骨な表現で中国を罵ったことに対し、ニクソン=キッシンジャー以来の米中接近という大きな流れが転換点を迎えた、というもの。もう一つは、米中対立はやはり米ソ対立とは違うな、という思い。キリスト教福音派らしい宗教的熱狂を帯びた表現を多用しているものの、ペンスの挙げた中国の「罪状」を煎じ詰めれば、「中国が米国を追い上げ、米国の派遣に挑戦している」ということ、つまりは「国力の接近」だ。根本にイデオロギー対立があった米ソ冷戦とはそこが大きく違う。だから、米中対立は米ソ冷戦に比べ、「緩い」のである。

そのうえで言うと、私がペンス演説の中で最も注目したのは、中国が米国世論に対して様々な形で工作を仕掛け、米国民の政権選択をも左右しようとしていると警戒感を露わにしたこと。ロシアがトランプ大統領誕生(=ヒラリー大統領阻止)のために露骨な選挙介入を行ったことには触れないまま、中国が反トランプの工作を行っていると非難するのはご都合主義だと失笑せざるをえない。

しかし、ネットを通じたものであれ、その他諸々の工作によるものであれ、外国が自国にとって都合の悪い政治家を落選させたり、逆に都合のよい政治家を当選させたりするようなことがあれば、それは一種の「間接侵略」である。(私に言わせれば、2016年米大統領選におけるロシアの介入は間接侵略以外の何ものでもない。)真珠湾攻撃や9.11同時多発テロが示すとおり、自国が侵略(攻撃)された時の米国は、徹底的に戦う。2016年大統領選挙時のロシアばりに露骨な形で中国が米国世論への介入を行えば、米中の対立を「緩い」と言い続けられる保証はなくなるだろう。

恒常的な対立

軍事的な直接衝突は起こらないかわりに、米中間では経済的な対立が既に顕在化している。経済や技術面での米中の直接衝突は、今後も終わることなく、ダイレクトな形で続いていく。

1. 貿易摩擦(貿易戦争)

経済摩擦は武力衝突のようなハードな対立ではない。その分、経済における米中「戦争」は恒常的に発生しうる。

米ソ冷戦の時は、武力衝突も貿易戦争もなかった。米ソ間、あるいは東西ブロック間の貿易量は極めて少なかったから、冷戦期にはそもそも米ソの貿易戦争など起きようがなかった。(冷戦期を通じて米国が何度か対ソ穀物輸出を制限したことはある。しかし、影響は限定的で「貿易戦争」と形容すべきものではなかった。)

これに対し、米中間には経済的に深い相互依存関係が存在する。その気になれば、双方がいつでも経済制裁に打って出ることはできる。

ちなみに、経済的な制裁措置には、「買わない」制裁と「売らない」制裁がある。今、トランプが中国に仕掛けている関税引き上げは、「買わない」制裁の一種だ。モノが溢れている状況にあっては「輸出を止める」と脅すよりも「輸入を制限する」と脅す方が有効なことが多い。一方で、2010年の尖閣漁船事件の際に中国がとったレアメタル禁輸は「売らない」制裁の例である。希少な原材料だからこそ、輸出禁止が圧力になると考えられたのである。

これまで長い間、米国を含む各国の政府は貿易をプラスサム(ウィン・ウィン)ゲームと捉えてきた。関税引き上げなどの貿易制限的な措置をとった場合、自国産業にも悪影響が出ることが避けられない。北朝鮮やイランなどに対する戦略的目的を持つものを別にすれば、貿易赤字があるからという理由で大規模な貿易戦争に打って出ることは控える――。1980年代の日米自動車摩擦の時を含め、それが従来の常識だった。

しかし、ドナルド・トランプは違った。トランプは貿易をゼロサム・ゲームと捉え、貿易制限をいとも簡単に発動する。米産業全体では「返り血」を浴びるはずだが、それよりもディール感覚での駆け引きを優先しているように見える。

トランプ政権がこれまで中国に対して仕掛けた関税引き上げは以下のとおり。2018年3月に鉄鋼・アルミニウムの関税を引き上げたのを皮切りに、同年7月にはロボットや工作機械など340億ドル分、8月には半導体や化学品など160億ドル分、9月には家電や家具など2000億ドル分を対象に関税を15%引き上げて25%にする、と発表した。(実施時期にはズレがあり、2000億ドル分の引き上げは今年5月。)さらに、去る5月10日には残りの全輸入品(iPhoneを含む)についても追加関税をかける準備を始めた。これら一連の関税引き上げに対し、中国が毎回、米国からの輸入に対して関税を引き上げるなど、報復措置を講じたことは言うまでもない。

「貿易戦争」を始めたのがトランプであるなら、今後トランプ大統領が任期を終えれば、事態は沈静化するのだろうか? そうはなるまい。

政治的なタブーは一度破られると、タブーでなくなるもの。伝統的に自由貿易の牙城であったはずの共和党は今やこぞってトランプ支持に傾いた。トランプと競う民主党は元々保護主義に親和性が高い。民主党の大統領候補がトランプ流に対抗して自由貿易を打ち出す雰囲気はない。

米中間で過激化する一方の貿易摩擦を鎮静化させる要素があるとすれば、貿易戦争の悪影響が金融市場や景気動向に急激に作用し、トランプの政権運営の足を引っ張るような事態が起きることであろう。後述するように昨年10月から年末にかけてはそうした動きがまさに見られた。

2. 技術覇権戦争

トランプ政権が中国に仕掛けている経済戦争は、単に貿易や関税と言った分野にとどまらない。私は、米中が今後、技術覇権をめぐって繰り広げる抗争こそ、「戦争」という名によりふさわしい、と思っている。

為替レートを購買力平価で計算すれば、超大国である米国はGDPに代表される経済力で中国に既に抜かれ、実勢レートでも抜かれるのは時間の問題。米中の経済ボリュームが逆転すれば、軍事力の面でも米国が中国にキャッチアップされるのは時間の問題である。

そこで米国が重視するのが、技術力で対中優位を堅持することになる。これからの経済覇権は、AIに象徴される情報技術の基準を誰が先に押さえるか、に大きく左右される。軍事面でも、湾岸戦争以降、アフガン戦争やイラク戦争で世界に衝撃を与えた米国の精密誘導兵器は軍事力と情報力の結合にほかならない。この分野においても、中国やロシアのキャッチアップは急だ。5Gを含めた次世代の技術標準で中国――正確には、米国以外のあらゆる国――に先を越されれば、超大国・米国の経済覇権と軍事覇権は本当に危うくなる。この点については、不動産王あがりのトランプよりも、米国の戦略立案者たちの方が危機感は強い。論より証拠、この1年あまりの動きを振り返ってみれば、米国がなりふり構わず、技術開発の面で中国を封じ込めにかかっていることは明らかだ。

2018年4月、米国政府はZTE(中興通訊)に対し、対イラン制裁違反を名目に7年間の米国内販売禁止を命じた。2018年後半になると、米政府が同盟国に対し、HUAWEI(華為技術)の通信機器を使わないよう要請した。同年12月には、HUAWEI創業者の娘(副会長)の孟晩舟が米政府の要請に基づいてカナダで逮捕される。今年5月には、ポンペオ国務長官が英国に対して5G移動通信システムにHUAWEI製品を使用しないよう求めた。もちろん、米国政府が英国以外にも同様の要求をしているであろうことは容易に想像できる。

米国は本気だ。しかし、中国も後に引くことはできない。技術覇権をめぐる米中間の熾烈な抗争は今後も続く、と見ておくほかない。

 米中経済摩擦のコスト(経済的な影響)

米ソ冷戦とは異なり、米中対立の基本構造は、米国と中国の2国間のものだ。しかし、両国の経済摩擦の影響は世界中に及ぶ。米中関係の議論からは少し離れるが、トランプの自国中心主義(アメリカ・ファースト)の矛先は中国だけに向いているわけではない、ということについてもここで触れておく。

1. 国際経済、金融市場への影響

米国による関税引き上げとそれに対する中国の報復合戦が続けば、当然ながら米中の経済や日本を含めた世界経済にマイナスの影響が出ることは避けられない。

問題がそれにとどまれば、ある意味で米中の自業自得。だが、米中は世界第1位と第2位の経済大国であり、両者のGDPを合計すれば世界全体の4割弱を占める。グローバリゼーションが進展した今日、米国や中国と経済相互依存状態にない国は事実上存在しない。米中経済の減速が日本を含めた世界経済の足をも引っ張ることは当然だ。

OECDの見立てでは、5月10日に米国が実施に移した2000億ドル分の追加関税引き上げにより、米国のGDPは約0.4%、中国のGDPは0.6%程度押し下げられるとともに、世界全体のGDPも0.2%ほど低下する。米中が双方からの輸入品全体に追加関税をかけるシナリオでは、最終的なGDPの押し下げ幅は米国=1.1%、中国=1.3%、世界=0.8%に拡大する。

米中の貿易戦争、技術戦争は実体経済に悪影響を及ぼす以上に金融市場を大きく揺さぶる。好調な米企業業績などを反映して米国株式市場は2018年10月に史上最高値を更新していたが、米長期金利の上昇に加え、トランプ政権による対中関税の追加引き上げ方針表明や孟晩舟逮捕などが重なり、年末にかけて株価は大きく下落した。10月3日に26,823ドル(終値)をつけたニューヨーク・ダウは、12月24日に21,792ドルにまで下落。日経平均も10月2日に24,270円だったのが、12月25日には19,155円まで下がった。

株価急落を受けたトランプ政権は中国と協議して合意に至る意思を示し、FRBも利上げ観測を醒ましたため、今年に入って米国株は回復に向かった。それでも先週、米政府が2000億ドル分の対中輸入に対する関税を15%引き上げると発表するや、米国や世界の株価は一斉に下落した。米中貿易・技術戦争がエスカレートして金融市場がさらに動揺すれば、実体経済の被る悪影響が増幅されることは言うまでもない。

2. アメリカ・ファースト

米中冷戦のイメージが強すぎると見過ごされてしまいがちだが、トランプ政権が仕掛ける貿易戦争の標的は中国だけではない。

米ソ冷戦たけなわの頃には、米国にとって不倶戴天の敵であるソ連と対決することが最優先課題だった。米国が西側同盟諸国に対して貿易戦争を大々的に仕掛けることなど、論外であった。(日米繊維摩擦など、限定的な経済摩擦はあった。)

だが今日、トランプにとって大事なものは、外交でも政治でもビジネスでも「勝ち負け」だ。中国に貿易戦争を仕掛けているのも、貿易赤字(=負け)を減らすことが米国の国益だと信じているため。要するに、トランプの貿易戦争の原動力は、アメリカ・ファーストという名の自国中心主義なのである。そう考えれば、トランプの矛先が向かうのは中国だけ、ということにならないのは自明の理だろう。

実際、鉄鋼・アルミの追加関税は中国だけでなく、EU、カナダ、メキシコ、日本なども対象となった。(日本製品は鉄鋼で申請分の4割、アルミで8割が適用除外された模様。なお、中国製アルミも申請分の25%は適用除外されている。)

米国政府はカナダ、メキシコにNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉を要求し、2018年11月にUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)を締結。メキシコからは自動車貿易における原産地規則強化や賃金条項の導入、カナダからは乳製品市場へのアクセスや知財保護期間などを獲得した。また、2018年9月には米韓FTAを改訂し、米国によるトラック関税撤廃を20年延期した。日本とはTAGという名の日米FTAの締結に向け、現在交渉中だ。

「アメリカ・ファースト」の最大の焦点となる、自動車関税の引き上げ――1980年代の日米自動車摩擦の時でも具体的な政治課題にはならなかった――に至っては、中国など眼中にはない。その狙いが米自動車産業の保護にあることは言うまでもない。WTOのエコノミストは、米国が外国車の輸入を制限すれば、米中間の貿易摩擦よりも世界経済への影響が大きいと指摘している。

米国が同盟国に対して要求を突き付けているのは、貿易や経済だけに限った話ではない。2018年7月、トランプはNATO首脳会談で他の加盟国に対して、防衛費をすぐさまGDPの2%まで増額し、NATO加盟国が2024年までに達成すべき防衛費の対GDP比率も4%に引き上げるよう求めた。日本は米国からの兵器購入を増額することで当面の矛先をかわしている。だが、現在1%未満にすぎない防衛予算の対GDP比を増やせという要求がいつ来てもおかしくない状況にある。

冷戦期は、ソ連に対抗するために西側ブロックの結束を重視し、盟主であり、超大国である米国が防衛責任の大半を負っていた。米ソ冷戦期以来の「慣行」は、経済分野のみならず、軍事の分野でも当たり前のものではなくなりつつある。

平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ② ~ 米ソ冷戦と今日の米中関係の比較

前回の議論を受け、今回のポストでは米ソ冷戦と今日の米中関係を比較を試みる。具体的には、米ソ冷戦の特徴を「全面的な対立」「力の拮抗(パリティ)」「地球規模」「相互遮断」の四つと整理し、今日の米中関係と対比させていく。

1.全面的な対立

<米ソ冷戦>

米ソは、戦争に至らなかっただけで、イデオロギー、政治、経済のすべての領域で全面的に対立していた。

政治面では、米国が民主主義を奉じたのに対し、ソ連は共産党一党独裁を敷く。

経済面では、米国が資本主義(自由経済)を信じて私有財産制を尊重した一方で、ソ連は計画経済を主張し、財産を国有化した。

米ソの最も根本的な対立はイデオロギー面にあった。ウラジーミル・レーニンは労働者階級による革命を唱道し、平等に重きを置いた。レーニンと同年に没したウッドロー・ウィルソンは、民族自決と国際連盟を主導し、自由を重視した。その後、アドルフ・ヒトラーという共通の敵がいたため、米ソは共にナチス・ドイツと戦った。しかし、第二次世界大戦が終わると、米国は自由主義・民主主義の盟主となり、共産主義の総本山となったソ連と激しく対立することになった。
ソ連は共産主義革命の輸出を図ったが、それは米国にとってソ連による間接侵略にほかならなかった。一方、ロシア革命後に諸外国から軍隊を送られた経験を持つソ連も、米国が率いる自由主義陣営を深刻な脅威と捉えた。米ソのイデオロギー対立はそのまま、食うか食われるかの熾烈な権力闘争を意味した。

<今日の米中>

米国と中国の政治体制が異なることは言うまでもない。米国は大統領制の民主主義国家、中国は(事実上)共産党独裁国家である。この点では、米ソ冷戦期と基本的な構図は同じだ。

経済面では、米国は資本主義と自由主義経済。ただし、トランプ政権は貿易面で保護主義(重商主義)的な色彩を出しており、従来のように「米国=自由貿易」というイメージは後退した。中国の方は、鄧小平が改革開放路線を採用して以降、社会主義市場経済という奇妙な名前の混合経済体制に徐々に移行していった。現在も国家(党)による統制はしっかり残っているが、下手な資本主義経済よりも資本の論理が貫徹している面も少なくない。

イデオロギーや価値観はどうか? 米国は自由、民主主義、人権、法の支配を基本的な価値観と位置付けている。もっとも、米国社会では分断化が進み、トランプ大統領を誕生させたポスト・トゥルース(脱真実)の風潮が米国の価値観そのものを揺るがしている。これに対し、中国共産党は今も、社会主義(現代)国家の建設を目標に掲げている。国家と党への忠誠が強制される一方で、習近平の権威付け(個人崇拝)も急速に進む。

ただし、ソ連が資本主義国家群を転覆して共産主義国家を樹立しようとしたのに対し、今日の中国はその政治体制や思想、価値観を世界に輸出しようとは(できるとは)考えていない。かつてのマルクス・レーニン主義には、国境を越えて人を酔わせる普遍性があった。だが、習近平思想と言った個人崇拝は、中国の中で強制されてはじめて信じなければならなくなる。習思想そのものには、中国の外で人々を心酔させるだけの力はない。

2.力の拮抗

<米ソ冷戦>

冷戦下、米ソ超大国の国力は基本的には拮抗しており、両国は対等(パリティ)の状況にあった。

経済面では、規模こそ米国が明らかに上だった――下記<グラフ①>参照――が、第二次世界大戦後の一時期、ソ連モデルの計画経済も驚異的な成長を見せた。

軍事面では、米ソは通常兵器の分野でも核戦力の分野でもパリティ(対等)の状態にあった。(下記<グラフ②>、<グラフ③>参照。) その結果、米ソのいずれかが先制攻撃すれば相手から報復を受けて双方が滅亡するというMAD(相互確証破壊)が成立し、米ソとも相手を攻撃できなくなった。

米ソ超大国の間に力の均衡と相互核抑止が成立していたからこそ、米ソが直接戦うことはなく、「冷戦」という呼び名が生まれたのである。だからこそ、(第二の意味での)「冷戦」という言葉は大国間に(少なくともある程度の)力の均衡が見られることを暗黙の前提として使われる。例えば、米国とイラン、北朝鮮の間には米中関係以上に厳しい対立がある。しかし、イランや北朝鮮では米国と国力が違いすぎるため、わざわざ「冷戦」という言葉が使われることはない。

<今日の米中>

単純に米中の経済規模をIMFのデータから比較すると、2018年の米国のGDPが20,494十億ドルだったのに対し、中国のGDPは13,407十億ドル。中国経済の規模は米国経済のざっと7割というところだ。ただし、購買力平価ベースで計算すると中国のGDPは25,270十億ドルとなり、既に米国のGDPを凌駕している。

下記のグラフ①は、大国――便宜上、フランス、ドイツ、英国、米国、ロシア(ソ連)、日本(1913年以降)、中国(1950年以降)とした――のGDP(購買力平価ベース)を足しあげた合計に対し、各国のGDPがどの程度の割合となるかを棒グラフで示し、その推移を時系列で並べたものである。米ソ冷戦が最も熾烈を極めた1950年や1960年の米ソ経済比較は明らかに米国優位だが、今日の米中経済比較はほぼ互角である。

<グラフ①>

もちろん、国家の経済力をGDPだけで単純に比較できるわけではない。それでも、冷戦期のソ連経済と比較してみた時、今日の中国経済は米国経済に対してほぼ対等の地位を得た、と言っても差し支えなかろう。しかも、最近低下してきたとはいえ、中国経済の成長率は米国経済を凌いでいる。購買力平価ベースで見た中国経済は、2030年には米国経済の倍(日本経済の9倍)になるという予測もあり、米中経済は名実ともに逆転する可能性が高い。

一方、軍事面では、今日の米中間の力関係は、冷戦期のソ連が米国に対して獲得したパリティをまだ実現していない。グラフ②は、大国の軍事支出全体に占める各国の軍事支出の割合を棒グラフで示し、時系列で並べたものである。冷戦期を通じてソ連は米国とほぼ互角か、金額ベースでは米国を上回っていたことが見て取れる。これに対し、中国の軍事支出は急伸してこそいるが、米国をキャッチアップしたとは言いがたい。

<グラフ②>

核兵器の面では、米中の戦力格差はさらに開く。冷戦後期にソ連は核戦力面で米国に並び、980年代には量的に米国を凌駕していた。核戦力に関して言えば、米ソは今もパリティにあると言ってもよい。(クリミア併合の際に米国が軍事介入を控えたのも当然であった。)

これに対し、中国の核戦力はまだ米国の足元にも及ばない。米中間にMAD(相互確証破壊)は成立していないし、近い将来、成立する見通しも立っていない。核保有国の保有核弾頭数を百分率で示した下記の<グラフ③>を見れば、中国(=右上の僅かな赤い部分)の劣位は明らかだ。

<グラフ③>

経済の量的な面を除けば、中国と米国の力関係は、かつての米ソのようにパリティ(対等)にはなっていない。とは言え、ソ連が時間と共に経済的に失速していったのに対し、中国は減速したとは言え、まだ米国以上のペースで経済成長している。今後は軍事力(通常兵器)の面でも米国を急速にキャッチアップするものと見込まれる。ただし、中国の核戦力が米国と肩を並べるような事態は予見しうる将来にわたって想像しにくい。

3.地球規模

<米ソ冷戦>

米ソ冷戦は世界大の現象であった。つまり、「冷戦」下においては、米ソ二国のみならず、世界中の国々が東西ブロックに分かれて対抗しあう構図が存在した、という意味である。(厳密には非同盟諸国を無視すべきではないが、国力の点で権力政治に与える影響は極めて限定的であった。)

軍事・政治面では、米国は欧州では北大西洋条約機構(NATO)、アジアでは日米安保条約、米韓同盟、東南アジア条約機構(SEATO)などによって西側陣営を固めた。他方でソ連は、欧州ではワルシャワ条約機構(WTO)、アジアではソ中友好同盟相互援助条約、ソ朝友好協力相互援助条約などによって東側をまとめた。(ただし、アジアでは1950年代から中ソ対立が顕在化し始め、1970年代には米中が和解してソ連に対抗するという複雑な構図になった。)米ソは発展途上国においてもそれぞれが「衛星国」をつくり、対抗した。

それを図示したのが下図。青系が米国の同盟国や米国から援助を受けた国々、赤系がソ連の同盟国やソ連から援助を受けた国々、灰色が非同盟諸国である。

経済面でも米ソを中心としたブロック毎の結びつきが顕著であった。ソ連は経済相互援助会議(COMECON)を作って東欧諸国やキューバ、モンゴル、ベトナムが加盟していた。米国は日欧などと対共産圏輸出統制委員会(COCOM)を作り、戦略物資の禁輸など、東側諸国に対する貿易をきびしく管理した。

<今日の米中>

米ソ冷戦と異なり、米中の対立は基本的に二国間のものだ。

中国が条約に基づく攻守同盟を結んでいる国は事実上、ない。北朝鮮との間では参戦条項を含む中朝友好協力相互援助条約を締結しているが、今日、米朝が軍事衝突しても中国は解釈変更によって参戦しない――少なくとも、米軍とは戦わない――可能性が高い。中国、ロシア、中央アジア諸国、インド、パキスタンの8ヶ国をメンバーとする上海機構も安全保障面での協力は対テロ対策や国境警備にとどまる。中国とロシアは米国を牽制するために共同演習などを行っているが、これも攻守同盟とまでは言えない。ロシアがクリミアを併合した時の中国の態度も曖昧で中立的なものだった。

一方で米国は、日米安保条約をはじめ、米ソ冷戦期に締結した同盟関係を基本的には維持している。しかし、米国と欧州、東アジア太平洋諸国との関係はもはや「西側ブロック」と呼べるようなものではない。

そもそも、EU諸国は中国と国境を接していない。時に中国を牽制する必要性は感じても、米国と対中軍事同盟を結ぼうとは考えない。先月(3月)下旬も習近平は訪欧してマクロン仏大統領、メルケル独首相、ユンケルEU委員長と会談したばかりだ。

米韓同盟を結ぶ韓国と中国の関係も基本的には悪くない。東南アジア諸国や豪州は中国が南シナ海への進出を強めていることに警戒感を募らせているが、中国の経済的な存在感を考えれば、中国との全面対立は避けなければならない。

中国の台頭を受け、米国との同盟関係に期待を募らせる例外的な存在が日本である。ただし、米ソ冷戦期であれば、ソ連が対日侵攻した場合――それはグローバルに米ソが戦うことを意味した――、米国の参戦は当然のことと思われた。だが今、日中が尖閣諸島を巡って局地的に軍事衝突しても、米国が自動的に軍を派遣して中国と戦う可能性はむしろ低い。

経済面でも、昨年来米国が仕掛けた対中貿易戦争に日欧などは加わっていない。それどころか、鉄鋼・アルミの関税引き上げは日本、EU、カナダなども対象にしており、EUやカナダは米国に対して報復関税を発動した。(日本はしていない。)一方、先月訪欧した習近平はイタリアとの間で広域経済圏構想「一帯一路」での協力を約束する覚書に署名した。

4.相互遮断

<米ソ冷戦>

かつてウィンストン・チャーチルは欧州における冷戦構造を称して「鉄のカーテン」と述べた。この言葉は、東西両陣営間で物品や人の交流が極めて制限されていた事実をも言い表している。冷戦期の米ソ間の貿易量は、ピーク時の1979年においても45億ドルにとどまり、それが米国の貿易総額に占める割合は1%にすぎなかった。(米ソ冷戦は終了していたが、1991年の米国と旧ソ連圏との貿易量はやはり45億ドルで米国の貿易総額の0.5%であった。)

東西間の人の交流も極めて限られていた。ソ連時代の観光データは限られているが、ある研究から断片的な数字を紹介しよう。

1956年にソ連から他国を訪れた旅行者――ソ連の「旅行者」には、研究、行事参加、スポーツなど公的な仕事目的のものが含まれている――の数は19,000~20,000人、ソ連を訪れた外国人の数は55,000人であった。1958年の数字では、外国を訪れたソ連人旅行者の行先は、21,851人が社会主義国であるのに対し、わずか4,372人が資本主義国であった。
もちろん、この当時は海外旅行そのものが今日のように簡単な時代ではなかった。それでも、ソ連圏が人の出入りに厳しかったことは間違いない。参考までに1964年の日本のデータを示しておくと、12万8千人の日本人が海外を旅行し、35万3千人の外国人が日本を訪問している。

<今日の米中>

今日、世界の第一位と第二位の経済の間の貿易量はめざましいボリュームになっている。2018年の米中貿易総額は6,598億ドル。2000年の1,162億ドルから5.7倍、1990年の200億ドルからは何と33倍に膨張した。

加えて、下記の数字は、WTOのデータから米中それぞれの貿易総額に占める米中貿易の割合を算出したもの。厳密な数値ではないが、米中貿易が双方の経済にとって不可欠のものになっていることを示すには十分であろう。

<対中貿易が米国の貿易総額に占める割合>

1991年           2.90%
2000年           5.80%
2010年         14.60%
2017年         16.60%

<対米貿易が中国の貿易総額に占める割合>

1992年         10.60%
2000年         15.70%
2010年         13.00%
2017年         14.20%

グローバリゼーションの時代と言われる今日、国境を越える人の出入りも飛躍的に増加し、その流れは共産主義国家である中国をも呑み込んでいる。

2017年に米国と中国を訪れた外国人観光客数と海外旅行のために出国した人数は以下の通りだった。(参考値として日本の数字も並べておく。)

(外国→中国)    6,074万人             (中国→外国) 1億4,304万人

(外国→米国)       7,694万人    (米国→外国)        8,770万人

(外国→日本)       2,869万人             (日本→外国)          1,789万人

米中二国間の旅行についても、2017年に米国を訪れた中国人は317万人で、2003年の16万人から約20倍となった。2017年に中国に渡った米国人旅行者数も225万人にのぼっている。

もちろん、国家(共産党)の統制が色濃く残る中国社会の開放度は決して高いとは言えない。だがそれでも、ヒト・モノ・カネの交流頻度が高まれば、中国政府がかつてのソ連のように自国を国際社会から遮断することはもはや不可能だ。SNSをはじめとした情報化の進展も中国社会と国外との相互浸透を基本的には促進する方向で働いている。

まとめ

以上、冷戦期の米ソと今日の米中を並べて比較してみた。両者の間には、共通点もあれば、相違点もある。大雑把には次のようにまとめられよう。

1. 対立の基本的性格

冷戦下の米ソの対立は、食うか食われるか、という差し迫ったものだった。今日の米中関係は、レトリックは別にして、今のところ、そこまでのものではない。

2. 国力の強弱

国力の強弱では、経済力の面で米ソ冷戦よりも今日の米中の方がより対等である一方、軍事力の面では米ソ冷戦の方が対等性は高い。

3. 地理的な広がり

米ソ冷戦はグローバルな対立であったのに対し、今日の米中の緊張関係は基本的には二国間にとどまる。

4. 相互依存性

冷戦期の米ソの間の相互依存性は極めて低かったが、今日の米中間には高い相互依存性が見られる。

 

こうした観察を踏まえて、今日の米中関係をどう見るべきなのか? 次回のポストで議論してみたい。

 

平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ① ~対立が前面に出始めた米中関係

今月いっぱいで平成が終わり、令和が始まる。

昭和天皇が崩御し、平成が始まったのは1989年1月7日。この年の5月、ハンガリーがオーストリア国境を開放し、11月9日にはベルリンの壁が事実上崩壊した。続く12月2日~3日、ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長がマルタで会談し、冷戦の終結を宣言した。米ソ冷戦の終結と共に始まった平成は「ポスト冷戦」の時代でもあった。

平成も終わりに近づいた昨今、新たに「米中冷戦」という言葉を耳にすることが増えている。この分では、令和は米中冷戦の本格化と共に始まってもおかしくないほどの勢いだ。しかし、米中「冷戦」という言葉自体、我々はその意味を十分に吟味することもなく、雰囲気で使っているにすぎない。

令和は平成の前に米ソが世界を二分して核戦争の恐怖に怯えたような時代に戻るのか? それは違う、と断言できる。では、米中冷戦と言われる状況は米ソ冷戦に比べて「厄介ではない」と片付けられるのか? こちらの問いに単純な答を見出すことはできない。

令和の新時代を正しく舵取りするためには、米中関係の本質を理解することが不可欠となる。本ブログでは今後、「米中冷戦とは何か?」というテーマを継続的に追いかけていきたい。

米中関係の悪化

2010年代に入って以降、特に近年、米中関係が変わってきたことについては、多くの人が同意するだろう。その変化が平和と友好の方向にではなく、緊張と対立の方向に向かっていることに異論を挟む向きも少ないに違いない。ここで米中関係の推移をごく簡単に振り返っておこう。

<ビル・クリントン大統領(1993年1月~2001年1月)の時代>

米国の対中政策の基本は「関与(Engagement)」に重きが置かれた。1996年3月、台湾総統選挙を牽制するために中国が台湾沖にミサイルを発射したのに対し、米国政府が空母2隻を台湾海峡に急派するなど、緊張する場面もないではなかった。しかし、1997年には江沢民国家主席(在任1993年3月~2003年3月)との間で「建設的な戦略的パートナーシップ」の構築で合意したことが示すとおり、米国政府は中国との経済関係を重視する一方で、中国を国際社会に引き込むことによって「手なずける」ことが可能だと考えていた。
中国の側も改革開放路線を堅持し、経済建設を最優先する方針を堅持した。米中間の軍事力格差は甚だ大きく、台湾有事以外で米国と軍事的に事を構えることは問題外であった。

<ジョージ・W・ブッシュ大統領(2001年1月~2009年1月)の時代> 

大統領候補時代のブッシュは中国を「戦略的競争者(strategic competitor)」と呼んだ。大統領就任直後の2001年4月には、海南島付近で米中の軍用機が衝突する事件も起きた。だが、当時の国際環境はブッシュ政権下での米中関係を基本的には緊密化の方向に進めた。同年9月に同時多発テロが起きると、米国が対処すべき「敵」はテロリストや「ならず者国家」となり、中国は対テロ戦争のパートナーとなった。2005年2月から国務副長官を務めたロバート・ゼーリックは中国を「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」と呼び、2006年9月には「米中戦略経済対話(SED)」の設立も決まった。
この時期、米国の相対的国力は冷戦後の頂点に達する。アフガニスタンやイラクで米国が見せた軍事技術の圧倒的優越は「一極主義」という言葉を生んだ。江沢民や胡錦濤(国家主席2003年3月~2013年3月)も基本的には米国と共同歩調を演出し、米国の矛先が自国に向かないように努めるほかなかった。

<バラク・オバマ大統領(2009年1月~2017年1月)の時代>

オバマ政権はブッシュ政権の対中政策を引き継いで始まる。特に、経済面では急成長する中国市場の取り込みを国益と位置付けた。一方で、対テロ戦争が峠を越えたことに加え、中国の軍事近代化が急ピッチで進んだことにより、米国内には軍事面で中国に対する警戒感が徐々に台頭してきた。それを反映し、米国防総省は2012年にリバランス(アジア太平洋への回帰)の方針を打ち出した。
アフガン・イラク戦争の長期化は米国の国力を消耗させ、2008年に発生したリーマン・ショックは冷戦後の米国経済の繁栄に終止符を打った。その結果、米国の「一極」現象は随分と色あせてくる。逆に、国力の急伸に自信をつけた中国はじわりと自己主張を強めるようになった。2009年7月、胡錦涛は鄧小平以来の「韜光養晦(とうこうようかい=才能を隠して内に力を蓄える)」という外交方針を堅持しつつ、「積極的に為すべきことをする(積極有所作為)」外交をめざす、と述べた。習近平(国家主席2013年3月~)も副主席時代の2012年から「新型大国関係」という言葉で米国との対等な関係構築を主張した。軍事面でも、オバマ政権の後期になると中国は南シナ海での基地建設を含め、対外的積極姿勢を強める。それに対し、米国は2015年から南シナ海で「航行の自由」作戦を実施、中国の拡張路線を牽制した。

<ドナルド・トランプ大統領(2017年1月~)>

軍事面で顕在化し始めていた米中関係の緊張は、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権の下で先鋭化していく。不動産王と言われたトランプは貿易を「ゼロ・サム・ゲーム」と捉え、2018年3月には鉄鋼・アルミ製品の輸入に追加関税をかけた。その後、中国が報復すれば米国は対象品目を拡大するなど、所謂「貿易戦争」が始まった。米政府機関が中興通訊(ZTE)や華為技術(HUAWEI)などから製品調達することも禁じる構えだ。中国のハイテク技術力を抑え込むことによって中国の軍事力をも抑え込む狙いが米国側にあることは言うまでもない。
米国内では近年、貿易に限らず、安全保障や政治面でも中国を戦略的なライバルと捉え、本気で抑え込むべきだという考え方が台頭してきた。こうした動きを反映し、2017年12月の『国家安全保障戦略』は「中国(とロシア)は米国の力、影響力、利益に挑戦し、米国の安全保障と繁栄を侵食しようとしている。彼らは、経済をより不自由で不公正なものにし、自分たちの軍隊を強化し、情報やデータを制御することによって社会を抑圧し、自らの影響力を拡大しようと決意している」と述べている。
中国の方は、米国の露骨な方針転換に戸惑いを見せ、事態が全面対決にエスカレートしないよう腐心しているように見える。米国が所謂貿易戦争を仕掛ける以前から、人口のピーク・アウトやバブルの後始末の影響を受けて中国経済は減速し始めていた。経済成長こそが共産党一党支配を正当化する源泉である以上、習近平としても経済への悪影響が拡大することは何としても避けたい。その一方で、近年の中国はトランプに膝を屈するには強くなりすぎた。習もトランプに全面降伏する兆候は見せていない。

以上を見れば、2010年代に入って以降、米中関係が悪化してきたことは明白な事実だ。特に、オバマ政権の後半から今日のトランプ政権に至って米中関係の緊張のレベルが一段と上がった。以前のような良好な関係に戻ることは、予見しうる将来、なさそうに見える。しかし、だからと言って今の米中関係を「冷戦」と形容することが正しいとは言えるわけではない。

「冷戦」とは何か?

冷戦という言葉は何を指すのか? その定義は大きく言って二つある。

第一は、単に「関係が悪化するも、実際の戦争には至らない」ライバル関係のことだ。対義語は熱戦、すなわち、ライバル関係が嵩じて実際の戦争に至ること。この意味であれば、今日の米中関係を「冷戦」と表現することは決して間違いではない。現在の日韓関係を「日韓冷戦」と呼ぶことすら、許されるだろう。

しかし、今日「米中冷戦」という言葉が使われる時、我々は知らず知らずのうちに米ソ冷戦の再来をイメージしている。第二次世界大戦の終結から1990年頃までの半世紀弱、米国とソ連という二つの超大国は、実際の戦争には至らなかったものの、極めて厳しい対立状況にあった。冷戦の第二の定義は、その歴史的事実を踏まえたものである。「米中冷戦」という言葉に違和感を持つとすれば、この文脈においてのことだろう。

次回は、米ソ冷戦の特徴を挙げながら、現在の米中関係と何が同じで何が違うのか、具体的に点検していこうと思う。

ロシア疑惑の終結――勝ったのはプーチン

3月22日、2016年米大統領選をめぐる「ロシア疑惑」を2年にわたって調査したロバート・モラ―特別検察官が調査報告書を司法省に提出した。24日、その概要がウィリアム・バー司法長官によって公表された。

報告書は、ロシア政府による選挙介入活動について「トランプ陣営のメンバーがロシア政府と共謀・連携した事実が、調査によって立証されることはなかった」と記述。ロシア疑惑の捜査をトランプが妨害したという疑惑についても、モラーが「大統領に犯罪行為があったと結論づけないが、無実とするわけでもない」としたのを受け、バーは証拠不十分という判断を下した。

これによって、ドナルド・トランプ大統領の弾劾につながるような疑惑は事実上解消した――それが言いすぎなら、少なくとも峠を越えた――と言ってもよい。

トランプにしてみれば、大統領就任以来はじめて、枕を高くして眠ることができるようになった、というところか。早速、民主党やメディアに謝罪を求めるなど、自らの勝利をアピールしている。しかし、トランプの「勝利」は米国内政局という局地戦における小さな勝利にすぎない。

トランプ本人やトランプ陣営のメンバーがロシアと共謀していようがいまいが、大統領という米国政治の最高指導者の選挙に外国政府(ロシア)が介入し、選挙結果に大きな影響を与えたという事実は動かない。それは既に米国政府も認めてきたことだ。プーチンは当然否定するが、バー司法長官が公表したモラー報告書の概要も次のように述べ、改めてロシアの選挙介入を認定した。

 特別検査官の調査によれば、2016年の大統領選に影響を与えるため、ロシアによる2種類の試みがあったことが判明した。
 第一は、ロシアの組織(インターネット調査機関、IRA)が社会的不和の種を蒔き、結果的に選挙へ介入する目的で米国内において偽情報の拡散やソーシャル・メディア活動を実施したことに関するものである。特別検察官はこれらの活動との関連で多数のロシア人とロシアの組織を刑事告訴した。(ただし、米国人やトランプ陣営の関与は発見されていない。)
 第二は、情報を収集・拡散して選挙に影響を与えるため、コンピューター・ハッキングを実施したロシア政府の活動に関するものである。特別検察官は、ロシア政府の関係者がコンピューターにハッキングを仕掛け、クリントン陣営と民主党組織の関係者から電子メールを得ることに成功し、ウィキリークスを含む様々な媒体を通じてこうした材料を拡散したことを発見した。こうした活動に基づき、特別検察官は、選挙への介入を目的とした米国内でのコンピューター・ハッキングを計画したことに対して多数のロシアの軍人を刑事告訴した。(しかし、ロシア側からはトランプ陣営を支援しようという多様な申し出があったにもかかわらず、トランプ陣営による共謀の事実は発見されなかった。)

2016年大統領選は、民主党候補だったヒラリー・クリントンが得票数と得票率ではトランプを上回るという大接戦だった。結果的にトランプはヒラリーよりも選挙人を77名多く獲得して勝利した。だが、トランプが得た選挙人のうち、46名は得票率の差が1%未満だった3州(ミシガン、フィラデルフィア、ウィスコンシン)からのもの。つまり、ロシアの選挙介入がなければ、ヒラリーが第45代大統領になっていた可能性は十分にあった、と考えられる。

国家の指導者であり、国民の代表を選ぶ選挙は、民主主義の根幹となる制度。選挙に外国が介入し、それがなければ負けていた可能性の高い人物(=ドナルド・トランプ)が国を率いている、というのは極めて由々しき事態。トランプ陣営がロシアと共謀していなかった――正確には、共謀したと断定できなかった――からと言って、トランプが大統領であることの正統性が揺らいだままであるという事実には、何の変わりもない。

ソ連の崩壊によって米ソ冷戦は終わり、「共産主義」対「民主主義」というイデオロギー対立の時代は終わった――。我々はそう思ってきた。しかし、KGBの情報将校だったウラジーミル・プーチンは今、「権威主義」対「民主主義」という(矮小化されてはいるが)新たなイデオロギー戦争を戦っているのかもしれない。プーチンは電子的な手段を使って2016年の大統領選挙に介入し、民主主義の総本山とも言うべきアメリカの民主主義に対する信頼性を国内的にも国際的にも大きく貶めた。

プーチンの工作が標的としたのは、イデオロギー面だけではない。米国の外交政策にネガティブな影響を与え、米国の国力そのものを削ぐことも射程に入っている。

米国の外交政策がトランプ政権の下でロシア寄りになったという明白な事実はない。だが、プーチンを嫌っていたヒラリー・クリントン大統領が誕生していれば、米国の対露政策が今よりももっと厳しいものになっていたであろうことはほぼ疑いがない。選挙介入によってロシアは少なくとも、最悪の事態を防いだことになる。

さらにロシアは、偽情報の拡散によって有権者の反ヒラリー感情を煽り、単に選挙結果に影響を与えたのみならず、民主党と共和党の間や民主党内部での対立を激化させることにも成功した。トランプが大統領に選ばれた後は、ロシアが直接介入しなくてもトランプ自身が進んで米国社会の分断を深めた。

パリ協定からの離脱、保護貿易主義の強調、INF(中距離核戦力全廃条約)の効力停止、露骨な親イスラエルの姿勢などによって、国際社会がトランプの米国を国際社会のリーダーと仰ぐことはめっきり減少した。安倍政権は数少ない例外と言えるが、その安倍ですら、トランプ路線に全面的に同調しているわけではない。

モラーの報告書が公表され、歯噛みして憤る民主党の関係者。
ホワイトハウスで心底ホッとした後、高笑いするトランプ。
その様子を窺ってクレムリンでほくそ笑むプーチン。
勝者が誰かは明らかである。

安倍のノーベル平和賞推薦をばらしたトランプの記者会見録を読んでみた

トランプ大統領は2月15日の記者会見で、安倍総理からノーベル平和賞に推薦されたことを明らかにした。

選考機関は推薦人を50年間明らかにしないことになっている。安倍はよもや推薦の事実、すなわちトランプに対するゴマスリが表に出るとは思っていなかったのだろう。でも、甘かった。相手はドナルド・トランプだ。

地球温暖化、核軍備管理(INF)、イラン核合意、エルサレム問題などに対する思想と行動を考えれば、トランプがノーベル平和賞に値するのかという批判が出てくるのは当然だ。安倍がその推薦状のコピーをトランプに届けたと聞けば、属国根性丸出しだと憤る人の気持ちもよくわかる。

一方、安倍の応援団からは「超大国であり同盟国である米国大統領のご機嫌をとることは国益に資する行為だ」という妙に開き直った安倍擁護論が聞こえてくる。まあ、安倍にゴマをすっている人たちが安倍自身のゴマすりを批判するわけがない。

でも、国会でこの件をとりあげて安倍を批判する国会議員の先生方からも、心のどこかに「長いものに巻かれるのは仕方ない」という戦後日本人のメンタリティーが透けて見える。だから、彼らの批判はどこか芝居臭くて心に響かないんだろう。

以上はまったくの余談だ。このポストで書くのは、トランプが安倍からノーベル平和賞の推薦を受けたとバラした時の会見録を読んでみた感想と小さな発見である。

トランプのマッチポンプ?

安倍がトランプをノーベル平和賞に推進した理由について、トランプは会見で次のように解説してみせた。

(以前は北朝鮮の)人工衛星――トランプは “rocket ship” という言葉を使っているが、日本のメディアも翻訳しておらず、何を指すのか今一つ自信がない――やミサイルが日本上空を飛んでいた。警報が鳴り響いていた。それが今や、突如として日本人はいい気分になり、安全だと感じている。私がそうしたのだ。

要するに、トランプは米朝の緊張緩和に対する自身の貢献を自画自賛し、戦争の危機を回避した自分はノーベル平和賞にふさわしいと言ったのである。

確かに、1年前の今頃、我々は――少なくとも私は――戦争の予感とも言うべき重苦しい雰囲気を毎日味わっていた。その不安感は、昨年6月12日にトランプと金正恩がシンガポールで会談する流れになったあたりから急速に薄れ、今では殆ど忘れ去られている。そこだけ見れば、日本人は――韓国人も中国人も、そしてアメリカ人も――トランプ(と金正恩)に感謝しなければいけない、ということになる。

だが、それはあくまでトランプの言い分を鵜呑みにした場合の話だ。1年前に我々が感じた不安は、北朝鮮の核兵器やミサイルのみによって引き起こされたものではない。北朝鮮の持つ核兵器とミサイルに関して言えば、今も1年前も状況はさして変わらない。にもかかわらず現在、私たちが1年前に持っていた不安感から解放されている。せれは、米朝の軍事衝突が差し迫っていないと思えるようになったからにほかならない。

当時は何故、米朝が戦争に至る可能性が高まっていたのか? 根源的な理由は、北朝鮮が核・ミサイルの開発を進め、米本土を射程に入れる核ミサイルの開発・配備に至る可能性が高まったことである。だが、それだけで米朝が戦争に突入する必然性はない。ロシアも中国も北朝鮮以上の能力を持っているが、米国とロシア、中国の間で(すぐに)戦争が起こると心配する人はいない。抑止が十分に働いているためだ。

2017年1月に大統領に就任したトランプは、北朝鮮による核・ミサイルの脅威増大に対処してこなかったとしてクリントン、ブッシュ、オバマの歴代政権を厳しく批判した。特に、北朝鮮との積極的な交渉を行わず、漸進的な制裁強化を通じて北朝鮮の心変わりを待つ、というオバマ政権の「戦略的忍耐」--その大前提には最悪の事態になっても抑止が働く、という認識があった――をこき下ろす。

トランプは北朝鮮政策を転換し、北朝鮮に「最大限の圧力」をかけ、軍事オプションもちらつかせながら核兵器と(中長距離)ミサイルを放棄するよう迫った。金正恩の瀬戸際政策とドナルド・トランプの瀬戸際政策がぶつかり合うことになったのである。(北朝鮮が核・ミサイル能力を飛躍的に進歩させたことが明らかになったのはオバマ政権の最後の一年だった。ヒラリー・クリントンがオバマの次の大統領になっていたとしても、米国の北朝鮮政策は変わっていた可能性がある。)

トランプの「炎と怒り」に恐怖を感じた北朝鮮は、逆に核実験やミサイル発射などを加速させた。これに米国はさらなる圧力の増大で応え、それを脅威と感じた北朝鮮がまた挑発的な行動を先鋭化させる・・・。こうした作用と反作用のスパイラルの中、米朝が何らかのきっかけによって軍事衝突を起こし、それが戦争にエスカレートする可能性が懸念されるようになったのである。

金正恩と一緒になって緊張を煽り、戦争の可能性を高める。そのうえで両者が手打ちをして戦争の不安はなくなった、と誇る。これではマッチポンプだ。トランプにノーベル平和賞をと言うのであれば、金正恩にもノーベル平和賞を、ということにもなりかねない。

CVIDの形骸化

トランプの会見録を読んでみたら、現在と今後の米朝関係を理解するうえでの手がかりも見つかった。安倍やトランプのことをあげつらうよりもこっちの方が重要かもしれないので紹介したい。

記者会見でトランプは、大統領に当選後にオバマと引継ぎを行ったときのことを引き合いに出し、自らの北朝鮮政策がいかに成功したかを誇ってみせた。少し長くなるが、面白いので以下に引用する。

オバマは(北朝鮮と)戦争するつもりだ、と私は思った。実際、彼は私に「北朝鮮との大規模な戦争を始める直前まで行った」と語った。それが今、状況はどうなっている? ミサイルはなくなった。ロケットはなくなった。核実験もなくなった。( No missiles.  No rockets.  No nuclear testing.) 

北朝鮮はミサイルを廃棄していない。発射実験をとりやめているにすぎない。だが、そんなことはお構いなしでトランプは次のように続ける。

しかし、そんなこと(No missiles, No rockets, No nuclear testing)よりもずっと重要なこと、本当にずっと重要なこと、もっと重要なことは、私と金正恩が素晴らしい関係を築いたということだ。私は金正恩と非常に良好な関係にある。私は仕事をやり遂げたのだ。

トランプはこの後、安倍からノーベル平和賞に推薦されたことを紹介し、さらに述懐と自画自賛を繰り広げた。

それは最初、とても厳しい対話で始まった。「炎と怒り」だ。「全面的な抹殺」もあった。「私の(核の)ボタンの方が大きい」とか、「私の(核の)ボタンは機能している」とか・・・。人々は「トランプは狂っている」と言ったものだ。そしてどうなったかわかるか? とても良好な関係だ。私は彼(金正恩)がとても好きだし、彼も私のことがとても好きだ。これは私以外の他の誰にもできなかった。オバマ政権にも、だ。第一に彼らはそんなことをしようと思わなかっただろう。第二に、彼らにはそれを成就させる能力もなかった。

以上から見て取れるのは、トランプが米朝関係の現状にとても満足していることだ。

確かにトランプは当初、これまでの政権よりも遥かに大きな拳を振り上げた。しかし、シンガポール会談の前後からトランプは、北朝鮮がミサイルを飛ばさなくなったことや核実験を停止したことを大きな成果とみなし、核のCVID(完全かつ検証可能で不可逆的は核廃棄)が実現していないにもかかわらず、今以上の圧力を加えなくなった。いくらミサイル発射や核実験を控えたところで、北朝鮮が核・ミサイル能力の廃棄に踏み出さない限り、米本土に届く核ミサイルの開発・配備まであと一歩、という状況が変わらないことは敢えて言うまでもない。

おそらく金正恩は、ミサイル発射と核実験を行わないことをトランプに約束しているのだろう。これで米本土に届く核ミサイルの完成は防がれた、というのがトランプの受け止めと思われる。しかし、それではもはや「完全な核廃棄」とは言えない。トランプ政権の掲げていたCVIDは既に形骸化している、と考えるのが妥当だ。また、前政権の頃よりもはるかに厳格な経済制裁が今も続いているが、昨今は中露(及び韓国)による水面下の援助がある程度復活していると考えられる。

このように見てくると、現在のトランプ政権の北朝鮮政策はトランプ自身が激しく批判した従来の政権とほぼ同じラインに収まったと言ってよい。

トランプは「ディール」好きで有名だ。トランプの本を読むとよくわかるが、彼が好む商売上の「ディール」で大事なことは、自らの損失を最小化し、利益を最大化することだ。相手を叩き潰す完勝である必要は必ずしもない。見過ごされがちだが、「怒りと炎」のチキン・ゲームによって追い込まれたのは金正恩と北朝鮮だけではない。トランプや米軍も相当消耗したはず。北朝鮮が米本土を攻撃可能な核ミサイルを完成させることはないという保証が得られるのであれば、CVIDの達成にはこだわらなくても十分に良いディールだ、とトランプが思うようになったとしても不思議なことは一つもない。もちろん、上記の保証を裏打ちするものがトランプと金正恩の個人的関係しかない、と言うのは何とも危うい話ではあるが・・・。

ベトナム会談を前に

間もなく(2月27日と28日)、ベトナムで2回目の米朝首脳会談が行われる。

いかなる結果となるにせよ、我々のボトムラインは「抑止の構造は生きている」ということだ。今回の金正恩の対応を見れば、彼が生き残りにこだわり、その限りにおいては合理的に考えることができるという「信頼感」は高まった。つまり、米朝間で抑止が働く可能性は高い、と考えてよい。であれば、北朝鮮の非核化とミサイルの廃棄が目に見えるように進まなくても、米国は前のように拳を振り上げるべきだ、と考えるのは短慮と言うもの。

北朝鮮が米本土に届く核ミサイルを配備することは望ましい事態ではないし、できる限り避けるべきことだ。しかし、抑止が機能する限り、北朝鮮は核ミサイルを保有しても使えない。現状、北朝鮮は米本土に届く核ミサイルを完成させる数歩手前の段階と見られる。この状態で止まれば、北の核・ミサイルが廃棄されなくても、米国にとって最悪の事態とはならない。

一方で、北朝鮮が米本土に届く核ミサイルを開発・配備する事態を避けるために圧力をかけ続け、何らかの理由で北朝鮮と米国の間で戦争が起きれば、特に日本にとっては最悪の事態だ。戦闘が米韓と北朝鮮の間にとどまればまだよいが、在日米軍基地を抱える日本列島が攻撃を受けない可能性は低い。ここで問題は、米本土と違い、日本列島を射程に含む(ノドン搭載の)核ミサイルが既に実戦配備されている可能性の十分にあること。通常弾頭ミサイルによる飽和攻撃と同時に核弾頭を撃たれれば、ミサイル防衛も無力だ。米朝が開戦すれば日本が必ず核ミサイル攻撃を受けるというわけではないが、核攻撃を受けた時に受ける致命的な被害を考えれば、米朝開戦につながる選択肢を日本が容認することは蛮勇にすぎない。

ベトナムでの首脳会談で事態はどう進むのか、進まないのか。呑気に聞こえるかもしれないが、「決裂して1年前のような緊張関係に戻らなければ良しとする」というくらいの気持ちで会談を見守るのがよいと思う。

 

 

 

「日ソ共同宣言を基礎として」という言葉が与える誤解

1月22日、安倍晋三総理がロシアを訪問してプーチン大統領と会談した。

今回の会談に関して言えば、首脳会談の前段として1月14日(現地時間)に行われた河野-ラブロフ外相会談でロシア側が極めてきびしい態度を見せていたため、メディアの間でいつものような期待感は盛り上がっていなかった。それでも首脳会談後、いくつかのメディアが「四島はむずかしくても、二島返還なら実現できる」という雰囲気を醸し出していたのを見た。二島返還に対して根拠のない期待が根強い理由は、昨年11月の日ロ首脳会談で「1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速する」ことが確認されたことが大きい。

日ソ共同宣言を基礎として、とはどういう意味なのか? ここで再確認しておくべきだろう。

二島返還への根強い楽観

北方領土問題に関して私の考えと見通しは、昨年10月23日に「プーチンの平和条約発言――もう、夢からさめよう」、同11月17日に「『二島返還』狂想曲を嗤う~日露首脳会談を受けて」、同11月20日に「ワイドショー化した領土交渉~北方領土をめぐる日露協議の非常識」という題で既に書いた。10月23日のポストが最も包括的に書いたつもりだが、今回の首脳会談を受けて特に修正・加筆すべき点はない。北方領土問題が決着する場合、ロシアが譲り渡し(日本側は「返還」と呼ぶ)に同意するのは、よくて1島(歯舞諸島)、最悪はゼロ(ただし、周辺海域での漁業権付与などとセット)であろう。問題は、我々がそれを受け入れるのか、その成果を得るためにどれだけの代償を払う覚悟があるのか、に尽きる。

近年、安倍がプーチンを下関に迎えて行われた日露首脳会談など、期待値を(勝手に)高めては裏切られることが繰り返されてきた。加えて、ロシア側要人の強硬発言やデモなどの動きも伝わってきている。それに伴い、北方領土交渉の行方に対する世論やマスコミの見方は、従来に比べれば随分、現実的になった。1月21日に発表された産経新聞とFNNの共同世論調査では、北方領土問題について「進展すると思わない」という回答が72.9%だったのに対し、「進展すると思う」は20.4%にすぎなかったと言う。

22日に行われた安倍―プーチンの首脳会談後も、多くの新聞の論調は交渉の先行きに概して悲観的な見方を示した。ただし、前週に行われた日露外相会談でラブロフ外相が半ば恫喝的な態度をとったのに対し、プーチンは安倍に対して冷静な対応を――少なくとも表向きは――見せた。安倍とプーチンの間に個人的な信頼関係があるため、と解釈するのはあまりに安倍へのお追従が過ぎる。ラブロフがヒールを演じることで領土問題でロシアが主導権を握る一方、プーチンは大人の対応を見せて安倍を平和条約締結交渉に引き留める、というのが先方の描いたシナリオだったのであろう。

とは言え、首脳会談後のマスコミの論調の中には、「二島返還であれば・・・」という楽観論というか、希望をつなぐ調子が散見されたことも事実である。以下はその例だ。

安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が会談し、北方四島のうち歯舞・色丹の2島  引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言に基づく平和条約締結交渉を加速させる方針で一致した。同宣言を基礎に平和条約締結に向けた交渉を進める方向性は、昨年11月の首脳会談でも合意している。今回の会談でその方針を再確認したことは、今後の領土交渉が実質的に2島に絞って行われる可能性が高まったことを意味する。(1/24 京都新聞社説)

両国は昨年11月、歯舞群島、色丹島の引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言を交渉の基礎とすることで合意している。今後の交渉では、領土・領海の画定や、ロシアの施政権が及ぶ期間、北方領土に暮らすロシア住民の処遇など、多岐にわたる課題を解決しなければならない。(1/24 読売新聞社説)

こうした論調が根強くあるのは、一つには安倍総理が四島返還を諦め、二島返還で手を打とうと考えており、総理周辺から「二島ならいける」という楽観論が漏れてくることが影響しているのだろう。マスコミが根拠のない希望的観測を信じているのか、政権の足を引っ張らないようにしているのか、それはわからない。

だが何よりも、昨年11月14日に行われた首脳会談で「1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速する」ことで安倍とプーチンが合意し、今回の首脳会談でもそのことが再確認されたことに引っ張られている面が大きい。上記の新聞社はいずれもそのことを引用したうえで、二島返還が既成事実であるかごとき論調を展開している。

日ソ共同宣言は以下のように規定している。

ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

ここで「引き渡す」という言葉が使われているのは、先日もラブロフが強調したように、ソ連(ロシア)が北方領土は自国領土であるという立場に立つからだ。日本側はこれを以って二島返還が約束されたと解釈している。マスコミも「『歯舞・色丹の2島引き渡しを明記した』1956年の日ソ共同宣言」と書くので、常識的な受け止めとしては、二島返還の合意が交渉のスタートポイントになる、とついつい思ってしまいがちだ。

「日ソ共同宣言を基礎に」と言うけれど・・・

そもそも、昨年11月の日露首脳会談の合意と称される文言は、日露間で文書として確認されたものではない。外務省のホームページを見ると、「テタテ(二人だけの)会談の結果として、『1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる。そのことをプーチン大統領と合意した。』ことが発表されました」とある。これだけだ。

日本側は、1956年の日ソ共同宣言を基礎とする、という言い方をロシア側に認めさせたことで、鬼の首を取ったように喜んだ。共同宣言を基礎とすることの意味を「ロシアが色丹、歯舞の返還を保証した(少なくとも、重く受け止めざるをえなくなった)」と解釈しているからにほかならない。

しかし、1956年の共同宣言で領土問題に触れたくだりはほんの数行にすぎない。単に「1956年宣言を基礎として」というだけであれば、ロシア側は「1956年宣言を基礎にすると言ったが、色丹・歯舞の引き渡しに関する記述を念頭に置いていたわけではない」と主張することも十分に可能だ。日本側が期待するようにプーチンが色丹、歯舞の返還(引き渡し)にコミットしたのであれば、「1956年にソ連邦が歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意したことを基礎として平和交渉を加速させる」とか、「1956年宣言を基礎として領土交渉を加速させる」とでも発表すればよかったはずである。

「基礎とする」ということ意味も、日露の間では受け止め方が違っている。日本側は先に述べたとおり、最低限でも色丹・歯舞の引き渡しは確保される、と思って(願って)いる。だがロシア側は、1956年の共同宣言以降、様々な環境や条件が変わったため、色丹・歯舞の引き渡しという当時の約束については、それを割り引く方向で交渉するのが当たり前である、という認識だろう。何しろ、北方領土はその全域をロシアが完全に実効支配しており、日本人居住者もいない。島を取り戻すために日本が戦争に訴える心配もまったくない。悔しい話だが、北方領土に関してはプーチンもラブロフも悠然と構えている、というのが本当のところだ。

「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」というこのフレーズ。ロシア側にとっての肝は、「1956年宣言を基礎として」の部分ではなく、「平和条約交渉を加速させる」という部分にある、と見るのが正しい。次にその意味を見ていこう。

ラブロフの注文

1月14日に行われた日露外相会談の後、ラブロフ外相は記者会見で日本批判を繰り広げた。交渉術の部分もあるし、ラブロフの性格もあるから、これをすべて額面通りに受けとめる必要はない。だが、ラブロフの日本批判を裏側から読めば、平和条約締結の交渉――領土問題の交渉ではない――を通じてロシアが日本に求めてくることがとても率直に語られた会見でもあった。ラブロフ節には耳を覆いたくなるようなところもあるが、それを我慢してロシア側の要求を整理しておくのも無駄ではあるまい。

まず、ラブロフは、四島の主権がロシアにあることを含め、第二次世界大戦の結果をすべて日本側が認めることを要求する。四島を「北方領土」と呼ぶことも容認できない、と。これは日本の立場とまったく相容れない。これが「日本がいったん北方四島をロシア領と認めれば、ロシアは島を返す(譲り渡す)」という意味であれば、面子を捨ててもよい、という考え方も出てこよう。もちろん、ロシアはそんなに甘くない。

ラブロフは次に、経済や投資分野、文化面での日露関係強化を求める。日本側は領土問題の進展なしに金だけを「先食い」されないよう、漸進的に進める考えだが、ロシアはそれが気に食わない。投資とサービス分野における関税優遇、原子力エネルギーの平和利用や宇宙分野における協力拡大、社会保障分野やビザなし制度など、野心的な要求をつきつけてきている。

北方領土に対するロシアの主権を認め、湯水のごとく経済協力を行えば、北方領土は――4島か2島か、それ以下かはともかく――返ってくるのか? ニェット(ノー)だ。

三番目の要求として、ラブロフは外交や国際分野における両国の協力を求める。抽象的にはもっともな話に聞こえるかもしれない。だが、国連におけるロシアの提案に日本が原則賛同することなど、実質的にはロシアの陣営に入れ、と迫っているのにも等しい物言いだった。

日米同盟にも楔を打ち込む意図がありありだ。ロシア(ソ連)は、1960年の日米安保条約改定によって日本はソ連(及び中国)を対象とする日米軍事同盟の結成に同意した、と評価してきた。それを踏まえてラブロフは次にように述べた。

日米安保を更新したのは1960年。その後、日本側は1956年宣言の履行から遠ざかりました。私たちは今、1956年宣言に立ち帰るわけですから、軍事同盟における状況が今とは根本的に違っていることを考慮しなければなりません。アメリカは世界的なミサイル防衛システムを日本にも展開しており、それが軍拡につながっています。アメリカは・・・ロシアや中国の安全保障上の危険を生み出しています。

この発言からも、「日ソ共同宣言を基礎とする」ことの意味をロシア側が「色丹・歯舞の引き渡し」に限定して捉えるつもりのないことは十分に窺える。いずれにせよ、ロシアが米国と対立を強める中、プーチンたちが日米離間の意図を持っていることは明白だ。「北方領土が返還されても米軍基地を置かない」と約束すれば(あるいは米国にそう約束してもらえば)、ロシアは安心して北方領土を返してくれる、という程度の話では済みそうもない。

平和条約交渉を通じて日本を揺さぶり、日本側から経済協力をとりつけ、自らに有利な国際政治環境をつくりだすこと――。それがプーチンの狙いだ。もちろん、外交である以上、ロシアは満額回答でなくてもどこかで妥協するはずではあるが、ロシアは今後、あの手この手を使って日本から譲歩を引き出そうとしてくるだろう。

交渉の行方、潜むリスク

このように、平和条約交渉と言っても、日本とロシアでは目的が大きく異なる。ロシアが二島返還にも消極的である以上、日本側もロシアによる「食い逃げ」を警戒すれば、交渉は難航し、着地しないはずである。しかし、気を付けなければならないのは、交渉を続けるうちに安倍総理や外務省の交渉当事者たちが日露平和条約の締結を自己目的化してしまうことだ。

日本国の指導者にとって、あるいは日本の外交官にとって、「北方領土問題の解決と日露平和条約の締結」、「拉致問題の解決と日朝国交正常化」は、戦後日本の残された最後の大仕事だ。この感覚は外の者にはなかなか理解できないのだが、この二つのテーマに関わる者たちは、熱病にかかったように「我が手による実現」を希求する。ましてや、安倍は日本の憲政史上、最強の権力者の一人とまでみなされるに至った。自らのレガシーとして日露平和条約の締結に並々ならぬ執念を燃やしていることは疑いない。そこに危険が潜んでいる。

元工作員であるプーチンの標的は安倍その人だ。二人が25回も会っているということは、それだけ心理戦を仕掛けられてきたという意味でもある。

海兵隊に頼る以外の選択肢~辺野古土砂投入に思う④

SACO合意(1996年)の頃には、在沖海兵隊の能力を維持することによって抑止力も維持される、という論理が成り立っていた。だが今日の安全保障環境の下では、いくら在沖海兵隊の能力を維持しても日本に対する侵略の抑止にはさほど役立たない。にもかかわらず、「日米間の約束事だから」という理由で日本政府が22年前の計画を完遂させようとひた走っているのはどうしたことか。間違った道をどんなに走っても、良くて徒労に終わり、悪ければ崖から落ちることになる。

四回シリーズの最後にあたる本ポストでは、海兵隊の海外移転という鳩山内閣よりもぶっ飛んだ提案を行う。ただし、左系の人たちと異なり、日本の自主防衛能力強化とのセットを条件とする。

発想の転換

過去20年余りの間、軍事の世界では情報技術と融合した兵器体系の革新が進み、戦域はサイバーや宇宙空間に広がった。その結果、遠く離れた場所からピンポイントでミサイル攻撃を行うことが可能なミサイル新時代が到来している。

人民解放軍は軍備の近代化を進めて自衛隊を質量ともに凌駕するに至り、その軍事能力は世界最強の米軍も真剣に憂慮せざるをえない水準に達した。北朝鮮についても、総合的な軍事能力こそ遅れているものの、核ミサイルの開発・配備によって「窮鼠猫を噛み殺す」事態を懸念しなければならなくなった。

このような新しい状況下では、前回見たとおり、これまで期待してきたほどの抑止力を在沖海兵隊に期待することはできない。日本にとって最も懸念される尖閣有事についても、海兵隊をはじめ、在日米軍が自衛隊と一緒に前線で戦ってくれる可能性は必ずしも高くない。

安倍総理や菅官房長官たちには、そのことが見えていないようだ。それどころか、「中国の脅威がますます募る中、在沖海兵隊という軍事力を沖縄に維持することが日本の安全保障にとってプラスになる」と信じこんでいるように見える。「軍隊がいれば安心、いなくなれば不安」という心理は人間の心に馴染みやすい。しかし、それに囚われて思考停止しているようでは、両人とも並みの政治家にすぎない。

では、どうすべきなのか? 決まっている。米軍があてにならないのなら、自助努力しかないではないか!

自前の抑止力に現実味が出てきた~22年前とのもう一つの違い

こういう発想がこれまで出てこなかったのも、やはりSACO合意の呪縛と言うべきだろう。戦後日本は憲法9条の下で専守防衛に徹することを国是とし、日米同盟は「米軍が矛、自衛隊が盾」の役割分担である、と考えてきた。SACO合意(1996年)やロードマップ(2006年)もその前提で在日米軍の再編計画を組み立てた。

相手の攻撃を抑止するためには、「攻めてきたらお前も痛い目にあうぞ」という脅しが効くことが必要だ。しかし、日本は戦後、憲法上の制約から海外派兵を禁止してきたうえ、能力的にも相手の領域を攻撃できるような兵器体系を持っていなかった。そこで、相手を攻める「矛」の役割は米軍が果たし、自衛隊は主に日本の領土内で防衛にあたる、すなわち「盾」の役割を果たす、という役割分担ができあがったのである。

この役割分担が不動である限り、普天間飛行場返還の条件である「抑止力維持」を満たすためには、米海兵隊の維持(=県内への飛行場の引っ越し)以外の結論はありえない。SACO合意の時もまさにそうだった。しかし、今は事情が随分変わってきている。

1992年に国際平和協力法が成立。以来、自衛隊は27の国連平和維持活動(PKO)に派遣された。その中には、南スーダンのように国際常識的には戦地とみなされる場所も含まれている。自衛隊派遣の実績は国連以外の枠組みでも積みあがってきた。2001年のテロ特措法によってインド洋上に、2003年のイラク特措法によってサマワに、それぞれ自衛隊が派遣されている。この間、一人も殺さず、一人も殺されていないとは言え、「戦わない軍隊」と呼ばれた自衛隊が着々と実戦経験を積んできたことは否定できない事実だ。2015年9月には安保法制が成立し、翌年3月から施行された。集団的自衛権行使の容認ばかりが注目されがちだが、これによって特別措置法をいちいち成立させる必要がなくなり、自衛隊海外派遣のハードルが下がったことの意味も非常に大きい。

自衛隊は、その兵器体系の面でも「矛」の要素を徐々に持ちはじめている。先月閣議決定した最新の防衛大綱では、事実上の空母――「多用途運用護衛艦」と呼ぶんだそうである――運用を打ち出した。ステルス性能の高いF-35Bを艦載すると言うから、南西方面での作戦能力は確実に向上するだろう。中国に逆転されていた航空戦力面でも、新型戦闘機F-35の配備予定数を従来の42機から約100機上積みした。さらに、スタンド・オフ・ミサイルの保有。ノルウェー製の対艦・対地ミサイル「JSM」は射程約500 km、米国製の対艦ミサイル「LRASM」と対地用ミサイル「JASSM」の射程は約900 kmだと言う。後者であれば、日本の領土内から撃って北朝鮮の全域に届き、沖縄から撃てば上海も射程に収めることになる。防衛省はそんな運用の仕方はしないと言っているが、少なくとも自衛隊がそれだけの能力を持つようになる、ということは紛れもない事実である。

二十数年前と比べれば、日本(自衛隊)は明らかに矛の役割を果たせるようになってきたと言える。もちろん、自衛隊に広大な中国本土を叩くことは不可能だ。(そんなことをすれば、大規模ミサイル攻撃が日本を襲うことになりかねない。)しかし、尖閣有事の際に中国側に大きな打撃を与えることは、自衛隊の能力増強とやり方次第によっては、十分に可能だろう。前回述べたように、中国が尖閣侵攻を企てるとすれば、局地戦を想定する可能性が高い。そこで手痛い反撃を受けると思わせるだけの能力を自衛隊が身につければ、自前で抑止力を向上させる芽が出てこよう。

自前の防衛力強化と辺野古埋め立ては両立しない

自前の防衛力を強化するためには、言うまでもなく、カネがかかる。F-35を1機購入するのに100億円かかるとして、100機の追加購入だけでも単純計算で1兆円かかる。潜水艦を含め、ほかにも欲しい装備はいくらでもある。

日本の財政事情は22年前よりも一層悪化し、最近も好転の兆しを見せない。アベノミクスとやらが成功した(?)はずなのに、日本経済は今後も低成長が続くと誰もが予想している。一方で、少子高齢化に歯止めがかからず、社会保障費はまだ増え続けることが確実だ。増加する防衛費を捻出するための打ち出の小槌はどこにもない――。この状況下では、自前の防衛力強化と辺野古代替施設の建設を同時に追求することが矛盾をはらんでいることは火を見るよりも明らかだ。

辺野古の代替施設建設にかかる経費は、当初3,500億円程度と言われていた。だが、日本の公共工事が当初予算どおりで完成するわけがない。沖縄県は総工費を2兆5,500憶円――積算根拠は大雑把だが、結果的に大きくはずれてはいないだろう――と見積もる

これだけの巨額の金を注ぎ込んで辺野古に新飛行場をつくった挙句、海兵隊の提供する抑止力は低下し続け、本当に尖閣有事が起こった時に海兵隊が投入されるかどうか定かではない。何ともやりきれない話だ。

工費が仮に2兆円として、それだけあれば、自前の防衛力整備をどれだけ進めることができることか。兵器体系にお金を使えば、我が国の防衛力は確実に向上する。だが、海に土砂を投入しても、業者にカネを落とすだけ。日本政府、政治家、知識人たちには、こんな至極単純な現実がどうして見えないのか?

米軍に頼る以外の選択肢=海兵隊の海外移転と日本の自助努力

一月ほど前、テレビで辺野古に土砂を投入するダンプカーとブルドーザーの映像を見て何となく書き始めたこの論考。普天間・辺野古問題について私の提案を以下に述べ、ひとまず筆をおくことにする。

普天間の危険性の除去と抑止力の確保を両立させることを目的としている点において、私の提案は22年前のSACO合意と同じだ。ただし、普天間の危険性の除去は普天間飛行場の県内移設ではなく、在沖海兵隊全体の海外移駐による。抑止力の確保は在沖海兵隊の維持ではなく、日本の自前の防衛力増強によって実現する。提案は3つの柱からなる。

辺野古埋め立てを含む移設工事を中止し、自前の防衛力増強を進める

過ちては即ち改めるに憚ることなかれ。工事は日本政府が行い、費用も日本政府が持っているのだから、日本政府の決定によって工事は速やかに中止すべきだ。工事が進めば進むほど、政治的にも財政的にも引き返せなくなる。辺野古が八っ場ダムの二の舞になれば、悲劇だ。

同時に、工事中止で浮く費用を防衛予算の増額に回す。必要とあらば、ディールの一環として、米国からの武器調達を増やすことも考慮してよい。

短期的には、普天間飛行場へのクリア・ゾーン導入を米国に求める

辺野古につくられる新滑走路の長さは1,800メートル以下。そこで、現在2,740メートルある普天間飛行場滑走路の両端を短縮し、その短縮分と基地の敷地を利用してクリアゾーン(CZ)を導入する。(ただし、米国国内のCZ基準をそのまま当てはめると周辺住宅の立ち退き等の問題も出かねないため、普天間周辺の実情に合わせて柔軟に考える必要がある。)基本的には工事も不要のはず。
普天間に飛行場が残る限り、危険性はゼロにはならない。だが、普天間の危険性は確実に(かつ直ちに)減少する。ちなみにこれは、伊波洋一(現参議院議員)が宜野湾市長だった時に主張していたアイデアである。

在沖海兵隊について、10年後の海外移設を米国に要求する

県外であれ、県内であれ、今日の安全保障環境下で海兵隊を日本国内に置いておくことの意義は低下している。海兵隊の一体運用性を考慮すれば、普天間飛行場だけを切り離して県外(本土)や海外に移設するという選択肢はない。したがって、米国に求めるのは海兵隊全体の海外移設、ということになる。有事の際に海兵隊が来援できるよう、最低限の施設は(返還を求めずに)残しておくことは一考に値いしよう。
グアムか、ハワイか、オーストラリアか、米本土かなど、在沖海兵隊をどこに移設するかは米国が決めることだ。日本が関知する必要はない。
もちろん、上記の要求に米国が不快感を示す可能性は小さくない。いや、米国は間違いなく日本の約束違反を責め、民主党政権時代のように日米関係が悪化することも十分に考えられる。それでなくても、人間の感情として、「出て行け」と言われればいい気はしない。しかも、既に述べたとおり、米国にとって沖縄には海兵隊がグローバル展開する際の拠点としての重要な価値が今もあるのだ。
だが、我々も背に腹は代えられない。「約束を違えても自らの考える国益に正直であれ」と教えたのはトランプ大統領である。このまま、抑止力が落ちた海兵隊の引っ越しに兆円単位の金を費やすほど、今日の日本には余裕がない。中国は経済力のみならず、軍事力でも日本を追い越し、戦略的な膨張を続けている。北朝鮮の核・ミサイル問題は日本にとって何一つ解決しておらず、韓国との関係も冷却の一途を辿っている。抑止力の観点から費用対効果の低い海兵隊の引っ越しをとりやめ、その予算を自前の防衛力強化に回さないと、我が国の安全保障は本当に立ち行かなくなる。
中国が精密誘導ミサイルを実戦配備するに至った今日、沖縄という中国の近場にある、埋め立てられて固定された基地(=辺野古飛行場)は有事に際して脆弱なことこのうえない。日本近辺の守りについては自衛隊の役割を増やす一方、在沖海兵隊は狙われやすい沖縄から離れ、有事の際にのみ来援する、という戦略は米国にとっても検討の余地は十分にあると考えてもよい。

 

 

いわゆるリベラル系の人たちにとって私の議論は、安倍政権の推し進める辺野古埋立て以上に危険な考えと映るかもしれない。しかし、中国の平和的とは言えない台頭が続く限り、「米軍は出て行け、日本が防衛努力を増やす必要はない」というユートピア的な主張を唱えたところで、SACO合意やロードマップの代案とはならない。結果的に辺野古の埋め立てが止まることもない。

沖縄であれ、本土であれ、政治的にリベラルでない人たちはここらで発想を変え、自主防衛と海兵隊撤退をセットで政府与党に突きつけてやってはどうか? あとは覚悟の問題だ。

徴用工判決~日韓関係、あと10年は駄目だろう

もう落ちるところまで落ちないと良くなることはない、と思う。日韓関係のことだ。

限界にきた「韓国疲れ」

10月30日、韓国の最高裁判所にあたる大法院は新日鉄住金に対し、かつて徴用工として働かされた韓国人4名へ約4千万円の賠償を命じる判決を下した。元徴用工は21万人以上いると言うから、最悪の場合、韓国に進出している日本企業は5千億円以上の賠償金を支払わなければならない可能性が出てきた。

1965年の日韓関係正常化に伴い、日韓両国政府は請求権協定を締結した。日本が無償3億、有償2億ドルを韓国に供与する一方、両国及び両国民間の請求権問題は解決済みにするという取り決めだった。今回の判決を受け、日本側から「今さら、何なんだよ」という声があがるのは当然だ。

原告敗訴の高裁判決が差し戻された経緯を考えれば、今回の大法院判決の内容は広く予想されていた。だが、判決後に日本国内で沸き起こった反発は、想像以上に強烈なものだった。背景には、日本側に蓄積した「韓国疲れ」がある。2015年12月の慰安婦合意は韓国側によって破棄同然の扱い。2012年6月には、日韓GSOMIA(秘密軍事情報保護協定)の締結を韓国側が署名当日にドタキャン。同年8月には李明博大統領が竹島に上陸し、天皇陛下に謝罪要求まで行った。これらの出来事が積み重なった結果、日本国民の間には「いくら謝っても韓国は日本を許すつもりがない」「いくら歩み寄って和解しても何度でも蒸し返してくる」というウンザリ感が蔓延している。私も例外ではない。

冷静になって一つだけ指摘しておきたいことがある。今回の徴用工判決は韓国政府(文在寅政権)が日本叩きを意図して行わせたものではない、ということだ。韓国も民主主義国家で司法は独立しており、そんなことはやりたくてもできない。だが、最高裁判決が出た以上、韓国政府がこの判決に拘束されることになるのは間違いない。李明博大統領の時代にも、憲法裁判所が慰安婦問題に対する政府の無策を憲法違反と断ずる判決を出し、李が野田佳彦首相(当時)に慰安婦問題での善処を求めた結果、日韓関係は見る見る悪化した。日本側の「韓国疲れ」は、単に韓国政府に向けられたものと言うよりも、韓国社会全体に向けられたものと考えるべきであろう。

河野外相は「徴用工判決は国際社会への挑戦」と批判

今回の徴用工判決はとんでもない。しかし、感情的になるばかりでは韓国と同じだ。特に、河野太郎外相はキャンキャンうるさい。日本の立場を国際社会に示すために国際広報が重要、と言うのはわかる。でも、ロビイングとかもっと地道な努力を継続することの方が大事だろう。第一、河野の興奮した姿を見せつけられてばかりでは、日本も韓国同様に「感情の虜」なんだと思われかねない。

河野は国内向けパフォーマンスとして言っているのかもしれない。だが、「国際社会への挑戦」というのはいかにも言葉が躍っている。私の受け入れるところではないものの、「国家間協定で戦時求償権問題が解決した後も個人請求権は消滅しない」という考え方は韓国だけのものではない。中国もそうだし、ポーランドに至っては、過去に賠償請求を放棄したにもかかわらず、国家としてドイツに6兆円規模の賠償を求める動きが出ている。米国政府も(いつものことではあるが)求償権問題で日韓いずれかの肩を持つことは避けている。外務大臣の発言であればこそ、言葉はよくよく選ぶべきじゃないのか。

日本の対抗手段~国際司法裁判所、調停委員会、トランプ流の可能性?

もちろん、国際広報の強化だけでは話にならない。残念ながら、韓国(社会)は今、話し合いだけで物事を解決できるような状況にないので、何らかの圧力を加えることも避けられない。日本政府に何ができるのか?

<国際司法裁判所(ICJ)>

徴用工判決についてICJで争うには、韓国政府が付託に同意することが必要になる。韓国がそれに応じる可能性はない。だが、提訴だけでも国際世論の喚起にはつながる。見栄を気にする韓国はそれだけでもかなり嫌がる。

報道では「政府が一方的提訴の方針を決めた」みたいな記事を見たが、李明博の竹島上陸の時も結局見送られた。日本政府がどこまで本気かは不明だ。外務省が「裁判になれば必ず勝てる」と言っているという記事も見たが、話半分に聞いておきたい。捕鯨裁判の時も外務省は「絶対に勝てる」と言っていたが、結果は負けだった。

<仲裁委員会>

日韓請求権協定上、揉め事は(二国間の外交協議を経た後に)仲裁委員会で解決することになっている。ただし、第三国の仲裁委員を選定できるか等、実際の委員会設置にはハードルが残る。

<トランプ流>

最近、日本国内で韓国に対するイライラが高じているのを見ていると、従来考えられなかった禁じ手が将来は検討されるようになるんじゃないか、と思い始めている。何のことか? 徴用工問題の仕返しを貿易や金融取引面で行う、ということだ。

日韓の貿易構造は日本側の黒字であるため、トランプが中国に対して仕掛けている貿易戦争が日韓でそのまま再現できるとは思わない。(現代の貿易戦争は、「売らない」よりも「買わない」の方が有効である。)米国の通商拡大法のような立法措置も必要になるなど、簡単な話ではない。だが、国民も「トランプ流」を見慣れてきた。誰かが言い出せば、案外支持されるかもしれない。

もっと現実的なのは、「静かなトランプ流」であろう。表立っては言わずに、韓国を標的に圧力をかけるやり方だ。日本政府は韓国政府に対し、造船業界への補助金をめぐって二国間協議を要請し、韓国が応じなければWTO提訴に至る運びだと言う。徴用工問題を睨んだ圧力であることは明らかだ。今まで見送っていたこの種の措置を日本政府は繰り返すことになるのではないか。

韓国は変わらない――少なくとも短期的には

日本政府は、韓国政府が原告に何らかの補償を行い、新日鉄住金などが賠償金の支払いや財産の差し押さえを免れることを期待している。日本政府が国際司法裁判所への単独提訴などを示唆するのも、韓国政府に何らかの手を打たせるための圧力だ。しかし、そううまく事が運ぶだろうか? 私の見立ては悲観的だ。

中国では2014年、戦時に「強制連行」された元労働者が三菱マテリアルを訴えて賠償を求めた。16年には和解が成立し、今年中にも一人160万円程度の支払いが行われる見込みだ。西松建設や鹿島建設なども同様の決着を見ている。韓国政府が肩代わりをして日本企業の負担をゼロにするというのは、韓国の国内政治上、実現可能性は低いと考えざるをえない。仮に韓国政府が一部肩代わり等で妥協を図ろうとしたり、原告側に差し押さえをやめさせたりしようとしても、原告の背後にいる活動家たちがそれに応じさせるかどうか、疑問だ。政府の都合や国益など、彼らの眼中にはない

日本政府が、上述したような「トランプ流」の圧力をかければ効果はあるのか? 中長期的にはともかく、韓国が直ちに膝を屈することは期待できまい。一般的に韓国人は「情」に身を任せること甚だしく、利害関係や価値観から大局的な政治判断をすることは不得手である。しかも、経済成長を遂げてG20のメンバーとなった今、韓国にとって日本経済――世界経済全体に占める割合(名目)も今や6%まで低下した――が持つパワーは限定的なものにすぎない。南北の緊張緩和も基本的には日本軽視を助長する要因となっている。

先行きは暗いが・・・

悲観的過ぎるかもしれないが、徴用工問題はまだまだ拗れると思っておくべきだ。それ以外の問題を含め、見通し得る将来にわたって日韓関係の改善は期待できない。

しかし、何年か先(あるいは十年以上先)には、日韓両国政府の間で懸案解決に取り組む機運が生まれる時もあるはずだ。問題は、その時に日韓の次の世代が「一緒に仕事のできる」関係を作りあげられるか否か。今どんなに関係が悪化していても、次の世代が憎しみや反感を乗り越えられるための種を蒔いておくことは我々の責務だ。

一つは若手国会議員の交流。冷戦が終わるくらいまで、日韓の議員間には癒着と呼べるくらいの深いパイプがあった。今は見る影もない。

もっと期待したいのは、学生など草の根の若者交流だ。国家・民族の憎しみや反感は世代を超えて受け継がれ、時に増幅される。そのことを我々は日韓関係から学ばなければならない。悪い連鎖を断ち切るためには、柔軟な若者に期待するしかないではないか。

圧力と対話と種まき――。なす術もなく悪化する日韓関係を前にして、思いつくのはこれくらいしかない。