日本人は意外にトランプがお好き?

少し前の話になるが、5月25日から28日まで、新天皇が迎える最初の国賓としてドナルド・トランプ大統領が日本を訪れた。それからほぼ一週間後、トランプは国賓待遇でエリザベス女王に招かれ、訪英している。

日本と英国でトランプを迎えた両国民の態度は随分違って見えた。少なからぬ英国人はトランプの訪問を歓迎しなかった。ロンドンでは数千人規模でトランプに抗議するデモが行われ、ガーディアン紙は「トランプはデマゴーグ(扇動家)であり、歓迎しない」と突き放した。

一方、日本でのトランプは、天皇陛下との会見や日米首脳会談といった「真面目な」政治日程だけでなく、ゴルフ、大相撲観戦、炉端焼きなどの「軽い」イベントによってテレビや新聞などを完全にジャックした。(傍らには選挙目当てでトランプに寄り添う安倍晋三が微笑んでいた。)メディアも野党も、安倍の「過剰接待」を批判することはあっても、トランプその人を非難する素振りは見せなかった。日本人がトランプを見る目も、概して温かかった――少なくとも、厳しくはなかった――ように思われた。

昨春行われた米国ピュー・リサーチの調査によれば、国際政治面でトランプ大統領を信頼できると答えた日本人の比率(30%)と英国人のそれ(28%)の間に大差はなかった。一つ考えられるのは、日本人が過去一年間でトランプに対して好意を持ち(トランプに対する反感を和らげ)はじめたということ。上記調査の2017年と2018年の数字を比べれば、その萌芽を読み取れないこともない。

<米国大統領が国際政治面で正しいことをしている、と思う人の比率>

2016年(オバマ) 2017年(トランプ) 2018年(トランプ)
日本 78% 24% 30%
英国 79% 22% 28%
ドイツ 86% 11% 10%
フランス 84% 14% 9%
カナダ 83% 22% 25%
韓国  88%(2015年) 17% 44%

各国とも数字はオバマ政権末期から急落している。だが、ドイツやフランスではトランプ大統領の就任2年目となる2018年にもさらに低下しているのに対し、日本ではやや持ち直している。なお、韓国の数字がトランプ2年目で跳ね上がっているのは、米朝首脳会談によって米朝関係が最悪期を脱したことの影響と思われる。

本稿では、日本人がトランプに抱く「好意」の理由について考える。(特に明記しない限り、米国や米国大統領に対する諸外国の評価に関する数字はピュー・リサーチの調査を、米国内での大統領支持率についてはギャラップ社の調査を使用した。)

反国際協調の不人気と政権持続可能性

米国大統領に対する日本人の信頼は、当該大統領が国際主義に背を向ける場合に明らかに低下するほか、当該大統領の国内的な権力基盤が失われた際にも低下する傾向が見てとれる。

例えば、単独行動主義(ユニラテラリズム)を掲げたブッシュ・ジュニア。2011年の同時多発テロ後、ブッシュの支持率は9割近くまで急騰した。しかし、二期目に入いると支持率が5割を超えることは基本的になく、政権末期には3割前後まで下がってレイムダック(死に体)化した。「ブッシュ大統領は国際政治で正しいことをしている」と答えた日本人の比率も、2006年は32%、2007年は35%と低水準で、支持率が3割を切った2008年には25%にまで下がった。(2004年以前の数字は不明。)

バラク・オバマ大統領は――客観的にみると、国際的な責任に背を向けた国内重視の姿勢が目立ったのだが――、単独行動主義を標榜したブッシュの後任であり、イラクからの米軍撤退を進めたということを以って、日本では国際協調を重視した大統領とみなされた。その結果、就任1年目と3年目には日本人の8割以上が「オバマ大統領は国際政治で正しいことをしている」と答えた。就任当初6割を超えていたオバマの支持率は、2年目に入ったころから5割を切って低迷するようになる。オバマ大統領を評価する日本人の比率も、2014年には60%まで低下した。

トランプはどうか? 「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプの政策や行動スタイルは、国際協調主義とは対極にあると言ってもよい。大統領支持率も、2017年1月の就任時で45%。いわゆる「ハネムーン」期間のご祝儀もなく、その後、同年夏から年末にかけ、支持率は35%近辺まで下落した。しかも、この頃は「ロシア疑惑で弾劾されれば、任期途中で辞めざるを得なくなる」という見方も少なくなかった。2017年に「トランプ大統領は国際政治で正しいことをしている」と考える日本人の割合は24%しかなく、オバマ政権末期の78%から急落したばかりか、ブッシュ政権末期の数字さえ下回る。

ところがその後、トランプは意外なしぶとさを見せる。米国内での支持率は底割れすることなく、2018年の春頃から徐々に上がった。ロシア疑惑の一応の終結や経済の拡大などを背景にして、今年4月段階では46%と就任以来の最高を記録した。(と言っても50%に届かない低水準ではあるが・・・。)先月末に行われたCNNの調査でも、トランプが再選されると思う人の割合は54%、負けると思う人は41%だった。

「日本は特別」という意識~日本叩きは比較的温い

トランプ大統領は就任以来、イスラエルを除く世界中の国々と摩擦や対立を引き起こしてきた。そして、自国に厳しい態度をとる国やその指導者に対して当該国民が好意を抱かないことは当然である。ピュー・リサーチの調査では、移民問題やNAFTAでトランプから目の敵にされているメキシコでは、「米国大統領が国際政治面で正しいことをしている」と答えた比率は2017年で5%、2018年も6%にすぎない。2015年(オバマ大統領)の49%から大幅に下落した。トランプからNAFTAや関税問題でやり玉にあげられたカナダでも、2018年における上述の数字は25%となり、2016年(83%)から58%も下がった。逆に、トランプが唯一肩を持つイスラエル国民の69%は、2018年段階で「トランプは国際政治面で正しいことをしている」と高く評価した。オバマ政権がイスラエルに冷淡な態度をとった2015年には、この数字は49%まで低下していた。

日本はどうか? もちろん、2018年3月に発動された鉄鋼・アルミ追加関税は日本企業にも適用されたし、現在、日米間で物品貿易協定(TAG)交渉が行われていることは周知の事実である。しかし、これまでのところ、日本はトランプのあからさまな「標的」となっていない。同盟国の中では、前述のメキシコやカナダはもちろん、欧州諸国に比べても日本への圧力は少ない方だ。

日本がトランプから「大喧嘩を仕掛けられる」ことを免れる一方で、トランプは日本人が嫌いな国に対してそれこそ「大喧嘩を仕掛ける」ようになった。具体的には、北朝鮮と中国である。

「敵の敵は味方」に通じる感覚~日本人が嫌いな国を叩くトランプ

〈北朝鮮〉
北朝鮮は日本人が最も嫌っている国、と言ってよいだ。諸外国に対する日本人の意識を問う調査としては、内閣府の「国際問題に関する世論調査」が有名である。だが、同調査には北朝鮮について敢えて好感度を問う設問がない。少し探してみたら、今年1月21日に日本経済新聞が発表した世論調査で北朝鮮に対する友好意識を尋ねていた。その結果は、「好き」「どちらかといえば好き」という回答が0%。「どちらかといえば嫌い」が12%、「嫌い」が71%であった。

その北朝鮮に対し、トランプ政権は「最大限の圧力」を標榜し、軍事的先制攻撃を排除しない姿勢を示す一方で中国などを巻き込む形で経済制裁を極限まで強化した。北朝鮮も核・中長距離ミサイルの実験を繰り返したため、2017年末から2018年初めにかけては米朝軍事衝突が起きても不思議ではないと思われるほど緊張が高まる。しかし、その後急転直下、2018年6月にシンガポールでトランプと金正恩が会談。そのあたりから、北朝鮮は核実験と中長距離ミサイルの発射を控えることになった。米国の方は北朝鮮攻撃も辞さない姿勢を見せなくなった一方、金正恩が求める経済制裁の緩和には応じていない。(ただし、中国や韓国、ロシアなどの制裁破りについては、ある程度多めに見ているような印象である。)

多くの日本人の目には、トランプは日本人が脅威と感じる北朝鮮から核実験やミサイル発射のモラトリアムを引き出す一方で、日本人が大嫌いな北朝鮮に対して今も経済制裁を緩めず圧力をかけ続けているように見える。しかも、昨年春以降、それまであった戦争前夜のような重々しい雰囲気は遠のいている。誤解を恐れずに言えば、現在の米朝関係は多くの日本人にとって「ほど良い」緊張にある。

どの程度本気かはわからない――おそらく、日本政府に貸しを作るくらいのつもりなのだろう――が、トランプは拉致問題への言及も忘れることがない。その面でも、多くの日本人の目には、バッド・ガイではなく、グッド・ガイに映っている。

〈中国〉
日本にいると、中国は危険な存在という見方が支配的だ。しかし、ほかの国でも中国が日本同様に嫌われているわけでは必ずしもない。下記のピュー・リサーチによる調査が示すとおり、欧米市民の対中観はおおまかに言って二分されている。

中国に対する好感度
(上段は2018年春、カッコ内は2010年の数字。ただし、カナダのカッコ内は2009年の数字)

とても好き やや好き やや嫌い とても嫌い
日本 2% 15% 48% 30%
(2%) (24%) (49%) (20%)
米国 5% 33% 32% 15%
(10%) (39%) (24%) (12%)
カナダ 6% 38% 32% 13%
(8%) (45%) (27%) (11%)
英国 10% 39% 24% 11%
(8%) (38%) (26%) (9%)
ドイツ 3% 36% 46% 8%
(2%) (28%) (46%) (15%)
フランス 4% 37% 36% 18%
(6%) (35%) (35%) (24%)
韓国 2% 36% 50% 10%
(1%) (37%) (46%) (10%)

この表を見れば、中国嫌いという点において日本は世界でもトップクラス、ということがわかる。

その中国に対し、トランプは就任2年目の昨年あたりから照準を定めるようになった。2018年3月の鉄鋼・アルミ関税引き上げに始まり、今年5月まで4次にわたる対中関税引き上げ措置、昨年4月のZTEに対する米国内販売禁止、ファーウェイに対する露骨な圧力(カナダにおける2018年末のファーウェイ創業者の娘の逮捕、今年5月の米企業に対するファーウェイとの取引禁止命令など)が具体的な事例だ。詳細については今年4月から5月にかけて5回に分けて書いた米中新冷戦論(特に、5月12日付及び5月26日付)をご覧いただきたい。

米中貿易戦争が世界経済、ひいては日本経済に対して悪影響を与えることは言うまでもない。本来なら、トランプ主導の米中経済対立は日本にとって「迷惑」なものであるはずである。しかし、今のところ、その悪影響がなかなか顕在化してこない。米国の株式市場も(一時的に下げることはあっても)基本的には堅調さを保っている。日本経済も、決して良くはないものの、消費税対策の大規模財政出動が下支えしていることもあり、少なくともこれまでのところ、底割れする気配は見せていない。

多くの日本人にとって、トランプは自分たちが嫌いな中国に対して喧嘩を売り、中国を守勢に回らせているように見えているはず。しかも、米中経済対立の余波で日本経済が大打撃を受けるような事態には至っていない。日本人としては、安心してトランプを「日本に代わって中国を懲らしめる水戸黄門」に重ね合わせることができる。

これから

では、日本人のトランプ大統領に対する評価はこれからどう変わっていくのか?

まず、トランプが今後、日本に矛先を向ける可能性について。トランプが選挙戦で追い込まれ、対中政策などで成果が出ない状態が続けば、貿易や武器調達、防衛費増などで日本に過激な要求を突き付けてくる可能性は皆無ではない。しかし、安倍政権は米国の要求を早めの段階で聞き入れ、日米対立がトランプによって「劇場化」されるのを防いできた。安倍がトランプと闘うと決意しない限り、日本人がトランプに大きな反感を抱くきっかけはできにくい。

トランプがアメリカ・ファースト、すなわち自国の国益(より正確にはトランプにとっての国益)の追求を最優先する姿勢を変えれば、米国大統領に国際協調路線を期待する日本人のトランプ支持は大きく跳ね上がることになる。だが、もちろん、トランプがアメリカ・ファーストを捨てることはない。

一方で、米中の覇権争いが長期化することは必至だ。トランプ政権内には中国の台頭を抑えつけなければ米国の覇権が失われるという危機感を持った政策担当者が多い。トランプ自身も再選のために貿易面で中国と闘う姿を見せ続けようとするに違いない。もちろん、トランプには再選に向けて「成果」を出したと主張したい気持ちもあるだろう。その意味では、米中貿易戦争について近い将来、何らかの手打ちが行われても不思議ではない。しかし、米中蜜月を演じ続けることは、トランプの再選戦略上も、常に緊張と予測不能性を作り出して自らを主役の座に置き続けなければ気が済まない、というトランプ自身のディール・スタイルからも、あり得ない話。米中摩擦は、小康状態を挟むことはあっても長期的に続くと思っておくべきである。

米朝関係にも同じことが言える。トランプ政権が制裁を大幅に解除するのは、北朝鮮が核と中長距離ミサイルの開発をやめた時のみ。だが、それは北朝鮮にとって武装解除に応じることを意味している。金正恩が受け入れることはないだろう。かと言って、北朝鮮が核実験や中長距離ミサイルの発射といったトランプ政権のレッドラインを超えることも考えにくい。米朝関係も当面、現状維持が最もありそうなシナリオだ。

トランプは近い将来、日本人の嫌いな北朝鮮と中国との間で緊張状態を保ち続ける可能性が最も高い。そうだとすれば、日本人のトランプに対する評価は一定程度下支えされることとなろう。

日本におけるトランプ人気を左右する要因のうち、最も変動するのはトランプ再選の見通しかもしれない。4月末時点で46%まで上昇したトランプ大統領の支持率は、5月末時点では40%にまで低下した。党派色のないクイニピアック大学(コネチカット州)が6月11日に発表した世論調査の結果も、2020年の米大統領選挙でトランプ大統領は6人の民主党候補にリードを許している、というものであった。中でも、ジョー・バイデン前副大統領との差は13ポイントもあり、ミシガン、ペンシルバニア、テキサスなどの重要州でもトランプが後塵を拝していたと言う。トランプ陣営が行った別の調査でも、17州で壊滅的な数字が出たと伝えられている。

今後、トランプの支持率が下がって再選の見通しがきつくなるようなことがあれば、日本人がトランプに注ぐ目は厳しくなりそうである。長いものに巻かれるのも日本人によくある話なら、溺れる犬(政治家)を叩くのも日本人の特徴だからだ。

何が起こるか、見てみよう――。トランプ流に言えばこうなる。

消費税を延期せずに解散、も十分にあり

最近の永田町では、解散ムードが高まる一方に見える。もともと予定されている参議院選挙(=7月22日投開票という観測が強い)と合わせれば、1986年7月に中曽根康弘総理が仕掛けて以来、実に33年ぶりの衆参ダブル選挙となる。

「衆参ダブルなら、10月に予定されている消費税10%への引き上げは延期される」という見方が与野党ともに強い。しかし、本当にそうだろうか? 「解散も消費税引き上げも」という選択肢の方がありえる、と私は思う。

萩生田と菅の発言

解散風が吹き始めたきっかけは、4月18日に安倍側近と自他ともに認める萩生田光一官房副長官のインターネットテレビでの発言だった。荻生田はこう述べている。

「景気がちょっと落ちている。ここまで景気回復してきたのに、万一、腰折れしたら、何のための増税かということになる」
「次の日銀の短観(7月1日に発表予定)をよく見て、『本当に、この先危ないぞ』となったら、崖に向かってみんなを連れて行くわけにはいかないので、違う展開はある」
「増税をやめることになれば、国民の信を問うことになる」

荻生田発言は、4月21日に沖縄3区と大阪12区で行われた衆議院補欠選挙の直前というタイミングで飛び出した。両選挙区とも自民・公明が完敗した。そのことは4月18日段階で関係者なら誰もが予想していた。補選2敗で与党内における安倍の求心力が落ちないようにしたい――選挙が近いとなれば、執行部批判はできない――とか、メディアの目を補選からそらしたい、などと荻生田が考えたとしても不思議ではない。

その後、菅義偉官房長官の発言が解散風をさらに煽る。5月17日の定例会見で記者が次のように質問した。

「通常国会の終わりにですね、野党から内閣不信任決議案が提出されるのが慣例になっているとも言われているんですが、それを受けて、時の政権が国民に信を問うため衆院解散・総選挙を行うというのはですね、大義になるかどうか、長官ご自身はいかがお考えでしょうか?」

「それは当然なるんじゃないですか」

菅はぶっきらぼうに答えた。一旦は沈静化しかけた解散風にこれでまた火がついた。自民党が衆議院でも選挙の調査をかけた、という話も伝わり、与野党ともに同日選にむけて色めき立つことになった。

不信任案の提出が解散の大義になる、という奇妙な話

この質問、「やらせ」くさいと思わずにはいられない。「大義のあった解散なんて今までにあったのかよ?」と突っ込みを入れたいところでもある。まあ、それらは置いておくにしても、不信任案提出が解散の大義になるなどというのは、論理としてボロボロだ。

憲法第69条によれば、内閣不信任決議が衆議院において可決された場合、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならないことになっている。「内閣不信任案が可決されれば、解散の大義になる」というのであれば、(大義という言葉を使うかどうかは別にして)まだわからないでもない。

しかし、今の国会の議席配分を見れば、野党が内閣不信任案を提出しても、可決される可能性はゼロ。だから記者の質問も、不信任案が「可決されたら」ではなく、「提出されたら」となっている。

内閣不信任案は毎度のように提出されている。「一強多弱」状況の下では、野党が自らの存在意義を見せるためのパフォーマンス――そう言って悪ければ儀式――のようなものだ。内閣を制御するための「伝家の宝刀」なんて建前に過ぎない。

もちろん、解散は総理の専権事項である。内閣不信任案が可決されない限り、総理が解散しようと思えば、いつでも解散できる。その意味では、総理が「内閣不信任案が『提出』されたので解散する」と言えば、解散できないことはない。「売られた喧嘩は買う」というわけである。ただし、それでは変な前例ができてしまい、将来「内閣不信任案が提出されたので解散しろ」と言われかねない。

しかも、安倍総理はこれまで内閣不信任案が提出されてもことごとく否決し、6年半の長きにわたって政権を持続させてきた。「内閣不信任案が提出されたから解散した」ことなど、一度もない。今まで認めてこなかった大義が今回、急に出てきましたというのでは、あまりにも国民を愚弄している。

今回、消費税率引き上げ延期は解散の大義にしにくい

ではなぜ、内閣不信任案の提出が解散の大義になるか否かなどという馬鹿げた質問が飛び出したのか?

安倍総理はこれまでに二度解散している。一度目は2014年11月。この時は、翌年10月に予定されていた消費税率10%への引き上げを2017年4月に先送ることを表明。その是非を国民に問うことが解散の争点(大義)とされた。その後、2016年6月には消費税引き上げを2019年10月まで再延期すると述べ、そのうえで「アベノミクスを加速させる」ことを同年7月に行われた参議院選挙の争点と位置づけた。そして2017年9月の前回総選挙では、「消費税の使途変更(次の消費税増税分を借金の返済ではなく、子育て支援や教育無償化に使うこと)」や「北朝鮮問題への圧力路線」について国民の信を問う、とした。

安倍総理が今年10月に行われる消費税率引き上げを三度(みたび)延期すると決めているのであれば、それは「立派な」解散理由となる。わざわざ、「野党による不信任案の提出」などというチンケな大義を持ち出す必要などないはずだ。

しかし、安倍が解散する場合でも、消費税は予定通り10月には10%に引き上げるしかない、と考えているとしたら、辻褄は合う。

実際、わずか4ヶ月後に迫った消費税率の引き上げをこの期に及んで延期できるのか、という問題は、政治家の気合で乗り越えられるような小さな話ではない。例えば、複数税率の導入に対応できるレジの準備。補助金申請は4月段階で10万件を超えたと言う

10月の消費税率引き上げにあわせ、環境性能や耐震性の高い住宅を新築すれば省エネ家電などに交換できる「次世代住宅ポイント」制度の申請受け付けも今日(6月3日)から始まった。今さら延期と言えば、産業界も消費者も大混乱は必至だ。

加えて、安倍には、消費税率引き上げの延期を言わずとも、衆参選挙で負けることはない、という見込みがあるに違いない。もちろん、国民が与党の政策・政治を支持しているとは決して思わない。だが、自民党には、小選挙制度の下で公明党という独特の選挙集団と手を組んでいるという強みがある。リーダーの不在、政策の失速、選挙準備の遅れという三重苦を抱えた野党では、勝ち目は薄い。今現在、議席増を目論んでいられる野党(ゆ党?)と言えば、「大阪の乱」で勢いづく日本維新の会くらいのものだろう。

安倍が解散、衆参ダブルを既に決断しているのかどうか、私には知る由もない。だが、「10月の消費税引き上げは延期できない。消費税引き上げでも勝てるのなら、解散もありだ。大義は何か適当に考えればよい」というあたりが安倍の胸のうちではないか、と予想する。荻生田発言は解散理由において安倍を縛るものだった。菅発言は「解散するなら消費税率引き上げ延期」をニュートラルにすることに意味があったのではないか。

 

いずれにせよ、参議院選挙は間違いなくある。今回の選挙、何が争点なのか、私にはよくわからない。ほとんどの国民にとってもそうだろう。与党は「野党が不信任を出したら受けて立つ」と言うだけ。野党も与党批判を通じてしか自己の存在を主張できない。
「野党冬の時代」というよりも、「政党冬の時代」がしばらく続く――。それだけははっきりしている。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ⑤ ~ 米中対立の行方

4月17日に最初のポストを立てた時と比べても、米中関係は緊張の度を深めている。米中対立が国際政治経済に与える影響が当初想定していたよりも遥かに大きく、しかも長期化する公算が高い――。そう誰もが実感するようになっている。

米中対立の行方は今後、どうなるのか?

巷では米国有利という見方が多いようだ。しかし、この勝負、それほど単純に決着するとは思えない。

米国優位の下馬評

今日の米中対立を「米中冷戦」と呼ぶかどうかは別にして、この抗争は米国が優位だという見方が現時点では多いように思う。確かに、それも無理からぬ話ではある。まず、米国有利と考えられる理由を整理してみよう。

    1. トランプの仕掛け

現在の米中の争いは、主にトランプ政権が仕掛けて表面化したものである。関税引き上げ、ファーウェイ排除、そして中国製ドローンに関する警告など、米国の攻勢は止まるところを知らない。逆に、トランプを無駄に刺激したくない中国の対応は受け身に終始している。

    1. 中国経済への悪影響 > 米国経済への悪影響

米国が仕掛ける貿易戦争のうち、関税引き上げについては中国も報復措置を取ることができるが、被るダメージは中国の方が大きい。具体的な試算の一例は第3回のポストで紹介したので今回は省略する。

    1. 技術標準

米国は自らが優位に立つ「技術標準」を利用して中国に喧嘩を仕掛け始めている。つい最近も、トランプ政権は米国企業に対して政府の許可なくファーウェイ(華為技術)と取引きすることを禁止した。これを受け、グーグルはファーウェイによる基本ソフト(アンドロイド)のアップデートを停止。マイクロソフトもファーウェイからの注文受付をやめると発表した。しかも、米国政府の禁輸措置は、一定比率以上の米国産品・ソフト・技術を使った製品にも及ぶ。ファーウェイにとっては深刻な事態だ。
GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)がすべて米国企業であることからもわかるように、米国(企業)は情報技術力の面で世界の先頭を走り、多くの技術標準を押さえている。これらとの取引ができなくなれば、関税引き上げの時と異なり、多くの場合、中国側は報復措置をとることができない。

4.ドル決済

世界中の銀行はFedwireと呼ばれる米連邦準備銀行の管理する決済システムを利用して貿易の資金決済を行っている。米国がある国の銀行をFedwireから排除すれば、当該銀行は経営危機に陥り、その国の貿易は極度に落ち込まざるをえない。かつては「抜かずの宝刀」的なところがあったが、戦争以外の手段で米国が持つ最も強力な制裁手段であることは間違いない。最近は北朝鮮、イラン、ロシア、トルコなど米国が安全保障上の理由で制裁を課す場合の手段として使われるケースが増えてきた。これが経済上の理由――形式的には安全保障上の理由が強調されるにしても――中国にとって大きな脅威となる。

    1. 同盟ネットワーク

米国には冷戦時代以来の同盟ネットワークがあり、貿易戦争に安全保障を搦めることができる。米政府は次世代移動通信規格5Gをめぐってファーウェイ製品を採用しないよう同盟国に圧力をかけている。日本も昨年、政府調達から同社やZTEの製品を事実上除外した。

    1. 核兵力

米中の国力を比較すると、軍事面、特に核兵力の点ではまだ米国が目に見える優位を保っている。この点は第2回のポストで説明した。

7. 色眼鏡(バイアス)

中国に対する嫌悪感が与えるバイアスの影響も指摘しておく。
内閣府が昨年10月に行った調査によれば、最近少し改善傾向にあるとは言え、中国に親しみを感じる日本人の割合は約21%。逆に親しみを感じない日本人の割合は76%を超える。一方、米国に親しみを感じる日本人は75%を超し、約22%の日本人が米国に親しみを感じないと答えている。我々の中に、中国を過小評価し、米国を過大評価する傾向が生まれても不思議ではない。
加えて、民主主義/資本主義国家である米国が勝利し、共産主義国家であったソ連が敗北した、という米ソ冷戦からの連想も「米国有利、中国不利」という先入観を植え付けやすい。

米国優位論の落とし穴~中国の耐性はソ連ほど低くない

以上、米中対立において米国の方が有利な立場にあると考えられる理由を列挙した。このうち、最初と最後の論点以外は、確かに米国優位論を裏付ける根拠と見做してよい。しかし、この米国優位論に落とし穴はないのか? クロスチェックしてみることも無駄ではあるまい。 

    1. 米国を代替する市場の存在

米ソ冷戦期のように貿易も基本的には東西ブロックに分かれていれば、米国が関税引き上げなどの貿易制限的な措置をとってきた場合、中国が米国の代替市場を広く他国に求めることはできない。あるいは、北朝鮮やイランのように国連制裁によって厳格な包囲網が広がるのであれば、やはり十分な代替市場を探すことは不可能である。だが現実には、中国はソ連でもなければ、北朝鮮やイランでもない。

グローバリゼーションが進展した今、中国経済は「世界の工場」「世界の市場」となり、各国との間で高い相互依存状況にある。米国が中国製品に対する関税を引き上げても、他国が追随しなければ、中国は他国に代替市場を求めることができる。もちろん、コスト面を含めた完全な代替は不可能だ。しかし、少なくとも米中貿易戦争が致命傷になることは防げる。
例えば、日本経済新聞によれば、米国の関税引き上げに対抗措置をとった結果、2018年8月から2019年3月の間に米国が中国から輸入した大豆の量は前年同期より9割減ったが、調達先をブラジルやロシアに切り替えて凌いだ。ただし、2018年の平均輸入価格は前年比4%上昇したと言う。
中国から米国への輸出減少分についても同様である。ファーウェイのように安全保障を理由にして取引禁止にされるのでなければ、関税が上がっても米国でまったく売れなくなるわけではない。米国以外の市場を開拓することにより、中国企業の損害を減らすことはある程度できよう。

ただし、ハイテク分野については、もう少し慎重な精査が必要である。
昨年来、トランプ政権は、安全保障協力に支障が出るとまで警告しながら、5G関連などでファーウェイと取引きしないよう同盟国などに要求してきた。豪州、ニュージーランドなど米国と盗聴網などを共有している国や日本政府はそれを事実上受け入れた。欧州では、今現在ファーウェイ製品を使っていることや価格面を考慮し、対応が分かれている。一方で、サウス・チャイナ・モーニング・ポスト――やや中国寄りの論調なので、その点は割り引いて読む必要がある――によれば、東南アジアや東欧などでは、タイやフィリピン、シンガポールなど米国と軍事的に協力関係にある国々を含め、ファーウェイを排除する動きは見られない。
ファーウェイの製品を使えば、情報を中国政府に抜かれたり、中国政府がファーウェイ製品を通してサイバー攻撃を仕掛けたりする可能性があるという米国の主張は、はっきり証明されたわけではない。また、米国の主張が正しければ、米企業の製品を使えば米国政府が同様のことをできるということでもある。
中国に対して大きな安全保障上の脅威を感じていない国や、脅威を感じたところで対抗措置をとれない国してみれば、米国の主張を鵜呑みにするよりも、コストと性能(及び中国政府による各種のキックバック)からファーウェイまたは別の中国企業の製品を選びたい、という考えも成り立つ。

ところで、トランプ政権は5月になってファーウェイを一種のブラックリストに載せ、同社との取引を事実上禁止する方針を打ち出した。しかも、他国企業であっても、米国製の部品やソフトを使っていれば、米国の方針を適用する。従来よりも段違いにきびしく、「ファーウェイ潰し」とも言える措置だ。
日本でも、ドコモ、KDDI、ソフトバンクはファーウェイ製スマホの販売を自粛すると発表した。ファーウェイの端末を買った消費者がグーグルのアンドロイド・ソフトを使えなくなるリスクを考えれば、三社にとってはやむを得ない判断である。同様なことは、日本以外の国にも当てはまる。となれば、ファーウェイは米国以外の市場でシェアを失うだけでなく、新たな市場を開拓することも当面、困難になるだろう。

2. 中国経済はソ連経済のように弱くない

米ソ冷戦は米国の勝利で終わった。最も基本的な理由の一つは、ソ連経済がレーガンの仕掛けた軍拡競争についていけなかったことである。共産主義経済の限界と言えた。だが、それはソ連圏が閉じた経済システムだったから。今日の中国は、政治システムこそ共産党一党独裁を堅持しているが、経済システムは大幅に資本主義を取り入れている。中国人が利益追求に貪欲な民族であることはつとに有名。

中国のGDPは世界経済の19.2%(IMF、PPPベース)を占め、米国経済の15%を既に凌駕している。米国経済の半分にもまるで届かなかったソ連経済とは大きな違いだ。中国経済は長らく二桁成長を続け、今でも6%台で――米中貿易戦争の影響で今年は6%を割り込むという予測もあるが――成長している。低下したとはいえ、世界経済全体の倍のペースである。

中国経済は規模ばかりが注目されがちで、従来は「安かろう、悪かろう」のイメージが強かった。だが最近は、質の面でも競争力をつけた企業が数多く生まれている。その代表格の一つが、今トランプ政権から袋叩きにあっているファーウェイだ。

2018年のスマホ全世界出荷台数のシェアでは、1位のサムソン(20.8%)、2位のアップル(14.9%)をファーウェイが14.7%で猛追。ちなみに、4位の小米科技(シャオミ=8.7%)、5位の欧珀(OPPO=8.1%)も中国企業である。
一方、2017年の世界のモバイルインフラにおけるシェアは、ファーウェイが28%となってトップを占めた。エリクソン(27%)、ノキア(23%)、少し離れてZTE(13%)が続く。
技術力の面でも、ファーウェイは、5Gで競合する他社を12~18ヶ月リードしている、と豪語している。事実、2018年の特許国際出願件数は5,405件で二年連続の首位だった。2位の三菱電機が2,812件だから、ぶっちぎりと言ってよい。中国企業としては、他にもZTE(2,080件)とBOE(1,813件)の二社がベスト10入り。米国からはインテル(2,499件)、クアルコム(2,404件)の二社が入った。なお、国別の特許出願件数では、米国が56,142件で首位を守った。しかし、中国も53,345件と肉薄。日本は49,702件で三位だった。

このような存在だからこそ、米国はファーウェイを先端情報技術分野における自らの覇権――それは経済覇権から軍事覇権にも大きな影響を与える――を脅かす存在と捉え、狙い撃ちともいえるやり方でファーウェイを叩いているのに違いない。

今月に入ってトランプ政権が決めた、安全保障を理由とするファーウェイとの取引停止――それを受け、グーグルがアンドロイド・ソフトを供給停止したほか、日本企業の間にもファーウェイとの取引停止を決断する動きが出ている――は前代未聞のきびしさ。ファーウェイの経営は屋台骨を揺るがされることが避けられない。

だが、ファーウェイも相応の実力を備えている。ただ叩かれ続けるとは限らない。トランプ政権のファーウェイ排除措置を受け、インテルやクアルコムなど米半導体メーカーはファーウェイへの部品供給を停止した。これに対し、ファーウェイは半導体の内製化(自前調達)を進める構えだ。中国政府も面子にかけて全力で支援し、国民も対米ナショナリズムに駆られて支持しよう。グーグルによるソフトウェア供給の停止に対しても、ファーウェイは今年秋にも自前ソフトを開発すると言っている。そう簡単ではないだろうが、もしもうまくいけば、アップルやグーグルなど米企業にとっては、トランプの措置によって自社OSの代替品の登場を促進される、という皮肉な結果になる。

3. 臥薪嘗胆(時間軸の違い)

米中の貿易戦争――もはや、経済戦争と言ってもよい――は、短期的には、明らかに米国が攻勢に出ており、中国は守勢に回ることを余儀なくされている。だが、この米中の勝負、この1~2年で決着がつくような性格のものとは限らない。仮にファーウェイがトランプ政権による怒涛の制裁措置によって再起不能に陥ったとしても、それで勝負が終わることはない。むしろ中国は、臥薪嘗胆、何年、いや何十年かかっても米国との経済戦争を勝ち抜こうと決意を新たにするのではないか。

第二次世界大戦に負けた後、日本人はすっかり長いもの(アメリカ)には巻かれた方がよい、という根性なしになってしまった。1980年代の日米貿易摩擦の時も、米国に対する反感よりも、何とか多めに見てほしい、というメンタリティの方が強かった。(以前の日本は決してそうではなかった。日清戦争後、ロシア、ドイツ、フランスから三国干渉を受けた日本は遼東半島を清国に返還した。しかし、臥薪嘗胆を合言葉に富国強兵に努め、日露戦争でロシアを、第一次世界大戦でドイツを、太平洋戦争でフランスを打ち破った。)

中国人は数千年にわたって強い大国意識と自我意識(中華思想)を持ち、今の日本人よりも遥かに強いナショナリズムを堅持している。長い時間をかけて抵抗し、最後には勝つ、という発想も毛沢東以来の伝統としてある。
1915年に日本から屈辱的な二一か条の要求を受け入れた時、中国国民は臥薪嘗胆を合言葉に抗日運動を展開した。1934年10月、国民党軍に追い込まれた毛沢東率いる紅軍は江西の根拠地を捨て、2年にわたって「長征」という名の撤退戦を余儀なくされた。その後、国共合作によって1945年に日本軍を駆逐し、1949年には蒋介石を台湾に追った。アヘン戦争(1840-1842年)によって失った香港を155年後に取り戻したことも、中国人が長期戦を厭わない民族であることを教えている。ファーウェイ潰しの方針表明に至り、トランプが仕掛けた貿易戦争は中国人が本来持つ闘争心に火をつけたのではないか。

米中経済戦争も、中国はトランプの任期――あと2年弱であれ、6年弱であれ――などにこだわることなく、米国の持つ技術標準を崩しにかかるのではないか。シリコンバレーにいる大勢の中国人を見ると、それもまったく荒唐無稽な話とは思えない。

中国の長期戦は、ドル決済という米国の切り札に対しても向けられる可能性がある。中国は既に「国際銀行間決済システム」(CIPS)というドルを介さない人民元の決済システムを開発し、普及を後押ししている。日経新聞によれば、米国の制裁対象国や一帯一路の周辺国のほか、日本を含め、今年4月現在で865行が参加していると言う。だが、世界の外貨準備に人民元が占める割合はまだ2%にも満たない。米ドルの約62%、ユーロの約20%、日本円の約5%と比べても大きく見劣りがする。今のままでは、「ドル決済からの独立」は遥か遠くにある目標にすぎない。
ところが最近、IT技術の深化に伴って、仮想通貨やネッティングなど、銀行を通さない貿易・資金決済が徐々に拡大してきている。私はこの分野に明るくないので詳しいことは言えないが、その展開次第では、ニューヨーク連銀を経由した取引を制限することで米国が世界中の国々に与えることのできる「脅し」は少なくとも相対化する可能性がある。

なお、蛇足として言えば、どんなに中国経済が膨張したとしても、今のリアルなマネーの世界で人民元が国際的な決済の基軸通貨になることは決してない、というのが私の意見だ。オバマ政権の後期以降、特にトランプ政権になってから、米国はドルが基軸通貨であることを利用して他国に制裁をかけることが増えており、そのことが最近、世界の外貨準備に占める米ドルの比率低下を促している。人民元が基軸通貨の地位を得れば、中国政府はトランプ政権以上にそれを利用し、他国に影響力を行使しようとすることは間違いない。そんな国の通貨を外貨準備として大量に保有したいと考える国は多くないはずだと思うのである。

4. 中国は国力を無駄に浪費しない

米ソ冷戦がソ連の敗北で終わった――少なくとも敗北を早めた――理由の一つに、ソ連が冷戦の後期も含めて(米国以外との)戦争に関わり続け、国力を浪費したことが挙げられる。

米国も朝鮮戦争やベトナム戦争で国力を消耗したことは言うまでもない。しかし、朝鮮戦争は3年で休戦に至り、ベトナム戦争も多大な犠牲を払った後、1973年に撤退した。その後、冷戦が終わるまでの間、米軍が大規模な軍事介入に直接携わることはなかった。
一方でソ連は、ハンガリー動乱(1956年)とプラハの春(1968年)の軍事介入こそ短期で済んだが、1969年のダマンスキー島事件(珍宝島事件)以降、中国との国境紛争は冷戦が終わるまで続いた。この間、ソ連は中国との長大な国境に軍隊をはりつけ続けなければならなかった。1979年に始めたアフガニスタン侵攻は、ソ連版のベトナム戦争と言われる。10年以上続いた戦争によってソ連は少なくとも1万4千人以上の兵士を失い、財政的にも社会的にも大きな負担を負った。
冷戦後、米ソ冷戦に勝利して唯一の超大国となった米国が今度はアフガニスタンとイラクに軍事介入し、長期間にわたって軍事的にも財政的にも国力を消耗することになった。その結果、米国が中国にキャッチアップされる期間は確実に短縮されたと言える。

このように、大国は強大な国力を持つ故に軍事紛争に首を突っ込み、国力を浪費することが往々にしてある。ところが中国は、少なくとも過去数十年、大規模な軍事紛争に直接従事することはなかったし、予見しうる将来も抜き差しならぬ軍事紛争に発展しそうな事案を周辺に抱えていない。もちろん、台湾が独立に動けば、大きな武力紛争になるだろうが、今のところ、その可能性は極めて低い。新疆ウイグル自治区などにおける武装蜂起――中国政府はテロと位置付ける――も、中央政府側の弾圧によって有効に抑え込まれている。
対外的には、インドとの間に国境紛争を抱えており、時に緊張が高まることはある。しかし、中印双方は事態をエスカレートさせないことで暗黙に合意しているようだ。南シナ海では、複数の国が領有を主張している係争地域に軍事進出――埋め立てと軍事基地の建設――を急ピッチで進めている中国。ただし、中国との間で軍事力に差がありすぎるため、係争相手国(ベトナム、フィリピン、インドネシア等)が実力行使に及ぶことはまずない。米軍も「航行の自由」作戦は繰り広げているが、あくまで中国に対する牽制にとどまり、武力に訴えて原状復帰させようとまではしていない。
東シナ海(尖閣諸島)についても、海警などによる領海侵犯は繰り返すものの、武力侵攻の意図までは見受けられない。
いずれにせよ、米中対立が二大ブロックの対立に発展しない限り、中国は米国以外の国々を取り込もうとするか、少なくとも完全に米国の陣営に走らせたくないと考える可能性が高い。したがって、国境に関わる潜在的な紛争案件について過度に緊張を煽ることは控えるものと思われる。
最後に、中国が近年、PKOに積極的に人民解放軍を参加させていることについても一言。これは所詮、PKOであり、いざとなったら、派遣期間の途中であっても引き揚げさせればよい。

今日の中国指導部は、自らが大規模な軍事紛争(戦争)に巻き込まれ、それによって中国の国力が浪費されることを明白に厭っている。つまり、冷戦期のソ連のように自滅してくれる可能性は低いと思われる。
中国が冷戦期のソ連によるアフガン侵攻のような轍は踏むことなく、ひたすら低姿勢で米国の攻勢をやり過ごす一方、経済戦争に負けないための投資を静かに(しかし、大規模に)行い続ければ、中長期的には中国にもチャンスは出てくるだろう。いわんや、米国が中東方面(特に対イラン)で余計な軍事介入に及ぶようなことがあれば、中国指導部はほくそ笑むに違いない。

5. 保護主義が米国経済を弱らせる可能性

保護主義は長い目で見るとその国の経済を弱くする――。米国は従来、そう主張してきた。競争にさらされれば、企業は生産性を上げるべく努力し、それができない企業は競争に敗れる形で退場する。その結果、生産性の高い企業が生き残るか、当該分野の製品は輸入品に代替されることで経済的には最適性が実現する。まさに資本主義と自由貿易の論理である。
もちろん、実際には経済学の教科書のようにはいかない。米国政府も多かれ少なかれ、自国産業を保護してきた。だが、トランプ政権が「公正な貿易」という名目で行っている保護貿易は、これまでとは一線を画する規模を持ち、範囲も広範である。

保護主義は保護された産業の生産性の改善を中長期的に妨げ、国全体として見れば産業のコストを引き上げることになる。日本経済新聞によれば、2018年に米国が輸入した鉄鋼の量は前年に比べて12%減少し、国内鉄鋼メーカーの出荷量は5%増加、国内工場の稼働率も4.8ポイント上昇して81.4%を超えたと言う。だが、それは決して、米鉄鋼メーカーの生産性や技術力が上がったおかげではない。将来的にはまた輸入品に押される日が来るだろう。一方で、米国の自動車メーカー全体では、同年に鉄鋼コストの負担が56億ドル(約6200億円)増加した。

トランプによって保護される産業は、国際競争力が劣っているにもかかわらず、トランプ再選のために必要な支持基盤だからという理由で政府によって守られる。しかし、弱い産業を守り、本来退場すべき企業を生きながらえさせる政策は、その国の経済の競争力を弱め、最終的にはその国の成長力そのものを失わせる。それは日本が過去数十年やってきた産業政策であり、その結果が今日の日本経済の体たらくだ。

中国経済が規模で米国経済をやがて抜く――購買力平価ベースでは既に抜いているが――ことは誰もがわかっていること。だが、米経済がトランプの保護主義で守られる一方、その裏返しで危機感を抱いた中国企業が国ぐるみで米国との競争に明け暮れるとしたら? 生産性や技術力の面でも中国経済が米国経済を抜く日がやって来ても、不思議ではない。

6. 軍事面で中国とロシアが手を握る可能性

中国軍が軍事力の面でも米軍を急速にキャッチアップしてきていること、それでも米国の軍事力は中国の軍事力をまだ凌駕していることについては、4月21日付のポスト(グラフ②とグラフ③)で述べたとおりである。この分野においても中国が米国との差をどんどん詰めていくことは間違いない。ただし、通常兵力の面でも中国が米国に完全に追いつくのはもう少し先の話だし、核兵力の格差は大きすぎるくらいある。

しかし、中国がロシアと軍事面で手を組めば、特に核兵力面での対米ギャップは一気に解消する。その意義や可能性については5月18日付のポストで述べたのでここでは繰り返さない。
1970年代初頭の米中国交正常化というコペルニクス的な外交革命は、ニクソンやキッシンジャーだけでなく、毛沢東もほぼ同時に着想を得ていたもの。今回、米国には中国を抑え込むためにロシアと組む、という選択肢はない。中国のみが、米国に対抗するためにロシアと組む、という戦略的な選択肢を持っている。

 

誤解してもらっては困るが、私は今回のポストで、米中対立は中国が有利である、と主張するつもりはない。ただ、この対立がトランプの任期中に片が付くような性格のものではなく、総力戦・持久戦になる、と言っているだけだ。

ついでに言うと、長期戦なら中国に分がある、と言うわけでもない。
中国の場合、今は国力を押し上げている人口の多さが、そう遠くない将来、国力の足を引っ張るようになる可能性が高い。国民の所得がある程度進むのと、日本のように少子高齢化が進むタイミングが重なり、社会保障を維持するのが相当大変になることはまず間違いない。中国にとっては、人口動態による負荷の増大が目立つ前に米国と痛み分けに持ち込めるかどうか、が大きなポイントになるだろう。

先月来、5回にわたって米中対立を分析した。とりあえず今回で一区切りつける。
だが、このむずかしい時代に日本の舵取りはいかにあるべきなのか?
考えるべきことはまだまだ多い。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ④ ~ 米中対立と国際関係

米中対立は徐々に激しさを増し、予見しうる将来、終わることはなさそうに見える。では、米中対立が国際的な権力政治にどのような影響を与えるのか――?
5回シリーズの4回目となる今回のポストは、この点に焦点を当てる。

変わる米中関係の基本構図

1970年代初頭に米中和解が成立して以降、1978年に改革開放路線に転じてからもずっと、米中関係の基本構図は次のようなものであった。

すなわち、基本的に発展途上国であった中国はひたすら米国を追いかける。遥か先方を走る米国は中国の戦略的価値と巨大市場の経済的価値を利用する一方、貿易慣行や人権政策など中国が抱える問題を大目に見た。

ところが、21世紀に入ってこの構図は大きく書き換えられた。
中国経済は急速な拡大を続け、米国経済にほぼ追いつく。自信をつけた中国は外交や軍事の面でも自己主張を強めた。
片や米国の方は圧倒的なリードを追いつかれて余裕をなくす。中国と組んでソ連に対抗する、という冷戦期にあった替えがたい戦略的価値も失われた。
米国が中国を対等なライバル視するようになったのは、ある意味で自然な成り行きだった。米国はオバマ政権の後半あたりから南シナ海方面で中国に対する軍事的牽制を徐々に強めた。トランプ政権がなりふり構わず中国に貿易戦争を仕掛けているのは周知の事実だ。

習近平の対応

攻勢を強めるトランプ政権に対し、中国・習近平政権の対応は大きく言って二つあるように思う。

一つは、トランプをなだめ、すかして米国の圧力をかわすことだ。

2017年11月にトランプ大統領が訪中した際には、ボーイングからの300機購入を含め、中国は米国から28兆円以上を購入する商談をまとめた。しかし、2018年以降、トランプ政権は中国を標的にした関税引き上げに踏み切っている。結局、中国はトランプをなだめ、すかすことには失敗した、ということになる。
中国は関税引き上げ合戦において、自ら先に動くことはせず、あくまで米国が対中輸入にかける関税を引き上げたことへの対抗措置として、米国からの輸入に対する関税を引き上げてきた。貿易戦争の拡大が自らにとって不利である以上、この分野で中国は今後も受動的な対応を続けることになるだろう。

中国に対するトランプの攻勢が避けられないのであれば、習近平としてはもう一つの対応に取り組むしかない。それは、軍事的にも経済的にも、米国に対中包囲網を作らせないことだ。

米ソ冷戦期のNATO(軍事)やCOCOM(経済)のような西側ブロックが形成されれば、中国にとっては打撃が一層大きくなる。逆に、米国以外の国々との関係を維持・強化できれば――例えば、他国が米国の対中関税引き上げに追随しなければ――、米国から圧力がかかってもその影響は致命的なものとまではならない。
そこで中国は、米国以外のパワー・センターに対して(宥和的な姿勢をとってでも)米国に同調しないよう働きかけようと真剣になる。

米国以外の国々も、「世界の工場」「世界の市場」になった中国と一方的な対立関係に入ることを決して望んではいない。もちろん、だからと言って現時点で世界一の超大国である米国を無視することもできない。米国の同盟国であれば、なおさらそうだ。米国以外の国々の大部分は、米中のバランスをとろうとする動きに出ざるをえない。

これが米ソ冷戦期であれば、仮にソ連が働きかけたとしても、日本や欧州諸国がソ連寄りの政策をとることは事実上不可能であった。例えば、鳩山一郎内閣の時、ソ連は北方領土交渉を通じて二島返還での手打ちを持ちかけた。鳩山や重光葵外相は応じてもよいと思ったが、米国の反対――「ダレスの脅し」と言われている――にあって四島返還を結局譲らなかった。(その結果、二島も返らないまま今日に至っていることは言うまでもない。)

しかし、今日の国際情勢は当時と異なる。日欧などの同盟国であっても、米国に気を遣いながらも、中国との関係を(決定的に)悪化させることはできない。米国も冷戦期のような安全保障上の絶対的守護者ではない。日欧にかけられる圧力にも自ずから限度がある。

米国の同盟国が米中の狭間でバランスをとる際、実際の対応には国によって温度差が出る。5月16日付の日経新聞記事は、米国のHUAWEI排除をめぐる米同盟国の対応を三つのカテゴリーに分類しているので紹介しておく。第一は、豪州など、米国に追随して5G規格からHUAWEIを締め出す国。日経は日本もこのグループに属するとした。第二は、英国など、HUAWEI製品の中でも情報漏れの危険があるものに限って排除するグループ。第3は、HUAWEIを監視しつつ、その排除には慎重なドイツなど。

続けて以下では、主要国(地域)と中国の間の最近の動きや将来の見通しを簡単にチェックしておこう。

日中関係~思いがけぬ小康

21世紀に入り、日中関係は緊張する局面が明らかに増えた。特に、民主党政権下で起きた尖閣漁船事件(2010年9月)と尖閣国有化(2012年9月)によって日中関係は目に見えて悪化した。さらに、歴史問題を含めて反中ナショナリズムの強い安倍政権が続く中、両国の関係は一層冷却化する。この間、中国は軍備拡張と西太平洋(南シナ海、東シナ海)への進出を継続し、日本は安保法制の整備や装備の近代化を進めた。その背景には「急速に台頭する新興の大国・中国」と「停滞する既存の大国・日本」が隣接しているという地政学的要因があった。

2013年1月には中国海軍が自衛隊の護衛艦にレーダーを照射する事件も起き、両国は緊張の管理に動き出した。2014年11月に日中は四項目の文書に合意し、APECを利用して安倍と習近平が約2年半ぶりの首脳会談を開催する。ただし、その後も日中関係に具体的な進展はなく、四項目文書の一つで合意した防衛当局間の海空連絡メカニズムの運用が始まることもなかった。

ところが、トランプ政権が中国に対する関税を引き上げはじめた頃から、事態は急に動き始める。2018年5月に来日した李克強首相は海空連絡メカニズムの運用開始に同意した。同年10月には、国際会議出席を除いては日本の首相として11年ぶりとなる安倍の中国公式訪問が実現。習近平は日中関係が「正しい軌道」に戻ったと指摘し、安倍も「完全に正常な軌道へと戻った日中関係を新たな段階へと押し上げていく」と強調するようになった。

中国としては、米国が関税引き上げなど「貿易戦争」を仕掛けてくる中、国別では世界第3位の経済規模を持つ日本市場にまで戦線が拡大することは是が非でも避けたい。長期にわたってゼロ/低成長を続ける日本も、中国との全般的な関係悪化が昂じて日中の経済関係に波及するのは困る。ミサイルをはじめ、中国の海空能力が質量ともに飛躍的に伸びた結果、日中間で不測の事態が起きれば日本側の被害が避けられない状況になってきたことも日本政府を慎重にさせつつある。

かくして、米中貿易戦争を奇貨として日中は関係改善に乗り出すことで利害の一致を見た。もちろん、だからと言って、今日の日中関係を「良好」と呼ぶのは間違い。例えば、中国公船等による尖閣諸島周辺の領海及び接続水域への侵入回数は、今年に入って増加傾向にある。上述の地政学的な要素が解消しない限り、日中関係の底流には緊張が流れ続ける。

今後は、トランプ政権が5Gからの一層のHUAWEI締め出しを求め、日本がそれに応じた場合など、日中関係が再び緊張する場面もあるかもしれない。ただし、その場合でも中国は日本を完全に米国側に追いやるわけにはいくまい。日本も中国市場を失ったら元も子もない。米中の対立関係が続く限り、日中関係の悪化には歯止めがかかり続けるであろう。

中欧関係~試される団結

2017年時点で米国経済は世界の24%、中国経済は15%を占めていた。米国との貿易戦争を生き残るためには、中国は米国以外の国々との経済関係を維持・強化する必要がある。その点、世界経済の22%を占めるEU経済圏を確保することは中国にとって極めて重要性が高い。(日本経済は世界の6%である。)

実際、中国は欧州諸国との経済関係強化に本腰を入れている。去る3月、習近平はイタリア、モナコ、フランスを歴訪した。最初の訪問国イタリアで「一帯一路」構想に対する支持表明を獲得したことは、少なくとも政治的には最大の成果である。今後、東欧諸国を中心に一帯一路構想に参加する国は増加するかもしれない

今回の訪欧でも、中国は自らの巨大な経済力を交渉の梃子にした。習はコンテ伊首相との間で港湾への投資などを含む29の覚書に署名。フランスでは、エアバス300機の購入を含め、約5兆円の商談をまとめたほか、フランスからの鶏肉輸入も解禁している。

もっとも、欧州諸国が無条件に中国になびく気配は見れれない。米中のバランスをとるという配慮に加え、EU自身も中国の貿易投資ルール――特に、中国へ進出する欧州企業が強制的に技術移転させられること――には強い不満を抱いている。欧州は日本と異なり、中国から直接的な安全保障上の脅威を感じていないが、中国のビジネス環境に対する是正要求においては、日本よりも遥かに自己主張する。

パリで習近平を迎えたマクロン仏大統領、メルケル独首相、ユンケルEU委員長の発言からは、米国との貿易戦争を戦うために中国が自らに接近してくることを利用して、中国から譲歩を引き出そうという姿勢も窺われた。4月9日、EUはブリュッセルに李克強首相を迎えて首脳会議を開催。中国側の反対を押し切り、中国の補助金改革などを合意文書に盛り込むことに成功した。

だが、中国もしたたかだ。4月12日、クロアチアに向かった李は中東欧16ヶ国との首脳会議「16+1」に出席し、インフラ投資や貿易拡大などを謳った。経済規模が小さく、中国の「飴」に弱い国々から搦めとろう、という意図が透けて見える。

中ロ関係~「米国の脅威」が接着剤に

第二次世界大戦を共に戦い、ソ連を兄貴分として共に共産圏を形成したソ連と中国。だが程なく、スターリンと毛沢東は激しい対立関係に陥り、国境をめぐる軍事衝突も起きた。1970年代初頭、ニクソン/キッシンジャーと毛沢東/周恩来は米中関係を正常化し、「米国+中国」対「ソ連」の構図を作り出す。この外交革命は、冷戦におけるソ連の敗北を決定づける一大要素となった。

冷戦が終わると、中国とロシアは過去の対立を徐々に解消していく。中でも、2008年までにすべての中露国境を確定させたことは特筆に値する。2001年には中露が中心になって上海協力機構を創設した。(前身となる上海ファイブの結成は1996年。)中ロ関係の改善は、国境問題などの対立が両国にとって大きな負担になっていたことに加え、米国を牽制するという側面が少なくなかった。冷戦後、圧倒的な経済力と軍事技術力を見せつけた米国との間で、中国やロシアは少なからぬ利害の対立を抱えていたのだ。

その後、2010年代になると中国及びロシアと米国は次第に顕在化してくる。
先に対立が決定的なレベルまで高まったのは米露関係だ。天然ガスの供給停止から暗殺、戦争まであらゆる手段を使って旧ソ連諸国に対する影響力を維持しようとするロシアを米国は激しく非難。プーチンが権威主義的支配を強めることについても米国(特に民主党)は不快感を露骨に示した。両者の対立は、2014年のクリミア併合で後戻りできないところまで悪化する。米国が自らの支配を覆そうとしていると信じるプーチンは、2016年の米大統領選挙にサイバー攻撃を応用した工作を仕掛け、プーチン批判の急先鋒だったヒラリー・クリントンを落選させることに成功した。独裁者好きのトランプ、という要素を除けば、今日の米ロ関係は凍りついていると言ってよい。

一方で、米中関係はオバマ政権の後期あたりから対立の局面が目立つようになった。トランプ政権が貿易戦争と言われる関税引き上げ合戦やHUAWEIへの制裁が繰り広げられている今では、米国や世界のメディアが「米中冷戦」という言葉を使う有り様だ。
米国の強硬姿勢は、トランプ自身の「ディール感覚」のみに基づいているのではない。中国を戦略的脅威と捉える見方は、トランプ政権の内部で共有された見解である。そればかりか、民主党を含め、米議会でも広く共有されはじめている。
中国指導部は当初、トランプの圧力を何とか誤魔化しながらやり過ごせばよい、と考えていたようだ。しかし、国力を消耗させる対立の長期化が決定的になった今、降りかかる火の粉を払う決意を固めているに違いない。今月初め、大詰めに差し掛かっていると考えられていた米中貿易協議で中国側が「ちゃぶ台返し」に出たのは、中国側が米国に対して「売られた喧嘩は買う」と表明したようなものであった。

米ロが厳しく対立し、米中も緊張が高まれば、何が起こるか? 国際政治の教科書的には、中国とロシアの間で「敵の敵は味方」という考え方が台頭してきても何ら不思議はない。

既に述べたとおり、冷戦後の中ロ間には既に協調の芽が散見されていた。だが、これまで米国内では「歴史的、文化的、地政学的な対立があるため、中国とロシアが同盟または協商的な関係にまで緊密になることはない」という見方の方が常識とされてきた。例えば、ジェームズ・マティス前国防長官なども、モスクワと北京の間には利害の自然な不一致がある、と絶えず強調していたと言う。しかし、最近は事情が変わりつつある。昨年12月のグラハム・アリソン論文最近のForeign Affairs論文など、米国の論壇でも中国とロシアが同盟――正規の同盟でなくても、実質的な同盟関係――を構築する可能性について警告する論調が目立ち始めてきた。

先のマティスの言葉をアレンジして言うと、今日の中ロ関係においては、「米国の脅威」という利害の自然な一致がある。したがって、中国がロシアとの関係を表に出してジワリと米国を牽制する局面は増えないわけがない。
例えば、中ロが共同して行う軍事演習。既に2018年9月、ロシアがソ連崩壊後最大規模の軍事演習「ボストーク2018」を極東で実施した際には、人民解放軍3千人が参加した。中国は近年、最新鋭戦闘機スホイ35やミサイル防衛システムS400をロシアから購入。米国はこれを対ロ制裁違反と認定し、中国軍高官を制裁指定した。中国が従来よりも早いサイクルでロシア製の最新鋭兵器を購入できるようになったことは、米軍にとって不愉快な話である。

とは言え、中国がすぐにロシアとの協力関係を同盟にまで高める可能性は低いだろう。中国指導部には、米国と現時点で全面的にぶつかるのは得策ではない、という慎重な見方がまだ残っているように見える。ロシアと一緒になって米国を露骨に刺激し、自らに対する米国の無用な攻勢を誘うことはあるまい。

だが、ロシアというカードには、米国に対する中国の弱点を補うという意味で、他国にはない禁断の魅力がある。それは、ロシアの核戦力だ。前々回のポストで見たとおり、米中の力関係を比較すると、経済面では相当程度拮抗しているのに対し、軍事面ではまだ米国のリードが大きい。特に、グラフ③を見れば、中国の核戦力は米国に対してあまりにも見劣りしていることが一目瞭然である。
中国が米国との核戦争を想定しているとは思わないが、仮に将来、米中間で軍事的緊張が高まった時、究極の最終兵器である核戦力面がここまで劣っていれば、やはりハンディになる。この面で米国に対抗できるのは、地球上にロシアしかない。

現在、米中間で対立が表面化している「前線」は経済面だ。これが将来、軍事面にまで拡大して来れば、中国とロシアはより同盟に近づくであろう。その時、ロシアは中国に対しても米国に対しても発言力を高める。その意味では、米中関係の緊張激化を喜んでいる数少ない指導者の一人はウラジーミル・プーチンに違いない。

世界は二極化しない

このブログでは、世界中のすべての国々と中国の関係を一つ一つ点検する余裕はない。だが、米国と対抗するため、中国が米国以外のほぼすべての国に手を伸ばそうとすることはおそらく間違いない。

一方、今後は米国も関係国に圧力をかけ、中国の「逃げ道」をふさごうとする可能性が高い。しかし、今日の世界には、冷戦期に存在した東西ブロックのようなものは存在しない。冷戦期の米ソがそうだったように、今日の米国あるいは中国が他国に対して「主人」のように振る舞おうとしても、なかなかうまくいくものではない。

これからの世界は、突出した国力を持った米中がバイ(二国間)で競いつつ、世界全体では多極化が進む――。これが私の予想する国際政治の構図だ。
「冷戦」という言葉に「二極化した世界」というイメージがつきまとうことを考えれば、やはり私は「米中冷戦」という言葉を安易に使うべきではないと思う。

令和の始まりに考える「米中冷戦」論 ③ ~ 米中対立の性格を吟味する

最初にお断りを一言。本ブログでは、前回前々回と「平成の終わりに考える『米中冷戦』論」というタイトルで米中関係を論じている。先月中に一区切りつけることができるだろう、と思って書き始めたのだが、甘かった。諸般の理由で時間が十分とれなかったことに加え、やはりテーマが大きいため、予想以上に筆に進まなかったのだ。その結果、前二回を引きついだ今回のポストは、「令和の始まりに考える~」とタイトルを変更している。不格好な話だが、ご寛恕願いたい。

第1回のポストでは米ソ冷戦後の米中関係の推移を振り返り、第2回は米ソ冷戦と今日の米中関係を比較することによって米中関係の特徴を記述した。以上を踏まえ、今回は米中関係の性格をさらに深掘りしてみたい。

緩い対立~熱戦はない

米中関係が緊張の度を増していることは否定できない事実である。だが、それは冷戦期の米ソ関係のような「一触即発」の緊張とは異なる。

1. 米中「熱戦」はない

第一に、米中が軍事的な戦争に至る可能性は、無視してよい。米中開戦が必至、という見方もあるようだが、少なくとも現段階では、それは扇動の類いにすぎない。

冷戦期の米ソは、まさに一触即発の状況にあり、世界中の人々が人類全体を何度も滅ぼす核戦争の恐怖に怯えた。しかし、両超大国の持つ核戦力が対等(パリティ)の状態になって相互核抑止が成立したため、米ソ間で戦争(=熱戦)が起こることはなかった。結果的に「長い平和(Long Peace)」が実現したのである。

翻って米中間の核戦力を見ると、前回見たとおり、米国が中国を圧倒している。米中間には軍事的な意味での相互核抑止は成立していない。だが、米中関係の緊張にもかかわらず、両国間で核戦争が起きるとは考えられていない。核戦力で圧倒的に劣る中国が米国を核で先制攻撃できないことは当然であろう。他方で、優位に立つはずの米国にとっても中国を核攻撃することはリスクが大きすぎる。米国が中国の核戦力を破壊し尽くす前に、中国も米本土に核ミサイルを数発以上射ち込むくらいのことは十分に可能だからである。自国が攻撃された場合は別だが、すべての先進国は、大勢の自国民の命を失うとわかっていて戦争を起こす、ということができない時代になっている。米国とて例外ではない。

中国は負けることがわかっているから核のボタンを最初に押すことができない。米国は勝つとわかっていても予想される中国の反撃によって受ける被害に耐えられないため、核のボタンを最初に押さない。つまり、今日の米中間には、相互核抑止とは別種の相互抑止が成立しているのだ。したがって、米中間で(少なくとも本格的な)戦争が起こるとはことも考えられない。

2. 相手を打倒しようと思っていない

米中が相手に対して感じる脅威のレベルが比較的低いことも、米中が軍事的に戦わないことのもう一つの理由である。

冷戦期の米ソは、それぞれ「民主主義・資本主義」、「共産主義」という異なるイデオロギーを奉じ、それを世界に広げると同時に自らの勢力圏を拡大しようとして相争った。政治イデオロギーに関して言えば、「民主主義」対「共産主義」の対立構図は米中間に今も見られる。しかし、自らの政治イデオロギーを「輸出」しようとか、相手の体制を転覆しようとかいう意図は、双方とも持っていない。その意味で、米ソ冷戦下で厳然と存在したようなイデオロギー対立は、今の米中間には存在しない。当然、米中間の対立は米ソ間の対立よりも「緩い」ものとなる。

なお、経済については、計画経済(国家統制)を残したまま資本主義を取り入れる中国に対し、資本主義の総本山とも言える米国は(特にトランプ政権になってから)重商主義に傾き、こちらも国家の介入色を強めている。米中「貿易戦争」の核心にあるのは、経済イデオロギーの対立ではない。「利益」をめぐる対立だ。

3. ペンス演説

昨年11月4日、マイク・ペンス米副大統領はワシントンにある保守系シンクタンクで政権の対中政策について講演した。中国への敵意をむき出しにした内容だったため、一部では第二の「鉄のカーテン」演説と呼ぶ者もいる。

私はペンス演説に二通りの感想を持った。一つは、副大統領という地位にある者がここまで露骨な表現で中国を罵ったことに対し、ニクソン=キッシンジャー以来の米中接近という大きな流れが転換点を迎えた、というもの。もう一つは、米中対立はやはり米ソ対立とは違うな、という思い。キリスト教福音派らしい宗教的熱狂を帯びた表現を多用しているものの、ペンスの挙げた中国の「罪状」を煎じ詰めれば、「中国が米国を追い上げ、米国の派遣に挑戦している」ということ、つまりは「国力の接近」だ。根本にイデオロギー対立があった米ソ冷戦とはそこが大きく違う。だから、米中対立は米ソ冷戦に比べ、「緩い」のである。

そのうえで言うと、私がペンス演説の中で最も注目したのは、中国が米国世論に対して様々な形で工作を仕掛け、米国民の政権選択をも左右しようとしていると警戒感を露わにしたこと。ロシアがトランプ大統領誕生(=ヒラリー大統領阻止)のために露骨な選挙介入を行ったことには触れないまま、中国が反トランプの工作を行っていると非難するのはご都合主義だと失笑せざるをえない。

しかし、ネットを通じたものであれ、その他諸々の工作によるものであれ、外国が自国にとって都合の悪い政治家を落選させたり、逆に都合のよい政治家を当選させたりするようなことがあれば、それは一種の「間接侵略」である。(私に言わせれば、2016年米大統領選におけるロシアの介入は間接侵略以外の何ものでもない。)真珠湾攻撃や9.11同時多発テロが示すとおり、自国が侵略(攻撃)された時の米国は、徹底的に戦う。2016年大統領選挙時のロシアばりに露骨な形で中国が米国世論への介入を行えば、米中の対立を「緩い」と言い続けられる保証はなくなるだろう。

恒常的な対立

軍事的な直接衝突は起こらないかわりに、米中間では経済的な対立が既に顕在化している。経済や技術面での米中の直接衝突は、今後も終わることなく、ダイレクトな形で続いていく。

1. 貿易摩擦(貿易戦争)

経済摩擦は武力衝突のようなハードな対立ではない。その分、経済における米中「戦争」は恒常的に発生しうる。

米ソ冷戦の時は、武力衝突も貿易戦争もなかった。米ソ間、あるいは東西ブロック間の貿易量は極めて少なかったから、冷戦期にはそもそも米ソの貿易戦争など起きようがなかった。(冷戦期を通じて米国が何度か対ソ穀物輸出を制限したことはある。しかし、影響は限定的で「貿易戦争」と形容すべきものではなかった。)

これに対し、米中間には経済的に深い相互依存関係が存在する。その気になれば、双方がいつでも経済制裁に打って出ることはできる。

ちなみに、経済的な制裁措置には、「買わない」制裁と「売らない」制裁がある。今、トランプが中国に仕掛けている関税引き上げは、「買わない」制裁の一種だ。モノが溢れている状況にあっては「輸出を止める」と脅すよりも「輸入を制限する」と脅す方が有効なことが多い。一方で、2010年の尖閣漁船事件の際に中国がとったレアメタル禁輸は「売らない」制裁の例である。希少な原材料だからこそ、輸出禁止が圧力になると考えられたのである。

これまで長い間、米国を含む各国の政府は貿易をプラスサム(ウィン・ウィン)ゲームと捉えてきた。関税引き上げなどの貿易制限的な措置をとった場合、自国産業にも悪影響が出ることが避けられない。北朝鮮やイランなどに対する戦略的目的を持つものを別にすれば、貿易赤字があるからという理由で大規模な貿易戦争に打って出ることは控える――。1980年代の日米自動車摩擦の時を含め、それが従来の常識だった。

しかし、ドナルド・トランプは違った。トランプは貿易をゼロサム・ゲームと捉え、貿易制限をいとも簡単に発動する。米産業全体では「返り血」を浴びるはずだが、それよりもディール感覚での駆け引きを優先しているように見える。

トランプ政権がこれまで中国に対して仕掛けた関税引き上げは以下のとおり。2018年3月に鉄鋼・アルミニウムの関税を引き上げたのを皮切りに、同年7月にはロボットや工作機械など340億ドル分、8月には半導体や化学品など160億ドル分、9月には家電や家具など2000億ドル分を対象に関税を15%引き上げて25%にする、と発表した。(実施時期にはズレがあり、2000億ドル分の引き上げは今年5月。)さらに、去る5月10日には残りの全輸入品(iPhoneを含む)についても追加関税をかける準備を始めた。これら一連の関税引き上げに対し、中国が毎回、米国からの輸入に対して関税を引き上げるなど、報復措置を講じたことは言うまでもない。

「貿易戦争」を始めたのがトランプであるなら、今後トランプ大統領が任期を終えれば、事態は沈静化するのだろうか? そうはなるまい。

政治的なタブーは一度破られると、タブーでなくなるもの。伝統的に自由貿易の牙城であったはずの共和党は今やこぞってトランプ支持に傾いた。トランプと競う民主党は元々保護主義に親和性が高い。民主党の大統領候補がトランプ流に対抗して自由貿易を打ち出す雰囲気はない。

米中間で過激化する一方の貿易摩擦を鎮静化させる要素があるとすれば、貿易戦争の悪影響が金融市場や景気動向に急激に作用し、トランプの政権運営の足を引っ張るような事態が起きることであろう。後述するように昨年10月から年末にかけてはそうした動きがまさに見られた。

2. 技術覇権戦争

トランプ政権が中国に仕掛けている経済戦争は、単に貿易や関税と言った分野にとどまらない。私は、米中が今後、技術覇権をめぐって繰り広げる抗争こそ、「戦争」という名によりふさわしい、と思っている。

為替レートを購買力平価で計算すれば、超大国である米国はGDPに代表される経済力で中国に既に抜かれ、実勢レートでも抜かれるのは時間の問題。米中の経済ボリュームが逆転すれば、軍事力の面でも米国が中国にキャッチアップされるのは時間の問題である。

そこで米国が重視するのが、技術力で対中優位を堅持することになる。これからの経済覇権は、AIに象徴される情報技術の基準を誰が先に押さえるか、に大きく左右される。軍事面でも、湾岸戦争以降、アフガン戦争やイラク戦争で世界に衝撃を与えた米国の精密誘導兵器は軍事力と情報力の結合にほかならない。この分野においても、中国やロシアのキャッチアップは急だ。5Gを含めた次世代の技術標準で中国――正確には、米国以外のあらゆる国――に先を越されれば、超大国・米国の経済覇権と軍事覇権は本当に危うくなる。この点については、不動産王あがりのトランプよりも、米国の戦略立案者たちの方が危機感は強い。論より証拠、この1年あまりの動きを振り返ってみれば、米国がなりふり構わず、技術開発の面で中国を封じ込めにかかっていることは明らかだ。

2018年4月、米国政府はZTE(中興通訊)に対し、対イラン制裁違反を名目に7年間の米国内販売禁止を命じた。2018年後半になると、米政府が同盟国に対し、HUAWEI(華為技術)の通信機器を使わないよう要請した。同年12月には、HUAWEI創業者の娘(副会長)の孟晩舟が米政府の要請に基づいてカナダで逮捕される。今年5月には、ポンペオ国務長官が英国に対して5G移動通信システムにHUAWEI製品を使用しないよう求めた。もちろん、米国政府が英国以外にも同様の要求をしているであろうことは容易に想像できる。

米国は本気だ。しかし、中国も後に引くことはできない。技術覇権をめぐる米中間の熾烈な抗争は今後も続く、と見ておくほかない。

 米中経済摩擦のコスト(経済的な影響)

米ソ冷戦とは異なり、米中対立の基本構造は、米国と中国の2国間のものだ。しかし、両国の経済摩擦の影響は世界中に及ぶ。米中関係の議論からは少し離れるが、トランプの自国中心主義(アメリカ・ファースト)の矛先は中国だけに向いているわけではない、ということについてもここで触れておく。

1. 国際経済、金融市場への影響

米国による関税引き上げとそれに対する中国の報復合戦が続けば、当然ながら米中の経済や日本を含めた世界経済にマイナスの影響が出ることは避けられない。

問題がそれにとどまれば、ある意味で米中の自業自得。だが、米中は世界第1位と第2位の経済大国であり、両者のGDPを合計すれば世界全体の4割弱を占める。グローバリゼーションが進展した今日、米国や中国と経済相互依存状態にない国は事実上存在しない。米中経済の減速が日本を含めた世界経済の足をも引っ張ることは当然だ。

OECDの見立てでは、5月10日に米国が実施に移した2000億ドル分の追加関税引き上げにより、米国のGDPは約0.4%、中国のGDPは0.6%程度押し下げられるとともに、世界全体のGDPも0.2%ほど低下する。米中が双方からの輸入品全体に追加関税をかけるシナリオでは、最終的なGDPの押し下げ幅は米国=1.1%、中国=1.3%、世界=0.8%に拡大する。

米中の貿易戦争、技術戦争は実体経済に悪影響を及ぼす以上に金融市場を大きく揺さぶる。好調な米企業業績などを反映して米国株式市場は2018年10月に史上最高値を更新していたが、米長期金利の上昇に加え、トランプ政権による対中関税の追加引き上げ方針表明や孟晩舟逮捕などが重なり、年末にかけて株価は大きく下落した。10月3日に26,823ドル(終値)をつけたニューヨーク・ダウは、12月24日に21,792ドルにまで下落。日経平均も10月2日に24,270円だったのが、12月25日には19,155円まで下がった。

株価急落を受けたトランプ政権は中国と協議して合意に至る意思を示し、FRBも利上げ観測を醒ましたため、今年に入って米国株は回復に向かった。それでも先週、米政府が2000億ドル分の対中輸入に対する関税を15%引き上げると発表するや、米国や世界の株価は一斉に下落した。米中貿易・技術戦争がエスカレートして金融市場がさらに動揺すれば、実体経済の被る悪影響が増幅されることは言うまでもない。

2. アメリカ・ファースト

米中冷戦のイメージが強すぎると見過ごされてしまいがちだが、トランプ政権が仕掛ける貿易戦争の標的は中国だけではない。

米ソ冷戦たけなわの頃には、米国にとって不倶戴天の敵であるソ連と対決することが最優先課題だった。米国が西側同盟諸国に対して貿易戦争を大々的に仕掛けることなど、論外であった。(日米繊維摩擦など、限定的な経済摩擦はあった。)

だが今日、トランプにとって大事なものは、外交でも政治でもビジネスでも「勝ち負け」だ。中国に貿易戦争を仕掛けているのも、貿易赤字(=負け)を減らすことが米国の国益だと信じているため。要するに、トランプの貿易戦争の原動力は、アメリカ・ファーストという名の自国中心主義なのである。そう考えれば、トランプの矛先が向かうのは中国だけ、ということにならないのは自明の理だろう。

実際、鉄鋼・アルミの追加関税は中国だけでなく、EU、カナダ、メキシコ、日本なども対象となった。(日本製品は鉄鋼で申請分の4割、アルミで8割が適用除外された模様。なお、中国製アルミも申請分の25%は適用除外されている。)

米国政府はカナダ、メキシコにNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉を要求し、2018年11月にUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)を締結。メキシコからは自動車貿易における原産地規則強化や賃金条項の導入、カナダからは乳製品市場へのアクセスや知財保護期間などを獲得した。また、2018年9月には米韓FTAを改訂し、米国によるトラック関税撤廃を20年延期した。日本とはTAGという名の日米FTAの締結に向け、現在交渉中だ。

「アメリカ・ファースト」の最大の焦点となる、自動車関税の引き上げ――1980年代の日米自動車摩擦の時でも具体的な政治課題にはならなかった――に至っては、中国など眼中にはない。その狙いが米自動車産業の保護にあることは言うまでもない。WTOのエコノミストは、米国が外国車の輸入を制限すれば、米中間の貿易摩擦よりも世界経済への影響が大きいと指摘している。

米国が同盟国に対して要求を突き付けているのは、貿易や経済だけに限った話ではない。2018年7月、トランプはNATO首脳会談で他の加盟国に対して、防衛費をすぐさまGDPの2%まで増額し、NATO加盟国が2024年までに達成すべき防衛費の対GDP比率も4%に引き上げるよう求めた。日本は米国からの兵器購入を増額することで当面の矛先をかわしている。だが、現在1%未満にすぎない防衛予算の対GDP比を増やせという要求がいつ来てもおかしくない状況にある。

冷戦期は、ソ連に対抗するために西側ブロックの結束を重視し、盟主であり、超大国である米国が防衛責任の大半を負っていた。米ソ冷戦期以来の「慣行」は、経済分野のみならず、軍事の分野でも当たり前のものではなくなりつつある。

令和の天皇が挑む試練――象徴ゆえの困難

昨日(2019年5月1日)、平成の天皇(明仁上皇)が退位し、令和の新天皇(先の皇太子徳仁親王、浩宮)が即位した。前回の御代代わりは昭和天皇の崩御に伴うものだったため、世の中は自粛ムードだった。しかし、今回は祝賀ムード一色と言ってよい。「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」と「即位後朝見(ちょうけん)の儀」も正装で行われた。不敬かもしれないが、私は戦後生まれの同世代として新天皇に親近感を抱いている。新天皇にとって、めでたい門出となったことをまずは素直に慶びたい。

だが、正直に言えば、慶びの裏には不安もある。昨年12月13日付のポスト(「次の代替わりに伴い、『天皇制のあり方』も変わる」)で、新天皇を試練が待ち受けることになる、と私は書いた。ここ数日の皇室特番をテレビで見ながら、新天皇を含め、これからの皇室は大変だな、という思いを改めて強くした。

象徴天皇は権力がない故に、その存在価値を国民の支持に見出すしかない。つまり、天皇制の将来はひとえに、天皇の人格、天皇の徳にかかっている、ということ。先の天皇(明仁上皇)はこの試練を見事に乗り越えたが、次もうまくいくとは限らない。

祝賀ムードの中、新天皇にとって試練の日々がいよいよ始まった。令和が始まったばかりだと言うのに、水を差すつもりは毛頭ない。むしろ、徳仁天皇にエールを送るつもりで私の思うところを書いてみる。

 

明仁天皇の危機感

平成における成功

平成が終わりを告げるまでの数週間、テレビなどは明仁天皇と美智子皇后の特集をものすごい勢いで放映した。そのすべてを見たわけではないが、先の天皇・皇后は本当に国民に敬愛されていた、というのが実感である。先月行われた時事通信の世論調査では、明仁天皇に対して「尊敬の念を抱いている」が44.0%、「好感を抱いている」が39.5%にのぼった。これは凄い数字だ。失礼な物言いではあるが、昭和天皇が崩御されたとき、明仁天皇がここまで国民に支持されることになると誰が思ったであろうか?

戦争に負けて大日本帝国は日本国となり、天皇の位置づけも戦前とは大きく変わった。明治天皇、大正天皇、終戦までの昭和天皇は、間違いなく政治権力を持っており、現人神として神聖化された存在であった。大日本帝国憲法の第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、第3条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定していた。ただし、第4条に「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあるとおり、天皇は絶対君主だったわけではない。明治から戦中にかけて、政治の実権は元老たちや軍部が握っていた。だが彼らも、天皇の意向をまったく無視できたわけではない。戦前の天皇は厳然たる政治的影響力を持っていた。

戦後、新憲法の下で天皇は日本国の「象徴」という曖昧な概念として存続することになった。裕仁天皇は人間宣言を行い、政治的な発言も慎まざるを得なくなる。とは言え、同じ人格を持つ天皇がある時点を境に完璧に変わることなどありえない。昭和天皇の話し振りなどからは、最晩年においても高い目線が感じられたものである。それでも、国民の多くは昭和天皇に対し、現人神と権力者の残滓を見ていた(前回のポスト参照)から、天皇の権威は保たれた。

その意味で、名実ともに象徴天皇となった最初の天皇は明仁天皇だった。そして明仁天皇は、象徴天皇として国民の敬愛を集め、見事なまでに成功をおさめる。しかし、その成功は決して最初から約束されていたものではなかった。

象徴天皇制のきびしさ

考えてみれば、「象徴天皇」とは心もとないものだ。天皇が(たとえ絶対的なものでなくても)政治権力を持っていれば、天皇一個人の能力や徳にかかわらず、天皇の地位はまず安泰である。だが、今日の象徴天皇制の下で天皇は政治権力を持たない。神事に携わっているとはいえ、戦前のような神性も失われた。それどころか、憲法第1条は天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」と明言している。国民主権の時代に象徴天皇制を存続させるためには、国民の支持を得続けることが必須というわけだ。

現人神でもなく、権力者でもない天皇が国民から支持されるか否かは、天皇個人の資質にかかる部分が大部分である。

これが一国の宰相であれば、人徳に多少欠けていても、政治経済の運営実績を残し、選挙に勝利すればその地位を守ることができる。企業でも、同族による株式支配や好業績の達成に助けられ、性格に難のある経営者がその地位に居続けることも珍しくはない。しかも、大臣であれ、経営者であれ、本当に資質がなければ、別の誰かに代わればよいだけの話だ。

象徴天皇は違う。権力を持たない以上、天皇に政治的な実績をあげることは不可能。神として崇めたてられることもない。結局、天皇や皇后の人徳、人格で勝負するしかない。天皇という個性が国民に受け容れられなければ、自ら交代することも許されず、天皇制そのものの存続が危ぶまれる事態となる。考えようによっては、象徴天皇制とは、実にきびしい制度だ。

そのことを誰よりもわかっていたのは、ほかならぬ明仁天皇ご自身だったのではないだろうか? 昨年12月20日に行われた会見で「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と明仁天皇は述べられた。

即位以来、象徴天皇が置かれた立場のきびしさを自覚しながら、言ってみれば日々、崖っぷちに立たされたような気持ちで公務に取り組まれていたのであろう。去る2月24日に行われた即位30年記念式典で明仁天皇は「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と述べられた。「果てしなく遠く」という部分に天皇制存続に対する危機感の反映を感じ取るのは私だけだろうか。

政治との距離

明仁天皇はいかに象徴天皇として国民の支持を獲得できたのか? 本人や皇后の人格、天皇の公務に対する責任感が最大の理由であろうが、それらは私の目で観察することができない。ここでは、明仁天皇の慎重さ(戦後憲法に忠実であろうとする姿勢)と、平成という災害の時代が天皇に迫った対応の二点によって、多くの国民が象徴天皇を支持するようになったという事実を指摘しておく。

明仁天皇はリベラルな考え方の持ち主と言われている。しかし、ご本人は国民主権を定める戦後憲法を厳格に解釈し、政治的な発言を厳に慎まれた。お気持ちが滲むような発言をされたことは幾度かあるが、その場合も言葉を選ばれており、天皇が政治的な発言を行ったとは言いがたいものであった。なお、2016年8月に生前退位の意向を事実上表明されたことを取り上げ、政治的発言と批判する向きもあるようだが、それは天皇を憲法の奴隷とみなす極論である。

重要なことは、明仁天皇が特定の政治家や政党を支持したり、批判したりすることから完璧なまでに距離を置いたことだ。平成のほとんどの期間、自民党政権(またはその連立政権)が続いたが、リベラルな思考の持ち主である天皇が政権を批判したことはなかった。比較的リベラルな民主党政権ができた時も、天皇が政権に親近感を表明することは微塵もなかった。平成の最後の6年余り、「戦後レジームの解体」という天皇の価値観を真っ向から反する考え方を持つ安倍晋三が総理大臣を務めても、天皇は政治の動きに対し、黙して語らなかった。もしも、2009年に政権交代が実現した時に天皇がそれを歓迎する発言をしていれば、あるいは、憲法の解釈改憲を行った安倍を明確に批判していれば、右寄り、あるいは保守層の反発を招いていたに違いない。一方で、リベラル系の国民は明仁天皇がリベラルな思考の持ち主であることを知っており、戦前のイメージを引きずる昭和天皇に対して持ったような反感を明仁天皇に抱くことはなかった。価値観の多様化した現代において天皇が奇跡的に広範な国民の支持を得られたのは、政治的発言を厳に慎むという明仁天皇の慎重さに負う部分が少なからずあった。

新しい役割としての被災地訪問

もう一つ、誤解を怖れずに敢えて言うと、平成が頻繁に大災害に見舞われた時代であったことが、天皇に象徴天皇としての新たな――かつ、国民の目に見える――役割を与え、結果的に象徴天皇に対する国民の支持を集めさせることになった。

象徴天皇の役割には様々なものがある。

内閣総理大臣の(形式的な)任命、解散詔書の作成、栄典の授与など、憲法に由来する「国事行為」。はっきり言って、これらは一般国民にとっては関係のないことである。

国家の安寧・繁栄、五穀豊穣などを祈る「祭祀」。これも一部の右寄りの人を除けば、興味のないことだ。第一、天皇が祈りを捧げている姿を国民は目にすることがない。

それ以外の公務。終戦後、昭和天皇は敗戦に打ちひしがれた国民を励ますため、全国行幸を行ったほか、戦没者の慰霊活動も行った。国民体育大会や植樹祭など様々な行事にも皇族が分担して参加している。外国訪問や来日した外国要人との面会といった皇室外交も重要な仕事のひとつだ。これらは平成の皇族にも引き継がれてきた。

平成になると、阪神淡路大震災、東日本大震災をはじめ、大規模な地震が頻発し、近年は豪雨・豪雪災害が毎年のように全国各地を襲った。被災地訪問は昭和の時代にもあったが、平成において天皇の公務の中で最も重要なものになったと言ってよい。

もちろん、天皇が災害を利用したと言いたいのではない。天皇は、日本国の象徴、日本国民統合の象徴としての責任感に駆られて、やむにやまれぬ気持ちで公務に携わられたはずだ。

被災地訪問に向けた天皇の献身は、その頻度と回数のみならず、姿勢の面でも昭和と区別されるものだった。昭和天皇も種々の慰問活動をされたが、立ったまま、上から目線の残る言葉――「あ、そう」は流行語となった――をかけていた。しかし、明仁天皇と美智子皇后は違った。自ら膝をついて被災者と同じ目線になり、予定時間を超えても被災者の声に耳を傾けた。今では当たり前に思うようになったが、天皇が一般国民に丁寧語で語りかけるのをはじめて聞いた時、違和感さえ覚えたものである。

平成の30年あまりの間、天皇は被災地を慰問し続けた。天皇が自ら国民の中に入り、国民と苦難を分かち合おうとする姿に国民は感動をおぼえた。今や、国民が天皇に期待する役割のうち、「被災地訪問などで国民を励ます」が最も多い66%(複数回答)にのぼる。被災地訪問は天皇の公務として高く評価されるようになっている。

 

令和以後、象徴天皇制が抱える課題

以上のように、明仁天皇は象徴天皇として国民の支持を集めることに見事成功した。だが、問題は令和以後どうなるか、である。国民の歓呼の中で即位した徳仁天皇は、父が抱えた以上に大きな課題と直面することになると思われる。

国民の支持

共同通信社が実施した緊急電話世論調査によると、徳仁天皇に対して「親しみを感じる」と回答した者が82.5%にのぼった。まずは順調なスタートだと言える。しかし、「親しみを感じる」ことと新天皇を「支持する」ことはまた別だ。明仁天皇が国民に支持されたからと言って、徳仁天皇も自動的に国民に支持され続ける保証はどこにもない。

令和の時代、徳仁天皇と雅子皇后は、象徴天皇としていかに国民の支持を得ていくのか? 令和の天皇ご夫妻と平成の天皇ご夫妻の人徳を比べることは私にはできない。だが、明仁天皇夫妻が国民に敬愛されている分、徳仁天皇夫妻が越えるべきハードルも高くなることだけは確かであろう。

明仁天皇が「開拓」した被災地の訪問は令和の天皇も継続することになる。しかし、東日本大震災級の大災害が令和の時代も引き続いて起こるとは願いたくない。新時代が災害の面で安寧であれば、天皇の役割が失われる、というのはやはり矛盾している。

明仁天皇は被災地訪問を通じて、国民に近しい皇室という昭和天皇とは異なるスタイルを自ら作り上げた。それは昭和天皇が戦前の天皇像を部分的に残し、国民も昭和天皇に戦前の天皇像の残滓を見ていた時代の後だったからこそ、強いインパクトがあった。一方、5月1日の即位後朝見の儀で徳仁天皇は「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と誓った。前天皇の姿勢を継承すると言ったわけだ。だが、前天皇と同じことをしても、前天皇と同じくらい評価されるものか否か? 今しばらく様子を見ないとまだ何とも言えない。

雅子皇后の健康状態が激務に耐えられるのか、という懸念も残る。皇室の仕事は長く続くものなのだから、新皇后には最初から無理されることのないよう、是非とも謹んでほしい。確かに、雅子皇后が健康状態故に公務を減らされれば、批判が多少なりとも出てくることは覚悟せざるをえない。だが、そうした批判に対しては別の批判も出てくるはず。プレッシャーの中で徳仁・雅子流の皇室像を作れるかどうかを国民は注視している。

雅子皇后が外交官出身ということもあり、新天皇・新皇后に対し、これまでとは一味違った皇室外交を期待する声も聞こえてくる。私も、そうした期待を抱かないわけではない。だが、令和の皇室外交は安全運転、かつペースを抑えて行うべきだ。被災地訪問など国内の公務よりも皇室外交に熱心である、と見られるようなことがあれば、新天皇に対する風当たりは一気に強くなりかねない。また、皇室外交が親善を超えて中身を伴うものになれば、天皇は知らず知らずのうちに政治の世界に足を踏み入れることになる。そうなれば、皇室外交を支持する国民もいる一方、批判する国民も必ず出てくる。天皇が政治的発言を行えば、象徴天皇制に対する国民の支持は必ず減ることになろう。

ゴシップ・ネタの類いだからあまり言いたくはないが、小室圭氏の母親の問題をはじめ、皇太嗣である秋篠宮家に関わる出来事も懸念材料だ。小室氏にまつわる話は何が本当なのか、私は知る由もない。だが、眞子内親王が小室氏と結婚すれば、将来の天皇の義兄やその母親が金銭トラブルを抱えたまま、説明責任すら果たさない、と少なからぬ国民は不快に思うだろう。もちろん、小室氏と眞子内親王は天皇家から独立した二つの人格である。好きあった二人が結婚するのは自由だ。しかし、世の中は、二人を独立した人格と見るのではなく、皇太嗣の娘、悠仁親王の姉とその彼氏、と見る。私の知り合いの中にも「こんな問題一つ解決できなくて、次の天皇家を信頼しろと言われても無理ですよね?」と言う人はいる。徳仁天皇は黙っていればよいと思うが、秋篠宮にとっては頭の痛い問題である。

後継者問題

政府は今秋以降、皇位継承問題の検討を進める意向のようだ。

現在、天皇の後継者は、皇位継承順位1位の皇太嗣(秋篠宮)、同2位の悠仁親王、同3位の常陸宮の3名のみ。常陸宮は徳仁天皇(59歳)の叔父で83歳だから、事実上、秋篠宮と悠仁親王の2名と言ってよい。秋篠宮は徳仁天皇の5歳年下であるため、仮に現天皇が80代で退位されれば、秋篠宮は前例のない高齢で即位することになり、在位の期間は短いと考えられる。先月20日付の朝日新聞は、秋篠宮がそのような事態においては皇位継承を拒否すると述べた、と伝えた。となると、皇位継承者は事実上、悠仁親王一人となる。徳仁天皇が80歳になる年に悠仁親王は34歳くらい。悠仁親王に男子がいなければ、天皇家は絶えてしまう。事態は深刻である。

今後の検討では、女性宮家の創設のみならず、女系天皇や女性天皇についても議論される可能性がある。今日発表された共同通信の世論調査では、女性天皇を認めることに賛成が79.6%、反対は13.3%であったと言う。実際には、保守派のすさまじい抵抗が予想されるため、女系天皇や女性天皇の実現は困難を極めると考えざるをえない。

令和以後の皇位継承の本当の問題は、皇位継承資格の拡大によって解決できる類いのものではないかもしれない。私の根本的な疑問は、悠仁親王であろうが、(女性天皇が認められた場合の)愛子内親王であろうが、果たして本人が天皇となることを望むのか、というものだ。明仁上皇や徳仁天皇までは、それが当たり前だったかもしれない。だが、21世紀に生まれ、現人神だった昭和天皇に会ったこともない若者が、周囲はすべて職業選択の自由を享受している中、一人、憲法や皇室典範の定めに従って天皇になる、という道を選ぶものだろうか? 例えば、悠仁親王が天皇に即位する場合は、30代から40年以上にわたって天皇の務めを果たさなければならない可能性が高い。親王がそれを望まないと考えたとしても、誰が責められようか?

保守派の中には、旧皇族の男系男子を皇籍復帰させるという解決策を提唱する者もいる。これをやれば、継承資格を持つ者の数は格段に増える。天皇になることを受け入れる者も探しやすくはなるだろう。でもそれは、大多数の国民にとって、どこの馬の骨だかわからない者が新天皇になる、ということを意味する。天皇に政治権力がない今、そんなやり方で天皇を選べば、象徴天皇制は国民の支持を失い、制度そのものが崩れ去るであろう。(少なくとも私は、そんな天皇を象徴と仰ぐ気にはなれない。)

象徴天皇制の下、皇位継承の問題は一義的には政府が考えるべきことだ。しかし、皇位継承は天皇家の存続の問題でもある。現実には、徳仁天皇も心を悩ませないわけにはいくまい。問題が議論される過程で、国内世論が分断されれば、象徴天皇に対する国民の支持が大きく揺るがされる可能性も排除できない。

 

以上、新天皇に対し、厳しいことばかり言いすぎたかもしれない。だが私は、徳仁天皇と雅子皇后を温かく、そして長い目で見守るつもりだ。

 

平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ② ~ 米ソ冷戦と今日の米中関係の比較

前回の議論を受け、今回のポストでは米ソ冷戦と今日の米中関係を比較を試みる。具体的には、米ソ冷戦の特徴を「全面的な対立」「力の拮抗(パリティ)」「地球規模」「相互遮断」の四つと整理し、今日の米中関係と対比させていく。

1.全面的な対立

<米ソ冷戦>

米ソは、戦争に至らなかっただけで、イデオロギー、政治、経済のすべての領域で全面的に対立していた。

政治面では、米国が民主主義を奉じたのに対し、ソ連は共産党一党独裁を敷く。

経済面では、米国が資本主義(自由経済)を信じて私有財産制を尊重した一方で、ソ連は計画経済を主張し、財産を国有化した。

米ソの最も根本的な対立はイデオロギー面にあった。ウラジーミル・レーニンは労働者階級による革命を唱道し、平等に重きを置いた。レーニンと同年に没したウッドロー・ウィルソンは、民族自決と国際連盟を主導し、自由を重視した。その後、アドルフ・ヒトラーという共通の敵がいたため、米ソは共にナチス・ドイツと戦った。しかし、第二次世界大戦が終わると、米国は自由主義・民主主義の盟主となり、共産主義の総本山となったソ連と激しく対立することになった。
ソ連は共産主義革命の輸出を図ったが、それは米国にとってソ連による間接侵略にほかならなかった。一方、ロシア革命後に諸外国から軍隊を送られた経験を持つソ連も、米国が率いる自由主義陣営を深刻な脅威と捉えた。米ソのイデオロギー対立はそのまま、食うか食われるかの熾烈な権力闘争を意味した。

<今日の米中>

米国と中国の政治体制が異なることは言うまでもない。米国は大統領制の民主主義国家、中国は(事実上)共産党独裁国家である。この点では、米ソ冷戦期と基本的な構図は同じだ。

経済面では、米国は資本主義と自由主義経済。ただし、トランプ政権は貿易面で保護主義(重商主義)的な色彩を出しており、従来のように「米国=自由貿易」というイメージは後退した。中国の方は、鄧小平が改革開放路線を採用して以降、社会主義市場経済という奇妙な名前の混合経済体制に徐々に移行していった。現在も国家(党)による統制はしっかり残っているが、下手な資本主義経済よりも資本の論理が貫徹している面も少なくない。

イデオロギーや価値観はどうか? 米国は自由、民主主義、人権、法の支配を基本的な価値観と位置付けている。もっとも、米国社会では分断化が進み、トランプ大統領を誕生させたポスト・トゥルース(脱真実)の風潮が米国の価値観そのものを揺るがしている。これに対し、中国共産党は今も、社会主義(現代)国家の建設を目標に掲げている。国家と党への忠誠が強制される一方で、習近平の権威付け(個人崇拝)も急速に進む。

ただし、ソ連が資本主義国家群を転覆して共産主義国家を樹立しようとしたのに対し、今日の中国はその政治体制や思想、価値観を世界に輸出しようとは(できるとは)考えていない。かつてのマルクス・レーニン主義には、国境を越えて人を酔わせる普遍性があった。だが、習近平思想と言った個人崇拝は、中国の中で強制されてはじめて信じなければならなくなる。習思想そのものには、中国の外で人々を心酔させるだけの力はない。

2.力の拮抗

<米ソ冷戦>

冷戦下、米ソ超大国の国力は基本的には拮抗しており、両国は対等(パリティ)の状況にあった。

経済面では、規模こそ米国が明らかに上だった――下記<グラフ①>参照――が、第二次世界大戦後の一時期、ソ連モデルの計画経済も驚異的な成長を見せた。

軍事面では、米ソは通常兵器の分野でも核戦力の分野でもパリティ(対等)の状態にあった。(下記<グラフ②>、<グラフ③>参照。) その結果、米ソのいずれかが先制攻撃すれば相手から報復を受けて双方が滅亡するというMAD(相互確証破壊)が成立し、米ソとも相手を攻撃できなくなった。

米ソ超大国の間に力の均衡と相互核抑止が成立していたからこそ、米ソが直接戦うことはなく、「冷戦」という呼び名が生まれたのである。だからこそ、(第二の意味での)「冷戦」という言葉は大国間に(少なくともある程度の)力の均衡が見られることを暗黙の前提として使われる。例えば、米国とイラン、北朝鮮の間には米中関係以上に厳しい対立がある。しかし、イランや北朝鮮では米国と国力が違いすぎるため、わざわざ「冷戦」という言葉が使われることはない。

<今日の米中>

単純に米中の経済規模をIMFのデータから比較すると、2018年の米国のGDPが20,494十億ドルだったのに対し、中国のGDPは13,407十億ドル。中国経済の規模は米国経済のざっと7割というところだ。ただし、購買力平価ベースで計算すると中国のGDPは25,270十億ドルとなり、既に米国のGDPを凌駕している。

下記のグラフ①は、大国――便宜上、フランス、ドイツ、英国、米国、ロシア(ソ連)、日本(1913年以降)、中国(1950年以降)とした――のGDP(購買力平価ベース)を足しあげた合計に対し、各国のGDPがどの程度の割合となるかを棒グラフで示し、その推移を時系列で並べたものである。米ソ冷戦が最も熾烈を極めた1950年や1960年の米ソ経済比較は明らかに米国優位だが、今日の米中経済比較はほぼ互角である。

<グラフ①>

もちろん、国家の経済力をGDPだけで単純に比較できるわけではない。それでも、冷戦期のソ連経済と比較してみた時、今日の中国経済は米国経済に対してほぼ対等の地位を得た、と言っても差し支えなかろう。しかも、最近低下してきたとはいえ、中国経済の成長率は米国経済を凌いでいる。購買力平価ベースで見た中国経済は、2030年には米国経済の倍(日本経済の9倍)になるという予測もあり、米中経済は名実ともに逆転する可能性が高い。

一方、軍事面では、今日の米中間の力関係は、冷戦期のソ連が米国に対して獲得したパリティをまだ実現していない。グラフ②は、大国の軍事支出全体に占める各国の軍事支出の割合を棒グラフで示し、時系列で並べたものである。冷戦期を通じてソ連は米国とほぼ互角か、金額ベースでは米国を上回っていたことが見て取れる。これに対し、中国の軍事支出は急伸してこそいるが、米国をキャッチアップしたとは言いがたい。

<グラフ②>

核兵器の面では、米中の戦力格差はさらに開く。冷戦後期にソ連は核戦力面で米国に並び、980年代には量的に米国を凌駕していた。核戦力に関して言えば、米ソは今もパリティにあると言ってもよい。(クリミア併合の際に米国が軍事介入を控えたのも当然であった。)

これに対し、中国の核戦力はまだ米国の足元にも及ばない。米中間にMAD(相互確証破壊)は成立していないし、近い将来、成立する見通しも立っていない。核保有国の保有核弾頭数を百分率で示した下記の<グラフ③>を見れば、中国(=右上の僅かな赤い部分)の劣位は明らかだ。

<グラフ③>

経済の量的な面を除けば、中国と米国の力関係は、かつての米ソのようにパリティ(対等)にはなっていない。とは言え、ソ連が時間と共に経済的に失速していったのに対し、中国は減速したとは言え、まだ米国以上のペースで経済成長している。今後は軍事力(通常兵器)の面でも米国を急速にキャッチアップするものと見込まれる。ただし、中国の核戦力が米国と肩を並べるような事態は予見しうる将来にわたって想像しにくい。

3.地球規模

<米ソ冷戦>

米ソ冷戦は世界大の現象であった。つまり、「冷戦」下においては、米ソ二国のみならず、世界中の国々が東西ブロックに分かれて対抗しあう構図が存在した、という意味である。(厳密には非同盟諸国を無視すべきではないが、国力の点で権力政治に与える影響は極めて限定的であった。)

軍事・政治面では、米国は欧州では北大西洋条約機構(NATO)、アジアでは日米安保条約、米韓同盟、東南アジア条約機構(SEATO)などによって西側陣営を固めた。他方でソ連は、欧州ではワルシャワ条約機構(WTO)、アジアではソ中友好同盟相互援助条約、ソ朝友好協力相互援助条約などによって東側をまとめた。(ただし、アジアでは1950年代から中ソ対立が顕在化し始め、1970年代には米中が和解してソ連に対抗するという複雑な構図になった。)米ソは発展途上国においてもそれぞれが「衛星国」をつくり、対抗した。

それを図示したのが下図。青系が米国の同盟国や米国から援助を受けた国々、赤系がソ連の同盟国やソ連から援助を受けた国々、灰色が非同盟諸国である。

経済面でも米ソを中心としたブロック毎の結びつきが顕著であった。ソ連は経済相互援助会議(COMECON)を作って東欧諸国やキューバ、モンゴル、ベトナムが加盟していた。米国は日欧などと対共産圏輸出統制委員会(COCOM)を作り、戦略物資の禁輸など、東側諸国に対する貿易をきびしく管理した。

<今日の米中>

米ソ冷戦と異なり、米中の対立は基本的に二国間のものだ。

中国が条約に基づく攻守同盟を結んでいる国は事実上、ない。北朝鮮との間では参戦条項を含む中朝友好協力相互援助条約を締結しているが、今日、米朝が軍事衝突しても中国は解釈変更によって参戦しない――少なくとも、米軍とは戦わない――可能性が高い。中国、ロシア、中央アジア諸国、インド、パキスタンの8ヶ国をメンバーとする上海機構も安全保障面での協力は対テロ対策や国境警備にとどまる。中国とロシアは米国を牽制するために共同演習などを行っているが、これも攻守同盟とまでは言えない。ロシアがクリミアを併合した時の中国の態度も曖昧で中立的なものだった。

一方で米国は、日米安保条約をはじめ、米ソ冷戦期に締結した同盟関係を基本的には維持している。しかし、米国と欧州、東アジア太平洋諸国との関係はもはや「西側ブロック」と呼べるようなものではない。

そもそも、EU諸国は中国と国境を接していない。時に中国を牽制する必要性は感じても、米国と対中軍事同盟を結ぼうとは考えない。先月(3月)下旬も習近平は訪欧してマクロン仏大統領、メルケル独首相、ユンケルEU委員長と会談したばかりだ。

米韓同盟を結ぶ韓国と中国の関係も基本的には悪くない。東南アジア諸国や豪州は中国が南シナ海への進出を強めていることに警戒感を募らせているが、中国の経済的な存在感を考えれば、中国との全面対立は避けなければならない。

中国の台頭を受け、米国との同盟関係に期待を募らせる例外的な存在が日本である。ただし、米ソ冷戦期であれば、ソ連が対日侵攻した場合――それはグローバルに米ソが戦うことを意味した――、米国の参戦は当然のことと思われた。だが今、日中が尖閣諸島を巡って局地的に軍事衝突しても、米国が自動的に軍を派遣して中国と戦う可能性はむしろ低い。

経済面でも、昨年来米国が仕掛けた対中貿易戦争に日欧などは加わっていない。それどころか、鉄鋼・アルミの関税引き上げは日本、EU、カナダなども対象にしており、EUやカナダは米国に対して報復関税を発動した。(日本はしていない。)一方、先月訪欧した習近平はイタリアとの間で広域経済圏構想「一帯一路」での協力を約束する覚書に署名した。

4.相互遮断

<米ソ冷戦>

かつてウィンストン・チャーチルは欧州における冷戦構造を称して「鉄のカーテン」と述べた。この言葉は、東西両陣営間で物品や人の交流が極めて制限されていた事実をも言い表している。冷戦期の米ソ間の貿易量は、ピーク時の1979年においても45億ドルにとどまり、それが米国の貿易総額に占める割合は1%にすぎなかった。(米ソ冷戦は終了していたが、1991年の米国と旧ソ連圏との貿易量はやはり45億ドルで米国の貿易総額の0.5%であった。)

東西間の人の交流も極めて限られていた。ソ連時代の観光データは限られているが、ある研究から断片的な数字を紹介しよう。

1956年にソ連から他国を訪れた旅行者――ソ連の「旅行者」には、研究、行事参加、スポーツなど公的な仕事目的のものが含まれている――の数は19,000~20,000人、ソ連を訪れた外国人の数は55,000人であった。1958年の数字では、外国を訪れたソ連人旅行者の行先は、21,851人が社会主義国であるのに対し、わずか4,372人が資本主義国であった。
もちろん、この当時は海外旅行そのものが今日のように簡単な時代ではなかった。それでも、ソ連圏が人の出入りに厳しかったことは間違いない。参考までに1964年の日本のデータを示しておくと、12万8千人の日本人が海外を旅行し、35万3千人の外国人が日本を訪問している。

<今日の米中>

今日、世界の第一位と第二位の経済の間の貿易量はめざましいボリュームになっている。2018年の米中貿易総額は6,598億ドル。2000年の1,162億ドルから5.7倍、1990年の200億ドルからは何と33倍に膨張した。

加えて、下記の数字は、WTOのデータから米中それぞれの貿易総額に占める米中貿易の割合を算出したもの。厳密な数値ではないが、米中貿易が双方の経済にとって不可欠のものになっていることを示すには十分であろう。

<対中貿易が米国の貿易総額に占める割合>

1991年           2.90%
2000年           5.80%
2010年         14.60%
2017年         16.60%

<対米貿易が中国の貿易総額に占める割合>

1992年         10.60%
2000年         15.70%
2010年         13.00%
2017年         14.20%

グローバリゼーションの時代と言われる今日、国境を越える人の出入りも飛躍的に増加し、その流れは共産主義国家である中国をも呑み込んでいる。

2017年に米国と中国を訪れた外国人観光客数と海外旅行のために出国した人数は以下の通りだった。(参考値として日本の数字も並べておく。)

(外国→中国)    6,074万人             (中国→外国) 1億4,304万人

(外国→米国)       7,694万人    (米国→外国)        8,770万人

(外国→日本)       2,869万人             (日本→外国)          1,789万人

米中二国間の旅行についても、2017年に米国を訪れた中国人は317万人で、2003年の16万人から約20倍となった。2017年に中国に渡った米国人旅行者数も225万人にのぼっている。

もちろん、国家(共産党)の統制が色濃く残る中国社会の開放度は決して高いとは言えない。だがそれでも、ヒト・モノ・カネの交流頻度が高まれば、中国政府がかつてのソ連のように自国を国際社会から遮断することはもはや不可能だ。SNSをはじめとした情報化の進展も中国社会と国外との相互浸透を基本的には促進する方向で働いている。

まとめ

以上、冷戦期の米ソと今日の米中を並べて比較してみた。両者の間には、共通点もあれば、相違点もある。大雑把には次のようにまとめられよう。

1. 対立の基本的性格

冷戦下の米ソの対立は、食うか食われるか、という差し迫ったものだった。今日の米中関係は、レトリックは別にして、今のところ、そこまでのものではない。

2. 国力の強弱

国力の強弱では、経済力の面で米ソ冷戦よりも今日の米中の方がより対等である一方、軍事力の面では米ソ冷戦の方が対等性は高い。

3. 地理的な広がり

米ソ冷戦はグローバルな対立であったのに対し、今日の米中の緊張関係は基本的には二国間にとどまる。

4. 相互依存性

冷戦期の米ソの間の相互依存性は極めて低かったが、今日の米中間には高い相互依存性が見られる。

 

こうした観察を踏まえて、今日の米中関係をどう見るべきなのか? 次回のポストで議論してみたい。

 

平成の終わりに考える「米中冷戦」論 ① ~対立が前面に出始めた米中関係

今月いっぱいで平成が終わり、令和が始まる。

昭和天皇が崩御し、平成が始まったのは1989年1月7日。この年の5月、ハンガリーがオーストリア国境を開放し、11月9日にはベルリンの壁が事実上崩壊した。続く12月2日~3日、ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長がマルタで会談し、冷戦の終結を宣言した。米ソ冷戦の終結と共に始まった平成は「ポスト冷戦」の時代でもあった。

平成も終わりに近づいた昨今、新たに「米中冷戦」という言葉を耳にすることが増えている。この分では、令和は米中冷戦の本格化と共に始まってもおかしくないほどの勢いだ。しかし、米中「冷戦」という言葉自体、我々はその意味を十分に吟味することもなく、雰囲気で使っているにすぎない。

令和は平成の前に米ソが世界を二分して核戦争の恐怖に怯えたような時代に戻るのか? それは違う、と断言できる。では、米中冷戦と言われる状況は米ソ冷戦に比べて「厄介ではない」と片付けられるのか? こちらの問いに単純な答を見出すことはできない。

令和の新時代を正しく舵取りするためには、米中関係の本質を理解することが不可欠となる。本ブログでは今後、「米中冷戦とは何か?」というテーマを継続的に追いかけていきたい。

米中関係の悪化

2010年代に入って以降、特に近年、米中関係が変わってきたことについては、多くの人が同意するだろう。その変化が平和と友好の方向にではなく、緊張と対立の方向に向かっていることに異論を挟む向きも少ないに違いない。ここで米中関係の推移をごく簡単に振り返っておこう。

<ビル・クリントン大統領(1993年1月~2001年1月)の時代>

米国の対中政策の基本は「関与(Engagement)」に重きが置かれた。1996年3月、台湾総統選挙を牽制するために中国が台湾沖にミサイルを発射したのに対し、米国政府が空母2隻を台湾海峡に急派するなど、緊張する場面もないではなかった。しかし、1997年には江沢民国家主席(在任1993年3月~2003年3月)との間で「建設的な戦略的パートナーシップ」の構築で合意したことが示すとおり、米国政府は中国との経済関係を重視する一方で、中国を国際社会に引き込むことによって「手なずける」ことが可能だと考えていた。
中国の側も改革開放路線を堅持し、経済建設を最優先する方針を堅持した。米中間の軍事力格差は甚だ大きく、台湾有事以外で米国と軍事的に事を構えることは問題外であった。

<ジョージ・W・ブッシュ大統領(2001年1月~2009年1月)の時代> 

大統領候補時代のブッシュは中国を「戦略的競争者(strategic competitor)」と呼んだ。大統領就任直後の2001年4月には、海南島付近で米中の軍用機が衝突する事件も起きた。だが、当時の国際環境はブッシュ政権下での米中関係を基本的には緊密化の方向に進めた。同年9月に同時多発テロが起きると、米国が対処すべき「敵」はテロリストや「ならず者国家」となり、中国は対テロ戦争のパートナーとなった。2005年2月から国務副長官を務めたロバート・ゼーリックは中国を「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」と呼び、2006年9月には「米中戦略経済対話(SED)」の設立も決まった。
この時期、米国の相対的国力は冷戦後の頂点に達する。アフガニスタンやイラクで米国が見せた軍事技術の圧倒的優越は「一極主義」という言葉を生んだ。江沢民や胡錦濤(国家主席2003年3月~2013年3月)も基本的には米国と共同歩調を演出し、米国の矛先が自国に向かないように努めるほかなかった。

<バラク・オバマ大統領(2009年1月~2017年1月)の時代>

オバマ政権はブッシュ政権の対中政策を引き継いで始まる。特に、経済面では急成長する中国市場の取り込みを国益と位置付けた。一方で、対テロ戦争が峠を越えたことに加え、中国の軍事近代化が急ピッチで進んだことにより、米国内には軍事面で中国に対する警戒感が徐々に台頭してきた。それを反映し、米国防総省は2012年にリバランス(アジア太平洋への回帰)の方針を打ち出した。
アフガン・イラク戦争の長期化は米国の国力を消耗させ、2008年に発生したリーマン・ショックは冷戦後の米国経済の繁栄に終止符を打った。その結果、米国の「一極」現象は随分と色あせてくる。逆に、国力の急伸に自信をつけた中国はじわりと自己主張を強めるようになった。2009年7月、胡錦涛は鄧小平以来の「韜光養晦(とうこうようかい=才能を隠して内に力を蓄える)」という外交方針を堅持しつつ、「積極的に為すべきことをする(積極有所作為)」外交をめざす、と述べた。習近平(国家主席2013年3月~)も副主席時代の2012年から「新型大国関係」という言葉で米国との対等な関係構築を主張した。軍事面でも、オバマ政権の後期になると中国は南シナ海での基地建設を含め、対外的積極姿勢を強める。それに対し、米国は2015年から南シナ海で「航行の自由」作戦を実施、中国の拡張路線を牽制した。

<ドナルド・トランプ大統領(2017年1月~)>

軍事面で顕在化し始めていた米中関係の緊張は、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権の下で先鋭化していく。不動産王と言われたトランプは貿易を「ゼロ・サム・ゲーム」と捉え、2018年3月には鉄鋼・アルミ製品の輸入に追加関税をかけた。その後、中国が報復すれば米国は対象品目を拡大するなど、所謂「貿易戦争」が始まった。米政府機関が中興通訊(ZTE)や華為技術(HUAWEI)などから製品調達することも禁じる構えだ。中国のハイテク技術力を抑え込むことによって中国の軍事力をも抑え込む狙いが米国側にあることは言うまでもない。
米国内では近年、貿易に限らず、安全保障や政治面でも中国を戦略的なライバルと捉え、本気で抑え込むべきだという考え方が台頭してきた。こうした動きを反映し、2017年12月の『国家安全保障戦略』は「中国(とロシア)は米国の力、影響力、利益に挑戦し、米国の安全保障と繁栄を侵食しようとしている。彼らは、経済をより不自由で不公正なものにし、自分たちの軍隊を強化し、情報やデータを制御することによって社会を抑圧し、自らの影響力を拡大しようと決意している」と述べている。
中国の方は、米国の露骨な方針転換に戸惑いを見せ、事態が全面対決にエスカレートしないよう腐心しているように見える。米国が所謂貿易戦争を仕掛ける以前から、人口のピーク・アウトやバブルの後始末の影響を受けて中国経済は減速し始めていた。経済成長こそが共産党一党支配を正当化する源泉である以上、習近平としても経済への悪影響が拡大することは何としても避けたい。その一方で、近年の中国はトランプに膝を屈するには強くなりすぎた。習もトランプに全面降伏する兆候は見せていない。

以上を見れば、2010年代に入って以降、米中関係が悪化してきたことは明白な事実だ。特に、オバマ政権の後半から今日のトランプ政権に至って米中関係の緊張のレベルが一段と上がった。以前のような良好な関係に戻ることは、予見しうる将来、なさそうに見える。しかし、だからと言って今の米中関係を「冷戦」と形容することが正しいとは言えるわけではない。

「冷戦」とは何か?

冷戦という言葉は何を指すのか? その定義は大きく言って二つある。

第一は、単に「関係が悪化するも、実際の戦争には至らない」ライバル関係のことだ。対義語は熱戦、すなわち、ライバル関係が嵩じて実際の戦争に至ること。この意味であれば、今日の米中関係を「冷戦」と表現することは決して間違いではない。現在の日韓関係を「日韓冷戦」と呼ぶことすら、許されるだろう。

しかし、今日「米中冷戦」という言葉が使われる時、我々は知らず知らずのうちに米ソ冷戦の再来をイメージしている。第二次世界大戦の終結から1990年頃までの半世紀弱、米国とソ連という二つの超大国は、実際の戦争には至らなかったものの、極めて厳しい対立状況にあった。冷戦の第二の定義は、その歴史的事実を踏まえたものである。「米中冷戦」という言葉に違和感を持つとすれば、この文脈においてのことだろう。

次回は、米ソ冷戦の特徴を挙げながら、現在の米中関係と何が同じで何が違うのか、具体的に点検していこうと思う。

ロシア疑惑の終結――勝ったのはプーチン

3月22日、2016年米大統領選をめぐる「ロシア疑惑」を2年にわたって調査したロバート・モラ―特別検察官が調査報告書を司法省に提出した。24日、その概要がウィリアム・バー司法長官によって公表された。

報告書は、ロシア政府による選挙介入活動について「トランプ陣営のメンバーがロシア政府と共謀・連携した事実が、調査によって立証されることはなかった」と記述。ロシア疑惑の捜査をトランプが妨害したという疑惑についても、モラーが「大統領に犯罪行為があったと結論づけないが、無実とするわけでもない」としたのを受け、バーは証拠不十分という判断を下した。

これによって、ドナルド・トランプ大統領の弾劾につながるような疑惑は事実上解消した――それが言いすぎなら、少なくとも峠を越えた――と言ってもよい。

トランプにしてみれば、大統領就任以来はじめて、枕を高くして眠ることができるようになった、というところか。早速、民主党やメディアに謝罪を求めるなど、自らの勝利をアピールしている。しかし、トランプの「勝利」は米国内政局という局地戦における小さな勝利にすぎない。

トランプ本人やトランプ陣営のメンバーがロシアと共謀していようがいまいが、大統領という米国政治の最高指導者の選挙に外国政府(ロシア)が介入し、選挙結果に大きな影響を与えたという事実は動かない。それは既に米国政府も認めてきたことだ。プーチンは当然否定するが、バー司法長官が公表したモラー報告書の概要も次のように述べ、改めてロシアの選挙介入を認定した。

 特別検査官の調査によれば、2016年の大統領選に影響を与えるため、ロシアによる2種類の試みがあったことが判明した。
 第一は、ロシアの組織(インターネット調査機関、IRA)が社会的不和の種を蒔き、結果的に選挙へ介入する目的で米国内において偽情報の拡散やソーシャル・メディア活動を実施したことに関するものである。特別検察官はこれらの活動との関連で多数のロシア人とロシアの組織を刑事告訴した。(ただし、米国人やトランプ陣営の関与は発見されていない。)
 第二は、情報を収集・拡散して選挙に影響を与えるため、コンピューター・ハッキングを実施したロシア政府の活動に関するものである。特別検察官は、ロシア政府の関係者がコンピューターにハッキングを仕掛け、クリントン陣営と民主党組織の関係者から電子メールを得ることに成功し、ウィキリークスを含む様々な媒体を通じてこうした材料を拡散したことを発見した。こうした活動に基づき、特別検察官は、選挙への介入を目的とした米国内でのコンピューター・ハッキングを計画したことに対して多数のロシアの軍人を刑事告訴した。(しかし、ロシア側からはトランプ陣営を支援しようという多様な申し出があったにもかかわらず、トランプ陣営による共謀の事実は発見されなかった。)

2016年大統領選は、民主党候補だったヒラリー・クリントンが得票数と得票率ではトランプを上回るという大接戦だった。結果的にトランプはヒラリーよりも選挙人を77名多く獲得して勝利した。だが、トランプが得た選挙人のうち、46名は得票率の差が1%未満だった3州(ミシガン、フィラデルフィア、ウィスコンシン)からのもの。つまり、ロシアの選挙介入がなければ、ヒラリーが第45代大統領になっていた可能性は十分にあった、と考えられる。

国家の指導者であり、国民の代表を選ぶ選挙は、民主主義の根幹となる制度。選挙に外国が介入し、それがなければ負けていた可能性の高い人物(=ドナルド・トランプ)が国を率いている、というのは極めて由々しき事態。トランプ陣営がロシアと共謀していなかった――正確には、共謀したと断定できなかった――からと言って、トランプが大統領であることの正統性が揺らいだままであるという事実には、何の変わりもない。

ソ連の崩壊によって米ソ冷戦は終わり、「共産主義」対「民主主義」というイデオロギー対立の時代は終わった――。我々はそう思ってきた。しかし、KGBの情報将校だったウラジーミル・プーチンは今、「権威主義」対「民主主義」という(矮小化されてはいるが)新たなイデオロギー戦争を戦っているのかもしれない。プーチンは電子的な手段を使って2016年の大統領選挙に介入し、民主主義の総本山とも言うべきアメリカの民主主義に対する信頼性を国内的にも国際的にも大きく貶めた。

プーチンの工作が標的としたのは、イデオロギー面だけではない。米国の外交政策にネガティブな影響を与え、米国の国力そのものを削ぐことも射程に入っている。

米国の外交政策がトランプ政権の下でロシア寄りになったという明白な事実はない。だが、プーチンを嫌っていたヒラリー・クリントン大統領が誕生していれば、米国の対露政策が今よりももっと厳しいものになっていたであろうことはほぼ疑いがない。選挙介入によってロシアは少なくとも、最悪の事態を防いだことになる。

さらにロシアは、偽情報の拡散によって有権者の反ヒラリー感情を煽り、単に選挙結果に影響を与えたのみならず、民主党と共和党の間や民主党内部での対立を激化させることにも成功した。トランプが大統領に選ばれた後は、ロシアが直接介入しなくてもトランプ自身が進んで米国社会の分断を深めた。

パリ協定からの離脱、保護貿易主義の強調、INF(中距離核戦力全廃条約)の効力停止、露骨な親イスラエルの姿勢などによって、国際社会がトランプの米国を国際社会のリーダーと仰ぐことはめっきり減少した。安倍政権は数少ない例外と言えるが、その安倍ですら、トランプ路線に全面的に同調しているわけではない。

モラーの報告書が公表され、歯噛みして憤る民主党の関係者。
ホワイトハウスで心底ホッとした後、高笑いするトランプ。
その様子を窺ってクレムリンでほくそ笑むプーチン。
勝者が誰かは明らかである。

現代貨幣理論(MMT)が日本に逆輸入される日

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)というものがアメリカで流行しているそうだ。

経済学の徒でない私には、現段階でMMTなるものに確定的な評価をくだす自信がない。しかし、MMTなるものが無視するには大きすぎる政治的なインパクトを持つであろうことは十分に予測できる。本ポストでは、アメリカにおけるMMTの流行が、近い将来、日本の経済・財政政策に影響を与える可能性について考えてみたい。

MMTが日本の経済政策にもたらすものは、チャンスなのか、リスクなのか?

MMTとは何か?

残念ながら、MMTの詳細な解説となると私には荷が重い。ここではMMTの簡単な紹介にとどめるが、ご容赦いただきたい。

政府はどんなに支出を増やしても、お金がなくなったり破産したりすることはない――。このシンプルな考え方がMMTの共通項である。そこから、3月15日付の日経新聞はMMTの主張を「自国通貨建てで政府が借金し物価が安定している限り、財政赤字は問題ない。政府の借金は将来国民に増税して返せばよい。無理に財政赤字を減らし均衡させることにこそ問題がある」とまとめている。厳密に言えば異論もあるかもしれないが、MMTの持つ政治的な意味を考えるうえでは、この程度の理解でも大きな不都合はないだろう。

米連邦準備制度理事会(FRB)のジェローム・パウエル議長から、ポール・クルーグマンやラリー・サマーズなどの経済学の大御所たちまで、メイン・ストリームの人たちはMMTを痛烈に批判している。

伝統的な経済学の理論では、財政赤字の膨張を問題視する考え方が強い。20世紀後半の欧米先進国の経験も財政赤字を罪悪視し、「財政健全化こそ正義」という風潮を裏打ちするものだった。

1970年代のイギリスは経済成長の低下を受けて財政赤字が増加、1976年には財政破綻した。その後、サッチャーによる民営化、金融引き締め、財政支出削減等を経て1998年、ブレアの時代に財政黒字に転じた。

ベトナム戦争後の米国も経済の停滞に苦しみ、1980年代には財政赤字と経常赤字の併存(双子の赤字)が問題視された。レーガン政権下では国防予算の増加や大規模減税によって財政赤字が膨らみ、1992年にピークに達する。その後、クリントン政権下で米経済は復活し、1998年には財政黒字を実現した。

ワイマール時代の天文学的インフレを経験し、ヒトラーの台頭を許したドイツもインフレに対して強いアレルギーを持ち、財政規律を人一倍重視する。

要するに、伝統的な経済・財政学者や金融政策の実務に携わってきた人たちの目には、MMTの先に「放漫財政→ハイパー・インフレ→財政破綻」が見えるのだ。今はMMTの広告塔な役割を果たしているステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)も、長い間異端視されてきたと言う。

しかし、私に言わせれば、伝統的な経済学とMMTの違いは、いわゆる近代経済学とマルクス経済学の違いのような根本的なものではない。

例えば、伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちも、経済低迷期における政府の介入(財政出動)が必要であることは明確に認めている。ただし、彼らは財政出動が「大きくなりすぎる」ことを警戒し、財政出動や財政赤字はできるだけ小さくとどめ、できるだけ早く解消した方がよい、と考える。

対するMMTは、財政赤字を恐れるあまり、経済低迷期において財政出動が「小さくなりすぎる」ことにむしろ懸念を抱く。リーマン・ショック後の不況期に各国政府は財政出動や低金利(マイナス金利を含む)政策を展開したが、MMTの信奉者は、その規模や期間が中途半端だったから今日も世界経済は立ち直っていない、と批判するのだ。

ちなみに、MMTも財政赤字を野放図に膨れ上がらせたまま、放置していいとは考えない。十分に大きく、十分に長く財政出動すれば、景気が上向いて税収も増える、というのがMMTの理想像。しかし、財政赤字の増加ペースが物価上昇率を超えたり、完全雇用が実現したりすれば、財政赤字にブレーキをかけなければいけない。ただし、その場合でも政府には増税という最終手段があるから、問題はない、とあくまで楽観的である。

政治から見たMMT

圧倒的な少数派にとどまり、その教義が実行される可能性がほとんどなければ、正統派は異端を本気で批判しない。伝統的な経済学者や金融政策の実務者たちがMMTを声高に批判し始めたのは、近年、アメリカ政治の一部、特に民主党左派にMMTと組む動きが見られるためである。

代表格が前述のケルトンだ。前回の大統領予備選でヒラリー・クリントンと最後まで民主党候補の座を争ったバーニー・サンダースの経済顧問を務めた。もしもサンダース大統領が誕生していれば、ケルトンが経済政策の司令塔となり、MMT流の経済・財政政策が採用されていた可能性があったということだ。

民主党の左派の政治家で最近売り出し中なのが、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス。プエルトルコ移民を母に持ち、昨年11月に28歳で史上最年少の下院議員となった。彼女も財政赤字の拡大を容認するMMTに秋波を送っている。オカシオ=コルテスは、政策面ではグリーン・ニューディールを主張し、10年以内にエネルギーを100%再生可能由来のものにするほか、4兆6千億ドル(約500兆円!)のインフラ投資を行うのだとか。財源として炭素税や高所得者への増税を訴えるが、それだけでは足りない。MMTに関心を寄せるのも自然な流れと言える。

サンダースを含め、民主党の左派は政府が保険料を徴収して医療費の全額を払う単一支払者制度(single payer health care)の導入を主張している。必要な財源は年間、150兆円とも300兆円以上とも言われる。彼らの間でもMMTへの「期待」は大きい。

だが、財政赤字に寛容なのは民主党左派ばかりではない。実際のところ、「共和党=小さな政府」というのは財政の観点では既に死語となっている。

トランプ政権の下、10年間で1.5兆ドル(約160兆円)の減税、国防費やインフラ投資の増額などが行われた結果、連邦政府の債務残高は22兆ドル(約2400兆円)を突破して過去最高となった。トランプが政治的にMMT支持を口にするかどうかを別にすれば、トランプが財政赤字に無頓着な大統領であることは明らかだ。

トランプの説明によれば、今は財政赤字が積み増されても、将来経済成長によって税収が増えるから問題は起きない。まるでMMTの論者の話を聞いているようだ。もちろん、トランプは将来増税に訴えなければならない可能性など、おくびにも出さない。トランプは学者ではないから理論を証明する必要はない。仮に将来増税するとしても、その時の大統領が自分でなければ別に構わない、と言ったところだろう。

日本への影響

面白いことに、MMTの論者たちはその理論が正しい「証拠」として日本のアベノミクスを挙げることが多い。

日本政府の債務残高の対GDP比は2009年から200%に乗り、2018年度は236%程度。しかも、安倍内閣(正確には野田政権末期)以降、日銀による国債買い入れを含めた「異次元の金融緩和」を続けている。にもかかわらず、インフレは起きていない。黒田日銀が目標としていた2%のインフレ目標など夢のまた夢だ。

同様に、欧州の量的金融緩和やマイナス金利も、伝統的な経済理論が指摘したような問題を顕在化させていない。であれば、米政府の債務残高の対GDP比が2011年から100%台に乗り、今も上昇傾向にあるからと言っても、どうってことはない(=財政赤字はもっと増やせる)ということになる。

大規模な金融緩和と財政出動のセットであるアベノミクスの下でインフレが起きない(起きてくれない)理由はきちんと解明されていない。人口減少のトラップによるという説などいくつもの説明が試みられてはいるものの、決定版はない。だから、MMTのように「そもそも、財政赤字を拡張しても問題は起きない」という説が受け入れられる素地があるのだ。

いずれにせよ、アベノミクスはMMTが流行する前に登場している。その意味では、日本の経済政策であるアベノミクスがMMTに影響を与えていることはあっても、その逆はない――。これまでは、そう思ってよかった。しかし、将来もそうであり続ける保証はない。

アメリカの例を見るまでもなく、MMTは政治との親和性が高い。それはそうだろう。政治は有権者の歓心を買いたいからバラマキに走りがち。だが、高度成長が終わった先進国では財源が制約になる。MMTはその縛りから政治を解き放つ。

まずは米国同様、民主党崩れのリベラル陣営がMMTを援用する可能性がある。旧民主党やその末裔政党はリベラルのくせに財政健全化にこだわりを見せる不思議な政党だ。思えば民主党政権は、財源にこだわる一方で既存の事業をやめる決断もできなかったため、マニフェスト公約である子ども手当の実現や高速道路の無料化を断念、嘘つきと批判された。(東日本大震災があったことは考慮すべきだが、それがなくても主要な選挙公約を実現できていなかったことは間違いない。)下野後の民主党及びその後継政党は、財源の呪縛ゆえに新たな目玉政策――憲法改正とかでなければ、大概はカネがかかるものだ――を提案することができないままの状況で今日に至っている。

立憲民主党や国民民主党は社会保障や教育、子育てで大きな政府を志向しているが、財源がネックになっている。そのくせ、消費税の引き上げには反対しているから、八方ふさがりだ。MMTを採用すれば、景気対策を含め、国民に様々な夢を売ることができるようになる。国民民主党代表の玉木雄一郎はコドモノミクスと称して「第三子を生めば一千万配り、財源は『子ども国債』を発行する」と言っていた。いつMMTになびいても不思議ではないだろう。しかも、一昨年の分裂騒動以来、野田佳彦や岡田克也といった財政健全化派の影響力は無残に落ちた。立憲民主や国民民主の政治家に少し目端の利く連中がいれば、MMTに注目しないはずはない、と思う。

一方で、元来がバラマキ政党の自民党も、上げ潮派に限らず、MMTに魅力を感じるはずである。

と言うのも、アベノミクスは「第二の矢」として財政出動を放ち、確かに財政拡張的な政策ではあるが、財務省がまだ頑張ってきた結果、一定の節度を保っているからである。2019年度の公債発行額は32.7兆円と2012年度に比べて14.8兆円も少ない。税収が同期間で18.6兆円も増えたからこそできる業だが、リフレ派からすれば、もっと公債発行すればいいのに・・・、ということになる。

今年10月に消費税が上がり、来年夏には東京オリンピックも閉幕。消費税引き上げ対策も大半はその頃までに終わる。自民党政権が続いても、今後の日本経済は良くて横ばい、悪ければ減速の可能性が高い。加えて、米国からは駐留米軍経費の負担や防衛費を増額しろという圧力が高まるかもしれない。近年の災害多発を考えれば、土木事業も一概には否定できない。

安倍政権がこれまで圧倒的に強かったのは、政権交代で日本経済がよくなったという半ば真実プラス半ば錯覚のおかげ。国民が夢から醒めたら、盤石に見える自民党政権もあっという間に危うくなる。安倍だろうとその後継首相であろうと、より強力な財政投入の誘惑にかられるであろうことは疑いがない。それを正当化するのに、MMTは絶好の理論だ。かつて安倍が浜田宏一エール大学名誉教授の名前を出してアベノミクスを権威付けしようとしていたのを思い出す。

 

MMTを実践(=実験)するのは、アメリカなのか、日本なのか? はたまた別の国なのか?

MMTが正しければ、答が何であろうが問題はない・・・はずである。財政赤字を積み増しても、経済が上向いて税収が増えればハッピーエンドとなる。だが、財政赤字を積み増しても経済が上向かない時には、「MMTが言うような形で実験を継続できるか否か?」という別の問題が出てくる。MMTが想定する安全弁は、政府による増税である。しかし、現実の政治は増税を求められた瞬間にMMTとの親和性を断ち切るかもしれない。

他方で、MMTが間違っていれば、伝統的な経済学者や金融実務者が主張するようにハイパー・インフレが起きて経済は破綻することに(おそらく)なる。

いずれにしても、MMTの採用は相当にリスクの高い実験となる。常識的に考えれば、実験を行う最初の国にはなりたくない。だが、「失われた10年」が20年になり、30年になりそうな日本には、その素地がありそうに思える。我々はMMTの誘惑に耐えられるだろうか?